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初めにお断りしておきますが、これは反論や主張を目的とした質問ではありません。そうではなく、賛否はさておき、選択制夫婦別姓の法制化に向けての議論が世の中で進まないのが歯がゆく、ついてはその理由を探りたいのです。以下、具体的に述べます。

例えば、夫婦別姓を認めてしまうと子供がかわいそうだというご意見があります。しかし、合法的に夫婦別姓にできる国際結婚家族を通して、子供は必ずしもかわいそうではないし混乱もしないことがわかってきました。

むしろ、別姓が合法化すれば、家名を継ぎたいけれど心を寄せ合ってしまった長男長女同士がもっと容易に結婚できるようになると思います。家名を継ぐ子に恵まれなかった家も、わざわざ孫の中から養子をもらって、子からその孫を引き離すようなことをせずに済むと思います。

また、別姓夫婦の子らも自由に姓を選ぶようにすれば、夫婦揃った家庭でも親と子の姓が一致しないのが当たり前になり、「あの親子は姓が違うから離婚したのだろう」という偏見の目で見られずに済むと思います。

なぜ選択制夫婦別姓が導入されると子供がかわいそうなのですか?

別姓は行政手続き上の混乱を招くというご意見も見かけます。ですが、今は証明書類がIC化しています。例えばIC情報で「鈴木太郎と伊東花子は夫婦」という情報を証明書などに埋め込んでおけば、あらゆる混乱を防げます(これも国際結婚家族で証明済です)。どのみち、証明書類の旧姓併記はすでに可能で、併記された証明書を提示すると、確かに混乱する係員もいますが、すぐに解消できています。

なぜ選択制夫婦別姓は行政手続き上の混乱を招くのですか?

それから、「伝統」を理由に選択制夫婦別姓に反対するご意見を見かけます。しかし江戸時代までは大半の日本人が苗字を持たなかったわけで、よって夫婦間で同姓の人もいれば同姓を持たない人もいました。

なぜ選択制夫婦別姓反対の理由に「伝統」が挙げられるのですか?

繰り返しますが、私の目的は選択制夫婦別姓に反対するご意見に反対することではありません。ただ、選択制夫婦別姓に反対するご意見を新聞やインターネットで拝読しても、このように私の中では辻褄が合わないので、そこをもっと細かく教えていただきたいのです。よろしくお願いいたします。

なお、カテゴリについては迷いましたが、過去のスレッドを閲覧した結果、このテーマに関してはこのカテゴリが比較的きちんとした回答がつくのではないかと判断しました。

質問者からの補足コメント

  • ちなみに、私は旧姓併記できる証明書類はすべて併記しました。ですが、私は同姓にも別姓にも反対ではありません。なので「選択的」とすることでどちらも応援したいのです。そして併記することがそれに反することだと言われる現状も心外なのです。

    いずれにしても、国会はもとより、世論においても、しっかりと議論を前に進めたいものですね。引き続き、たくさんのご回答をお待ちしております。

      補足日時:2021/07/04 11:09
  • うーん・・・

    戸籍制度のメリットに関するご回答がありましたので、今後の閲覧者さんたちのご参考までに、私の体験を記しておきます。なお、これは反論ではまったくなく、情報としての「事実」です。

    戸籍制度は便利ですが、一度も訪れたことがない場所を本籍地にしている人も多いです。例えば日本の家屋は寿命が短いですが、結婚直後に田舎の老朽化した実家を親族一同で引き払えば、配偶者もその子供も本籍と無縁のまま生涯を送ります。我が家もそのパターンです。

    また、私は大正近辺の先祖の足取りを戸籍上では辿れません。役所にあった戸籍の原本が焼失したのと、籍を抜けた人の情報を得にくいからです。しかしたまたま米国を行き来していた先祖の足取りだけは、NHKでも活用していたネット上の米国のデータベースで簡単に判明しました。このように、現状の戸籍制度が意外と現代の日本人のルーツ探しに役立たないのもまた事実です。

      補足日時:2021/07/11 14:21

A 回答 (17件中1~10件)

