アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

明治9年3月17日太政官指令
妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。


…………………………

1.どういう意図で、明治9年では夫婦別姓にしていたのですか。

2.どうして、夫婦別姓だったのに、妻は夫の姓をなのりたかったのですか。

A 回答 (1件)

明治政府の考えは、中韓の中華文明圏に倣ったのかもしれません。


しかし、中韓は夫婦別姓といういうよりも、実態は、嫁はよそ者で一族ではない。だから嫁ぎ先の姓を名乗らせなかった。そういう嫁に対する差別文化的背景がありました。

日本の場合、伝統的には結婚すれば、実家一族を離れて嫁ぎ先に入る文化でした。だからその太政官指令が浸透することは無かったのでしょう。
そもそも明治政府が目指した文化の欧米化にも沿った話ではありませんからね。その指令自体も長く続かなかったのではないでしょうか。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!