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今の親に何か指摘したり、厳しいことを言ったりすると精神的に病んでしまう人もいるからあまり厳しく言わない方がいいとか聞いたのですか、そんなのが子どもを育てることが出来るのですか?
自分も甘やかされないと嫌だからと、自分の子どもも甘やかすわけですか?

A 回答 (2件)

がありますね。

親になる資格無いのが不思議です。子供を産めばだれでも【親権】のある親だし、自宅を持てば誰でも世帯主です。知識も責任もない学ぼうとしない人達が居ますね。
特に子供の育てかたも知らない。知ろうとしない自分勝手な成年が問題です。モラルのない非常識な子供が育っていきます。核家族化で年長者が矯正しようとしても個人情報だのプライベートだので手が届きません。
社会の問題かと思います。子供を作ると強制的に教育するなどの仕組みが必要なだと思いますね。バカ親が量産される社会構造も問題かと思います。
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一部の人はそうかもしれません。

しかし実際は「過去に類を見ないくらい凄い成果」を残している若い人が沢山出てきましたよね。なので二極化が激しくなっているのだと思います。日本人の若者のトップを見れば(年配の人には想像もできなかった)くらい「強い」です。逆を見れば想像もできなかったくらい「弱い」となるのだと思います。

「精神的に病むのは自分の成長をどこかで諦めたからだ」

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

別の質問でも出した回答です。親であっても「親として」「人として」成長しようと思っていれば「経験を歓迎する」はずです。しかし成長を諦めた人にとっては「苦労が増えて得をしない」と思えてしまうでしょう。子育ての経験者が(例えば親戚)遠くに住んでいても「こういう場合はどうするのか?」と積極的に聞くでしょう。その上で「流石である」と感心するはずです。こういうやり取りが無いのが問題であり、本質なんだと思います。

「成長したいと思えば自分より上級者がいることに安心
 感を覚えるはず。そうでない人は『説教しそうな人』
 と捉えるだろう。何の恩恵も無いと感じるからだ。
 核家族が問題ではあるが、若いうちに『自分を見捨て
 た』人が増えた事が原因に思える」

私たちであっても「俺はどうも本物じゃない。主人公タイプじゃないみたい」「僕は持ってない人らしいです」みたいに悩んだことがあるはずです。その時に「そうであっても自分が戦える場所を探す」と諦めなかった人もいれば「もうだめだあ」と捻くれてしまう人もいるわけです。

殆どの人が「子育てでは負けない」とかやったのが昔でした。今では「子供に才能があれば育てなくても勝手に立派になるはず。ガチャだよ」と捉え違いをしている人が増えているのだと思います。親ガチャとか言う子供が親になって子供ガチャとか言うのは目に見えています。

「もう何もかもダメだあ。こういう自分は小さな幸せを
 探すしか無いんですよね? 酷いですよ。でも私はそ
 れで我慢するから立派ですよね。この立派さに免じて
 何かご褒美下さい。だって私は自分を諦めた可哀そう
 な人間なんですから。少しくらい優しくして貰っても
 罰が当たらないと思います」

まあ、こういう感覚が芽生えてしまうんでしょう。

恐らくは昔の若者より、

「努力によって何とか成らないモノの方が多いと思う」

と言う気持ちが消しきれないのでしょう。

これが今の子供達の悩みだとしたら、常に絶望感を抱えている事に成ります。そうであるのに「努力を強いる大人達」が多ければ「悩みを打ち明ければ叩かれるだけ」「分かる人達だけで集まりたい」となるはずです。

ではどこから学んでいるのか? 漫画やアニメ、ドラマです。

これらの影響力が強すぎて現実と乖離しているのだと思います。努力をテーマにした漫画の殆どが「主人公たちが泣くほど苦しんでいる姿」を描きます。これまずいですよね? 本来はゲーム見たいに面白い物が努力と言います。才能あるものに勝てないという話を描く物が多すぎます。恋愛や結婚が人生のゴールの様に描くものが多すぎます。

「君は主人公じゃ無いようだ。だって僕の描く漫画の主人公
 と大分違うだろ?」

こういうメッセージを受け取り続けていると思えるんです。

しかし漫画家やTVドラマの制作陣は、

「いや言いたいのはこっち。今の世代が何を求めているのか
 いつも必死に考えているんだよ。その中でどういうあり方
 に希望を見出すのか一生懸命探しているんだ。簡単に言わ
 ないで欲しい」

と思っているはずなんです。

実はこれが間違っていると思います。どんなクリエイターであっても「自分の成長を諦めた」事は無いはずです。そういう人が「他の人も成長を諦めたくないのだ」と考えず「どうすると甘やかせるのか?」みたいな手加減をしている。

読者や視聴者を下に見ており、その上で憎んでしまっています。そうではなく「自分達と同じように成長したいという欲求を持っているはず」と信じ切れていない。ここを問題に思っています。