#5です。


そもそも「『伝統派・保守派』と呼ばれる人々が何を考えて反対しているのか理解していないから教えてください」

ということなので、少し補足します。

まず#9さんの指摘である「姓とはなんのためにあるのか?」は非常に重大なテーゼだと思います。というより、この部分が全く議論されていない、わけです。


だから質問者様に限らず「賛成派」は自分達の感覚とさまざな事象からみて
>姓が違うというだけで絆が崩れるとは限らない
と判断するのですが、保守派ば「それは短絡的すぎないか?」と思うのです。

さて「姓」、世界的に「家名」とされるものが「何のためにあるのか?」を少し考えてみたいと思います

まず基本的に世界中どこでも「家名は自分の一族の財産または名誉を子々孫々まで継承するため」のものです。そして「どうやってそれを子孫に継承させるか?」でやり方が異なるわけです。たとえば

・西洋諸国 基本的には男女共家名継続の権利があり、子供は両方の家名を受け継ぐのが普通、ただし個人の判断でどちらかの家名を省略したりすることもでき、洗礼名なども入るので、非常に「自由」

・中国 中国はよく知られているように結婚しても妻の家名が変わりません。これは儒教的な考えで先祖信仰が中国の宗教規範だったからです。韓国もこれに習っていて、本貫(家系の出発点)を非常に重視します。だから中韓の墓は夫婦で入っていても両名併記です。

・インドネシア インドネシアには「家名」と言う考え方が存在しないので、基本的には「名前」だけしかありません。
でも家族親族の結束は強い方だと言われています。

これらの制度が世界各国で異なるのは「その国の文化と家名継承のメリットが違ったから」です。

西洋諸国が男女どちらの名前も受け継げるのは、西洋の王族貴族が国を超えて姻戚関係にある、と言う所から出発しています。
 男女どちらでも君主になれるのも基本的には「男女どちらでも王に為れる血筋だから」なのです。
 たとえば先日亡くなったイギリス女王の王配者エディンバラ公爵フィリップは本人自身がイギリス王継承権を持っていました。順位は400番台なのでものすごく低いのですが、逆をいえばヨーロッパ貴族はほとんど誰でもどこの国の王になる資格があった、わけです。
 だから彼らの子供は基本的に両方の家名を受け継ぎ、自分の子孫に家名と財産権を継続させたのです。

逆にインドでネシアで公式に家名が利用されないのは「あまりにも多数に渡る民族と習慣が多すぎるから」です。インドネシアは歴史的に数々の宗教とその宗教を支持する王朝に支配され、最後はオランダの植民地でした。

支配者が変わるたびに子孫に残す相続規範がかわっていったわけで「子々孫々まで残すべき財産」という考え方が強くない、ともいえます。
 また、今現在でもオランダ植民地時代の民法が使われていて、インドネシア全体に普遍的に利用できる伝統的な民法は存在しません。
 ヨーロッパとは逆に「守るべき家名も継続さえるべき財産もない」から、公的に家名を必要としない、といえます。

さて、日本はどうでしょうか?
日本ではヨーロッパ並みに家名と財産を子孫に継続させる必要がありました。ただし、西洋と最も違うのは「すべての日本人にその権利があった」ということです。

ヨーロッパと違って、日本では土地所有は「個人」のものでした。ヨーロッパの平民は土地所有ができなかったのに対して、日本では誰でも土地所有ができました。近代以前では土地所有で作物をつくることが自分達家族の永続的な繁栄を意味したので、それを次世代に相続させるのはとても重要で、田畑を分割して相続させず、全部を一人に相続させることも重要な要素であったわけです(分割相続を許すと、3代4代ぐらいには生活できないほど小さな面積になってしまいます)

これにより日本では「一子相伝」という方法が生まれます。田畑だけでなく「家業」はすべて一子相伝になっていくのです。そしてもう一つ重要なのは「女子も家業を継げた」ということです。

この点について明治以降西洋的な家父長制が入って、一部女性の権利制限があったので、誤解している人が多いのですが、日本は元々「男女平等な相続権」だったのです。

その為「家督」と呼ばれる財産権と親族を統括する家長権を女性が相続することがありました。
 武家でも井伊直虎は女性頭領だったといわれていますし、商家などは「婿は飾りで嫁が仕切っている家」がたくさん存在します。
この点において「夫婦同姓」というのは、男性側だけではなく「女性側の姓も選べる」と言う点が日本では非常に重要でした。

