
戦国、室町時代辺りに帰農した旧武士だと、それ以前から自分達の荘園(豪族)を持っていたケースと、開拓して帰農したケースとがあるようですが、その違いは血筋の違いですか?
また時代によって帰農した旧武士への特権が違うようですが、土地持っていた旧武士と、土地持っていなかった旧武士がいたのは何故ですか?
北海道などで士族による開拓事業も行われていたが失敗したことが原因ですか?
○戦国時代に帰農した旧武士(土地あり)は、庄屋という身分を与えられ、明治〜戦前までは村長、貴族議員。戦後は農地改革で没落した家が多い。
○明治初期に帰農した旧武士(土地なし)は、明治に士族という身分を与えられたが、身分はあってないような状態、戦後平民になりました。
さらに、農地改革を計画していた農水省の左派官僚はどんな家系や出自の方が多かったのですか?
A 回答 (2件)
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No.3
- 回答日時:
「武士」という呼称がいつから使われたのかを調べてください。
「旧武士」という呼称は、あまり見ません。 「新武士」や「現武士」とセットで考える用語でしょうか。 「古武士」とも違うのでしょう。
「帰農」は、「ある人物の経歴で、前には農業従事者だったが、その後、農村などを離れ、江戸などの別の土地に暮らしの本拠を移して、職も農業から離れていたものが、命令で強制的に農村に戻されて村役人などの支配下に組み入れられること」をいるのが歴史的な用語の使い方です。
「旧武士」が何を指しているのか不明ですが、『戦国、室町時代辺りに帰農した旧武士だと、それ以前から自分達の荘園(豪族)を持っていたケースと、開拓して帰農したケースとがあるようです』や『戦国、室町時代辺りに帰農した○○だと、それ以前から自分達の荘園(豪族)を持っていたケースと、開拓して帰農したケースとがあるようです』の、旧武士や○○にあたるものがいたなどのことを知りません。
具体的なケースをご存じならば、どのようなケースであるか、その出典や情報源を教えてください。
No.1
- 回答日時:
原理主義的な意味での武士身分は支配階層である領主。
武士の土地への所有権は領主としての権利。明治時代になって領地という存在が全否定されたので、領主は土地への所有権を失ったのです。そして、明治以前に農民身分が持っていた土地への権利は耕作権。明治以降はこの耕作権が土地の所有権に移行したのです。だから、農民は広い土地を持っているのです。そして、武士身分から農民身分になっていた元武士も農民として耕作権がある土地を持っていたのです。
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農水省の左派官僚は、土地を持っていなかった家系の方達が多数占めていたのでしょうか。
農水省の左派官僚は、地税を納めていた方達だったのでしょうか?
農民をけしかけて土地を奪わせ、略奪に正当性を持たせるとは、乱妨取りの手法も、時代とともに悪知恵がつき巧みに進化したものですね。
追記:庄屋は明治以降「士族」となったが、士族という身分は「没落」を意味しプライドにすらならなかった。そのため戦後まで「庄屋」が一般的。没落士族とは分類が必要だった。