プロが教えるわが家の防犯対策術!

子供のいない兼業主婦です。
昨日主人と意見が分かれたので
みなさんにご意見いただきたく質問させていただきました。

私は小さい頃、いけないことなどをすると親は殴る蹴るという行為をしていました。口で言っても言うことを聞かなかったからだと思っています。
あとは、親からしたらそういった育て方をしてきたので、育児に暴力は当たり前だと思っていたようです。

一方主人は親が手を上げたことは一度もないのです。お父さんにも殴られたりした経験がないと。確かにとてもやさしいご両親なのです。結果、夫は優しく育ちましたが、愛情をもって手を上げることを知らないと感じます。

子供ができたら手をあげるかあげないかでケンカになりました。私は口で言ってもわからなかったら(言い方をかえたりしても)、手をあげると思います。
でも殴られるなどして痛い思いをしたので、もうあの痛い思いはしたくないと思い、やらなくなったことも多かったです。
本気で叱っていることもわかりました。
(母→しょっちゅう叱っては殴る。父→本当に怒った時だけ年に数回殴る)

みなさんは愛情をもった暴力はするのでしょうか?ひっぱたくとか、そういう行為はしないのですか?
どのくらいまで(ペチッとたたく、げんこつでなぐる、ほっぺたをひっぱたくなど)ならOKしているのでしょうか?
子供ができても、主人は手をあげたりはしないと。
でも本当にいけないときは、やっぱり手をあげることは必要だと思っています。

個人的な考えで結構なので、ご回答等よろしくお願いします。

A 回答 (33件中21~30件)

私は男性で、2歳と3歳の男の子2人おります。


私はかわいい自分の子供を殴ることは必要であると考えています。
現代の子供が凶悪になってきた原因の一つに「殴らない親」がいます。
持って生まれた性格・性質にもよりますが、殴られない子では「やってよい事と悪い事の分別がつかない」状態で成長する場合があります。

私は殴ります。妻も殴ります。
危険な行為や絶対にやってはいけないことをした時、しつけに必要な場合に殴ります。
2~3歳では口で言っても理解しないので、体で覚えてもらいます。
しかし最近は頭は殴らないようにしていますね。
それにどうやら手のひらでペシッとなぐってもそれほど痛くなくなってきたようなので、今はほっぺたやおしりをつねっています。(こちらの方が痛いようです)。

ただし、注意点は殴るにしてもつねるにしても力加減ですね。
子供の痛さをわかる事です。
決して力任せにやらないでください危険ですから。
力加減は自分で自分を殴ったり、つねってみて決めます。


しかしですね。
子供は結構強いですよ・・・・・・。
悪戯をして痛い目にあって大泣きして「ごめんなさい」と言った矢先に又同じ悪戯を繰り返す。
ついさっきまで殴られて大泣きしていたのに、泣き飽きると何事も無かったかのように、ねーねーおとーさんって寄ってくる。

殴るのは絶対に良くないという人がいますが、どんな根拠があって言っているのでしょうかね。
少しぐらい殴ったって子供の人格形成に影響は無いですよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

>ただし、注意点は殴るにしてもつねるにしても力加減ですね。
>子供の痛さをわかる事です。

大切なのは「痛さ」→嫌なこと、辛いこと

であるという意味ですよね。
それをすると、罰があるからしてはいけない
という部分を体で覚えてもらうというか。
質問者さんは体をはって研究していてすごいですね。

>子供は結構強いですよ・・・・・・。

私もそう思います。特に男の子は。
殴られたというより、それも親子のスキンシップというか、親だから悪いことをして叱られるのは当然と
普通のことになっているのでは?と思いました。

>殴るのは絶対に良くないという人がいますが、どんな根拠があって言っているのでしょうかね。

できるなら手を出さないほうがいいとは思いますが、あまり過剰に反応し過ぎなくてもいいかと思います。
兄弟げんかなんかだと、よく蹴りあったりしていますし。最近は一人っ子が多いから、そういうのはないのかな・・・

>危険な行為や絶対にやってはいけないことをした時、しつけに必要な場合に殴ります。

メリハリがついているならいいと思います。
奥さん殴るのはかわいそうだなとおもいますが、でも上記のような考えが前提なら、それもありだと思います。
ストレス発散とかではなく、愛情からくるものならば。

お礼日時:2005/04/23 13:11

夫への不満が底流にあるのでしょうね。

そしてその不満の矛先が、あなたの実家とは対照的な育児方法に向けられた。
「叩いたりしてこなかったから、このような頼りないというか、はっきりしないというか、煮えきらない男に育ったのだ」

