
長野県安曇野市豊科町高家を観光したら、大きな諏訪神社があって石碑や鳥居などの寄進者名は「手塚」という氏がありました。付近の古い大きな家も表札は「手塚」が多かったです。
少し離れた堀金烏川の集落は古い大きな家は「曽山」という姓がたくさんありました。
日本姓氏語源辞典で「曽山」をひくと、
長野県内で「曽山」という姓の人は木「曽」義仲繋がりで源義仲の子孫の系統とのことです。
https://name-power.net/fn/%E6%9B%BD%E5%B1%B1.html
そうすると、安曇野市豊科町高家の「手塚」氏は木曽義仲第一の部下の手塚光盛さんの子孫ですかね?手塚光盛は諏訪神党のリーダーでしたから。
漫画家の手塚治虫先生のご先祖様でもありますが。
源頼朝に滅ぼされた木曽義仲の一族が堀金に落ち延びて住み着き、木曽義仲の家来だった手塚光盛の子孫は豊科高家真々部に落ち延びて住み着いたのかもしれないと思いました。
詳しい歴史的事情は分かりませんが、後存知のかたおられましたら教えてください。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
現在の日本人の苗字は、一括りには出来ませんね、家系図などがあれば別ですが、明治維新で平民も苗字を付けたので、真似る苗字や風景をつけた苗字が沢山あるので、国内の苗字に、特定は出来ません。
しかし、同じ苗字が周辺にある時には、繋がった可能性は80%くらいはありますね。
また、神社に寄進物があれば、建立年月をメモれば、そこから、関係性は紐解けます。絡んだ紐を解くように、名前の関連性をメモっていくのです。
多くの名前は、爺さん達の名前の一文字を使うので、関係性が見えてきます。
特に、昭和まではよく分かります。
No.2
- 回答日時:
安曇野市豊科町高家にある手塚氏のルーツについては、具体的な史料や証言が残っていないため、確定的なことは分かっていません。
ただし、手塚光盛が諏訪神党のリーダーであったことから、手塚氏が諏訪地方に縁があることは間違いありません。また、手塚治虫先生のご先祖様が手塚光盛の子孫である可能性もあると思われます。一方で、堀金烏川の集落に多く見られる「曽山」姓については、日本姓氏語源辞典に記載されたように、木曽義仲の子孫という説があるようです。ただし、これも確定的なことではなく、確かな史料に基づく研究が進められている最中です。
つまり、豊科町高家にある手塚氏や、堀金烏川の集落に多く見られる曽山氏が、木曽義仲の一族や家臣の子孫である可能性はあるものの、詳細な史料に基づいた確定的な事実は分かっていません。
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