ただ、一般的に相続するのは田畑で田畑の労働力や、田畑を維持するための出兵義務は男が担うものだったので、武家や農家は男性が優先的に家督を継ぐ形になっていったのです。

そして「一子相伝」は日本の社会に深く根を張ります。歌舞伎や茶道などの伝統芸能は「一子相伝」が基本になり、神社仏閣など集落の中心となる財産の管理者(住職や神職)も家系で守ることになっていったわけです。

これが、日本の「姓」の歴史的な役割、必要性です。

今、国会では自民党以外全党が「別姓賛成」になっています。自民党がなぜ反対するかというと、上記で説明したような「家名で受け継いできた財産への努力と執着」が地方にはたくさんあり、自民党の支持基盤がそういう地方の人々によるものだからです。

彼らからすれば「夫婦別姓は日本の伝統的な家督相続や財産相続、そしてそれを基盤とした地域の社会文化を壊す」と思うのは当然であると思います。都会とは考え方が全く違うのです。

賛成者は「だから『選択的』にしている。嫌なら別に夫婦同姓にすればいい」というのでしょうが、そう簡単にはいかないし、選択制とはいえ別姓が今後日本の文化を壊さない、とは誰にも言い切れないのです。

また、この点についていえば「女性だって家督を継ぐなら別姓は不利」といえます。
たとえば「田中屋旅館」を江戸時代から受け継いでいる「田中さん」に娘しか生まれなかったときに、娘と結婚した相手が「いや、僕も墓守はしないといけないから別姓(鈴木)にします」と別姓選択し、妻が先に他界した後、田中屋旅館を一生懸命守る旦那の鈴木さん、彼が再婚した奥さんが佐藤さんで、結局子供は佐藤姓を名乗り、最終的に旅館も継いだので「田中屋旅館は佐藤さんの家業」になるとなります。
こうなると「田中一族が先祖代々守ってきた伝統旅館」という看板は下ろすしかないので、客にとっても訴求力が低くなります。日本人は「元祖」とか「伝統」が大好きな国民なのです。


実際のところ、別姓が選択できるなら「男性だって別姓を選ぶ」可能性は高いですし、別姓だと伝統的な価値観を壊しかねない不都合がどこまで広がるか分かりません。

そういう議論をしないでおいて「姓が違うというだけで絆が崩れるとは限らない」というような「推測」は安易にすべきではない、と私は考えてます。

そもそも「婚姻」というのはその国の文化に根差したもので、ものすごく長い時間をかけて習慣が整理されていくもの、時代や情勢が変わったらその時点で変化する部分としない部分が取捨選択されるのですが、それでも何年も何十年もかかって変化するのがふつうです。

そういう伝統的な価値があるからこそ「法律」にも反映されるし、その後ろにある「慣習法」とか「法理」と言うバックボーンをみんなが大切にしていくわけです。
 それが一旦壊されると、インドネシアのように「独立から何十年経っても自国の民法が作れないので、旧宗主国の民法を使わざるを得ない」ということになるのです。
 
また、今の日本は明治の西洋化のように劇的に変化しないと国家として生き残れない、というような状況ではないし、少なくとも民法を劇的に変換させなければならない緊急性は無いと私は考えています。だから最高裁が指摘するようにじっくりと議論が必要です。

上記のような説明や考え方は一般に「保守」とよばれるものです。保守は「○○は国際結婚の実情からみて大丈夫だと思われる」程度の楽観的な視点では考えを変えるまでには至らないのです。なにせ氏・姓の考えは日本なら1000年以上の重みがある社会の根幹にかかわるもの、だからです。

「別姓」問題の議論がなぜ進まないかというと
・賛成派は今現在の社会情勢だけ見て過去を見ず、楽観視していること
・反対派は過去の長い歴史を見て、現在の社会情勢だけでは判断できないと思っている事
で、賛成・反対どちらにしても議論にすべき論点すら合っていない、のが一番の問題です。

質問者様にしても「明治政府は最初夫婦別氏制支持だった」とか「日本と諸外国の文化的な差異」とか「男女間における家名の継承と財産権の問題」など初めて知ることばかりだったはずです。

