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織田信長があれだけ天下統一に近づけたのは能力も去る事ながら尾張という京都に近い立地もですよね?
仮に織田信長が東北や九州の大名だったならば伊達や島津や毛利や北条のように地方の一大名で終わってましたか?

A 回答 (5件)

親父の織田信秀が朝廷との接点を作っていた。

朝廷へのアプローチのノウハウを持っていた。決して立地だけではありません。
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織田信長が九州で生まれていたら、外国貿易でガッポリ稼ぐ事が


出来るので、かえって天下布武は早まったと思いますよ。
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「『天下』という意識」を指摘する研究者はいる. つまり, 他の大名が「自分の領地」を考えていたのに対して信長は「天下統一」を考えた, ということだな.



あと一向宗とわりといい関係を持っていた, という指摘もあったような.
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そうだと思います。


武田信玄と織田信長の領地が逆だったら、天下人になったのは信玄で、信長は現実の信玄と同じように京に上る途中で力尽きていたんじゃないでしょうか。
どんなに大きな勢力になっても、あの時代は、結局は京や天皇を支配下に置いたものが天下人、という考えでしたから。
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それも理由の一つではありますか、勝ち戦が多く、負け戦が少く、行動が早かったのが一番の要因かと。



例えば信長が島津にいた場合九州統一を早めにしたり、中国、四国を統一していたかもしれません。

信長の始まりは吹けば飛ぶような大名で最初から恵まれていた訳ではありません。
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