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No.2
- 回答日時:
https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/1 …
古代後期小氷期は牧草地や農地に少なからぬ影響を与えたと思われます。それは、凶作や飢饉、疫病やそれに伴う政治・社会・経済の混乱を招来したと考えられるのです。541年から543年にかけての後期ローマ帝国を覆ったユスティニアヌスのペストやそれに続く疫病および食糧危機は、まさにこの古代後期小氷期開始の直後に起こっています。東方でも6世紀のモンゴル高原の状況についてはまだまだ今後の研究に俟つところが大きいものの、この時期の遊牧国家と北中国の政権との争いを特徴づける551年の突厥の台頭は、560年代から580年代にかけて中央ユーラシア草原全域を巻き込んでいくことになります。550年までにアヴァールは黒海北岸に到達し、ローマ帝国に接触し始めていました。620年には強盛であった東突厥はしかし、626年以後は内訌に入り、630年には崩壊します。一方の西突厥は西方へと拡大し、625年にはおそらくは黒海の東岸にまで達していました。突厥との連携は東ローマ帝国皇帝ヘラクレイオス(治世610~41年)がササン朝軍を破ることに大きく寄与しています。さらにこの古代小氷期の時期は、元々はカルパチア山脈付近にいたスラヴ系の人々が拡大していく時期とも重なっています。そしてアラビア半島の寒冷化はおそらく、この地域における降水量の増大と牧草地の生産性の向上を意味しました。こうした環境下において大量の騎馬軍の動員が可能になったことが、7世紀におけるアラブの大征服の間接的な要因であった可能性もあるのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3 …
フン族の起源を探るうえで最古の記録はローマの歴史家アンミアヌス・マルケリヌスの記録である。アンミアヌスによれば、フン族は「凍った海」に隣接するアゾフ海の向こう側に住んでいて、そこからヨーロッパに移動してきたのだという。なお「凍った海」という言葉については、これを文字通りには受け取れないとしている。またサイナーやメンヒェン=ヘルフェンは、アンミアヌスが370年にフン族が現れるまで彼らについてほとんど何も知られていなかったとしているのに触れた上で、この記述を2世紀半ばに地理学者のプトレマイオスが記したクーノイ(Khounoi)という民族に結び付けている。さらにメンヒェン=ヘルフェンは、マジャル人について「我々は今日までに、マジャル人がフン族のように中央ヨーロッパを席巻し始めるまでの300年の間、ドニエプル川、ブク川、ドニエストル川、プルト川、シレト川の流域に住んでいたのに、事実上ビザンツ帝国に気付かれていなかったという事実に気付いている」と述べ、370年以前にフン族が知られていなかったのは彼らが遠方から到来したためという説の証左にはならないと主張している。
「フン族」という「一つの文族集団」があったのではなく、社会集団としても組織化されていない遊牧民がいくつも、バラバラに侵攻してきたのを、「鬼が来た!」的な感覚で、中国語のXiōngnú(匈奴)、ギリシア語のΟὖννοι (Ounnoi、ウーノイ)、ラテン語のHunni(フンニ)、ソグド語のXwn、サンスクリット語のHūṇa(フーナ)、パフラヴィー語のẊyon、アルメニア語のHon-k’などで表し、並外れて強く勇猛なものというイメージを、積極的に自分に引き付けて名乗ったのもいるようです。
そうならば、草原などの植生が微妙に変化してそれに適応し良い場所を獲得しようとし続けた複数のバラバラの行動が、数世紀に渡って、フン族の侵入と受け止められただけのような気がします。
