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生(人生)に意味を持てないことと同意だとは思えませんか❓

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    死の先を考えられないと、

    人生、何にも意味がないと分かるだけだと思えますよ♡

    「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像1
    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:15
  • 「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像2
    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:27
  • 「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像3
    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:33
  • No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:38
  • No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:40
  • No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 12:48
  • どう思う?

    今日は地元 (2023/03/25 13:00 現在) の天候は悪天候なのだけれど。



    https://ameblo.jp/pegasus353/

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 13:05
  • どう思う?

    生を悪魔が司っていて・・・・。
    死を天使が司っている・・・・。

    のだと推測されます。

    人間は正しく生きたい訳ですから・・・・。

    最期には死が待ち受けている訳です。

    往々にして、若い時は人間は、物分かりが悪く、ワルい子ですね・・・。

    「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像8
      補足日時:2023/03/25 17:37
  • つらい・・・

    彼の世で鶴田さんにお逢いすることがあったら、叱責覚悟だけれど。


    鶴田浩二 傷だらけの人生 YouTube

    「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像9
      補足日時:2023/03/25 17:57
  • どう思う?

    地獄、そのもの・・・。

    「死の先を考えられないこととは❓(彼の世の」の補足画像10
    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/03/25 18:06

A 回答 (30件中1~10件)

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>棋士は生産性に寄与しませんし。
どうして、そう思われるのでしょうか?。
知的ゲームのプロたちの存在によって、人間の知能の上昇へ寄与しています。

>評論家も生産性に寄与しません。
事象に対して分析し、、既存の情報とすり合わせ、多くの人が理解しやすく説明することで寄与しています。

>第三次産業に従事する方々は、生産性に的を絞るのであれば、生産には寄与する産業ではないと思えます
寄与しているでしょう。
農業や漁業の第一産業である、建設や製造の第二次産業、物流やエネルギーの第三次産業。

畑で農作物を採取するのが第一次産業、農作物を採取する時に使う道具類を作っているのが第二次産業、道具の製造に使われるガスや農作物や道具を運搬する第三次産業。

第二産業である製造現場で溶接が行われたりしますが、その溶接で使われているガスがアセチレンなのか、水素混合なのかは不明ですけれど、そのガスは第三次産業です。
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この回答へのお礼

ありがとう

第一次産業は採る、捕る、獲る ですね

第二次産業は物を造るですね。

第三次産業は文章を想像する。が主ですね

第四次産業(IT)は創造する ですね

運動・芸・音楽・絵画・映画などは魅せる ですね

お互い、寄与しているのだから、何かにご自身が価値意識を持たれるのは自由意志が尊重されますが、ご自身が価値意識を持たれることによる、偏見という弊害は必ず、生まれるのです、ネ☆彡

お礼日時:2023/03/31 05:57

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13409890.html

今は此処にいます。

後で来ます。
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この回答へのお礼 お礼日時:2023/03/30 08:17

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>なんで生産能力を指標にして、天国・地獄を図るのでしょうかね❓
日本ような高度に発展した社会で、障害や疾病等で寄与できない人を除けば、生産性が高い人間ほど徳が高く、低い人間ほど低いからです。

>生産能力の高いものは天国❓ 
はい、そうです。
生産性が高い人というのは、他人を気遣い、他人を助け、周囲と協調し、規範意識が高く、抑制的です。そういった人は徳が高いので天獄へ行けるでしょう。

>生産能力の低いものは地獄❓
はい、そうです。
生産性が低い人というのは、他人を見下し、他人を利用し、欲望に忠実で、規範意識が低く、短絡的です。そういった人は徳が低いので地獄に行くでしょう。

>軍事力を指標とした、科学分野のお零れでしか、平和利用の産業って、成立しないって、ご存じでしたか❓
はい。

>そのような価値意識で彼の世が確定するとはとても思えませんけれど。
生産性の高い人は、そう考えられるのでしょうから、良いのでは。
無能は素質であり、先天的なもの。努力といった後天的なものでは変更が不可能。技術や社会が発達して、無能でも生存できるから、生存しているけれど、本質は路傍の石と変わらず、何もないです。

道端に転がっている石に、死後も、生前も関係ないように、無能にも死後や生前は関係ないだけです。
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この回答へのお礼

