アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

少子化、人口減少に端を発した地方の衰退が問題になっています。
しかしながら、そもそも無理に地方を発達させる必要などあるのでしょうか?衰退と言っても、それは人口が減少していく過程で日本全体がスケールダウンしているだけのことで、過去の状態に戻るだけのことです。人がいなければ無理に発達させず、原野にもどったほうが環境に良いという考え方もあると思います。現状の地方は中途半端に人が残っているからこそ、廃止したくても廃止できない社会インフラもたくさんあり赤字の原因になっています。このまま人口が減少してゼロになれば、これらを堂々と廃止することもできます。最終的には都市部は現状維持、地方は完全に消滅ということになると思いますが、それは日本全体が身の丈にあった状態になるというだけのこと。大騒ぎするほどの問題ではないと個人的には思うのですが、いかがでしょうか?

A 回答 (10件)

『地方の衰退は問題か?』がこの質問の命題でしょうか。



私は、それは『問題だ』と思います。
ただ、その論点は『地方』ではなく、『それはひいては日本そのものの衰退の問題でもある』と言う点だと私は思います。



この質問者氏の考えはこう言うことでしょう。

地方でも都会でも、今現在衰退が進んでいるというのが日本の現状認識だ。
そして、その流れは避けられないが、すべきは現状維持だけでよい。
その結果、都会も縮小するかもしれないが生き残るが、地方は延命させずに消滅するものはさせるのが合理的だ。



これって、今の日本の衰退の本質がまるで分っていない意見のように思いますがいかがでしょう?

私はまず、『都会か地方か』ではなく、『発展要素を持つ努力をしたかしないか』を議論すべきと思います。

そもそも『発展要素』があり、それが健全に機能していれば、その地域は人を必要とします。
だから、そういう土地では人がその地を離れる必要はありません。
仮に自分の都合でその地を離れる人が出ても、それに代わる人が求人に応えて外から流入するでしょう。

少子化でその地に生まれる人が減って人手不足になっても同じです。
つまり、健全な発展要素と人口流動性が担保されていれば、その地域は衰退しないのです。



そう考えれば、今の田舎の問題の本質は、『健全な発展要素ない』、もっとわかりやすく言えば『住民を飢えさせないようにできるほどの発展要素がない』ということではないですか?

これは実は田舎だけの問題じゃないと思います。
人口が相対的に少ない地方にそれが顕著に表れてきているだけではないかと思います。

とりわけ、人口が少なければ健全な発展要素が少ないのは当然でしょう。
だから人口が少ないほど、問題が顕在化してきているのです。
単に、都会は辺鄙な田舎ほどは症状が出ていないというだけです。

都会なら健全な発展要素が必ずあるとは言えません。
あっても発展性が小さければ、そんなものはいくつあってもその地域を発展させる結果は生まないでしょう。

ご当地ラーメンやB級グルメが一過性だったりして尻すぼみになったりするのがその好例です。

首都圏の周辺の50万人ぐらいの都市でさえ繁華街を見てみてください。
シャッター街が多いものです。
そんな町は、家賃や生活費が高い都心に近いところには住めない人が逃げてきて集まっているだけのところです。
その人たちがその地に健全な発展要素を作り出してくれることはありません。

つまり、今の日本には、大都会にさえ健全な発展要素は多くはないのです。

発展要素がなければ将来の収入に安心はできません。
だから子供をたくさん持つなどと言うことを考えなくなってしまう。

いまの少子化問題って、こんな具合に、衰退の原因なんじゃなく、衰退の方が原因なんです。

じゃぁ命題として掲げた『地方衰退の問題』の原因は何か。
それは、健全な発展要素を生み出す努力をしない『国民総傍観者=思考停止者』という国民的意識が元凶だと私は思います。



質問者氏は、現状維持で何もせず『なるように任せる』ことで、死ぬもの・滅びるものは消滅し、最終的に日本は身の丈に合った縮小した姿に落ち着くと問題は解決する、と言っています。
しかし、私はそれでは日本は滅びるだけだと思います。

問題の解決には、日本各地に健全な発展要素を生み出し育成しなければならないと思います。



以上の私の意見は、私が実際の暮らしから得た経験に基づいています。
以下にその経験を紹介します。

私はプロファイルに記したような今は在米の隠居爺です。
東北の山間の名も無い寂れた寒村の生まれ育ちです。
大学進学で首都圏に出てきて、社会人の初期数年間まで首都圏に暮らしました。
なので、田舎暮らしも都会暮らしもよく知っています。

その後は考えるところがあって当地アメリカに渡って来ました。
幸い生活はすぐに安定して出来るようになり、ネットが普及しだしたころにはリモートワークを組み入れて仕事が出来るようになったことから、どこに暮らすのが良いかを実際に住んで考えるために、全米のほか、日本や欧州などのいろいろなところに住む経験をしました。
今暮らしている町は、そうして決めたところです。

