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宇宙論者の マーティン・リースは次のように書いています。

<一九世紀の著名な思想家たちは、宇宙に生命が満ちているにちがいないと主張した。そうでないと、こんなに広い領域は、創造主の努力を大いに無駄にしているように見えるからだと。>

昨今の研究によっても、地球の周辺数十光年の空間に生命が存在しているという、明確な兆候がまだ見付かっていません。

質問は、地球人だけが存在している、生命の見つからないこの広い空間は何を意味しているのでしょうか?(創造主や物理機構にとって)

A 回答 (14件中1~10件)

「なぜ広大な宇宙区間に地球人しかいないのでしょう」とのご質問ですが、それに関しては、素人の私の回答よりも、以下の本を読んでいただくのが良いだろうと思います。



スティーブン・ウェッブ著/松浦俊輔訳
『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由:フェルミ・パラドックス』
青土社、2004年

上記の本は増補改訂版もあります。
『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』青土社、2018年
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
さっそくご本を探します。

お礼日時:2024/08/02 10:11

お礼をいただきありがとうございます。


追加の質問をするなら、お礼に書くよりも新しく投稿する方がいいですよ。

質問者さんは、「なぜ神は地球を数十光年の空間にただ一つ置いておくのでしょうか?」とお尋ねですが、「数十光年の空間にただ一つ」というのは事実に反しています。

地球が存在している太陽系の規模は、どこを境界と定義するかによって異なりますが、仮に太陽の重力の及ぶ限界まで範囲を広げても約2光年です。

太陽系に最も近い恒星はケンタウルス座アルファ星(三重連星)で、約4.4光年しか離れていません。この星を構成する恒星の1つプロキシマ・ケンタウリを公転するプロキシマ・ケンタウリbは地球に似た環境を持つ可能性がある惑星です。

かの有名なシリウスも太陽から約8・6光年しか離れていません。

私たちの住むこの地球は、他にはない個性を持つ掛け替えのない惑星ですが、宇宙にある他の星もそれぞれが唯一無二の存在であり、地球だけを特別扱いしなければならない理由はありません。今後、天文学が発展し、惑星探査が進めば、地球に似た惑星はいくらでも見つかるでしょう。

また、地球は太陽系の中で一人ぼっちで存在しているわけではありません。
ご存知のように、母なる太陽があり、同じ惑星の兄弟として水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星がありますし、ケレスや冥王星などの「準惑星」、地球の周りを回る月や木星の周りを回るエウロパや土星の周りを回るタイタンなどの「衛星」があります。小惑星や彗星もあります。

もしあなたが、地球を生物の棲むただ一つの星であるとお考えなのであれば、「なぜ神は地球上だけに生命を誕生させたのか」と問うべきでしょう。
しかし、本当に地球だけにしか生物が存在しないのかはまだ分かりません。お隣の火星には豊富な水(常温で液体として存在する)があったことが分かっていますし、生命の痕跡が発見されるかもしれません(既に発見されていると主張する研究者もいる)。そもそも、人類が存在しているから、生物が存在しているから特別だというのは人間中心主義、地球中心主義的な考え方であり、決して普遍的ではありません。

あなたのもう一つのご質問について、わざわざ答えるほどの価値を見出せませんが、ついでなので書いておきます。

「隣に生命(知的生命)がいると神の尊厳に傷つく、ということなのでしょうか?」とお尋ねですが、全く意味不明です。地球以外の星に生命(知的生命)がいるだけで傷ついてしまうようなケチな尊厳など、さっさと捨ててしまえばいいと思いますし、その程度の尊厳も守れないような神など、神の名に値しない、ただの偶像に過ぎないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
今の観測段階(将来は不明ですが)では、周囲数十光年のうち、生物(特に知的生物)の棲むのはただ地球だけである、と言っても過言でないでしょう。
質問は、なぜ広大な宇宙空間に地球人しかいないのでしょう、ということです。

お礼日時:2024/07/31 11:49

宇宙には何兆個もの星が存在しているというのに、ただそれらの星々の上に生命が存在していない(ように思われる)というだけで、創造主の努力が無駄だったように見えるなどと言うとは、19世紀の著名な思想家とやらは一体何を考えていたのでしょうか。

理解に苦しみます。

聖書は、この世にある全ての存在が神の御栄光を輝かせ、神の御名を賛美するために造られたことを教えています。

創世記1章に記された天地創造の物語は、神が太陽と月を星を造って昼と夜を治めさせたと告げています。

主なる神は信仰の父アブラハムに「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と約束なさいました。そして「アブラハムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められた」と書かれています(創世記15章)。

神が人間に数え切れないほどの恵みを与え、限りない祝福を約束しておられるというのは、今日でも真実です。それを示すのに宇宙の星は役立てられています。

女預言者デボラは、「もろもろの星は天から戦いに加わり/その軌道から、シセラと戦った」と歌っています(士師記5章)。神の民イスラエルがカナンの将軍シセラと戦って勝った際、星が味方してくれたと言うのです。無論、これは詩的な比喩表現であると見なして良いのですが、地上での戦いは天上での戦いを反映しており、自分たちの勝利は神の勝利であると彼女が信じていたことを示しています。

