A 回答 (6件)
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No.2
- 回答日時:
意外に思われるであろうところから説明いたしたいと思います。
性質と言うよりも、性格、と言った方が良いでしょうか、例えば、
「清廉」という性質(性格)があったとします。当然ながら、「清廉」という物質は存在しません。「清廉」というのは、ある振る舞いの様相を示す言葉で、その振る舞いを形容したものです。なので、世界のどこを探しても、物質や物体として、「清廉」なる”物”は存在しません。
「愛」も同じです。これは物質ではなく振る舞いにつけられた名前ですので、何か固定的な物として存在するわけではありません。
ハルさんはその、物質ならざるものについて、何処に在るのか?と迷っておられるのではないでしょうか。
もっと具体的な例をとりますと、
「清らか」という物質は存在しませんが、「清らかな泉」は存在します。「清らか(濁っていない)」という様相を示した形容詞でもって、如何なる泉かを表現したものです。
なので、ハルさんの疑問は、物理化学の問題でも、哲学の問題でもなく、言葉や文法の理解の問題のように思います。
なので、
>性質と言うものが存在するのか? しないのか?
性質は、物質としては存在しない。形容として存在する。
>属性と言われてる性質は一体何でしょうか?
形容。
>属性(性質)は存在するでしょうか?
物質としては存在しない。形容として言葉で示されるのみ。
と言う事になると思います。
残念ながらノーベル賞も、イグノーベル賞もいただけませんが…
この形容と言うのは感覚であり、感覚とは何か?という具体的問いに変じて改めて問い直すなら、学問になって来るのではないでしょうか。ただしこの場合の感覚とは生物機能のことであり、学問分野としては生物学と言う事になると思います。とりわけ脳を含めた神経系の題として扱われると思います。ハルさんの問いは、生物学的な問いとして発されているわけではないので、多分、関心はそこにはないと思われますが。。
追伸:
おそらくハルさんは、こういう事で迷っておられると思います。
例えば、
「愛」という言葉は知っているが、その実態を知らない。
「智慧」という言葉を知ってはいるが、その実際を知らない。
「道」という言葉を知っているが、その実のところを知らない。
あくまで例えです。私は愛を経験して来たとハルさんが言うのであれば、実にもそうなのだろうと思いはします。
このような迷いであればこれは求道と言う事になると思います。
求道を終わらせるポイントは、知っているつもりで求めるのではなく、知ることが出来るという前提で能動的に待つことです。
恋愛をしたことが無いのに恋愛を語れないように、それを経験したことが無いのにそれについて語ることは出来ません。
知らないものを求める事も出来ません。
なので、能動的に待つと言う事になる。
私は今は知らない。だが、知る(体得する)ことは出来る。そう信じていることが持つべき求道の姿勢だと私は思います。
どうもご理解とご想像ありがとうございます
私の言いたいのは では「精神」は存在しているのか?
精神はどう存在しているのか? 性質で出来ているのではないか?
という様な事を20年考えて導きさらに20年経った と言う事です
それが理解されないのが残念でなりませんが
私の説明不足 追及不足と言う事でしょう・・・
精神って存在するのでしょうか?
No.3
- 回答日時:
ハルさんへ
「速く走る」ということは、存在するでしょうか?
