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戦艦大和は少し作るのが遅過ぎた感じですか?

A 回答 (11件中1~10件)

そうですね。


もっと早ければけっこう無敵だったはず。
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まさに仰る通りですお目が高い方とお見受けしました

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この回答へのお礼

飛行機ブンブン時代では無ければ、、、

お礼日時:2022/09/01 22:08

空母に換装すべきでしたね。


大和も武蔵も、単なる大きな棺桶
それ以外、何の意味もありませんでしたから。
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いいえ、大戦初期に出来てたとしても、無用の長物だったでしょう。


もう既に1930年代は航空戦力の時代だと、誰でも分かっていました。
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この回答へのお礼

少なくとも活躍はしていたと思います

お礼日時:2022/09/02 19:12

いや、空母を、中心にした艦隊編成が最強です。


またヤフーの記事で読んだのですが、当時の日本の艦船は構造的な欠陥があったせいで、被弾するとすぐに航行不能や沈没したそうです。

その設計が改められて居れば、もう少し日本軍は頑張れたと思います。
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この回答へのお礼

結局は飛行機ブンブンの方が強いのかな

お礼日時:2022/09/02 19:19

まあ、世界一かどうか知らないけど、技術的には、大和はチャレンジャーだったと思う。


でも、重要なミッドウエー海戦では、はるか後ろからノコノコとついていっていただけだし、その後は「大和ホテル」って揶揄されていましたからね。
主砲をぶっぱなすと、その影響で、重要な機器が壊れたなんて話もあったような・・・。
たぶん、もう少し作るのが早くても、戦況には影響を与えなかった気がします。

とはいえ、宇宙戦艦ヤマトなどの作品も生まれたわけだし、ロマンはありますよね。
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御指摘通り、平賀中将が現役のうちに作っていたら、大和の戦果は違ったものになっていたでしょう。



 但し。
 それで戦局が大きく変わったか?というと、戦艦一隻や二隻ではどうにもならないのが『太平洋戦争』です。やがて強力な急降下爆撃機と雷撃機が登場し、米軍の物量の前にコテンパンにやられて沈む運命だったのは変えられなかったと思います。

 尚・・・大戦艦が役に立たないというのは、結果論です。そういう目で見ると、既に太平洋戦争開戦前から『戦艦は役立たず』に見えるだけです。

 最初に大艦巨砲主義を具現化した英国、慌てて追従したドイツ、日本の海軍と戦う予定の米国それぞれが、大艦巨砲主義を取り入れてます。恐らく当時の経験と予測では、大艦巨砲主義に有用な面が見出せたんだろうと思います。(そうでなければ、日本の動きを察知したアメリカが、ミッドウェイ級空母よりも先にアイオワ級戦艦なんか作りませんよ。あんな役立たず、最初は6隻も作る計画だったんですよ。どんだけ大艦巨砲好きなんだってヤツです。『現代の感覚』だと、あんなものを作るぐらいならヨークタウン級でも増やした方が『正常な判断』でしょう。)
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No.6です。


戦艦フッドとビスマルクの砲撃戦などよりもずっと前の時代。

戦艦が帆船だった時代に、巨大な帆船に、大量の大砲を並べた戦艦の艦隊があれば、小国などを簡単に征服できた時代があったように記憶しています。

その延長線で考えたら、日本が戦艦大和や戦艦武蔵を、米国がアイオワ級を作りたくなったのも分かる気がします。

ただ、実際問題として、大口径の主砲を製造するのは、かなり難しかったはずですね。現在では、同じようなものは作れないかも?
だから、巨砲を沢山積んだ戦艦は、その国の軍事力を示すシンボルになったりしたのでしょう。

まあ、今ならGPSや画像認識でターゲットをめざす長距離ミサイルの高い命中率を考えたら、なかなか命中しない巨砲は非効率ですね。
ちなみに、日本軍の戦艦の放つ大砲の弾には、どの艦が発射したものか識別できるように、爆発時に違う色の水柱が上がるようになっていたとか。
米軍側は、それを見て、「綺麗だなあ」と思った方もいたらしい。
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決して遅すぎたことはありません。

 戦艦大和は太平洋戦争開戦直後の1941年12月16日に就役しています。 もっと早く就役して真珠湾攻撃に参加していたとしても、対して役には立たなかったでしょう。 1942年のミッドウェー海戦には、主力部隊(連合艦隊旗艦)として出撃し、機動部隊から離れた後方にいたものの、戦機を逸してしまいそのまま帰国することになります。

巨大であるため燃料の消費が激しい割に、戦果を期待できる(出撃に見合う)作戦が少なく、ほとんど役に立つことがありませんでした。 

姉妹艦である武蔵とともに出撃した1944年のレイテ沖海戦が、敵艦隊への砲撃を行った唯一の戦艦らしい戦闘だったといえます。

要するに、大和・武蔵は、伊勢湾干拓、青函トンネルと共に、昭和の三大バカ査定と言われるとおり、金食い虫の無用の長物だっただけです。
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そんな感じですね。



日露戦争の日本海海戦で、味をしめた日本は
巨砲艦主義に陥り、大和武蔵を初めとする
大艦製造を積極的にやることになりました。

そのときはすでに航空機の時代に入って
いたわけです。

そういうことは、軍部は判っていたと思いますが
サンクコスト効果により、切り替えることが
出来なかったのでしょう。


サンクコスト効果とは、すでに支払ったコストに気をとられ、
合理的な判断ができなくなってしまう心理効果です。
英仏が開発した航空機、コンコルドがその例として
挙げられています。
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