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倫理を学んでいて気になったのですが
イエスの弟子らがキリストの死後、迫害を受けながらも新興宗教の維持と発展に務めたのはどのような目的や理由があったと考えられますか?
当時の状況なども説明してくださるとより嬉しいです。

A 回答 (3件)

書いているうちにかなり長文になってしまったのでその点、ご了承ください。



私自身、カトリックのクリスチャンです。非常に奥深いテーマで様々な解釈がある深い質問だと感じていますが私なりの理解と解釈、という点でお答えしたいと思います。その前に、認識を深める上でまず2点、押さえておきたい前提を共有したいと思います。1点目は現代における「宗教」と、数千年前における「宗教」は、その概念が全く異なっていること、2点目はキリスト教が生まれたパレスチナという地域の地政学的な特徴です。他の回答にあるように突如、新興宗教やカリスマ的教祖が生まれた、という単純なものではないことと、様々な歴史的混沌を経て生まれた宗教である点をまず共有したいと思います。

1点目について、現代で「宗教」というと何か不思議なものを信じてる異質な人々やその教団、という印象を受けるかも知れませんが、大昔、キリスト教が生まれた2000年前は違いました。

想像していただくと分かりやすいと思いますが、仏教やユダヤ教、キリスト教が成立した時期は、日本書紀や古今和歌集が編纂された奈良、平安時代よりもずっと昔の時代です。

その時代は、長い年月をかけて口伝によって伝えられた戒めや風習、神々への祈りなどを中心に部族や民族の日常生活が営まれており、現代で言うところの「宗教」という概念は無く、信仰と日常生活は深く結び付いていました。現代でも、信仰の有り無しに関わらず初詣に行ったり、子どもの健康を願って七五三には神社にお詣りしたりすると思いますがそんなイメージが近いです。つまり、生活や文化に深く溶け込んだ営みの中に、現代で言う宗教的要素も深く組み込まれていた、ということです。そのため「自分はXX教の宗教、教団に属している」という感覚はなかったものと考えられます。その時代に生きた人はその部族や民族の文化、秩序に自然と組み込まれて、その社会の営みがゆっくりと続くような世界でした。まず、その前提を押さておくと理解がしやすくなります。なので現代のように誰かを指して「彼はキリスト教徒だ」とか「あの教団は仏教だ」という言い方はしなかったと考えられます。自分と違う部族=我々の部族にはない口伝や掟を守って生活しているとある地方の民族集団、くらいの印象で現代における宗教団体という認識はまだ無かった時代です。

もう一つ押さえておかないといけない前提、それはキリスト教の母体となったイスラエルの民、後にユダヤ人と呼ばれる民族が定住していた、中東•パレスチナ地域の地政学的特徴です。

地政学的な特徴とは何かというと、パレスチナという中東地域は人類が誕生し、様々な地域に民族、社会、文化が成立していくなかで、アフリカ、アジア、ヨーロッパなどの多様な民族、文化の交差点になった場所、というのが大きな地政学的特徴です。それ故にこの地域は、有史以来、民族間の様々な衝突や戦争が常に絶えなかった場所でもあります。

さて、本題に入りますと、キリスト教が萌芽しはじめた当時のパレスチナは、ユダヤ人が国を作って多く住んでいた地域でした。この民族集団は他の民族と何ら変わることなく、集団の中で言い伝えられてきた掟や伝統、神を信奉しながら生活を営んでいました。それらは宗教という概念が生まれたずっと後の時代に「ユダヤ教」と呼ばれるようになります。そして様々な紆余曲折があって、後にパレスチナと呼ばれるこの地域はローマ帝国の支配下になりましたが、その後も戦争や紛争、衝突が絶えず生じていました。

特に、元々この地域を治めていたユダヤ人社会とローマ帝国との紛争は長期に渡り、ユダヤの民は時に被支配民族として奴隷以下の境遇に置かれていました。そんな時代に、後にキリスト教と呼ばれる宗教が萌芽しはじめます。