「楽に成っちゃおうよと呼びかける漫画を描いたり出版した
 りしている人達がいる。これ以上の嘘つきはいない」

漫画を描くなんて大変作業をこなしている方々が「受けたいがため」にその様な嘘を描くというのは「どうかしている」としか思えません。読者であっても「漫画家に成れたかもしれない」と言う気持ちを残して応援しているんです。そういう方々に向けて「君らは楽をしたいだけなんだろ?」と言う思い込みをぶつけて(自分らがしている事と正反対の)嘘をついたら行けませんよ。大人として恥ずかしい。

「自分らが何故頑張れるのか?」を子供達に分け与えるべきです。先ほど「元プロデューサー」が漫画実写化の大変さを(とても素晴らしい文章で分かり易かった)教える記事を読みました。これを読むと状況がとても良く理解できます。私はこの方に「経験」を分けて貰えたという事です。

しかし昨今は、

「自分達でコンテンツを作ります。そのテーマは『僕たち
 でもやれる。諦めてはいけない』です。Youtuberになっ
 て配信します」

と自衛の策に出ているかたが増えていますよね。私はこれを見てコンテンツ・メディアの役割が終わりつつあると感じています。

「最近では子育てについて大変さを訴えつつ、自分が成長し
 ていけると勇気を与えるママさんの動画が受けている」

自分達が企画会議をし、計画的に制作をしているからと言って「自分達を超える物はない」と慢心しすぎてはいけませんよね。その上で「自分達を超える人気」を得たものが「思いもしない場所(ライバルからでは無かった)」から出現するのでパニックを起こしているのでしょう。

そんな時に思って欲しい。

「自分が成長したいという気持ちを無くしていないか?
 作業に成っていないか? 思いもしなかった場所に『成長
 したい』と考えた人がいただけではないのか?」

ですよね。

既存メディアは「制作技法」や「収益化」において成長したわけです。しかし「教育という役割を念頭に入れて」成長をしていなかったんです。影響力があると知りながら「実在と違うので本気にした人の責任です」と何十年も言い続けて来た。この甘えが(長い時間をかけて)業界を斜陽にしたのだと思えます。

「人々は遊びを通じて学ぼうとする。面白い物を作る人達
 には『教育』という隠れた義務が存在する」

こういった思想が無いため「対応を間違った」TV局が出てきてしまったんです。逃げるのではなく「(現場を)教える」と言う方法の方が求められているのでしょう(実は現場の苦労話など聞きたかったという人が結構いたんではないかと推測しています)

「僕らに教育何て役割があるなんて思って無いですよ。それ
 は僕ら以外の所でやるべきではないですか?」

「しかし教育を念頭に置いてメディアを作るライバルが現れ
 た時にどうする?(Youtuberですね)。もしも今の子供達
 や年配の方々が優しい指導を求めているのだとしたらどう
 する? 今一度既存メディアは成長すべきでは?」

世間の風潮を追いかけて誠心誠意サービスをしているのに、何か少しでもミスをするとアラユル方向から叩かれる。その様に感じている人は「自分も成長したい」と言う気持ちを無くし「他の人にも分けたい」という姿勢を無くしたのではないかと思います。

「いま最も求められているのは本当の教育ではないか?」

だとすると子育てを教える上では「お母さんの愚痴」こそ良いコンテンツであるはずです。それに対して「年配の人」が「昔ならこうだった」と厳しく言えば批判が集まりますよ。「(助ける)教える気が無いならあっちいってよ」です。もしそうなのだとしたら「昔もそうだった」と言い方を変えるだけで違うはずです。

「せっかく聞きたい話が出て来たのに。なんで年寄りは説教
 始めて台無しにするかね?」

となっているような気がします。

「大人たちは腐っています。政治家は腐っています。金持ち
 は腐っています。心から信用できません」

「そんな君も腐っているだろ?」

「それは認めます。僕らに共通しているのは何ですか?」

「成長したいという意欲が消えた所だね。作業になってる」

と思えます。

「では批判する側が間違っているっていうの?」

「単に指摘してしまう自分を当たり前としないことだよ。
 ここで言い方を変えたら相手の『成長したい』という意欲
 を刺激できるかもしれないだろ。そういう風に自分も成長
 できたらいいなって考えてみたら? って所だけだよ」

「どうして僕がそこまでしないと行けないの? 僕は単に自
 分が感じたことを他の人も思わないのかと疑問に思っただ
 けなんだよ。・・・あれ? やっぱ成長したいとか思って
 はないねえ。でもさ。それってチョー面倒じゃない?」

「面倒だねえ。だけど自分の面倒臭さが理由だってわかった
 ら腹も立たないだろ」

「まじかあ」

という分けで至る所に「成長したいという意欲が消えた」現象が多々あります。それはそれで仕方ないですよ。しかし「どうもそれが原因らしい」と頭の片隅にあると「感情を制御しやすく」なりますし「絶望的な状況」に対して「答えも見えやすい」と思います。

「今一度成長したいって思えるのには何が必要なんだろ?」

私はこの点に関しては漫画家やドラマ作家に期待しています。彼らほど努力を惜しまない人達は居ないからです。

以上、ご参考になれば。
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