保守派は上記の事を良く知っている人もいれば、現実にそういう伝統の中で生活している人達もたくさんいるわけで、彼らの疑問点に賛成派は回答出来ているとはいえません。

もちろん反対派も明確に疑問をつきつけず「現状の法制度に甘えている」といえるのですが、どちらもかみ合った議論をするつもりがないように私には思えるのです。

私は「変えるべきは変え、残すべきは残す」べきだと思っていて、是々非々で対応するべきと考えていますが、しかし今の状態ではとても別姓に賛成する気にはなりません。

なぜなら「今の同姓でも全く不都合がない、しかし議論を尽くさずに法律を変えて後でデメリットが見えても遅い」からです。
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この回答へのお礼

まさに私が求めていた類いのご回答をありがとうございました。

ちなみに、整理する意味で再度申しておきますと、私は「選択制別姓賛成派」と言いきれるわけではありません。そうではなく、「別姓反対」の論理が詳しく見えてこないので、選択制別姓に完全には賛成も反対もできず、むしろ、別姓反対派が喜ぶとされる新制度(旧姓併記)に既に乗っかってしまった者です。

>そういう議論をしないでおいて「姓が違うというだけで絆が崩れるとは限らない」というような「推測」は安易にすべきではない、と私は考えてます。

まさに私も同意見で、だからこそ今回の質問を立ち上げました。

>「別姓」問題の議論がなぜ進まないかというと

この部分は痒い所に手が届くものでした。

>「家名で受け継いできた財産への努力と執着」が地方にはたくさんあり、自民党の支持基盤がそういう地方の人々によるものだからです。

これも常々知りたかったことでした。党の支持基盤が何らかの形で関わっているだろうとは想像していたのですが、保守派の中にも選択的別姓に異論がない人だっているなかで、与党がなぜ回答者様ほど詳しい解説もせぬ(もしかしたら解説しているのかもしれませんが、少なくとも私は耳にしたことがありません)ままに、同姓にこだわるのかがわかりませんでした。今回、回答者様が土地などの流れについて解説していただいて、状況がよく見えてきました。

>「田中一族が先祖代々守ってきた伝統旅館」という看板は下ろすしかないので、客にとっても訴求力が低くなり

このご説明についても同様にわかりやすかったです。

以下は私見ですが、私としては今回のご回答なみに掘り下げた説明を盛り込んだドキュメンタリーか、せめて特集番組を誰かに作ってもらいたいと常々思っているのです。同列に考えてはいけませんが、議論が長く進まなかったという点では似ている捕鯨問題や慰安婦問題についても、映画が作られて初めて議論が進んだと感じています。主張というものは、押しつけたところで逆効果になるだけだと私は思っています。どうか世論が成熟し、歩み寄れるよう祈るばかりです。

引き続き、皆さんのご回答を募集しています。

お礼日時:2021/07/05 17:11

>一応、記しておきますと、私のルーツ探しに役立った米国のデータベースは、私企業が運営しているものの無料の範囲内の部分です。

書き損じが多いですが、米国では死後何年か経てばそういう情報を公開できるからこそ可能なデータベースです。補足にも書きましたように、それと戸籍を比べるのが私の目的なのではなく、主訴はあくまでも「日本の戸籍制度だって、とりたてて完成度が高いものではない」です。

このお礼には問題があります。
・反論になっていない。

そもそも「夫婦選択的別姓」の賛否は「制度」に対する賛否です。なので、無料であろうとなんだろうと「民間」の「商業的サービス」と「行政制度」を比べるのは意味がありません。
このような無理筋の反論をなさるから、私は何度も「質問者様は議論するつもりがない、といいつつ別姓側に有利な反論をしている」と指摘することになるのです。

・むしろ戸籍制度の優秀性を証明している

質問者様の説明だと、むしろ「アメリカの行政制度ではルーツを追いかけるのが難しい」という事が明白になります。いくら情報が解放されるからといって、アメリカ全土に散らばる情報を個人が確認するのは不可能に近く、だからこそビッグデータを収集して開示する商業サービスが成り立つわけです。

日本の戸籍制度は焼失した物はあるにして、行政制度の範囲内でルーツをたどることができる、ということになります。
 この点において質問者様はむしろ「戸籍制度の優秀性」を反証してしまっています。