そこは6万ちょっとの人が半径数キロの範囲に住んでいるコンパクトな町で、200~300キロ四方の、森に覆われたなだらかで低い丘がちの平野のほぼ真ん中にあります。
どちらの方向にも隣町までは50キロ以上はあり、その間に人は住んでいません。

半径50キロと言うと、皇居を街と見たとき、大宮あたりから南の関東平野のほぼ全域にあたります。
『ぽつんと一軒家』のような超がつくド田舎の町というのがわかってもらえるでしょうか。

そんな町は、この質問者氏に言わせれば『消滅すべき価値のない町』に違いありません。
実は、50年ほど前にはここもその通りの街だったそうですが、今は違います。

住民の平均年齢は30歳台、人口の半分が20歳台という若々しい町で、東京のような大都会で手に入るものならおよそ何でも手に入る近代的で便利で文化的な町になっています。
市内を運行するバスはタダで利用できますから、東京より便利で快適かもしれません。

ではこの町がどうしてそんな町になったか。

今から数十年前まで、この地はタバコの栽培を主産業として栄えてきました。
しかし、世界的な喫煙習慣の減退をうけて衰退。

そこで町の人が一計を案じました。
町に古くからあった小さな公立の大学を核に、大胆で遠大な町興しを企画・実行したのです。

その大胆な企画とは、『世界中の優れた学生や研究者が来たくなる大学にする』ことと、『世界中から来る優れた人達が永く安心して快適に暮らせる街にする』ことだったと言います。

田舎の広い土地に、広大なキャンパス、住宅や商業地区とそれを結ぶ道路網などをゆったり配置した都市計画を作り、長い年月をかけて建設・整備してきました。

それが50年を経て、大学は世界中から集まってくる3万人近い学生・研究者数を擁すマンモス総合研究大学に成長しました。
世界的に権威のある大学ランキングでは東大に比肩し、現役のノーベル賞学者や様々な分野に優秀な人々を輩出できるようにもなりました。

町の外に整備した空港からは、全米だけでなく、中南米や欧州の都市にまで毎日定期便が運航されています。

町の外縁には、大学の研究成果や輩出される優れた学生たちの獲得を期待したり、ここで育った研究者たちが起業した企業が事業所を作り、地元の新たな産業として定着してきています。

進められてきた町興し事業は50年以上も前に企画されたとは思えないほど今になっても陳腐化していません。
都市計画の中身などにそれを見る事が出来ますが、他にない成功の基のひとつが先見の明があった交通政策でしょう。

大学が栄えれば大学に来る人が増え、大学を中心に据えた町の中心部の交通は混雑します。
なので、この町では、早くから厳しいパーク&ライド制が敷かれました。

町の外縁部に大規模な駐車施設を持ったショッピングモールなどの施設を設け、市内への移動や市内での移動にもバスを使わせ、バスは頻発させて不便を感じさせず、さらには料金を無料にするというものでした。

他にも様々な特徴的な取り組みがされていますが、お陰で町での生活はとても快適です。



一口に『地方』と言っても、その土地にあった発展要素をしっかり考え、それが確実に成果を生むように考えた方策を実行すれば、発展はできるのです。
要は、質のよい企画を立て、それをするかしないか、それだけだと私は思います。

それは都会か田舎かは本質的な原因ではありません。
思考しなければ、都市もアメリカのデトロイトのように衰退するでしょうし、考えてすれば田舎でもここのように成長できます。

日本でも、頑張っている企業の城下町は田舎とは思えないほど栄えてますが、そういった要素のない町は県庁所在地なのにシャッター街だらけです。

少子化や人口減少は衰退の原因ではなく、衰退の結果現れた現象で、発展させれば防げ、それはその地方の価値を生み、その地に良い生活をもたらしてくれます。



最後に、『では何をすべきか』です。
私は単に『自分に出来ることをする』で良いと思います。

中には『自分で発展要素を企画し立ち上げる』と考えて行動を起こす人も居るでしょう。
それはそれで立派なことで、私はその邪魔はしません。
ただ、私にはそれに出来ることはありません。

だからと言って、何もしないわけではありません。
私には、私自身と家族に対して出来るだけ安心できて快適な環境を提供したいという希望があります。
なので、私はそういう場所を探す努力をし、そこに居を移しました。

町を変えるには時間・手間・費用が掛かります。
それを考えれば、住むところを変えるほうがはるかに簡単です。
私には住む場所の環境を変える力はありませんが、より好ましい環境に移り住むことはできるのです。

これを『逃げる』と表現する人が居ますが、そもそも、『社会を変える』ということと『個人で出来ることで対応する』ことを区別しただけだと私は考えています。

『衰退』を問題視しないのなら日本と一緒に世界から没落すればいいだけで、それが問題なら発展させることを考えればよい。

発展の活動に個人で参加して満足感を得るもよし、そこからの成果を期待する前に他の良い環境を選んで自分で移住するもよし。

それだけのことでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:41

物事には過渡期があるということを質問者は都合よく忘れています。



ある瞬間に人がいなくなるんだったら、そのタイミングでインフラ捨て去っていいんですが、そういうわけにもいきません。

いや、実際にそれをやってるのがダム建設です。山奥の寒村ひとつ消すだけで大揉めに揉めて何十年とかかるのが通例です。

もし日本が住民を簡単に強制移住させられる国だったら問題にはならないんですが、貴方は賛成しますか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:41

