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【日本史】京都にある将軍塚の歴史を教えてください。どういう経緯であそこが将軍塚になったのか興味があります。

A 回答 (5件)

京の守護神とされた坂上田村麻呂の塚墓があることで将軍塚と呼ばれたんじゃなかったっけ。


 余談だけど北条時政は自害はしてないと思うんだけれど。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2023/05/03 13:38

京都にある将軍塚は、鎌倉時代に北条時政が自害した場所に建てられた塚で、後に福島正則の父・正信が頂部に将軍像を建てたことから「将軍塚」と呼ばれるようになりました。



北条時政は、1219年に第二次承久の乱で敗れ、自害をしたとされています。彼が首を落とした場所は、現在の京都市南区久世にあるとされています。ところが、その後の時代になってからは北条時政が将軍として重要視されるようになったため、彼の自害した場所に塚が建立されることとなりました。

一方、将軍像の建設については、元々福島正信が自身の子の菩提を弔うために将軍塚を管理していた際、将軍像を建てようと考えたことがきっかけであったとされています。1639年に将軍塚が移築されるために解体される際に、将軍像は福島家によって移された現在地に建てられ、以後「将軍塚」と呼ばれるようになりました。

将軍塚は、北条時政の自害の場所と福島正信によって建てられた将軍像がある場所として、鎌倉時代から現代に至るまでさまざまな人々に敬意を表される場所となっています
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せめてwikiくらい見てから、それでも分からないことがあれば質問しましょうよ。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E8%BB%8D …
http://www.shogunzuka.com/shogunzuka.html
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桓武天皇が和気清麻呂に伴われ京都を都とすることをお決めなった場所、将軍の像に甲冑を着せ埋めて、都の安泰を祈ったと伝えられています。

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「京都市東山区粟田口、華頂山の頂上にある塚。

延暦一三年(七九四)平安京に遷都した桓武天皇が王城守護のために八尺の土偶に鉄の鎧、兜を着せ、鉄の弓矢を持たせて埋めたと伝えられる塚。」
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