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普遍と特殊について教えてください。
また、その二つが抱える問題点についても詳しく
教えてください。  

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A 回答 (3件)

 


普遍と特殊とは、どういう文脈で、何について尋ねているのかで答えが違ってきます。哲学カテゴリーで質問されていますので、「普遍」というと、普通、「普遍論争」が想起されます。しかし、この場合、「特殊」は何なのかがよく分かりません。

もう少し自由に考えてみると、普遍論争にも関係し、中世哲学の存在論にも関係し、伝統的論理学にも関係し、アリストテレスの哲学などにも関係する言葉としては、次のようなことが考えられます。

「普遍論争」というのは中世哲学での問題ですが、起源的には、プラトンとアリストテレスの哲学の対立に淵源するとも言えます。

この論争には、二つの立場があり、「実在論(実念論)」と「唯名論」という風に普通呼ばれます。この二つの立場、主張はどう違うかというと、事物(中世哲学で、「個物」とも言い、ラテン語で「レース」とも言います)の存在を考えるとき、事物「とは何か」という問題で、それは、事物の本質である「概念」「性質」であるという考えと、概念・性質は、事物の持つ特殊性であって、事物は、「個物の存在」としてあるという二つの立場があるのです。

後者の主張は何を言っているのか分かりにくいですが、これは、「実在」とは何か、という問題で、事物について、実在・存在しているのは、その概念・性質であるという立場と、実在しているのは、個物としての事物で、概念・性質は、偶然的に事物に付随する性質だという立場の違いです。

性質とか個物というのが何か、よく分からないとこれは混乱してくるのですが、具体的に、例えば、「犬」という動物を考えて見ることです。この場合、「犬という概念」が、私たちの精神にあるのです。他方、「犬という個物」が存在するのだとも言えます。

「ある個物が存在」し、その個物が犬という性質を持っていると、これを犬と呼ぶのだという立場と、「犬という概念が存在」し、ある個物が犬という概念=形相を持っていると、この個物が、犬であるというのは、似ているのですが、実在するのは、「犬という個物」か、「犬という概念=形相」かで見解が違うのです。

プラトンのイデアー論では、実在するのは、犬という概念=形相であるということになります。しかし、アリスチテレスは、実在するのは、具体的な犬という個物・特殊存在であると考えました。

普遍的な「犬の概念=形相=イデアー」が存在するのだという考えと、存在するのは、特殊な、個別的な、個々の「犬という個体」だという二つの考えが、普遍論争の二つの考えで、前者の「普遍概念」を実在とする考えを、「実在論(実念論)」と呼び、後者の個別的な犬の存在を実在とする考えを、「唯名論」と呼びます。

概念が普遍として実在するという考えを、「実念論」と呼び、犬というのは、個々の特殊な個別的な犬が共通して持つ性質の「名に過ぎない」というのが、「唯名論」の立場です。

古典論理学の「全称命題」と「存在(特称)命題」とは、例えば、「あらゆる犬は忠実である」というのは、全称命題と言います。これは、犬という普遍概念には、「忠実」という性質が、普遍的に付随しているという考えです。

しかし、実証的には、人間は、「ある犬は忠実だ」とは言えても、「すべての犬は」とは言えないということがあります。「ある犬は忠実だ」というのは、「忠実な犬が存在する」という命題と同じなのです。

「あらゆる犬は忠実である」というのは、犬には、普遍的に「忠実」という性質が伴うと主張するのですが、こういうことは実証できません。確認できるのは、「ある犬は忠実である」つまり、特殊な場合には、犬の忠実さは確認できるのです。

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普遍と特殊というのは、哲学用語としては、こういう背景を持つとしか言えません。この二つの問題点はとは何を尋ねておられるのか、よく分かりません。

敢えて言えば、普遍命題や普遍概念は、実証されないということがあります。数学的命題は、ア・プリオリに真であり、普遍であるとカントは考えましたが、エウクレイデスの幾何学の平行線公理は、ア・プリオリに真ではなかったことが、今日明らかになっています。

特殊の問題は、特殊命題つまり存在命題だけでは、論理学は成立しないし、人間の概念思考も成立しないということです。人間の思考は、普遍命題を真として、前提して進められているということがあるのです。

「すべての人は死ぬ」というのは、全称命題であり、普遍命題ですが、この命題は、実証されていません。分かっているのは、今まで、生まれてきた人で、150年以上生きた人はいない、というようなことです。しかし、今生きている人、これから生まれくる人で、150年以上生きる人や、あるいは、千年以上生きる人も出てくるかも知れません(また、SFのような話ですが、永遠の宇宙精神と一つになり、死なない人も将来出てくるかも知れません)。

しかし、全称命題を使わないで、存在命題、つまり特殊命題ばかりでは、人間の思考は進行しませんし、科学も技術も成立しません。例えば、ニュートンの法則は、実験するたびに、いつでも正しいと確認できるというのは、特殊経験、特殊判断の集合である訳で、「常に正しい」とは違うのです。

しかし、科学の法則は、その適用範囲では、常に真である、という普遍前提を置かないと、科学や技術や現代の文明は成立しないのです。確認できているのは、常に、「特殊事態」であるというのは真ですが、これだけでは、普通の思考も、日常生活も成立しないのです。普遍命題を真と考える前提がないと人間の思考が成り立たないと言えるのです。
 

この回答への補足

詳しい回答ありがとうございます。
補足なんですが、実在論と唯名論の問題点や矛盾点を
なるべく詳しく教えてください。

補足日時:2003/01/29 18:42
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少しだけ補足です。

役に立たないとは思いますが、雑学程度に。

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そもそも一般者とは何か。
  ありとあらゆる特殊現象である。
そもそも個別とは何か。
  個々の普遍現象である。
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ゲーテ詩集の「エピグラム」の章の冒頭に出てくる詩です。
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私は大学とかで哲学を勉強している訳ではないので、あくまでも私見ですが……



普遍は、辞書で引くと「すべてのものに当てはまること」と説明されています。反対語はもちろん特殊です。私も、その一言で十分説明しきれている思います。普遍とは同胞すべてに通用するものである、というのが第一原則でしょう。
世の中には、普遍すぎる事に劣等感を抱く人間も居れば、特殊な事に苦悩する人間も居ます。
「普遍」は、全員が一緒で安心する、という意味もあれば、周りと全く同じで変化がなく危険だ、という解釈も出来ます。
「特殊」は、みんなと違って孤独だ、という意味もあれば、周りと違う能力によって自分が豊かになる、とも解釈出来ますね。
ただ、忘れてはならないのは、普遍と特殊の境界線の位置ですね。これは、ある作家からの受け売りですが、「異常だのと正常だのと簡単に線引きなどできやしない。私が標準です、という人間が居たらお目にかかりたいもんだ」という事です。

普遍と特殊は両極に位置しているように見えて一枚の紙の表裏だったりする。私は、そういう二面性を持つヤヌス神みたいな物体は好きじゃないんですけどね。
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