>ちなみに私の体験では

なんでここで「個人の体験」が出てくるのでしょうか?
それこそ質問者様が「別姓賛成派に加担したい」と言う印象を強くするだけです。

質問者様の体験はともかく、日本にはアメリカのように大々的に「貴方のルーツを捜します」というようなサービスはない(調査サービス自体はあります)し、それが話題になることもありません。
 アメリカはたとえば「白人至上主義者だったが、自分に黒人のルーツがあることで考えさせられた」とういうような話題や、DNAルーツ鑑定の広告など幅広く目にします。

質問者様がどう思おうと、証拠ベースで「日本はアメリカに比べてぜんぜんルーツ探しは一般的ではない」です。
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この回答へのお礼

貴重なご意見をありがとうございました。こうしてさまざまな見解をいただくことで、今後の閲覧者さんの参考になると思います。

お礼日時:2021/07/13 03:53

#11です。

補足拝見しました。

>NHKでも活用していたネット上の米国のデータベースで簡単に判明しました。

それ私企業が運営している有料のデータベースですよね。それと公的な戸籍を比べるのは議論を変な方向に誘導しかねないので、あまり筋が良い話ではない、と思います。

>現状の戸籍制度が意外と現代の日本人のルーツ探しに役立たないのもまた事実です。

私はアメリカの帰国子女なので現地社会を知っていますが、アメリカ人は「ルーツ探し」が大好きです。だからこそ家系データベースもあり、DNAで自分の人種的ルーツを捜すのも流行しています。
 そういう国だからこそ、上記のようなデータベースが商業的に成り立つのです。

戸籍の考え方は全く別ですが、アメリカを除いた他の国に比べれば家系をさかのぼりやすいのは事実です。ただし、中国と韓国は本貫と完全別姓で家系を辿りやすくしていますし、ヨーロッパでは両名併記ができるようになっています。イスラムには姓が無い国もたくさんあります(息子は「ムハンマドの息子アブドル」のように名乗ります)

日本の場合、社会的な階級分断が起きていて、主に二つのグループがいます。
①江戸時代以前と同様に地元に住み、先祖代々の土地や墓を維持しながら、親族郎党が子々孫々まで同じ生活スタイルを営むと考えている人々
彼らはルーツを捜す必要がありません。ルーツの上に生活があるからです。

②地元から離れた場所(主に都会)に住み、特に子孫に残す土地も墓も持たない人達。彼らはルーツ探しをするかもしれませんが、実際にはそれほど人口がいません。このような人達が大量に発生したのは、高度成長期の金の卵政策時代だけだったからです。そして金の卵世代は「帰るべき実家」が分かっているのでルーツ探しはしないわけです。


まず、①の人たちがいわゆる保守で彼らは別姓に賛成しません。そして彼らは自民党の基盤です。
②は都市型の住民で彼らが支持するのは自民党以外のリベラル政党が多く、選挙区としても都市は自民党が比較的劣勢です。

実はこれに公明党は入りませんが、孝明とは別姓に賛成しています。理由は簡単で「婚姻を含めて宗教がすべてを決める方式にしたい」からです。だから母体となる創価学会は同じ宗教の男女の結婚を斡旋していて、同姓だろうが別姓だろうが関係ないわけです。

言い換えれば、夫婦別姓の問題は「①と②の生活スタイルがあまりにも離れたことによって起きる事」だといえます。
 実際、農家に嫁いだなら彼女の生活基盤は「夫の先祖がつないできた土地」であるわけで、心情的にも経済的にも夫の姓にすることが求められるでしょうし、彼女の姓は変えなくても子供たちはすべて夫の姓にすることがもとめられるといえます(これは農家や商家に婿入りした夫も同様です)

日本がなぜ「選択的」夫婦別姓で議論されるかというと、このような保守の基盤が「姓の継続」にあることが明らかだからです。
 それを変更して「農家でも別姓」はあまりにも反発が大きいのは予想できるので②の人々はせめて別姓にできるようにしたい、という希望が「選択的」という言葉に含まれているのです。

で、これが実現するとどうなるか?
100年ぐらい経ったら別の民族になるかもしれません。「家族」という民族と文化に関わる根本的な変更は長い時間で見ると大きな意味があるかもしれないのです。