物質としては存在しませんが、事象、或いは状態としては存在します。
速く走る物体として、例えば新幹線などは存在します。
「精神」も同じです。精神を感覚の塊(かたまり)と捉えるならば、精神は、物質としては存在しません。事象、或いは機能、もしくは、様態として存在するわけです。精神活動をする器官として、脳および神経系は存在するでしょう。
では、さらに一歩進んでみますね。
この世に、「速く走る」のは、新幹線だけでしょうか?違いますね。自動車も、チーターも、雷も、速く走ります。なので、この世から新幹線が消滅して、その概念すらなくなったとしても、「速く走る」という事象は消えてなくなることはありません。在り続けます。
「精神」も同じです。この世で精神活動をしているのは人間だけでしょうか?違いますね。犬や猫や鳥だって精神活動はあります。人間よりは単純だとは思いますが。或いは、他の星雲の知的生命体がいないとも限りません。
また、肉体を持った生命以外に精神活動をする存在があるかも知れません。
ただ言えることは、「精神」は人間固有のものではないので、人間が絶滅して、その概念さえ消え失せても、「精神」という機能、精神活動と言う事象は存在し続けます。
そしてさらに一歩進みましょう。一番ハルさんが興味を持っているところだと思います。
それは、ハルさんが死んだらハルさんの精神はどうなるのか?と言う事です。答えは、ハルさんの精神がハルさんに固有のものであるならば、ハルさんの肉体の死と同時に、ハルさんの脳機能が停止し、精神活動も終わります。
ハルさんの精神がハルさんに固有のものでないならば、ハルさんの肉体が死んでも、ハルさんの精神活動は残ります。
それで、古来より修行者は”個体の断滅”を目指して修業したのです。
個体の断滅とは、肉体が滅びることを言うのではなく、”我あり”という我執を滅ぼすことを言います。
その時、修行者は不死の境地を得ます。
不死の境地とは、肉体が滅びなくなるのではなく、肉体が滅びても、滅ばざるもの、不生不滅たるそれが、私なるもの即ち”自己の本質”であると覚知する事です。
ハルさんの解決すべき問題は二つあります。
一つは、言語の用法を正しく習得すること。
一つは、死ぬよりも前に為すべきこと、本当に為したいことを為すこと。
以上です。
差し出がましいとは思いましたが、私はそのように考えました。
No.4
- 回答日時:
補足読みました。
ハルさんの言う性質とは、法則の様なものだと思います。
かかる物質は、これこれこのように振舞うように決定づけられている。
そして、その様な物質と物質、性質と性質が関係しあって大きく複雑な世界が出来上がっている。
グラビトンには重力を持つという性質がある。
光子には波の性質がある。
そういうならば、それはそうだとしか言えません。物理学でも言われていることだと思います。
疑問を生じる余地が何かあるのでしょうか?
何故グラビトンは重力を持つのか?なぜ光子は波の性質を持つのか?
そういうことを考えたければ物理学を勉強すればいい。
哲学の話ではないと思います。
何で空は青いの?
何で血は赤いの?
青い波長の光が空気に拡散して青く見えるんだよ
ヘモグロビンが酸素と結合してるから赤いんだよ
何で青い波長は青く見えるの?
何で赤い物体は赤く見えるの?
こうなると、感覚質、クオリアの問題となって、分野は大脳生理学とか哲学の問題となって来るのではないでしょうか。
クオリアが何故発生するかと言うと、
おそらく、青色単体が外世界に在るだけでは、青色は存在できないのです。
青色が、外世界にもあり、脳が構築する内世界にもある時に、二つの青色が照応されて、青色が現象として発現するのでしょう。
つまり、脳機能をオーバーする世界については人は認識できません。
ただ、脳機能は成長したり機械で拡張したり、或いは人類の無意識のつながりなどで広範にわたることがあるため、脳機能を限定することも今はまだ難しいでしょう。
これらを証明出来たら、確かにノーベル賞でも貰えるかもしれませんね。
今はこれは、こうなんじゃないの?って話をしてるだけだからです。
補足読んで頂いたようで、どうもありがとうございます。
クオリアと言う言葉が出てきて有り難いです
私も過去クオリアと言う言葉を使っていました
しかしクオリアと言う言葉は「感覚質」と言う意味で
私の様に精神が性質で出来ているという仮説?を唱える時には
殆ど意味をなさない、仮の言葉です。
確かにこれは一歩間違えればノーベル賞ものです
しかしそれはその筋の人が見てちゃんと理解出来たらと言う事です
おそらく難しいのだと思います。分かりにくい
私自身は分かっているのですが 説明が難しい
愛とは何か?と言えば 心の状態だ とか説明出来るかしれませんが
それで「愛」が分かる人はいないでしょう
実際自分が愛を知った時に分かるのです
非常に説明が難しい。
今回はまず補足を読んでもらった事がありがたかったです
どうもありがとうございますm(_ _)m
No.5
- 回答日時:
>ここまで書いても分からないですか?