”都市部”と”地方”の定義次第ですね。


一つ言えることは不労所得者だけでは世の中回らない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:41

約20年前に「日本人は高い米を買わされてる」


「農家を守りすぎだ」と米の自由化が始まりました
すると60kg/28000円ぐらいのこめが半額の
12000円ぐらいまで下がりました
すると若い人地は離農しの農地を捨てた
耕作放棄地は広がり、農地も山も保水力を失い
ちょっとした雨で土砂崩れ、河川の決壊
海に泥水が流れ牡蠣やサザエ、ワカメなどにも被害が出ました

結果として税金で砂防ダムを作り山を管理しています
都市部に一極集中するのは合理的なようで、非効率です

また都市部に一極集中するよりも
地方に分散した方が大きな災害を回避できると考えます
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:41

少子化、人口減少に端を発した地方の衰退が問題になっています。


しかしながら、そもそも無理に地方を発達させる
必要などあるのでしょうか?
 ↑
ありません。
あれは、自民党などの票田が地方にあるため
に仕方なくやっている弥縫策です。




最終的には都市部は現状維持、
 ↑
人口の都市集中は人類が発祥してから
ず~と続いている現象です。
だから、現状維持ではありません。
都市部の発展です。



地方は完全に消滅ということになると思いますが、
 ↑
いや、観光地として残しておけば良いです。



それは日本全体が身の丈にあった状態になるというだけのこと。
大騒ぎするほどの問題ではないと個人的には思うのですが、
いかがでしょうか?
  ↑
その通りです。
日本全体から見れば、地方を無理矢理延命
させるのではなく
都市部をより快適にすべく発展させる
べきです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:41

地方が衰退して、自然に戻れば、都市や都市間の交通インフラの維持も難しくなります。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:40

正論です。

仰っていることに間違いは一つもありません。
中長期的にはそうなるでしょう。

しかしながら、過渡期に生じる問題に対してシニカルに諦めるのは
インフラの荒廃速度以上に人心が疲弊し諸問題が続出します。

「身の丈に合った経済」を目指したら貧困に陥ります
上手に縮小均衡させる方法が成功した例はありません。
資本主義である以上、単に撤退戦略をとればいいというものではないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:40

産業の変化です。

そして第一次産業に従事していた人が老人となり、新しい人が入ってこず財政を圧迫している。

ものすごく田舎だと不便以上に閉鎖的なコミュニティや頑固なだけの老害が牛耳ってて新しい人や文化が入ってこないのもある。逃げ切りたい老人ばかりの村は。

田舎でも過疎化がそこまで進んでないところは人が寛容で新しいことや人を受け入れたりしている所。見ればわかる、

大都市圏以外の田舎なのに何故か街づくりやPRセンスが良くて、新しい家や若い人が多いところ。人が暖かく明るい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:40

まあ、一理あるというか、いろんな側面の1つとして、


現実的な部分と理想的な部分、どういうスタンス・立場かにも
意見が大きく依存する問題でしょうね。

田舎暮らししてる人からすれば、
人口げ減ることによって、
利便性が低下(交通機関衰退や、日常生活の移動など)する問題が、
大きいけど、じゃあ、人が集まってきたら?
うざいだけでしょう。結局は「自分の生活」がどう変わるか?で
意見は決まるもんですかね。
日常生活の利便性が低下しなければ、
人が減っても、特に問題ないと考えるでしょう。

都会の人間も、真逆の立場ですが、
不便な田舎に興味はない(住むつもりもない)ですから、
ぶっちゃけどうでもいい、という意見になりがちです。

そこに目が行くのは、
ビジネスチャンスを見出したりする人、ぐらいじゃないでしょうか。
あとは、偏りが大きくなって困るのは、国ですね。
人口分布が偏ると、働き手の問題、年金問題、税収減少などが
出てきます。そしてそれは、結局は、市民全員に綺麗に
跳ね返ってきます。

こういう偏りは、それはそれでいい、、、、という
あなたの意見は、目先の、自分のことしか考えてない、
未来の日本や、数年後、数十年後のことを
考えてない人の意見ですね。
まあ、誰もが生きるだけでも、余裕がない時代ですから、
別に悪いとは思いませんが、
最後の砦?になってる国が、そのように舵を切ったら?
次の世代の人たちが困る、どんどん生きにくくなる日本に
なるでしょうかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:40

「人口が減少していく過程で日本全体がスケールダウンしている」のはそのとおりだと思うのですが、「過去の状態に戻るだけ」というのは事実と違います。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/11/08 15:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!