実際、明治政府はそれ以前の「夫婦別氏」を改め「夫婦同姓」にしました。本来、氏と姓は別の物だったのですが、それを整理してさらに夫婦同姓に限定したわけです。

今夫婦別姓の問題が大きくなっているのは「100年ちょっと前に夫婦別姓に変えたから」でもあるわけで、100年後「やっぱり夫婦同姓に戻せ!」とならない保証はどこにもないです。

こういう部分を含めて、とにかく「議論」が全くありません。別姓を採用したら短期的には#5で私が指摘したような混乱は必ず起きるでしょうし、中期的には#11で指摘した、日本人の価値継続や元祖好きといった民族的好みが変化していくでしょう。

そういう「影響」を提示するような議論もなければ、法改正の効果を議論するものもありません。

みんな私利私欲で好き勝手なことばかり言っている、そこが一番の問題なのです。
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この回答へのお礼

何度もご回答をありがとうございます。

>それ私企業が運営している有料のデータベースですよね。

一応、記しておきますと、私のルーツ探しに役立った米国のデータベースは、私企業が運営しているものの無料の範囲内の部分です。書き損じが多いですが、米国では死後何年か経てばそういう情報を公開できるからこそ可能なデータベースです。補足にも書きましたように、それと戸籍を比べるのが私の目的なのではなく、主訴はあくまでも「日本の戸籍制度だって、とりたてて完成度が高いものではない」です。

ちなみに私の体験では、日本にいる日本人でルーツ探しをする人は意外と多く、例えば地方の小さな町でも寺や図書館が情熱をもって奔走してくれていますが、結婚や離婚で戸籍を出てしまった人は追いにくいです。回答者様も示唆してくださったように、海外へ移民した日系人やその子孫の多くが深刻な理由でルーツ探しを試みるなか、彼らが日本の有権者ではないのも歯がゆいですよね。

お礼日時:2021/07/12 17:08

A3ですけど、補足に関しまして私の家柄についてお話しましょう。



私の父方の家系、幕末の小笠原開拓移民で咸臨丸で父島に移植した末裔なのです。
で、明治政府になってそうそう、八丈島経由で、横浜に出てきて、
清水の次郎長一家の無宿人となって横浜港の地上げと女衒で財を成し、
大正期に日本橋で店を開き、関東大震災と東京大空襲で二度店と戸籍が焼失していて、お寺も深川で過去帳も焼失しているので、
曽祖父が父島出身である幕末の記録以降、戦後の間違いだらけの書き写し(親子で姓すら文字が違ってたりする)の戸籍簿まで記録がない家系なのです。ヤクザなんだもの。
祖母の家系も大森宿の博徒の娘と聞きます。

で、その間に祖父の四兄弟中三人がブラジル移住してブラジルに帰化して日本国籍を捨てており、その三世の一部が日本に帰化して戸籍を再取得して親族となってたりするのです。
ちなみにその日系ブラジル人の親戚の本籍登録地は東京都千代田区千代田一丁目一番地。皇居です。日本で一番多い本籍地らしいです。

私も海外生活経験が10年近くあり、実弟も東南アジア各地の工場建設の海外出張したまま10年以上帰国しないような状態で現地で妻を娶っていて会ったこともないので、
日本の戸籍制度にも婚姻制度にも全く信用がない一族なんですよね。
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この回答へのお礼

再度のご回答と貴重な体験談をありがとうございました。

そうなんですよ、意外と日本の戸籍制度って片手落ちなわりに、それに変わるシステムがないんですよね。私の場合、郷土資料館は多少役に立ちましたが、過去帳は辿れませんでしたし、漢字に至ってはかなり遊べます。

一方で、移民の国米国では、すでに他界した人のことなら、乗船名簿、国勢調査、死亡届などのデータが公開されているので、私の先祖と旅を共にした人の行く末まで、日本の自宅に居ながらにしてわかりました。

とはいえ、戸籍制度やさまざまなシステムを改善するには膨大な血税がかかりますので、仮に改善するならどう改善するかということも含めて、私たち国民は真剣に考えねばなりませんね。また、個人情報の扱いについても、自己責任を重んじる国々と、制度に頼りたがる人が多い日本とを同列に考えることはできません。

