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もう36歳ですが、極度の恥ずかしがりです。

大勢の中で発言することももちろん苦手ですし、普段も「変な空気になったら嫌だな…」とか「間違えたらどうしよう…」とか過度に感じて発言も少ないです。
面白いかなと思っていることも「外したら嫌だな」と思ってしまい言えません。
調子のってるやかっこつけてるとかも思われたくないので大人しくなってしまいます。

共感性羞恥もひどいです。
・テレビでスベっている人を見たり、空気を読まない発言をしてしまった人
・カラオケで洋楽やほぼ誰も知らない歌を歌い始める人
・ドッキリ
・生放送
などを見るとテレビのチャンネルをすぐに変えてしまったり、その場からいなくなります。
あ~!と声にだして聞こえなくしたりもしてしまいます。

自己愛が強く、気にしすぎだというのもわかっています。

昔よりは表面的に誤魔化せるようになったくらいで、根本がそうなので、頑張って発言した時はものすごい疲労を感じてしまいます。

36歳にもなって恥ずかしいなんて言っていられません。

大勢の中で堂々と発言する人や、飲み会などを率先して開催する人など、本当にすごいと思います。


こういう性格を克服できたという人はいますか?
もし少しでも改善方法がわかる方がいらっしゃたら教えてほしいです。

A 回答 (6件)

私の場合は、「恥ずかしい」と感じる気持ちを「フォローする」という考え方をしています。



●失敗した後は「死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」と自分をフォローする
→私も「過度に感じて発言が少ない」人でしたが、それは発言する前に「失敗して恥ずかしい思いをしたくない」と考えてしまうからだ、と気づきました。そこで「失敗して恥ずかしい思いをしたくない」という考えは消えないので、「発言して失敗した場合」に自分をフォローしようと考える事にしました。
発言する→失敗する→「うわ失敗した、はずかし~・・・」→「でも・・・失敗して恥ずかしい思いをしたところで、死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」(大丈夫だよというフォロー)といった感じです。これを繰り返すようにしたところ、発言に抵抗がなくなりました。

「変な空気になったらいやだな・・・でも、変な空気になったところで、死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」
「間違えたらどうしよう・・・でも間違えたところで、死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」
「外したらいやだな・・・でも外したところで死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」
といった感じでしょうか。

「死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし」という言葉にした理由は、私にとってもっとも最悪な結果だからです。
最悪な結果にはならないんだから、どんな発言をしようと問題ないでしょうと、自分の発言を守るようにしているのです。

私も質問者さんと同じくらいの年齢ですが、極度の恥ずかしがり屋です。

昔から「変わってるね」と笑われてきたことや、授業中の発言・発表で意思とは関係なく「真っ赤になる顔」を揶揄されるという経験から、「失敗」や「周囲の目」をすごく気にする大人になりました。ですが「どうにかしたい」と向き合った結果、私はこの気持ちをフォローするという考えに至りました。自分でフォローするようになったことで、「今日は恥ずかしいを乗り越えて発言ができた!」と自信がつき、少しずつ自己肯定感を高めていった・・・感じですかね。
共感性羞恥・・・私の場合はなぜか涙が出ます(笑)
考えや気持ちを捨てる事はできないと思いますが、工夫して付き合っていくことはできると思いますよ。

質問者様や他の回答者様にどう思われてもいい、という思いで回答させていただきました。
(絶対他の回答者さんに変な人って思われてるよ~・・・まぁ、死ぬわけでも殺されるわけでもあるまいし)
長々と失礼しました。少しでも参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
素晴らしい考え方です。
あなたのような人間を目指します。

他の方も皆さん素晴らしいです。ご回答本当にありがとうございました。

お礼日時:2023/02/09 17:50

「恥を知れ」「厚顔無恥」と言いますから恥ずかしいと思うのも大切です。


あなたのお悩みは、これとは別ですね。
良く見せよう、良く思われようとしないことです、失敗しても気にしないで、ありのままの自分を見せることです、そこから自然に、あなたの温かい人間性が滲み出てきて人々の共感を得ます。
誤魔化したり良く見せようと作っていたのでは冷たい感じにしかならず人々と心が通いません、そのままの自分を曝け出す事によってしか人々と心が一つになりません。

私も話下手でしたが自治体のイベントで100人ほどの聴衆の前で挨拶をする機会がありました、他の同じ立場の人の挨拶を聞いていると、原稿を読んでいる人や原稿を丸暗記している人ばかりで、言葉に失敗はないのですが、なにか伝わってくるものがなく聴衆も退屈な様子でした、私は、それは違うなと感じて原稿なしで、とちりながらも気持ちをぶつけるように話しました、すると聴衆は耳を傾けるがごとく聞き入ってくれて話によっては笑いが起こりました、人前での話はこれでなければと確信し、現在まで原稿を作って人前で話したことはありません。
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捨てるというのは、無理です。


慣れる、しかありません。

どんどん、恥をかいて?、
そうでなくても、あなたが勝手に恥ずかしいと思うことを
どんどん経験していくことで、恥ずかしいと思うことに慣れたり、
その経験によって、あれ?これは恥ずかしくないな、、って
わかったり、することで、変わるしかありません。

自分自身の心の中の問題、は、消す・忘れる、というのは
できません。
意識するほど、余計に思い出す・強く思い込むことになるからです。
だから、そうだと思い込んでいることをそうじゃないと思う、感じる、
理解するようにするしかありません。
それは、慣れる、経験することによって、
感じかたが変わったり、体験・体感によって、
あ違うな、、って自然と感じるしかありません。

心の中のことを、「力づくで」どうにかすることって
できないんですよ。
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私は極度の恥ずかしがりでした。


子どもの頃は挨拶もできなかったです。大変でした。

とにかく場数を踏むことです。
ほぼ克服して、仕事では何も困りません。
一人で相手先の企業に行って大勢の前でプレゼンし、笑いも契約も取れます。
意見が1対20に割れて味方ゼロでも、自分の主張は言えます。

でも、先日結婚式の主賓を頼まれて、上がりまくってしまいました。
大失敗です。思い出すとつらい!!
たぶん、舞台に上がって歌えとか、演技をしろと言われたら同じ状態になるだろうなと思いました。
やったことがないことは、未だにダメですね。
機会が少ないことはしゃーないので、忘れることにしました。

とにかく経験です。小集団から始めましょう。
頑張って発言してみる!
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知識や経験を重ねて、発言や行動に自信を持つことが重要です。


特出という事は無く、正義であることの自信だけでもよいです。
恥ずかしさや奥手は、単に自信が無いからです。
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いいじゃんそのままで!



人間それぞれ役割は決まっていて、静かな恥ずかしがり屋はそのままでいいんですよ!

無理をすると生きるのが苦しくなりますよ。

自分を肯定しながら生きよう!

大丈夫!そのままで!!
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