プロが教えるわが家の防犯対策術!

国鉄25万人をJRに、当時、三井グループから、社長が、出向いた記憶が、、
火中の栗を拾う気持ちだったらしいです、、

それは、さておき、分厚い切符、ザックリ40.年前でしたか?

あの頃は、ストライキありましたね

A 回答 (5件)

50年前には初乗り区間(20-30円?)専用の券売機があって、硬貨を入れると日付入りの『硬券』が一枚ポトッと出てくるものがありました。


おみくじの自動販売機みたいで面白かったのを覚えています。

いまから20年位前は、JR久留里線など房総半島先端地区のみ、春闘でストライキが施行されていた。動労千葉の組合員が集中配置された場所でしたから、この一画だけは「お花見春闘」と揶揄されてました。

東京に直結する区間(茂原や木更津など)でストライキをされては困るから、という理由から千葉支社では同組合員を一極に集中させていた。

当時の久留里線は運転士全員が千葉動労でしたが、車掌は別組合。
当時の久留里線は車掌がいた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2022/08/11 13:30

40年前だと都内の国鉄の駅は切符販売はほぼ自動販売機になっていたはずなので、硬券ではなかったと思います。


ただし、当時の自販機で買えた最高金額を超えた切符は窓口販売で硬券だったかもしれません。
都内の私鉄では既に一部自動改札が取り入れられていた時代です。
私は現在58歳なのですが、硬券が当たり前だった時代というのは記憶にありません。
たまに田舎に行ったときに硬券を見ると珍しいと思ったくらいです。
したがって、都内の国鉄で硬券が当たり前だったのは50年以上前ではと思います。

鉄道会社のストライキも40年前だと朝の始発から1時間程度など小規模なもの(通勤・通学ラッシュには影響がない)ものはあったかもしれませんが、
半日以上鉄道が止まるようなストライキは45年くらい前までではと思います。
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京浜急行の乗換精算所ではJRになって数年(平成になるくらいまで)は硬券を売っていましたね。


出札では非常用のを持っていたけど発売はしていないでしょう。
遠距離券があったのは1980年代頭くらいまででしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2022/08/11 13:31

自動販売機のうち、決まった額の券を売るものは硬券が出るものがありましたが、多機能販売機(お金を入れて金額のボタンを押すとそれが出てくるもの)は軟券おんりーです。

で、多機能販売機が入り始めたのは50年くらい前になります。
小学校高学年から中学にかけて千駄ヶ谷の津田英吾会に通っていましたが、硬券だったのが途中から軟券になりました、通っていたのは55年前から50年前です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2022/08/11 13:31

国鉄の分割民営化は、昭和63年か、平成元年度だったと思います。

この時期に消費税が導入され、3%。
ストライキがあった頃は、昭和50年代頃だったような記憶です。バス停にいたら、今日は、ストだから、バス来ないよ。って友達に言われた。
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この回答へのお礼

ああ、そうでしたね、
天皇陛下崩御以前のような、、

回答ありがとうございます

お礼日時:2022/08/08 20:46

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