もし夫に満足していたら、しつけには体罰が必要だというあなたの認識を変えてくれたはずです。
「なある、体罰をくわえなくても、ちゃんと立派に育つんだ」とわかって。

まだ子どももいないのに、しつけのことで夫婦喧嘩なんて、どこかわけのわからない話も、それで合点できる気がするのですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>もし夫に満足していたら、しつけには体罰が必要だというあなたの認識を変えてくれたはずです。
>「なある、体罰をくわえなくても、ちゃんと立派に育つんだ」とわかって。

それはありますね。。。
やっぱりあんなふうに甘やかしているから、兄弟そろってやさしいけれど、強さを感じないのかなと思ってしまうわけです。

でも主人の人間性を知って結婚したので、納得すべきところなのでしょうが、痛みから感じる愛情を知らないことも、結構ショックでした。

いろんなことがごちゃごちゃとしています。
けれど、ないものねだりかも?(いいところの方が多いと思うので)という気もするので
ここは自分にないものをもっている主人と、私にしかない部分があるところの真ん中をどうとっていくかだなぁと思うのです。

「完璧を求めないで、二人で作っていく」
となりそうです。

お礼日時:2005/04/23 13:54

>殴るのは絶対に良くないという人がいますが、どんな根拠があって言っているのでしょうかね。



二十年位前は、教育関係者の方々が、「今時の子供は、喧嘩をしたことも無く、叩かれたことがないから、人の痛みがわからない。」と言うような事を盛んにいっておられました。その後、性根を叩きなおすと、手○ヨットスクールのような私塾がクローズアップされた時期がありました。そこで幾つかの悲しい事件が起きました。
その後、研究がすすみ、「子供は、例外はあるにせよ、自分がされた事を、そのまた子供にもする」という「暴力の連鎖」という事がわっかって来ました。

ですから、過度の暴力はいけないのです。

DVの子供は、DVとは自分では思わず、「自分が悪い子だから、お父さん(お母さん)に殴られている」と思っています。
成長してもアダルトチルドレンとは思っていない場合も多いですよ。

ここは、出産・育児のカテゴリーなので、中学・高校生のカテゴリーで質問すると、時には、親として、体をはってという事も出てくるかもしれませんね。

年齢に応じた対処と考えた時、乳幼児を殴る・蹴るは行き過ぎかもしれません。奥さんも殴ってはいけませんよ。と、私は考えます。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

恥ずかしながらDVというのがよくわからないのですが、自分は悪いと思ってたたかれていました。
でも、後遺症等もなにもなかったです。

カテゴリーを変えてみるとまた違った視点からの意見がありそうですね。
時期を見て質問してみたいと思います。

お礼日時:2005/04/25 16:55

#23です。

つけたしです。

つねっったり、殴られたり、蹴られたりされてきたお子さんは、幼稚園・保育園でお友達に対して、同様に、つねったり、殴ったり、蹴ったりします。

幼稚園で「○ちゃんは殴るから嫌い」と言われたら、悲しくありませんか。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

友達に手をあげるとは言い切れないと思いますが、そうなる可能性としては高いかもしれませんね。

お礼日時:2005/04/25 16:59

本当は回答者全員のコメントを読むのですが、


わたしの考え方を書きたいので、
読まないで回答します。(影響されやすいので)

わたしの子供は、過去の事を話す時があります。
きつく叱られた時のことです。
でも、叱られた内容は覚えていません。
親に、叩かれたことだけ覚えてます。
そこで、「理由もなく叱らないから、きっと、都合の良い事だけ忘れてるんだね。」と、
子供と話したことがありますね。

叱る時は、自分のしたことを分からせる事が重要だと思います。
わたしは、叱られて(子供が)パニックになった時にだけ、
叩く事があります。
そして、何度も言い聞かせます。
それでも納得しない時は、隔離します。
部屋から出して廊下で反省です。
頭が冷えた頃に、もう一度話し合いをします。
どこが悪かったのか、どうしたら良いか。

叩かれたり、つねったり、蹴られたりしても、
その事が心に残る事が多いので、
最終段階としての方法にしています。
原因を覚えている事は難しいです。
子供はそんなに利口ではありません。
叩く場合も考えながら叩きます。

最近はなるべく抱きしめるようにします。
覚えていないことが分かったので。W
これも、結構効果がありますよ。
まず、受け止めてあげて意見を聞いてあげます。
子供にも理由があるのです。
でも、寝ぐずで我ままになりパニックになった時は、
叩く事もありますね。

親の気持ちが高ぶって叩くのは、
躾ではないと思ってます。
それは、怒りであり愛情からではないと思うのです。
個人的な意見ですので、反論もあると思いますが、
こんな感じですかね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

