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広瀬武夫は、露都ぺテルブルグに武官として赴任した際、アリアズナ(当時16歳)と知り合い、互いに好意を寄せ合うようになったそうです。

以下、司馬遼太郎の{「文学」としての登場}より引用します。
<旅順港の閉塞の当時、加藤は広瀬とおなじく戦艦「朝日」に乗組んでおり、広瀬は水雷長で、加藤は砲術長だった。広瀬は閉塞のために出発するとき、加藤に1通の手紙を託した。アリアズナにあてての最後の手紙だった。加藤の言うところでは、この手紙は、戦後、ペテルブルグに着き、二、三の新聞に掲載されたという。>
加藤とは加藤寛治のことで、のち第二連合艦隊司令長官になった。

質問は、ロシアと交戦中に軍人が敵国の恋人に手紙を送るというのは不自然だと私は思いますが、なぜ起きたのでしょうか?

A 回答 (1件)

>軍人が敵国の恋人に手紙を送るというのは不自然だと私は思いますが


それはあなたが思っただけだからでしょう。

戦争は軍人対軍人がする物でそれ以外の人には関係ないものという発想。
国対国の全面対立になったのは第一次大戦以降でしょう。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
日露戦争当時までは、<戦争は軍人対軍人がする物>で<それ以外の人には関係ない>という思想だったのですか?

お礼日時:2022/12/31 11:22

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