魯迅の「故郷」一文です。
希望是本無所謂有、無所謂無的。這正如地上的路、其実地上本没有路、走的人多了、也便成了路。
この文にレ点や返り点など付けた「書き下し文」を教えて下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

魯迅の文章は「文言文」ではなく「白話文」、つまり話し言葉ですね。

そして現代中国語であって古典ではないのです。日本の書き下し文は古来の漢文を読む為に使われた方法なので、魯迅の文章は対応しきれないかと思われます。

それでも無理矢理書き下しにすると(すいませんレ点や返り点はちょっと勘弁してください(汗)

「本(もともと)希望是(これ)有りと謂ふ所無し、無しと謂ふ所も無し。這は正に地上の路の如し、本は其れ実は地上に路なし、走する人多ければ、路と成る也り。」
となります。かなり無理が出ていますが勘弁してください(汗
    • good
    • 0
この回答へのお礼

魯迅の文章は古典ではなく、現代中国語なのですね…。勉強不足なもので初めて知りました。
datemaki様には、二度にわたりご回答頂き感謝致します。本当にありがとうございました!!

お礼日時:2005/04/05 20:46

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q魯迅の故郷について

魯迅の故郷について

魯迅の故郷の中で、『厳しい寒さの中を、二千里の果てから,別れて二十年にもなる故郷で、私は帰った』とあるのですが、その故郷の場所というのはどこになりますか?

多分中国のどこかになるのは分かるのですが、魯迅の故郷の場所が載っているサイトありましたらおしえていただきたいです。

また、魯迅についてのサイトがありましたら、教えて頂きたいです

宜しくお願い致します

Aベストアンサー

魯迅の故郷は「紹興酒」で有名な「紹興」という街です。
今なら、杭州から高速道路で1時間ほど東に行けば到着します。
魯迅の生家は今は「魯迅故里」として、紹興では一番の観光地になっています。
http://www.geocities.jp/torabane/btrip114.htm
http://www.geocities.jp/ktpjh362/shanhai/rojin.html
http://www.city.sendai.jp/kikaku/kokusai/city/shao_xing/shao_xing.html

Q魯迅の「故郷」について

希望是本無所謂有、無所謂無的。這正如地上的路、其実地上本没有路、走的人多了、也便成了路。この読み方を教えて下さい。

Aベストアンサー

外国語のカテの方がすぐ解答が来そうな質問だと思いますが…
とりあえず読み方ピンインですw

xi1 wang4 shi4 ben3 wu2 suo3 wei4 you3,wu2 suo3 wei4 wu2 de.
zhe4 zheng4 ru2 di4 shang4 de lu4,qi2 shi2 di4 shang4 ben3 mei2 you3 lu4,
zou3 de ren2 duo le,ye3 bian4 cheng2 le lu4.

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q魯迅は故郷を再び訪れたか

魯迅に『故郷』という小説があります。
この作品の内容は、作者本人が経験した出来事が元になっていると聞いたことがあります。
とすると、魯迅の実体験として、自分の故郷で容易には変革できない中国の厳しい現実、もしくは人と人との心の壁を感じ取ったのだろうと類推されます。
文学テキストと現実を同列に語ることができないのは承知していますが、自分の生まれ故郷でそうした苦い体験をした魯迅が、その後再び故郷を訪れたことがあるのか、ないのかが気になります。
ご存知の方がいらしたら教えてください。
「ある」「ない」だけでもかまいません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私の手元に、旺文社文庫の「阿Q正伝・狂人日記」という1970年に発行された文庫本がありますが、その最後のほうに魯迅の年譜があります。
日本に留学した1902年からほぼ、毎年の事が記載(量は少ないですが)されています。

それによると、やはり1919年12月(38歳)に故郷に帰っています。理由は、故郷の家を整理するのと、母親と末弟(建人)らを北京に呼び寄せるためで、12月末に北京に帰っています。以後は、亡くなるまで故郷へ帰ったという記載はありません。  1921年1月(40歳)に「故郷」を出版。

私見ですが、魯迅の行動記録を見ると、とても帰郷する時間は取れなかったと思いますし、彼自身も心情からすれば、帰る気にもならなかったと思います。
ですから、1919年12月が最後の帰郷だと思います。

Q木版画の絵の具について

木版画を刷るときに、絵の具に気泡が出来るので困っています。小さい気泡ですが仕上がりが大きく損なわれます。どうしたら気泡の発生を抑えることができるでしょうか、教えてください。絵の具はポスターカラー、筆は版画用筆を使っています。