古代後期小氷期は牧草地や農地に少なからぬ影響を与えたと思われます。それは、凶作や飢饉、疫病やそれに伴う政治・社会・経済の混乱を招来したと考えられるのです。541年から543年にかけての後期ローマ帝国を覆ったユスティニアヌスのペストやそれに続く疫病および食糧危機は、まさにこの古代後期小氷期開始の直後に起こっています。東方でも6世紀のモンゴル高原の状況についてはまだまだ今後の研究に俟つところが大きいものの、この時期の遊牧国家と北中国の政権との争いを特徴づける551年の突厥の台頭は、560年代から580年代にかけて中央ユーラシア草原全域を巻き込んでいくことになります。550年までにアヴァールは黒海北岸に到達し、ローマ帝国に接触し始めていました。620年には強盛であった東突厥はしかし、626年以後は内訌に入り、630年には崩壊します。一方の西突厥は西方へと拡大し、625年にはおそらくは黒海の東岸にまで達していました。突厥との連携は東ローマ帝国皇帝ヘラクレイオス(治世610~41年)がササン朝軍を破ることに大きく寄与しています。さらにこの古代小氷期の時期は、元々はカルパチア山脈付近にいたスラヴ系の人々が拡大していく時期とも重なっています。そしてアラビア半島の寒冷化はおそらく、この地域における降水量の増大と牧草地の生産性の向上を意味しました。こうした環境下において大量の騎馬軍の動員が可能になったことが、7世紀におけるアラブの大征服の間接的な要因であった可能性もあるのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%B3 …
フン族の起源を探るうえで最古の記録はローマの歴史家アンミアヌス・マルケリヌスの記録である。アンミアヌスによれば、フン族は「凍った海」に隣接するアゾフ海の向こう側に住んでいて、そこからヨーロッパに移動してきたのだという。なお「凍った海」という言葉については、これを文字通りには受け取れないとしている。またサイナーやメンヒェン=ヘルフェンは、アンミアヌスが370年にフン族が現れるまで彼らについてほとんど何も知られていなかったとしているのに触れた上で、この記述を2世紀半ばに地理学者のプトレマイオスが記したクーノイ(Khounoi)という民族に結び付けている。さらにメンヒェン=ヘルフェンは、マジャル人について「我々は今日までに、マジャル人がフン族のように中央ヨーロッパを席巻し始めるまでの300年の間、ドニエプル川、ブク川、ドニエストル川、プルト川、シレト川の流域に住んでいたのに、事実上ビザンツ帝国に気付かれていなかったという事実に気付いている」と述べ、370年以前にフン族が知られていなかったのは彼らが遠方から到来したためという説の証左にはならないと主張している。
「フン族」という「一つの文族集団」があったのではなく、社会集団としても組織化されていない遊牧民がいくつも、バラバラに侵攻してきたのを、「鬼が来た!」的な感覚で、中国語のXiōngnú(匈奴)、ギリシア語のΟὖννοι (Ounnoi、ウーノイ)、ラテン語のHunni(フンニ)、ソグド語のXwn、サンスクリット語のHūṇa(フーナ)、パフラヴィー語のẊyon、アルメニア語のHon-k’などで表し、並外れて強く勇猛なものというイメージを、積極的に自分に引き付けて名乗ったのもいるようです。
そうならば、草原などの植生が微妙に変化してそれに適応し良い場所を獲得しようとし続けた複数のバラバラの行動が、数世紀に渡って、フン族の侵入と受け止められただけのような気がします。
No.1
- 回答日時:
フン族がヨーロッパに侵攻し、ゲルマン民族の大移動が始まる一因として、フン族の指導者であるアッティラ王(アッティラ・ザ・フン)の台頭とその野心が挙げられます。
アッティラ王はフン族をまとめて大帝国を築き、周辺諸国に対して脅威を与える存在となりました。アッティラ王の指導の下、フン族は東方の草原地帯から西方に侵攻し、周辺諸国への圧力を強めました。その結果、東ゴート族や他のゲルマン民族はアッティラの脅威に直面し、自衛のために移動を余儀なくされることとなりました。これによってゲルマン民族の大移動が始まり、西ゴート、東ゴート、ヴァンダル、アングロ・サクソン、フランク、ブルグンドなどが異なる方向に移動しました。
アッティラ王の侵攻は、ゲルマン民族だけでなく、東ローマ帝国や西ローマ帝国にも影響を及ぼしました。西ローマ帝国では、西ゴート族がアッティラに押し込まれる形でイベリア半島に進出し、後にイベリア王国を築くことになりました。また、アッティラの侵攻は西ローマ帝国の弱体化を加速させ、その後の滅亡に影響を与える一因となりました。
アッティラの動機については詳細な記録が残っていないため、歴史家たちはさまざまな要因を考慮しつつその背後にある理由を推測しています。彼の野心、草原地帯の資源不足、周辺国家への従属を求める要求などがその要因とされています。
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