スレッドの本題からはやや逸れましたが、選択的夫婦別姓問題に必ず付いて回るお話だと思います。

お礼日時:2021/07/11 15:53

私は単純に男女同権なら選択的夫婦別姓と割り切っていました。

今、ここの議論を見ていると、反対には反対の根拠はあることは理解できました。それでも反論したくなります。
 戸籍制度は個人のルーツを追える仕組みで、遺伝病とかの研究にも役立ちそうで廃止するのは惜しい気がします。ここまで維持してきたものを捨てることはないでしょう。別姓にした場合は男性側の戸籍に入れればいいでしょう。どちらか一方だけに記録が残ればいいのですから。両方に残すのは無駄で、ややこしくなるだけです。
 誇るに足る家名なら選択できれば問題ないでしょう。
 お墓の問題は別姓でなくとも、問題は簡単という訳ではないでしょう。これからは子孫が絶える家が多くなりそうです。
 屋号とかは別に姓と一致しなくとも問題ないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

まず先に整理の意味で申しますと、当サイトでは議論が禁止されています。このスレッドも議論を目的としたものではなく、各ご回答も、ご意見の違いはあれど異論反論を目的とはしていないと理解しており、今回のご回答もご多分に漏れません。

さて、ご回答のご趣旨は「戸籍制度のメリットは大きいので、選択的夫婦別姓によって制度の存続が危ぶまれるようでは困る」だと理解しました。おっしゃる通りだと私も思います。そもそも先祖の戸籍を見るのは楽しいものですよね。

余談ながら、「選択的夫婦別姓推進派」イコール「戸籍制度廃止派」ではまったくないと私は理解しています。むしろ戸籍制度の「改善」を求めている別姓推進派も少なくないと感じています。なお、余談ついでに補足を新たに加筆いたしましたので、ご興味があればご覧ください。

お礼日時:2021/07/11 14:20

ただの時代の移り変わり。

本来どうでもいいのさ。みんな
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。いわば「はしかのようなもの」なので、強いて話し合わなくても、静観するに超したことはない、というようなことでしょうか。ただ、今回の質問の主旨は「数多くの変革が、賛否両論側の同意を得て実行に至っている中で、なぜ選択的夫婦別姓の議論だけ(厳密には“だけ”ではありませんが)が進まないのか。特に反対派の意見を深掘りしたい」です。ほかのご回答のおかげで私の理解はだいぶ深まりましたが、引き続き何かございましたら、よろしくお願いいたします。

お礼日時:2021/07/08 08:31

夫婦別姓はお隣の韓国や北朝鮮でも採用されているわけですからそれ自体は問題ないかもしれませんが、夫婦別姓を進めようとしておる人の中には家族制度そのものの解体を狙っている思想的立場の人がいるそうなので「夫婦別姓の声には注意するべき」と言うのが個人的な印象です。

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この回答へのお礼

なるほど。「一見すると問題なさそうだが、解体を狙っている人たちに知らず知らず影響されてしまいそう」と、いわば警戒する人が少なからずいるという考え方ですね。警戒すれば、話し合うことに躊躇して当然だろうと私も思います。現に私も、こういう質問を立てるのには勇気が要りました。幸い、皆さん、冷静に回答してくださって助かっています。貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2021/07/07 18:35

こちらこそ何度も回答してすみません。

結構この話題はやじうま的に興味があるので。

一つ私からの提案ですが、実は「夫婦同性」の精神的支柱となっている「家制度」にも法制度上の綻びはあるので、「別姓派」はそこを突いたら良いと思います。今の法律は家制度のために姓の変更を強要しながら、その実、いざとなったら「血縁」を重視している面があるので、その矛盾をなくしたらどうか。最たる例が遺産相続で、「嫁」は、家のために姓まで変えているのに、遺産相続においては実子と同等の権利を有していません。ここを変更して、「婚姻によって姓を配偶者側に変更した場合は、血縁者と同等の遺産相続権を得る。」と言う条項をむしろ加えたらどうか。これは、「別姓賛成派」にとっては、一見逆行に見えるかもしれませんが、ここを義務化すれば、意外に「反対派」からも、「別姓選択」に賛成する人達が出てくると思いますよ。
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この回答へのお礼

世の中での議論が「噛み合う」ことこそが大事だと考える私の気持ちを汲み取っていただいたご回答をありがとうございます。今回の質問は別姓反対派の真意を深掘りするのが目的なので、回答者様のご提案に対するコメントは差し控えますが、閲覧者の皆さんのご参考になると嬉しいです。