ありがとう

棋士は生産性に寄与しませんし。

評論家も生産性に寄与しません。

第三次産業に従事する方々は、生産性に的を絞るのであれば、生産には寄与する産業ではないと思えますけれど・・・。

お礼日時:2023/03/30 08:14

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>自分の死をずっと、考えていたら、死の先を考えることは特に不自然なことではないと思われますが。
考えて、どうなりますか?。
極楽へ行く資格も無く、地獄だって頸椎・背堆・腰椎のヘルニアで苦しむ現状と変わらないでしょう。亡くなった家族に会っても、現状の人生を省みれば顔見せできる筈もなく、劣等感に悩まされるだけでしょうが、それなら今と変わらないです。

仮に輪廻転生したとしても、無能なので他人へ迷惑かけて、良い来世を送れるはずもなく、一番に嫌なのは今生を繰り返し続けることですけれど、それなら今も同じです。

仕事中に爪が剥がれたり、歯が割れたり、濃塩酸や劇毒物に素手で手を入れたりしたこともありますけれど、それらの激痛も現在の下半身が痺れて感覚はないけれど、痛みだけはあって、寝れない状態に比べたら大したことはないです。

けれど、こうやって苦しむのも、自分の素質が劣っている結果であり、誰が悪いわけでもなく、当然の帰結です。

生まれて現在に至るまで、誰とも意思を通わせることはできず、常に孤独だけ。死後の世界が孤独だったとしても、今と変わらないです。
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この回答へのお礼

ありがとう

なんで生産能力を指標にして、天国・地獄を図るのでしょうかね❓

生産能力の高いものは天国❓ 

生産能力の低いものは地獄❓

頭のてっぺんから爪の先まで日本人らしい労働者だとは思えますけれど。

そのような価値意識で彼の世が確定するとはとても思えませんけれど。

抑々、科学を指標とするならば、科学技術系の学問であれば、平和利用のための産業分野って、軍事力を指標とした、科学分野のお零れでしか、平和利用の産業って、成立しないって、ご存じでしたか❓

お礼日時:2023/03/28 00:39

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13407449.html


今は似た雰囲気の人が多いかな。
後、何年生きられるかが問題。

果報は寝て待つべきか悩む。
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この回答へのお礼

うーん・・・

神不在の時代をどう生きるか・・・。

お礼日時:2023/03/27 19:25

すみません、うまく送れてないと思い重複して解答を送ってしまいました。

ご容赦ください。
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この回答へのお礼

ありがとう

落ち着いて☆彡

お礼日時:2023/03/26 19:29

えっと。

、あなたが生と死の関係をどの様に考えてられるのか判然としませんが、「死後について考えられない」という命題がまずしっくりきません。人間が皆死すべき運命から逃れられない以上、「死んだらどうなるんだろう」と考えたことのない人はいないんじゃないでしょうか?もちろん生存中にその正解(勿論想像や推論によるものは除く)に辿りついた人は(あちらからこちらに帰ってきた人はいないんだから。まあキリスト教の人はそれがイエスキリストなんだしょうが)いません。そのことをいっているんでしょうか?
 だとしてもそれが「生に無意味のもてないことと同意」というのはますます意味がわかりません。
 生に意味を与えているのは死です。死によって生が限られた期間となっていることにより、生は意味を持って輝くのです。例えばあなたが医者により「余命1年」(本当かどうかわかりませんが)と宣告されたと想像してみて下さい。そうならば、あなたは限られた生に意味(生きた証)を与えようと必死になるはずです。この様に「生」と「死」には切っても切れない関係があると思います。(いつ死んでも良いという心構えで)常に「死」を意識しておくことがより良い「生」を生きるためには不可欠なことだと思います。以上が私の感想です。解答になってないと思いますが、失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとう

