アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

関ヶ原の戦いで、小早川秀秋が裏切った時の備えとして期待されていた脇坂安治は、なぜ自身も裏切って大谷吉継を攻めたのですか?大谷吉継とは、それほど親しくなかったのですか?

A 回答 (4件)

真相は藪の中だが、彼にも家康から手紙が来ていたはずだから、どっちにも良い顔をしていた可能性はある。



どの道、戦いの勝負は、小早川秀秋が裏切ったことで決着は付いている。小勢の脇坂隊などでは大軍の小早川隊に勝てるはずがない。
戦局を見ていたであろう脇坂安治としては、小早川隊が大谷隊に襲い掛かるのを見れば、東軍側に付くのは当然でしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2023/11/26 22:16

優勢な方に付いた。


家臣やその家族を守って、お家を存続する為の大義の前には、仁・義・
私情などは存在しないのです。
    • good
    • 1

小早川の家老は家康の書簡でそちらにつくと約束しているので家康の鉄砲の合図で寝返った


東軍優勢とみた脇坂が石田三成の一番の仲間を襲っただけ
後で報奨がもらえるから
三成に戦うなと言っていたのに仲間になって戦った
自分たちからしたら裏切りものだったから
    • good
    • 1

寧ろ石田三成が嫌いだったんだろ


一生懸命命張って戦っているのに安全なところで見てるだけの奴が、豊臣秀吉に適当に戦っているとか、手抜きしているとか密告ばかりして、それを信じられて罰を受けるとか嫌だろ
一応上司だから分かりましたーと命令は聞いたけど、あー均衡してるなー、あ、小早川裏切るの?2万人東軍に付くなら西軍は負けるな、じゃあ保身の為に俺も裏切るかー
てな感じじゃない
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A