多分、ハルさんは言語を使う事が苦手なのだと思います。コミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもるタイプなのでしょう。これはこうなのだと、断定するところも自己完結していて、他の意見をさしはさむ余地が無いのです。だから話が深まらないし、別の観点から見ると言う事も出来ない。哲学に向いてないと思う。一人で、自分で考えることが哲学ではありません。自分で考えるのは、一人で歩けるくらい当たり前なことで、そこから、他の人と一緒に歩いたり、競争したり、ルールに則ってスポーツをしたりという様々な活動に広がらないと、話になりません。
僕は一人で考えたんだ!自分の頭で考えたんだ!といって主張することは大変恥ずかしいことです。当たり前のことだからです。そんなことはみんな出来てる。そこから、同他者や社会の持つ知性と交流して、進歩していくかが問われるのです。
だからハルさんのHPは、あまりにも拙くて読むに堪えないのですよ。
人間は一人で生きているのではないのです。
ハルさんの段階は二足歩行をしたところで止まっています。せめてピラミッドを建てるところくらいまで行かないと哲学は生まれません。先端の人は宇宙まで行ってますよ。
あほなさんの仰る面はあるかと思います。
しかし要は数学と一緒です。長年かけてやっと解いた問題を
人に教えるのも非常に難しいです。
こっちはもう解いているのです。しかし大概の人は「分からない」
と言います。
私も存在性思想の家庭教師じゃないのでどこが分からないのか分かりませんが
ハッキリ言って解く価値はあります。
何でも聞いて下さい。答えますので。
No.6
- 回答日時:
ご丁寧なお礼をありがとうございます。
正直にモノ申したのに、起こらずに応対してくださり感心しています。なので、私も思っていることをそのまま述べたいと思います。貴方を否定したり正したいと思っているのではありません。事実を述べて、客観的な視点から、同じサイトで会話する者として進言したく思います。>こっちはもう解いているのです。しかし大概の人は「分からない」
と言います。
この発言に見られることが、ハルさんの抱える問題なのです。
皆、自分独自の考えについては、自分自身は理解しているのです。自分の言葉で、自分が考え、咀嚼し、理解し、吸収し、自らの血肉にしたものだからです。
ですかそれをそのまま他人に理解してくれと言うのは無理な話です。
私だって、私の固有の考えを他の人にそのまま理解してもらう事は無理です。
ではどうするのか?
自分独自の考えを、公用語で考え、皆が考える事の出来る形に落とし込み、解釈し、理解してもらう事が必要なのです。
ハルさんの存在性理論は数学とは全くもって異なります。数学は万人に開けた学問ですが、存在性理論はハルさんだけが理解する、閉じたものです。自己完結していると言ったのはそういう意味です。
>ハッキリ言って解く価値はあります。
何でも聞いて下さい。答えますので。
あなたは、自分で作った料理を自分で食べているだけです。自分好みの食材、調理法、味付けで作った料理が、他の人にとっては全然美味しそうに見えないのに、それを食べろと勧めてくる。美味しいから食べろと。
言われて食べてみた人は皆、「いや、全然美味しくない。形が悪いし、味もぼけてる。栄養もスカスカでなさそうだし。提供温度もでたらめで、鮮度も今一だ。」と言う。
なのにハルさんは、どうしてこの美味しさが分からないのか?と嘆いている。
大人には大人の食べ物がある。大人になれば子どもの食べ物(=駄菓子)は美味しくなくなる。離乳食ならなおさらだし、ゲテモノなら奇特な人しか食べやしない。
ハルさんの存在性理論がゲテモノ料理だとは言わないけれど、栄養の乏しく、素材はありきたりで、完成度も低い、料理なのかこれは?というレベルであることは自覚された方が良い。あなたは他の人の命の時間を消費してまで、ご自身の持論を理解することを勧める。それだけの責任感と覚悟がおありですか?暇つぶしの他愛ない駄弁ならそのようなものは必要ありませんが。
哲学界隈を擁護するわけではありませんが、論を交わす人は皆、自分の頭の中のものを外に出すときには、大変な労力を費やし、練度を高めて、他の人に供するに相応しいものにしているのです。
だからプロだと言われる。
ハルさんの論は独りよがりで仕方ない。
オリジナリティが全く無いとは言わないけれど、オリジナリティを語る以前の問題だと思う。
でも、ハルさんの人格には良いところがある。持論はさっぱりですが、あなたは素直なところがある。
それは非常に価値の高い、人間として大切にすべきところなのだから、それだけでしあわせの半分は手に入れたようなものなのに、我執に引っ張られて、持論に固執するので、失墜してしまっていると思います。
あなたは他の人のために、世の理不尽を正すためにと仰いますが、口だけで何も為し得なかったのは、貴方が結局は、極端に自己愛に偏っているからだと思います。博愛からは程遠い愛のあり様であるために、口では博愛的なことを言えても、実態が伴わないのです。
私は、一人分の愛ですらまだ実現できていません。
貴方も同類とは言いませんが、愛の深さや広さでその人がしあわせに生きられるかどうかは決まると言っても良いと思います。
私は成長せねばらならないし、成長します。
ハルさんはどうですか?
