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やはり運命は決まっているのか?
(運命は決まっているならば葛藤は心から消えるなぁ。だって抗らえないものなら、選択肢はあってなかったようなものであり、自己責任ではなくなるから。)

意志と行動。何かをしようと思い、何かをする。

例えば:
ケーキが食べたくなる→ケーキを買いにいこう(意志)→ケーキを買いにいく(行動)
この、意志と行動の部分は自己の選択であり、日々、この自己選択の連続により、運命は切り開いてい行くもの、変えられるものと思っている。(私もそう思っていた)
だが、ケーキが食べたくなるは自己の意思ではない、数日前・数時間前・直前にTV等その他で画像を見た、甘い香りを嗅いだ等の潜在意識に働いたものやサブリミナル効果はなかったとしたら・・いや、仮にあったとしても、それに出くわすこと自体、本人の意思ではない。
となると、
ケーキが食べたくなるのはすでに決まっていたこと=運命は決まっている のかもしれない。
最近読んだ哲学者の著書の中にもそのようなことが書いてあったので、考えてみた結果、そうかもしれないと思った。
どうですか??

A 回答 (9件)

私が十台のときにマーク・トウェインの「人間とは何か」という本を読んだときにそういう気持ちになりました。



決断に迷うのも運命ですし、間違った決断をした場合の結果が自分に降りかかってくることも運命ですし、行動に対して責任を取らされることも運命です。

自分の運命を変えることができないのかもしれないが、前もって自分の運命を知ることはできない。 迷うことを避けることはできないし、決断を行うことを避けることもできない。 

ならば、自分が一番納得できる選択をするという運命を選んだ(つもりになる)ほうが、その後の迷いが少なくてよいのではないかと言う結論に達しました。

それが私の運命だったみたいです。
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 こんにちは。



 《運命》の定義も問題になるようですが さしづめ言えることは つぎのようではないですか?
 ★ ケーキが食べたくなるのはすでに決まっていたこと=運命は決まっている のかもしれない。
 ☆ この《かも知れない》でとめておけばよいのではないでしょうか。
 もし言いきったとすれば それは じつはいまここで言う《運命》ではなくなります。つまりそれは 《自分がそうだと思いそう決めた運命》であって ほんとうの運命であるかどうか 分かったものではないという結果になるからです。
 しかも 《かも知れない》と思うのも 《運命はきまっている》と決めつけるのも あるいは何も考えないのも いづれもほんとうの運命であるということかも知れないぢゃないですか。
 どうですか?
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 とにかく、狂ったマザーをどうにかしないと...



 唯物論者を作り出す根源となっている、究極の唯物論者。

 みんなで「どうしたの?」っていたわってあげないと、だめかも。

 地球も、人間社会もだめになってしまう。
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>ゴールは同じでも、そこにいたる過程は違う。


>ゴールは変えられないが、途中は変えられる。

 このように思っている人の運命は、確かに変わりません。

 みんな死ぬ=みんな同じ♪

 kigurui(キグルイ)です。
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たとえば


インゲが小鳥になってから自分の踏んづけた分のパンくずを集めなければならなかったというような運命のこと?




                               ´
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この世界の物質がすべて歯車のように密接に関係し合っているなら、運命は決まっていることになるでしょう。



psytexさんのスリットの説明は穴があるのがわかると思います。
この世界が決定されているかどうかを確かめることは不可能だと思います。

僕とは考え方が違うけど2重スリットに関する参考URLがあったので貼っておきます。

参考URL:http://taste.sakura.ne.jp/index.cgi/%C6%F3%BD%C5 …
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それ ハイデッカーじゃないですか?




一つのことがそうだからといって、全部もそうだとは限らない。
確かに人間は一人のこらずいつか死にます。
死が避けられる人はいまだかつて一人もいないし、今後もいない。
人は生を受けた瞬間死も獲得している。

だけど、そこに至る道はさまざまで、誰一人同じ道はたどらない。
ゴールは同じでも、そこにいたる過程は違う。

ゴールは変えられないが、途中は変えられる。
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物質の本質には、不確定性原理があります。


単に「物事には不確定性が伴う」というものではなく、
その不確定性は“相補的”であり、たとえばある粒子の
位置を完全に確定しようとすると、その運動量は無限
不確定に発散する、というものです(しかし「存在」と
いうのは位置と運動量を兼備したものを意味する)。

運命もそれと似て、「無いと思うと有り、有ると思うと
無い」と言えます。
「有る」と思う(=確定する)と、それと違う行動を
とることができるので、運命ではなくなるのです。

運命論的な諦めにつながる形の決定論は、すでに過去
のものです。
かつて、「不確定性」が現象的なものか、物質の根源
的なものか、という議論が、アインシュタインも巻き
込んで行われましたが、現在では決定論は否定されて
います。

たとえば、2本のスリットを通して向こうのスクリーン
に電子を飛ばした場合、1個単位で電子を飛ばしても、
スクリーンに次第に描かれるのは、2本の帯ではなく、
干渉縞模様である事にも表れています。
即ち、スクリーンに1つずつ消えていく電子が、それ
以前に消えていった電子の場所を覚えていて、皆で協力
しているか、1個の電子が、2つのスリットを同時に
通った可能性同士が干渉しているか、なのです。

それは素粒子の世界においても、物理学的な状態Aが
Bに変化する確率は、そのAからBへの複数のプロセスの
全ての確率を足し合わせたものとなる事から、明らか
です(=経路積分)。
(“1本の道”を通ったと『思う』のは、振り返った
時のみなのです)
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んー、アカシックレコードみたいなもんのことですかね。



まぁ、ぶっちゃけ そんなもん気にしたところで何も変わらないんですけどね。

その理論から言うと、ナノサイズでいえば自分の血管の中で赤血球が何秒間に何ミリ動くとかも、決められていた事になりますからね。

実際、運命が決められていたとしても、それを事前に知る事ができないんだから、
決められていたかどうかすら分かりません。
何かをやるにしても成功するか失敗するか、運命で決まっていたとしても、
事前に分かっていないから失敗もするし、成功もします。
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