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司馬遼太郎が、夏目漱石の漢詩の碑の裏側に、狩野亨吉が刻んだ文章について説明しています。

<亨吉はその文章においては漱石の詩の良否をのべていない。漱石の人柄と生き方について述べている。漢詩の場合、詩人の巧拙について述べられても仕方がなく、その人と生き方をこそ述べられるべきものなのである。>

質問は、”漢詩の場合、詩人の巧拙について述べられても仕方がなく、その人と生き方をこそ述べられるべきものなのである。”を解説して下さい。
(漢詩とは、おとこが志を述べるものである、と聞いたことがありますが、関係しますか?)

A 回答 (1件)

「詩人の巧拙について述べられても仕方がない」


  ↑
字面を追っても、限界がある。
真に言いたいことは解らない。



「その人と生き方をこそ述べられるべきものなのである」
  ↑
作者の真に言いたいことは、その
バックボーンが反映されたモノだからだ。



漢詩とは、おとこが志を述べるものである
 ↑
漢詩というのはそういうのが多いですね。
恋愛が少ない。
その点、和歌とは違います。



関係しますか?
 ↑
漢詩には時代背景が色濃く反映されていますから
その意味で関係していると思います。



高校時代、漢詩の時間で先生に習ったのを
思い出しました。

「国破れて山河あり」

日本人は、戦争に負けて、この意味を
真に理解することが出来た。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
1.ごもっとも
2.<バックボーン>は志につながるのでしょうね。
3、漢詩VS和歌は、益荒男VS手弱女、男性VS女性ですね。
4。時代背景が色濃く反映ですね、益荒男は。
5,「国破れて山河あり」;;復員者や引揚者が母国の緑を見ると、実感するのですね。

お礼日時:2023/12/06 12:25

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