Aベストアンサー

水性の絵の具は粘性が低いので、そのまま版画に使うと気泡が出たり、むらになったりします。

伝統的な木版画である浮世絵では、絵の具を伸ばす段階で糊を混ぜて粘性を出しています。
糊は子供が使う「でんぷん糊」で大丈夫です。

こちらの動画に、その様子が出ています。
http://il.youtube.com/watch?v=uL8ZtEz8mZo

Q「怪人フーマンチュー」と魯迅の小説「離婚」に出てきた単語について教えてください。

「怪人フーマンチュー作サックスローマー、創元社発行」に出てきた単語の中に「七大人」単語がありました。出て来た箇所は64ページ一行目上段「長老エンスンヤットは七大人の一人ですよ!」と載っていました。そして、魯迅の「離婚」という小説の中にも「そこには七大人(しちたいじん)も招かれている。」とか「調停が七大人を交えて、尉老爺の屋敷で行なわれていることになっていた。」と書かれていました。「七大人」とはどのような意味なのか魯迅の「離婚」や「怪人フーマンチュー」を読まれた方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

どちらの作品も読んでいませんが、世界七不思議などと一緒で、大人(たいじん)の中でも特に優れた七人、といったニュアンスではないでしょうか?

goo辞書「たいじん 【大人】」
http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/116736/m0u/%E5%A4%A7%E4%BA%BA/

Q魯迅に関する論文検索について

国内で発表された魯迅の古典研究に関する論文を探しています。
もともと、古典研究に関する論文は少ないらしいのですが、現時点で探し出せたのは、小川環樹先生の「魯迅の古典研究」と林田慎之助先生の「魯迅のなかの古典」の2つだけなのです。
このように魯迅関連の論文を国内で探す場合、どのような方法で探すのが一番良いのでしょうか?
京都大学の『東洋学文献類目』などをあたってみるのですが、(当然そうなりますけれど)国内外の論文が多く、なかなか思う所の論文を探し出せません。
魯迅関連の論文目録のようなものは、国内では刊行されていないのでしょうか?
もし、ご存知の方がおられましたらご回答願います。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以下のようなデータベースを見つけました。
収録雑誌は次のようですので、なにか参考になるのでないでしょうか?

  『新文学史料』(2000年4期まで)
  『魯迅研究月刊』(2000年12期まで)
  『中国現代文学研究叢刊』(1983年1期から2000年4期まで)
  『中国現代文芸資料叢刊』(1-8期:1962-1984年)
  『文学評論』(1978年1期から2000年6期)
  『出版史料』(1982年12月から1992年4月)
  『魯迅研究資料』(1-24期)


中国近現代文学関係雑誌記事データベース
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~ozaki/

Q魯迅の決意

魯迅は、日本に医学生として留学中、
「医学より、中国人の精神改革が急務」
と、文筆活動を開始した。

と言う事になっておりますが、
そう決意したキッカケを知りたいのです。

諸説あるようですが、
なるべく、説得力のあるエピソードを
教えて下さい。

または、史実ありのまま、でも結構です。

以上、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

魯迅の小説「藤野先生」は、魯迅と仙台留学時代の藤野先生との心の通い、仙台での暮らしを描いたものです。

これによれば、

藤野先生はある日、魯迅にノートの提出を求めます。2,3日後に返されたノートは「初めから終わりまで、すっかり朱筆で添削され、文法の誤りまでいちいち訂正してあった」。それが学年の講義が終わるまで続きます。
しかしこの行為が日本人学生の疑惑を招くことになります。
ある日、学生会幹事がノートをみたいと魯迅の下宿にやってきます。中国人がいい点をとったのは藤野先生が試験問題を漏洩したためではないかと疑ったのです。疑いは晴れましたが、魯迅の心は痛みます。
「中国は弱国である。それゆえ中国人は当然低能児である、点数が60点以上あるのはその人の人の能力ではない。彼らがそう疑ったのも無理はない」と彼は歯をくいしばるのです。
さらに「事件」が起きます。
階段教室で魯迅は日露戦争中に中国人のロシアのスパイが処刑される幻灯を見せられます。歓呼の声をあげる同級生、画面のなかでの処刑をみる中国人群衆の笑い顔が彼の胸をえぐります。
「もはや言うべき言葉がない」「およそ具弱な国民である限り体格がいくら立派でも、頑健でもせいぜい見せしめの材料と見物人になるだけだ。彼らの精神を改造することである。それに役立つには医学でなくて、文芸を挙げるべきだ」(駒田信二訳)と魯迅は決意するのです。