大変遅くなりました もうお読みになる事はないでしょうねえ。
参ります。全く その通りだとは言いませんが
そう見えてるとは知りませんでした。
私の博愛?人類愛?も枯渇して来ました。
私は幕を閉じればそれで済むのでしょうけど
私が願っていたことは水の泡です
駄菓子はまだおいしいと思いますが 離乳食・ゲテモノは苦手ですねえ
でも食べればい事はない。
これが仏陀の言葉だったら 天保の甍じゃないけど
中国まで行って失明?までして巻物を求めるものですが
私だと全然立場が違います
本当は私は「存在性理論」「存在主義」伝えたいのです
存在主義は
存在する事に意義がある 存在する事に価値がある
存在する事が目的なのだ。と言うシンプルな主義です。
これくらいになると分かるような気がすると言う人が出ます
正義は人類全員の存在と人権を守る事です
愛は互いに活かし合う事です。
理解を得られなかったことは残念ですが 色々勉強になります
また教えて下さい。遅くなりまして恐縮ですm(_ _)m
またお会いできるのを楽しみにしています。
人間が分かり合うと言う事はむずかしいものですねえ。
No.7
- 回答日時:
貼るさんおはようございます。
あなたはどうですか?がNo.6さんの問いです。
穴さんおはようございます。
No.6であなたは質問者さんの書き方や内容に不備があると主張しています。『15で不良と呼ばれたよ さわるもの皆傷つけた 分かってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか?』のNo.13https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13040529.html?order …にお礼 comment で「変換中にもエネルギーは形態(態)を持っている」と言われました。Scott Burns, John Wojciechowski, Geof Bradfield『Altar Blues』
が良かったです。何かがあって性質を全て取り除いた後に残るものを基体とします。城坂真治『「場所の論理」と「基体」概念』https://cir.nii.ac.jp/crid/1390002184885071232がよかったです。『持っています。 と あります。 の違いの説明』https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4086316.htmlさんが良かったです。性質を持っているのは何でしょうか?その何かと性質は別々に分けることができるでしょうか?分けられない場合性質があると言えるでしょうか?
性質を持っている 性質があります。
すみません時間がないので
それと下段、上のアドレス?は英語で読めませんでした 失敬?
性質はエネルギーとは独立していますので 持っている 性質がある
とかいています。
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存在していると言っても 全てが微動だにせず変化せずに存在している訳ではありません
或る存在は光(電磁波)や波のように「あっ」と言う間もなく走っていきます(走性?)
しかし多くのその様な存在の中に 我々の様な循環やリサイクル、フィードバック等で
アイデンティティを持つ、物質や精神の様な存在が在ります。
しかし物質と精神は明らかに違います物質はまさにエネルギーでしょうけど 精神は何か?
唯物論や唯心論がある様に 物質と精神(心)の世界は全く違いながら 心は物質を写すように
小宇宙とも呼ばれます。
物質は確かにエネルギーで出来てると説明が付きます。 では精神(心)は何で出来ているのか?
何もない所に何か存在するでしょうか?
私は高校の頃から病気を挟んで38~40才の頃 性質の世界を見つけました。
つづき
性質の世界は、存在性の世界です。存在する物質などのエネルギーも性質とともにある事で存在出来ます。
態を持つことが出来るのです。性質の世界を考えていくと 正に 脳内の様々な物質が秩序も持ちながら
その物質の性質で脳内反応してることが分かります。その無数の性質が関わり合って精神を主体として
我(私と言う精神)を成しているのです。
勿論脳外でも様々な性質が反応しあってただのエネルギーではない、物質や波や精神や魂の世界を
織りなしているのです。宇宙は広く果てがない。実に小説より奇なりの現実なのです。
もし エネルギーに性質が無かったら エネルギーはカオス いやカオスにもならない
何でもないエネルギーになっていたでしょう。
そのエネルギーに性質がある事を不思議に思わなければ 哲学になりません。
おそらく生まれてきた子供は そこに性質がある事を不思議に見たことでしょう
我々はそれを忘れているのです。
ここまで書いても分からないですか?
ぜひ今度時間があったら読んでみて下さい
解説までつけていますから 分からないことはないと思います。
分かる気がなければ分かるものも分かりません。
選挙は型が付きました 新しい時代を開くために どうか どうか(選挙みたいになって来たなあ)