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年長者に敬語は必要かどうか?
海外では老人と若者が普通に友達になれますが
日本ではあまり年齢差が離れいると友達にはなれないのが現状です。
その1番の原因は「年上には敬語を使わなければいけない」という日本の強い風潮のせいだからですが

年長者には敬語は必要だと思いますか??

A 回答 (8件)

自分が年長者に敬語を使ってきたのだから、年下に対して俺にも敬語を使えという不幸の連鎖の様な気も致します。

。孔子が言う様に「不惑」つまり物事を決めつけないという境地に至る事が大切だと思います。
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今の現状と日本の風土的には、当たり前のことです。


外国は外国です。余談ですが、今私の職場でも(私は還暦後半です)、若い20~30代のパートから、敬語無しで話しかけられていますが、正直”ムカッ”としますよ、それに、頼みごとをされるときにも、友達言葉ですので、むかつきます・・・、まだまだ、外国のようにはなりませんよ・・。
あなたも、年長者に言葉をかけるときには、十二分に気を付けてくださいよ、もしかしたら、・・・・かもしれませんからね。
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この回答へのお礼

もちろんムカつきますよね、自分と年下からタメ口で話しかけられたらムカつきます
でもそれがなにに起因してるかと言ったらやっぱり年長者を敬うのには心だけではダメ、目に見える形じゃないとダメその為に言葉も敬語というものを作ろう
とした悪い風習なんですよね
自分はもうこれは国が主導していってテレビなどではまず敬称無しが当たり前で敬語無しで話すことを心がけるというのを主導していって、
年長者でもフレンドリーに話しかけれている場面を沢山見る事で 国民にも少しずつ広がっていくと思います

お礼日時:2023/02/13 15:27

英語・・というかアメリカが特殊。


しかも、アメリカにしても ファーストネームの呼び合いは”年上”がイニシエートする。
基本、なんでもかんでもファーストネーム呼びしても失礼に当たらないわけではないのですよ。最初は、Mr、Msつける。
いろんな人が集まってる国で、特に暖かい州なんて、得体の知れない人もいるから、目が合えば「Hi」って笑顔作るし、自己紹介+ファーストネーム呼びの確認が習慣化してるんでしょうね。

ドイツなんてのは、最初はSieだけど、仲良く鳴ればDuになって、それが彼らのファーストネーム呼びの境界。
日本だってあだ名付けるくらいの中になれば変わる訳で・・・

勘違いしてますよ。
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この回答へのお礼

30代と50代で親友になってる日本人なんて殆ど居ないです
これは日本独特の感覚です
その感覚が敬語という言葉を生み、敬語がある事でその感覚は無くなりません

お礼日時:2023/02/12 20:48

年の差が離れた場合は友達というよりも


共通認識を持つ仲間と言うべきだと思います

趣味や嗜好品など共通点は一部だけだと思います
それを友達と言って同等に考えるのは不謹慎だと思います

年齢に関係なく敬語は使います
つまり年下の人に対しても相応の敬意を測ります

ビジネスでも一般社会(例えば近所付き合い)でも
明らかに年下に対しても丁寧語を使うべきだと考えます
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「敬語」が原因ではないと思いますが・・・

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この回答へのお礼

敬語が原因です
日本人は年齢が自分よりも上か下かで使う言葉が変わるという世界でも稀な民族です
英語のように年上の人をファーストネームで呼び捨てでも失礼に当たらないなんて事はなく
そんな事をしたらギョッとなる民族です

お礼日時:2023/02/11 22:50

相手によると思いますが何だコイツ?と思われない程度の配慮は必要でしょう



自分の父親よりも年上でしょうから友達に言うようなタメ口は気をつけるに越したことはないです
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自分の精神状態を整えるうえで有効であると思いますよ。


以下は長いので読み飛ばしてもOKです。

海外ではリスペクトに相当する部分を実力主義が代替しているのは確かであり、自分と同じ実力に及ばない人と友人に成らないんですよ。親しさ以上に階層の制約が大きいと思いましょう。最近では学校内でもカーストがあるとか。あれが拡大した社会をお望みならそれもありですが。私は嫌ですね。

カーストに相当するものが血筋であったり、財力であったり、既得権益に相当するものであった時代もあります。これが単に教育水準に置き換わっただけです。アジアであっても中国、韓国などでは学歴優先でのカーストがあります。欧米では様々なカーストがあり、その中でも昨今は肉体の美しさを競うカーストまで現れています。ジムに通って体の美しさを磨き、これをアピールし、美しくない人が委縮するという文化ですね。

日本はこれらのカーストが蔓延しないように「年齢によるカースト」を敷いているというわけです。実は守られているんです。しかしこの儒教的思想には忠孝を含む部分が多く、個人が自分を犠牲にして主に尽くすという文化もあります。これでは先ほどのカーストを封建的な思想で誕生させてしまいますよね。そのため道徳の中でも忠孝を含まない部分で対等であろうとするのが現代的であると思います(忠孝などを排除すると五常=仁義礼智信)

忠孝を排除したうえで他者をリスペクトするというのはどういう意味を持つのか?

