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田中角栄は国を束ねるのに財布を知らなきゃできないと言って大蔵大臣を何度もやった竹下登を総理大臣にしましたが、結果としては竹下内閣が日本で初めて導入した消費税で日本は20年以上もデフレが続くことになります。

一方、世界大恐慌が起きた時に中央銀行に国債を買い取らせて通貨を増刷し、世界最速で日本をデフレ脱出させた高橋是清は高く評価されています。
高橋是清は大蔵大臣もしていますが、元々日銀から来た人間です。

ということは、元々国家財政について理解しているのは大蔵省ではなく日銀であり、大蔵大臣経験者を重く見ていた田中角栄もまた国家財政を理解していなかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

消費税導入が金利を下げ、


巻き起こった昭和平成大不況が令和まで延長されていった気がしています。
今ここで消費税率を下げれば、もしかしたら金利が上がって
令和まで延長された不景気を解決して金利を上がるなんて言う
夢のような話ありますか。
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竹下登は田中角栄に造反して、田中派から分離する竹下派(経世会)を作った人だから、田中角栄が総理大臣にするわけがない。

竹下を後継者に選んだのはほかの人も言っているように中曽根です。
消費税がデフレの元凶だとはいえない。当時どこの先進国(欧米諸国)も採用していた税で、大平内閣が導入しようとしてはたせなかった消費税を導入することができたのは竹下内閣の大きな功績でしょう。それよりも現代につづくデフレの元凶はバブル経済で、そのもとを作ったのが1985年9月のプラザ合意で、この会議に当時中曽根内閣の大蔵大臣だった竹下昇が日本政府を代表して参加している。その意味では竹下に責任の一端はあるといえなくもないが、当時の雰囲気のもとではだれが大蔵大臣でも合意に参加せざるをえなかったでしょう。
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前提情報の間違いを訂正します。


竹下登を総理にしたのは、中曽根康弘です。
田中角栄はもう影響力が有りませんでした。
ずーと過去の人に成っていました。

だから、田中角栄は国家財政を理解していなかったことにならない。


日本経済のバブル崩壊後の低迷したのは、2つの政策によるもの。
宮沢喜一の金融政策と不動産取引の規制。
後藤田正晴の暴対法による経済会の弱体化。

この2つの政策で、日本の企業の武器を失いました。
経済と外交の武器がない企業は世界では生き残れない。
日本企業の多くは安く外資に買い叩かれてしまった。
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