さて、ユダヤとローマ帝国との戦いは第二次ユダヤ戦争によってローマ帝国の完全勝利に終わります。その後も様々な局地的な紛争や抵抗運動が生じましたが、残念ながら多くのユダヤ人はパレスチナから追放され、様々な地域に離散することになりました。そして異なる文化や民族集団の中で生きていかねばならなくなりました。

以上の話と前提は、概ね歴史的史実ですがここからが質問に対する私なりの考えです。

なぜキリスト教が成立し、拡大していったかと言うと、ふるさとを追われたユダヤ人たちは、国を持ち、独立していた時代には何不自由なく守ることが出来たユダヤ人たちの掟や風習、伝統などを離散先で守ったり維持する事ができなくなった。その結果、掟に対して新たな解釈が必要となり、その解釈がキリスト教の土台となって拡大、布教が進んだのではないかと考えています。

なぜなら離散民族として、生活習慣が異なる民族集団の中で共存しなければならないとなると、これまでの掟や伝統の維持が困難になることは容易に想像できますし、様々な差別や迫害もあった事でしょう。その時、後にキリスト教になるユダヤ人のある一派の考え方は、異なる民族集団の中で生活する上でも、過去の掟や伝統をうまく解釈して実行することが出来た、そしてその解釈を必要とする離散ユダヤ人が敗戦と追放により様々な地域に住んでおり、その結果、その教えが様々な地域に伝播したと見ています。

しかし、不思議なことに異民族と共存を実現するその知恵そのものがユダヤ民族だけに閉じていた掟や風習、伝統を超えた価値を放つようになり、遂には様々な民族に伝播したと考えています。「必要は発明の母」といいますが必要に迫られた、と言うのが私なりの考えです。

ただ、注意しなければいけないのは、現代の新興宗教のように突如、カリスマ的教祖が生まれて成立したようなものではない、ということです。初期キリスト教は、自らも周囲からもユダヤの一派、という扱いでした。また、タルムードと呼ばれ、ユダヤの教えや膨大な口伝を記述した当時の資料にはイエスへの言及はほんのわずかしかありません。後に新約聖書と呼ばれるキリスト教の聖典も、離散したユダヤ人たちが大事にした口伝や教え、価値観を集約した書物であり、2〜300年かけて徐々に編纂され成立していきました。キリスト教はイエス•キリストというカリスマが成立させたと誤解されがちですが、キリストが実在したか否かも未だに論争が続いています。

ただ、間違いない事実は次の3点です。紛争が絶えなかったパレスチナで、奴隷のような生活を余儀なくされたユダヤ人が多数いたこと、その中から人間の命は誰であっても大事なのだと支配から解放を訴えた活動家がたくさん登場してはその多くが十字架刑に処されてしまった事、敗戦後に離散したあとも戦争と離散という苦難を振り返りながらも、自らの伝統やアイデンティティを捨てずに生きる知恵を求め続けた人が多数いた、という事です。その結果、様々な考え方や価値観が生まれ、大切に伝承され、時間をかけて新約聖書として編纂結実し、その価値が民族を超えて心に響いた、という歴史的事実が2000年の時を経てた現在にキリスト教を遺してきました。

答えになってるかどうかはわかりませんが、疑問に思った事の一助にして頂けたら嬉しいと思い、自分の考えを述べさせて頂きました。
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オームと同じでしょ。



あれだけ迫害を受けていていも
名を変えて、しぶとく生き残って
います。

信者としては、教祖が死んでも
今更帰る処もないし
生きて行ける道が他にありません。

迫害されている者同士で、寄り添って
生きて行くしか無い訳です。

そして、迫害されればされるほど
結束が強くなっていきます。

キリスト教なんてのは、成功した
オーム真理教です。

オームは失敗したキリスト教です。
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この回答へのお礼

なるほど、オームについても調べてみます。ありがとうございます。

お礼日時:2024/01/20 08:24

それはユダヤ教を受け入れられなかったからでしょう。


そこで迫害に屈したらキリストの死が無意味なものになってしまう。
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