お礼日時:2021/07/05 17:07

>反対派も対抗してわざと曖昧にしている



反対派の理由は、#6でも書いたように「一族としての結束が乱れるから」と私は理解してます。それは理解できる。

一方で、「選択的別姓派」については、「姓とはなんのためにあるのか?」と言う疑問に対してあまりまともに考えていないような気がしています。なお、私は別に「別姓に反対」と言う訳ではありませんので、誤解なきよう。しかし、「選択的別姓」に反対する人達が、「選択的別姓」にもやもやした感情を持っているのは、たぶんここが大きな原因ではないかと思いましたので、そこをわかってもらうために、ちょっと極端な例を出して補足的に回答しました。

もう少し噛み砕いて言うと、今の選択的別姓派は「女性が損しているから制度を変えよう」と主張しているような印象がありますが、それは「姓とはどうあるべきか?」と言う問題に対する直接の回答になつていないので、揉めることになるのではないかと考えた次第です。例えば、「諸外国では選択的別姓を採用している」と言うのは理由になっていません。諸外国は諸外国の文化からそう言う制度になっており、日本は日本の文化からそう言う制度になっているだけです。「諸外国の文化の方が正しい」というのなら、日本の習慣や文化を全部捨てねばなりません。でも、たぶんそういうことではなく、「女性に不利な習慣や文化だけつまみ食いで変えよう」と言う意図なのだと思いますが、それでは「姓の持つ意味」を考えていないので、なかなか反対派を説得できないだろうなあと思っただけです。


繰り返しますが、「だから女性は我慢しろ」と言ってる訳ではありません。誤解なきよう。今の議論の対立はどこからきているのかについて考察しているだけです。反論や主張を目的とした回答ではありません。
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この回答へのお礼

度重なるご回答、恐縮に存じます。なるほど、なるほど、うまく言葉にしづらいですが、別姓反対派はさまざまな理由で選択制別姓自体にも反対しているのだろうけれど、中でも大きな理由は「別姓推進派の姿勢自体に反対していて、
そういう姿勢の人を公に認めることに反対だから」かもしれない、というようなことでしょうかしらね。確かにそれはあるのかもしれません。

ちなみに、回答者様が「極端な例」として今回のご回答をお書きになったのを承知で念のために申しますと、私の理解では、別姓推進派は単に女性の不利益を理由にしているのではなく、その証拠に、公的証明書類に旧姓併記が現在のように合法化されることにも、別姓推進派は違和感をいだいているようですね。アイデンティティーを捨てたくないという理由もかなりウェイトを占めているような印象がありますし、それこそ配偶者の墓守をしたくないという理由を持つ人には、たとえ他人事でも違和感を強く抱く別姓反対派もいるかもしれません。

簡潔ながらハッとさせられるご回答をありがとうございました。

お礼日時:2021/07/05 07:05

選択制夫婦別姓に反対する理由を


もう少し詳しくお願い
 ↑
夫婦同姓ではなく、あれは家族同姓
なのです。

中韓などは別姓ですが、あれは血縁を示す
もので、嫁さんは
よそ者、という考え方です。

家族が別姓で、それでなくても家族の
絆が弱まっている現在、家族の絆がさらに脆弱に
ならないか、を懸念しているのです。

父、安倍晋三
母、蓮舫
長男 志位和夫
長女 福島瑞穂

これで家族と言えるのか、という
懸念があるのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。

そこまではもともと理解しています。一方で、すでに日本人同士のいわゆる事実婚家庭(戸籍上は結婚していないが自分たちは家族だと決めた夫婦とその子供たち)や、国際結婚家庭(戸籍上でも合法的に別姓になる家庭)は実際に存在していて、それらの家庭では、姓が違うというだけで絆が崩れるとは限らないのです。この点については、書いてくださったようなお考えの方々はどうとらえていらっしゃるのか気になって今回の質問を投稿した次第です。

「これまでの別姓家庭では絆を保てたかもしれないが、今後、別姓家庭が増えれば社会は不安定になりかねない」とお考えということなのでしょうか? ご意見があれば引き続きよろしくお願いいたします。

お礼日時:2021/07/04 19:17

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