魯迅の小説「藤野先生」は、魯迅と仙台留学時代の藤野先生との心の通い、仙台での暮らしを描いたものです。

これによれば、

藤野先生はある日、魯迅にノートの提出を求めます。2,3日後に返されたノートは「初めから終わりまで、すっかり朱筆で添削され、文法の誤りまでいちいち訂正してあった」。それが学年の講義が終わるまで続きます。
しかしこの行為が日本人学生の疑惑を招くことになります。
ある日、学生会幹事がノートをみたいと魯迅の下宿にやってきます。中国人がいい点をとったのは藤野先生...続きを読む

Qwikiにおける金瓶梅について。

wikipediaの『金瓶梅』の項目にある、
「タイトルの「金瓶梅」は主人公である西門慶と関係をもった潘金蓮、李瓶児春梅の名前から一文字ずつ取ったものだが、それぞれ金(かね)、酒、色事を意味するとも言われる。」
という文章の裏付けなどをご存知無いでしょうか。レポートに使いたいのですが確証が無いので困っています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ソースは魯迅です。

ちなみに下記のURLの記事の元は国際日報という新聞ですね。
http://www.chinesetoday.com/news/show/id/18491
簡単に内容を書くと

---------------------
魯迅先生曰く「この本の中の潘金蓮、李瓶児と春梅はみな重要登場人物なので題名が「金瓶梅」というのだ。」
情景的な観点でこの題名を解釈をしている人もいます、すなわち金色の花瓶の中に満開の梅の花をさしていると、実際作中にも金の花瓶と梅の花に関する描写はいくどもなされています。
~中略~
もしも修辞学上象徴の意味について考えれば「金瓶梅」が指すのはこの三人だけでなく、男にもてあそばれた美しい全ての女性に広義的に解釈することもできます。~略~
しかし「金瓶梅」という題名がこの作中の三人の登場人物の名前をつなげたものであるという理解の方が事実に近い。(なぜなら)「金瓶梅」が世に登場したあとしばらく、作中の登場人物の名前を作品名にするということが流行したからです。例えば「玉驕李」「平山冷燕」など。
---------------------


それぞれ金(かね)、酒、色事を意味するとも言われる。という話は見当たりません。日本のwikiでの説明は中国のwikiを翻訳したものなので、中国のwikiにある参考文献のなかのどこかにそのことが書かれてる可能性は大きいと思います。
中国のwikiに書かれた参照文献
1.魯迅「魯迅全集」第九巻「中国小説史略」第十九編、「明之人情小説」
2.鄭振鋒「中国文学研究」、p226
3.毛沢東小範囲解禁金瓶梅←外部リンクですがざっと見たところ題名とは関係ないかと思われます。
4.夏志清「中国古典小説導論」p216
5.夏志清「中国古典小説導論」p204
6.韓南(Patrick Hanan)、「『金瓶梅』素材探源」

誤訳があったらすいません、どうにも簡体字というものが苦手で…
それでは、健闘を祈ります。

ソースは魯迅です。

ちなみに下記のURLの記事の元は国際日報という新聞ですね。
http://www.chinesetoday.com/news/show/id/18491
簡単に内容を書くと

---------------------
魯迅先生曰く「この本の中の潘金蓮、李瓶児と春梅はみな重要登場人物なので題名が「金瓶梅」というのだ。」
情景的な観点でこの題名を解釈をしている人もいます、すなわち金色の花瓶の中に満開の梅の花をさしていると、実際作中にも金の花瓶と梅の花に関する描写はいくどもなされています。
~中略~
もしも修辞学上象徴の意...続きを読む

Q魯迅の藤野先生について。

レポートなんですが、どう書いていいのか分からず、てんてこ舞いになってます!!
「魯迅の『藤野先生』を読んで、幻燈事件を中心に民族問題について論じる」というのがテーマなんです。
まず、幻燈事件の事がよく分かりません。。
どなたか教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

以下のサイトの中段あたりまでスクロールすると登場する文が
参考になりますでしょうか?

参考URL:http://66.102.7.104/search?q=cache:zNSc3U-B8j4J:www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/ozakihotsuki.html+%22%E5%B9%BB%E7%8


人気Q&Aランキング