「生きている物。そこにある物。全てに礼を尽くす」

となります。

しかし、

「自分より劣っているものに礼を尽くせるのか?」

となります。これも人情でしょう。
ここで優劣を出しますと差別的思想や選民思想が生まれて余計な話になります。個人の捉え方であり、利己的な判断になります。誰もが抵抗できないもっと根源に根差した共通の事項を採用しませんと、単に争いが増えるだけに成ります。

そこで、

「自分より早く死ぬもの。そういう定めがある物には、
 礼を尽くすという考えにしたらどうだろう?」

と言う折衷案が出てきます。

なので「自分より早く生まれたからって威張るのはどうか?」と言うのは逆の考えです。自分より早く死ぬだろうと思って「消えるまでに」礼を尽くすんです。しかし若い方は皆さん優しいので「この人達が自分より早く死ぬなんて考えたくない」と思うんですよ。だから前者の発想に成るんです。

「何時までも一緒に居てください。
 その上でもっと親しくなりたいです。
 私を対等に見てください。
 貴方に認められると幸せなんです」

こういう思いが本当であるのでしょうね。年上の人が永遠に自分と一緒に居てくれるとなったら、日々の待遇について改善を要求したくなるのも人情でしょ。現実はそうなりませんから。ある程度年配に成ると哀しくて哀しくて仕方なくなりますよ。その時に思い出すのは若い時に言った失礼な言葉等々。後悔ばかりです。

「永遠に生きられるものが無いってのは知っています。
 でも・・・自分だけは違うんじゃないかなとか・・・
 時々思ったりするんですよねえ」

若いうちは私も上の様に考えていました。
いずれはそれを受け入れる年に成ります。

そんな時に大概の人は(60歳半ばごろらしいですけど)発狂しやすいそうです。お坊さんのサイトで紹介がありましたが、大昔からこの年齢でやばくなるそうで、信心に目覚めるそうです。どうも死を受け入れるだけの心の準備が出来ていないのが原因だそうです。

実は大昔から。自分がいずれ死ぬなんて思いたくない。などと誤魔化して年を取った人が無数にいたという事です。

行き成り気づいてしまうと可笑しくなってしまうんでしょうね。そのせいなのか? 最近は高齢者の幼い行動での犯罪が増えてますよね。心の成長が止まっていたんでしょう。

「永遠に生きられないどころか。
 寿命が半分残っているうちに発狂したら損じゃね?」

実はお釈迦様がもっとも言いたかったのは上の話の様です。
私も同意です。

敬語を使う上で相手にマウントを取らせていると考えている人は、どんなに敬語を使っても発狂するでしょう。

礼と言うのは、そう言う意味(マウント)ではありません。

「この人達は自分より早く死ぬかもしれない。
 自分より早くここを去るかもしれない。
 それがたったの一年であっても。
 それを意識して私は生きていきます」

と「永遠の命と繁栄」と言う夢物語を現実に重ねるのではなく、有限であり終わりのある人生を意識するために「年上の人」を練習台として、普段から自分を慣れさせていくのです。

そうしませんと、

「人はいずれ死ぬのに何で生きているんですか?」

と解決不能の悩みを抱え、その悩みに蝕まれながら、苦しみ続けて、やっぱり死んだという人生になってしまいますからね。永遠に生きたいとか駄々をこねる事ばかりをする。そればかりして寿命を全部使いきってしまう。結構ありがちです。

この有りがちの罠を避けるために、心の調整を常にしていないといけません。自分より早く死ぬものに礼を尽くす。そういう行為を皆で続けることで、自分の年齢を意識していくわけです。残り時間を意識し、自らの成長ややり残しが無いか考えて行くわけですよ。

「自分が子供っぽいと思って悩む人は居ませんか?」

上の話は私も悩みました。

その上で誰に対しても敬語を使おうと思い、礼を最も大事なものだと考える様にしました。実は中年を過ぎてからです。それ以前は失礼な男でしたよ。

日本は社会的なカーストで悩む外国の事情よりは安泰に見えますよ。それら(外見や実力、経済力で差別されるカーストから逃れた生活)を満喫したうえで更に敬語まで拒否をすればどうなるか。

「何の厳しさも受け入れれない幼子のまま老化する」

血筋でのカーストを受け入れるか。
財力でのカーストを受け入れるか。
能力でのカーストを受け入れるか。
身体的な魅力によるカーストを受け入れるか。
社会的な地位と言うカーストを受け入れるか。
年齢でのカーストを受け入れるか。

そしてカーストすべてを拒否する代わりに、全てに対して礼を尽くすか?

どれも嫌だとやったら流石に同年齢の中では最も幼い人と見られるのは仕方ないでしょう。またそれくらい弱いメンタルでは死を受け入れる年齢に成ったとき持たないと思いますよ。

結論として、中高年で生じる強烈なメンタル疾患に耐えられるならOKです。発症さえしなければ余生を満喫できます。しかし意外と避けがたいと思いますよ。加齢を続けながら発狂していない人ってのは本人なりの秘密を持っていますよ。その一つに礼。敬語ってのがあります。私はこれで凌いでおります。心が晴れてクリアに思考できるので勧めています。

全ての道徳的理念は自分の人生を充実させるための方策であって、他者を利して自己を犠牲にする物じゃありません。つまり、その通りやりませんと、その通りやった人と比較して損をするという事です。礼に関しても加齢によるメンタル失調(50歳が限界と昔から言われている)を防ぐためのものです。これを幼少からやらせてるんですから日本は凄いってわけです。

失礼すぎて20歳代とかもっと若い年齢でメンタルやっちゃった若者も多くなってきています。とにかく失礼は脳にとってヤバいと思いますよ。

以上、ご参考になれば。
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敬語がどうとかより考え方の違いや双方相手を見下してしまう等、コミュニケーションを取ろうと思う気持ちの無さじゃないかなと感じます。



敬語が必要かと言えば丁寧語は必要と思いますよ。
言葉の変化が早いので何言っているのかわからないと半世紀ジジィは感じます。
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