>最終段階としての方法にしています。

そうですね。
位置づけるならやっぱり最後の手段という感じですね。

回答者さんはケアの仕方(抱きしめる)はいいなと思いました。
確かに叱ったことをひきずっていると、子供のモチベーションはよくならないですよね。

私も叱った後にいつも以上にほめた時、とても嬉しそうにし、救われたような気持ちになっている表情を見てきました。

ひきずらないこと、ケア、大事にしていきたいです。

お礼日時:2005/04/25 17:05

こんばんは。


両親は「口より先に手」のタイプでした。
でもほとんど「他の事が原因の八つ当たり」で手の届きやすい頭を「殴られて」いました。
その件については、正直、20年以上たった今でも根に持ってたりする根暗な私・・。
親を反面教師として、現在、自分の子供には八つ当たりで暴力をふるったりしません。躾で叱る時は、お尻を軽くペンとする程度です。
言葉でわかってもらいたい・・。何が悪かったのか、どうしてママが怒ったのか・・。なかなか難しいものなんですけどね。

とりあえず経験談でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私も根に持っていました。
「ストレス発散に子供を使うなんて!」
と。

けれど、気持ちもコントロールできないくらい親は
いっぱいいっぱいだったのだなと感じます。
やっぱりそういうときに、手をあげましたから。

自分もそこは反面教師としていきたいです。
叱り方にはコツもあると思いますが、子供それぞれだと思うので、模索していくのがいいのだろうなと思っています。

反面教師も大事ですよね。

お礼日時:2005/04/25 17:08

#21です。


暴力の連鎖については確かに聞いた事があります。
でもそれは不条理な暴力、度を越えた暴力の事だと思います。
昔は親に殴られたり、蹴られたり、お仕置きされたり、又は学校の先生に殴られたり、ピンタされたり(親のほうから先生に厳しくしてくれって頼むぐらいでした)普通でしたが、今時のような「殺戮をしたい」とか「人を殺したらどうなるか試す」とか言う凶悪な子供はいませんでしたよ。
私の場合は先生も怖くて厳しかったけど、信頼関係はあったな。
理由無く体罰は受けなかったから。

子供に喧嘩はつきものでしょ。
といいますか喧嘩ぐらい出来なきゃおかしいもの。
勿論単なるいじめっ子ではいけませんが、正当な理由があって殴ったり、蹴ったりというのは大いに結構だと思っています。
それで逞しく正常に育って行くように思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>私の場合は先生も怖くて厳しかったけど、信頼関係はあったな。

信頼関係、大事ですよね。
私も近所のおばさんにものすごく叱られましたが、車道を飛び出したあと、ガツンと言われて叩かれました。
いけないことをしたこともわかり、それ以来、車道に飛び出さなくなりました。

なんかのハムのCMに「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」みたいなのがありましたよね。
暴力ばっかりではどうかと思いますが、たくましさや集団の中から学ぶことも大事だなぁと漠然と思ったりします。

お礼日時:2005/04/25 17:15

恥ずかしながら、ペチッとたたく事は日常茶飯事です。


その程度でも子供は『すごく痛い』と言いますし、『ママは怖い』と言い
ますし、『ゾンビ、火星人!!!』とまで言われます。

日々、このペチッとでさえも、せずに、たたかずに済めば、どれだけ子供に
良いだろうと思います。でも、手が出ます。
多分、すぐに言う事をきかせたい時にたたいているのだろうと思います。
だから、自己弁護するようですが、注意喚起のつもりでおります。

多分自分の中に、『1回単独でならペチッとはオッケー』という基準が
あるのだろうと思います。

たたいたり、殴ったり、蹴ったり、そういう風にする事はいけないことだと
親は多分みな思っていると思います。わかっているけどペチッとやってしまう
その瞬間の衝動をどうやってとどめたら良いか、それを教えてくれいっ!
と思います。数なんか、数える前にペチッとやっていますから。

動物の調教を見れば明らかなように、たたいたり、物を与える躾は、
実際かなり有効だと思います。ということは、親的に『どうしても子供に
叩き込みたい躾』の場合には、ある程度のたたいたりという行為は
許されるのでしょうかね???

