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なんで学校の勉強はつまらなかったのだろう。
社会人になってからする勉強は結構面白いのに。

A 回答 (9件)

 こんにちは



 大人になったら、時間の大切さ、勉強したくてもなかなかそうは出来ない。勉強できることのありがたさがわかる。

 また、年齢が高くなると人生経験が増えて、物事を多面的に見ることが出来たり、知識の量が増えているため色々な話しを聞いても勉強しても、個々のものを関連付けたり、さらに幅を広げて理解したりすることが可能になったり、興味を拡大して発展させ、自分自身で次のステップに進めることが可能になってくるように思います。
だから勉強するのが楽しいのではないでしょうか。

 自分でいろんなことをドンドン深めていけるのとそうでないのでは、次にくるものが全く違いますよね。
 学校の勉強は学校の形式にしたがって進められていきます。勉強の方法さえも教えられて、自分で選択する余地がありません。答えも決まっていて、これでもOK。この考え方でもOKというのが少ないために型にはまっているようで、自分で発展させることが出来ないからつまらないのではないでしょうか。
 いつになってからでも勉強の楽しさが知れるっていう事はとてもいいことだし、幸運なことだと思います。
 いろんな事を知るのは楽しいですね!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大人になるに連れて、視野が広がっているのですね。
勉強が出来ることは、やはり幸せなことなのですね。

お礼日時:2001/09/18 20:36

こんにちは。


学校の勉強って基本的につまらなかったですよねえ~
理由はと考えてみると・・・
子供って知識が大人に比べて圧倒的に少ないですよね。それを補っていくために
知識を積み込んでいくことが目的となっているのでは?
それで、机上の議論が多く、実体験が少なく実感が沸かず、結果としてつまらなくしているのでは。

国語なら作者の気持ちを理解するには幼すぎるし、
社会は世の中のいろいろな動きを全く知らないので、それらが複合して起きる現象のことなど実感が沸くはずもない。

まあ、これは私の経験です。反対にイメージが沸く算数や実験をやった理科などは結構楽しかったような気がしますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
イメージが湧く授業というのは、教える教師の能力なのではないでしょうか、学年が変わって好きだったはずの授業が嫌いになったことはありませんか。私にはあります。その逆もありましたけど。私の場合、国語でもイメージをものすごく膨らませてくれる先生もいましたから。

お礼日時:2001/09/18 20:34

他にもっと面白いことがあったからです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
面白かったというよりは、なんかやたらに忙しかったような気がするのはなぜ?

お礼日時:2001/09/18 20:30

子供のころは、勉強の中身を理解してないからじゃないでしょうか?受験が顕著ですよね。

あと、教師が「教えてやる」精神を持っているからじゃないですか?社会人になってからする勉強は自分がやる気があるため、教える側の影響をほとんと受けないんじゃないんですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「教師が教えてやる」というよりは、今から考えると教える教科を判っていなかったという気がします。良く考えると、ブラックユーモアのような

お礼日時:2001/09/18 20:29

学校では、やらなければならないという強制と、


コレがどうして役に立つのか理解できないという疑問とで
つまらなくなっていくのだと思います。

勉強することの本当の意味や本当に学びたいことが
社会人になると見えてくるから面白いのではないでしょうか。
そんな私はもう一度大学へ行きたいなと思い始めています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>勉強することの本当の意味や本当に学びたいことが社会人になると見えてくるから面白いのではないでしょうか
本当にそうですね。
私も数年前から大学に行きたいと思っています。放送大学か夜学にでも通いたいのですけれども、思うばかりで、でも、必ず学び直そうと思っています

お礼日時:2001/09/18 20:25

「やらされる勉強」と「自らやる勉強」の違いでしょう。

大人になってからでも、「やらされる勉強」はつまらないです。

誰かの話を聞いたりする場合にも、「聞きたい」と思って聞くときと、「しかたなく聞く」場合では、理解の度合いがまったく違います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにそうですね。興味のあることばかりやれる訳ですものね

お礼日時:2001/09/18 20:21

子供の頃は甘いお菓子が大好きだが、大人になったらそれほど食べない。


大人になると、渋いのとか、苦いのとか、それとわかってて食べちゃう。なんかそれに似てる気がする。

子供の頃は時間が無限にあって(ような気がした)、食べてみたい甘いお菓子が幾らでもそこら中にあって、無限の時間を利用して幾らでも飽きるまで食べちゃう。傍にホロ苦いビールがあったって、わざわざ美味しいと思わない物に手をつける事なんて考えない。
けど大人になると味覚が変わる。子供の頃に渋かったモノを食べたくなるし、苦かったモノを飲みたくなる。その時になって、実はそれこそが美味しいものであったことに気づく。「好きなだけ食べる時間があったあの頃にもっと食っとけば良かったなー」とか悔やんでみたりして。

誰かが、「青春が人生の終わりにあれば、云々…」なんてことを言ってたけど、これって的を射た言葉だなーと最近つくづく思う。なんか、書いてて切なくなってきたなー…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いま振り返っても、授業の内容はつまらなかったと思いませんか?
今ならばおもしろいのかなー

お礼日時:2001/09/18 20:16

quackさんとだいたい同じ意見ですが、それとやはり、与えられたものだから。

あるいは文字通り義務(教育)でやっていたからだと思います。若いうちは未熟でそれに気がつかないんでしょうね。
 それでシャアのセリフを思い出しましたよ(意味わからないかな?(^^;)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
こどもだったのかー

お礼日時:2001/09/18 20:13

同感です。




今、勉強していることは、それについて自分がもっと知りたい
という明確な目的がありますが
当時は「それ」を勉強する意味が分からなかったのだと思います。

先生との相性っていうのも大きいと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かになんの役に立つのか判らなかったし、嫌いな先生も多かったです。

お礼日時:2001/09/18 20:12

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