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ヨーロッパの暗黒の中世は、どうして暗黒の中世と言われるのでしょうか?
ペストが流行したからでしょうか?
キリスト教が盛んで、とても信心深い時代で、私にとっては魅力的に思えますが。

A 回答 (7件)

中世ヨーロッパが、暗黒の時代と言われるのは、ローマ帝国末期に沢山の異民族の侵入・略奪などにより、それまで蓄積された文化、技術、知識が失われ、さらに、都市の衰退、交通の遮断などによる貨幣経済が衰退し、自給自足経済へ移行してしまった事によります。



経済的、科学的な面からの言葉で、キリスト教やペストとは無関係です。

これら科学・技術は、ビザンツ帝国やイスラム世界には保存され、これら世界では、暗黒の中世は存在しません。

西ヨーロッパが、復活に向かうのは、フランク王国(カロリング朝)の成立のころで、これをカロリングルネッサンスといいます。

本格的に回復に向かうのは、第4回十字軍によるコンスタンチノープル占領以後です。
第4回十字軍によってもたらされた財宝・知識が、イタリアにおける都市の発達、科学・芸術の発展につながり、コンスタンチノープルが陥落した後、加速度がついてゆきます。

キリスト教に関しては、中世は、堕落した時代でした。
宗教権力は、世俗権力を確保する事に積極的に関与し、叙任権闘争を引き起こします。
そんな宗教界を改革すべく、托鉢修道会の設立も活発化します。
本来財産を否定するはずの托鉢修道会も、知名度が上がるにつれ、修道会自身の財産確保によって、堕落してゆきます。
中世ヨーロッパにおいて、宗教は、カトリックしかありえず、カトリックを信仰しないと、生活自体が成り立たないため、一種の独占企業のような存在でしたから、だれも堕落を止めらないため、起こった事です。

カトリック教会が、本格的に改革を始めるのは、トルコの脅威と、プロテスタントが生まれた後です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>キリスト教に関しては、中世は、堕落した時代でした。
確かにそうかもしれませんね。

お礼日時:2005/04/08 23:02

カトリック教はこの時代硬直化した教義主義に陥り、ヨーロッパを支配下に収めましたが、カトリック以外は邪教として弾圧しました。

  
信心深いといえば聞こえはよいのですが、狂信的な面が強く現れた時代でした。
ルネッサンスはこれらの束縛を脱して人間性を解放したもので人間性を取り戻し前途に光明を見いだした時代で、対比の意味で「暗黒の時代」と称されたのです。

この時代あらゆる悪が吹き出した観があり、魔女狩りに代表される異端裁判、ユダヤ人の迫害、3人に一人という死亡率の黒死病などの他戦争も多くそれらを利用して免罪符の発売まで行われました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/08 23:01

ヨーロッパ中世に関する質問には過去にも何回か答えてきましたが、現代では「暗黒の中世」という見方は否定されています。

ですから、midori0808さんの様に感じる方が自然であると言えます。

さて、ではなぜ「暗黒の中世」と呼ばれるようになったかということですが、これはルネサンス期の人々が言い出したのです。

ルネサンス期の人々はギリシア・ローマの古典古代を一種の理想と考え、その時代に回帰するあるいはその栄光を復活させようとしたのです。と、すると(ルネサンス期の人にとっての)現代と古代との間にある中世を素晴らしい時代であったと認めるわけにはいきません。そこで、その時代をキリスト教に縛られた「暗黒の中世」ととらえるようになったのです。

ちなみに、歴史を古代・中世・現代と三分して捉える見方を初めてしたのがルネサンス期で、この分け方が意までは一般的になってしまいました。しかし、ルネサンス期から21世紀の現代まで間が開きすぎていますから、今では近世という歴史区分を取り入れて古代・中世・近世・現代の4区分にするのが一般的です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>ヨーロッパ中世に関する質問には過去にも何回か答えてきましたが、現代では「暗黒の中世」という見方は否定されています。ですから、midori0808さんの様に感じる方が自然であると言えます。
やはりそうなのですね。

お礼日時:2005/04/08 22:59

No2です。


中世というのは五世紀から十五世紀末までの約千年間をいうのが一般的ですが、大規模な魔女狩りが行われたのは十五世紀~十七世紀です。もちろん中世にも異端弾圧はありましたが、「魔女狩りが行われたから暗黒時代」というのは適切ではないでしょう。むしろ魔女狩りは中世の安定(停滞と安定は裏表)が大きく乱されることによって起きた現象ではないかと思います。
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この回答へのお礼

再びの回答ありがとうございます。
歴史の流れがよくわかりました。

お礼日時:2005/04/08 22:58

教会がすべてを支配し、教会の方針に従わない者を異端、キリスト教以外を悪魔崇拝、邪教、魔女と呼んで処刑した時代です。


自白が異端、異教の最大の証拠だったので拷問が最も発達したのもこの時代です。
暗黒と呼ぶにふさわしい時代だと思います。(だからそう呼ばれているんですよね)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/08 22:57

古代ローマの秩序が崩壊し、人々の生活や文化レベルが低下しました。

社会は硬直し、領主や教会にがんじがらめにされて自由が失われた時代。
というイメージからそうなっているのでしょう。

それは、ルネサンスが「古代の復興」を目指し、近世近代がその流れで進んできたところから、古代とルネサンス期の間の時代を否定的に捉えたイメージなのだと思います。「あの時代は間違っていた」というわけです。

現在では「中世は暗黒時代であった」という考え方は是正されてきているようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>現在では「中世は暗黒時代であった」という考え方は是正されてきているようです。
そうなのですか。知らなかったです。

お礼日時:2005/04/08 22:56

書物は聖書だけ、その内容にそうことがら以外は悪、という考え方は、信心深いというより、狂信の時代だと思いませんか?

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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
なるほど…。確かにそうですね。

お礼日時:2005/04/06 23:10

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