落ち着いて、今までのやりとりを若し、宜しければ、再読をお願いします。

貴殿の文章を読ませて頂きましたが。

大分、誤解があるようですけれど。

https://ameblo.jp/pegasus353/

お礼日時:2023/03/26 19:27

えっと。

。。あなたが生と死の関係をどの様に考えてられるのか判然としませんが、「死後について考えられない」という命題がまずしっくりきません。人間が皆死すべき運命から逃れられない以上、「死んだらどうなるんだろう」と考えたことのない人はいないんじゃないでしょうか?もちろん生存中にその正解(勿論想像や推論によるものは除く)に辿りついた人は(あちらからこちらに帰ってきた人はいないんだから。まあキリスト教の人はそれがイエスキリストなんだしょうが)いません。そのことをいっているんでしょうか?
 だとしてもそれが、「生が意味のないことと同意」ってますます意味がわかりません。
 私見ですが、「生」に意味を与えいるのは「死」です。「死」によって期限(生存中はそれがいつか分からないことが殆どですが)。定められたているからこそ、意味を持って輝くのです。もしあなたが余命1年と宣告されたら、「死ぬまでに何をしよう?」と自分の生に意味(生きた証)を与えようと必死になるはずだと思いませんか?
 まあ、この考えにたっても、例えば生まれすぐ死んでしまった幼児などの生の意味はどこにあるのか、わかりません。それは運命(神の摂理)として納得するしかない現実はありますが。
 ただ一ついえるのは、生の意味を考えそこに意味を付与するのは描くそれぞれの人の領分で一般化できる正解はない、と思っています。ただ個人的な感想に終わり、解答になっていなくてすみません。
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この回答へのお礼

ありがとう

貴殿の意見は正論だと思えます。私もそのように思えます。

ですが、私の意見を貴殿は把握なされていらっしゃらないようです。

私の発言したい内容を随分、曲解なされていらっしゃいますけれど。

お礼日時:2023/03/26 19:29

死んだらどうなるか。


それを考えるのは大切なことです。
もしも、死んでしまったら全て無意味になると思うのだったら貴方は正しいと思います。
実際に、死んだら「無」に成るというのが有力説です。
「無」とは空間、時間、物質が存在しない現象の事を表します。
簡単に説明していますが、それは生まれる前の感覚と同じになるということです。
貴方は生まれる前の事が何も分かりません。
そう、「分からない」のです。
それ故に「死」を恐怖する。
しかし、貴方は生まれる前につらいと感じましたか?
感じてませんよね。
そんな感覚が永遠に続くのかと恐怖した方、安心してください(?)
「無」に感覚や、永遠といった概念はありません。
まぁ、それが嫌なんですけどね。
結論を言うと、死んだら全て無くなってしまうのだから、死ぬときまで足掻いてもがいて下さい。
それだけです。
もしも生きる意味を見失っているのなら、成りたい自分を見つけてください。
生が無意味なのではありません。
死で無意味になるのです。
それだけは覚えていてほしい。
もしこの考えが間違っていたときには、彼の世か来世でめぐり逢ってじっくり話しましょう。
その時人でなくても。
私は貴方の夢を肯定し、死を否定します。
以上。
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この回答へのお礼

ありがとう

往々にして、人生が順風満帆な人にとっては、この世の人生は正夢かもしれないですね。

往々にして、人生が自分の力で届かないところで急変し、人生が急転した人にとっては、この世の人生は悪夢かもしれないですね。

何事もなかったように、空は蒼いですし、海も蒼いのです。

陸海空などという天然を人間がどうにかできるようになるほどまでの文明を持ち合わせ、だけに留まらず、宇宙への旅立ちまで現実化した現代、主に軍事力の鼓舞なしに宇宙戦略の日本の未来の動静は難しいかもしれません。

日本国憲法第九条の憲法解釈はまるで、六法全書の法解釈のようで、法家の主観次第で法解釈は割れるように抑々、記載され、法文として構成された、法文解釈とは矛盾に満ち満ちている文だと私は思います。

まぁ、ある意味では法文とは性善説な文ではなく、性悪説な文でしょうね。

約束事というのは抑々、守られるために存在するのではなく、万が一、約束事が破られた場合を想定して、法文とは書かれるものですから。

じゃ

お礼日時:2023/03/26 15:48

死の先を考えていない人間は極めて少ないでしょう。


大半の日本人は死ぬと「無」になると考えていますし、少数の人は死ねば「別の場所へ行く」と考えています。
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この回答へのお礼

ありがとう

実年齢には無関係ですが。

〇大病を患っている

〇所持金が少なくて、稼ぎの見込みも年金の期待も出来ない人は死を覚悟するしかないと思われますが。

自分の死をずっと、考えていたら、死の先を考えることは特に不自然なことではないと思われますが。

貴殿は恐らく、健康体で、お金の工面にも窮していらっしゃらないのでしょうね。

お礼日時:2023/03/26 09:20

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