でも、ここで『育児に殴る行為は必要です。』という意見が多数になれば、
それぞれのご家庭で手の上がる率は増えるように思います。

きれいごとでも理想でも、やはり親の姿勢としては、『育児にたたく行為は
ない』という姿勢、『殴るのは絶対にだめ!!!』という気概がなくては
と思います。どんな正当な理由からでも、力を使って解決するのは間違って
いるように思います。たたく行為は、体罰でも虐待でもどちらも同じ事、
都合の良い言い方にしているだけのように思います。

でも.............ペチッと程度の行為でもダメといわれたら、言葉で子供を
痛めつける方に走ってしまうかもしれないとも思いますし.............。

難しくって、............矛盾だらけですね^^;

一つ言える事は、こんな風に考える機会はとても大切だという事です!!!
皆さんの意見、とても参考にさせていただきました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

叱ることを正当化してしまうことってありますね。
「しつけだからいい」という風に。
でも「これでいいのか?」と考えながら、自分なりのスタイルをみつけていくことが、大事なのだと思います。

それから手をあげる回数が減るのなら、それは質問者の成長だと思いますし、育児への向上心はとても大切だと思いました。

お礼日時:2005/04/25 17:22

まじめな方なんですね。



何故、手はよくて、蹴るは駄目なのか、の線引きですが、「叱る」という行為は、相手に対し、反省を求める行為だと思います。手で叩くと、叩いたほうもいたいですよね。蹴った時、蹴るほうは、そうダメージが無い用に思うのです。更に、背中を向けている子供の背後から、背中や、お尻を蹴るのは、反省を求める行為から、逸脱しているとは思いませんか。

親も人間なので、ストレスもあります。でも、子供を叱り飛ばさなくても、発散の方法は幾らでもあります。多くの親御さんはそうされていると思います。
子育て自体がストレスの場合があります。2,3才のこどもって本当に大変ですから。若い保育士さんの中には、その学年を持ちたくないという子もいますよ。
年齢ごとの発達特性や、適切な接し方が分からないからだと思うのですが。(川越の先生もそうなのかなとニュースを見ていて思いましたが。)
悩んでいるお母さんには、親も人間なのだし、感情的になる事もあるし、子供も、ここまでやれば怒られると係わる中で覚えていくから、悩まなくても大丈夫と話します。
でも、基本は、「言葉で言って聞かせる」ですね。園児位の年齢でしたら。

>今時のような「殺戮をしたい」とか「人を殺したらどうなるか試す」とか言う凶悪な子供はいませんでしたよ

これは、また別の問題かなと思います。叩けば、そういう考えを持たなくなるというものでもありませんし。今は、事件が起こると、マスコミが一斉に報道するから大騒ぎになりますが、昔から、DVは表に出にくいだけであったようですし、このような事件もあったのかも。その辺り、不勉強で御免なさい。

何でも危ない、駄目で、けんかもすぐに止めてしまっていた時期がありましたが、今は、どこの園でも、危なく無い程度に見守ってやらせていると思います。
でも、それ以前に、殴られて育ったお子さんは、他児とコミュニケーションがとれなかったりします。
将来的に、言葉で解決する力を身に付けさせてあげた方が、親として賢い接し方ではないかなと思います。

お互い育った環境が違うので、ご主人とは違うと思うことが沢山あると思います。あそこが違う、ここが違うとあげつらうより、お互いのいい所を見つけて、認めていった方がいいように思います。
認め合い、初めて、話しあうという事が出来るのだと思いますよ。
#21さんも、叩かれた先生には、認めてもらっていると思えることがあったのでしょうね。でも、やはり、奥さんは殴っては駄目ですよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

人へのレスでも、読んでいてとても参考になりました。
特に「あそこが違う、ここが違うとあげつらうより、お互いのいい所を見つけて、認めていった方がいいように思います」という意見は、強く共感できました。

お礼日時:2005/04/25 17:25

愛情がありさえすれば許される。

その考え方に違和感をおぼえます。愛情は免罪符なんでしょうか。愛情がらみであっても世間が許さないことはいくらでもありますよ。真の愛情をあらたに出会った女性に感じたから妻子を捨てたなんて、あなたも容認しないでしょう。
体罰容認派の回答にいちばん納得できないのは、まるで体罰にこそ真の愛情があるような言い方をすることです。体罰という名の暴力は、単に親が未熟で克己心に欠けているだけのことかもしれない。「子供はつよいものですよ、殴られても寄ってきます」なんて、あんまりな言い分です。どんな理不尽な親でも、親に頼るしか幼い子は生きていけないのです。私は体罰なしにおとなになりましたが、それで親の愛情を疑ったことはありません。体罰のある親に育ててもらってよかったと思う感覚が特異なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

愛情にも限度はあると思います。
そしてケースバイケースだとも思っています。

体罰をしてくれた親に感謝するというよりは、親そのものに感謝しています。
言葉にはできない思いです。

手をあげる云々より大事なものが、少し見えてきた感じがしました。

お礼日時:2005/04/25 17:37

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