ヨブは彼の友人に、「神は北斗やオリオンを/すばるや、南の星座を造られた。神は計り難く大きな業を/数知れぬ不思議な業を成し遂げられる」(ヨブ記9章)と語り、神の偉大さを教えています。現代人はヨブよりも宇宙の星について遥かに詳しく知っていますが、それらを創造し、統べ治めておられる方を知りません。恐らく、19世紀の著名な思想家は、天を見上げたことがなく、聖書を開いたことも無かったのでしょう。

ダビデはこう歌います。「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」(詩編8編)。人間を御覧になっているのは宇宙にある無数の星を造られたお方だと、私たちは知らねばなりません。空を見る目が節穴なら、そこにはただ空間が広がっているに過ぎないとしか見えないでしょう。

詩編の詩人はこう歌います。「主は星に数を定め/それぞれに呼び名をお与えになる」(詩編147編)、「輝く星よ/主を賛美せよ」(詩編148編)。人間が宇宙を探求するのはそれを創造された主なる神を知るためであり、数えきれない星たちは神を賛美するために造られたのです。

預言者エレミヤはこう告げました。「主はこう言われる。太陽を置いて昼の光とし/月と星の軌道を定めて夜の光とし/海をかき立て、波を騒がせる方/その御名は万軍の主。これらの定めが/わたしの前から退くことがあろうとも、と主は言われる。イスラエルの子孫は/永遠に絶えることなく、わたしの民である」(エレミヤ書31章)。神と神の民との絆は天体の運行の法則よりもなお確かであると聖書は教えています。

今の世界がご破算になり、全ての被造物が滅び去る終末が近づくと、「太陽と月と星に徴が現れる」と主イエスは教えておられます。永遠に存在するかに思えた空の星も揺り動かされるでしょう。

このように、宇宙の星にはそれぞれに存在する意味があり、価値があります。何兆という途方もない数の星たちを散りばめるには、それなりに広い空間が必要です。人間がいないから、生物が存在しないからと言って、もしこの宇宙の広がりに何の意味も見いだせないとしたら、人間とは何と下らない生き物なのでしょうか!?

人類はまだ宇宙についてほとんど何も知りません。現在、分かっているのはほんのわずかなことだけです。宇宙がどこまで広がっているのか、宇宙全体でどのくらいの数の星があるのかも分かりません。ただ想像してあれこれと計算してみるだけです。地球人以外に人間はいないとか、地球以外の星に生命は存在しないとかいうのは暫定的な知識に過ぎません。それが真実である可能性も十分にありますが、思い上がってはなりません。ただ神のみが全てを御存知だからです。
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この回答へのお礼

なぜ、神は、地球を数十光年の空間の中にただ一つ置いておくのでしょうか?
隣に生命(知的生命)がいると神の尊厳に傷つく、ということなのでしょうか?

お礼日時:2024/07/30 11:18

№10です。

お礼をありがとうございます。

>膨大な空間に生命がいまのところ見つからない(今後見つかるかもしれませんが)のはなぜか

現代の科学では、見つける方法がないからです。現代科学でやれることは、生物がいる可能性、せいぜい確率の高さ程度ぐらいのことしかできません。

原始的な生命体なら、数十光年の近場の系外惑星にも存在する可能性は十分にありますが、今の科学力では、生命の存在の証拠を得る手段がありません。
隣りの惑星、火星すら、探査機が集めた泥を、打ち上げが予定されているサンプル回収ロケットが、地球に持ち帰るまでは分からないのです。
数十光年先の系外惑星の生物の存在なんて分かるはずがないのです。

文明を持った生命体なら、向こうから電波を発信してきて、宇宙語でハローと言ってくるかもしれませんが、いまのところありません。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
いまのところ<向こうから電波を発信してきて、宇宙語でハロー>が聞こえないですよね。
なぜ、地球のまわりは空虚なのでしょうか?

お礼日時:2024/07/30 11:14

数十光年の距離でも、今の科学では到達することは不可能であり、画像情報すら得ることが難しい距離です。


8光年先にある、地球から見て最も明るい恒星であるシリウスでも、ハッブル宇宙望遠鏡では白い点にしか見えません。
生命が存在する可能性がある系外惑星も沢山発見されていますが、それらは直接観察されたわけではありません。
恒星の明るさの変異から存在が分かっただけです。
しかしながら、数十光年という距離は、宇宙の大きさからすれば、すぐそこの近所です。地球上の家に例えるなら、家から数歩でた玄関先までの距離と地球の裏側の南米大陸までの距離を比べるようなものです。
人間が将来的に観測可能な距離は138億光年先までですが、実際の宇宙はそれ以上の大きさがあると推測されています。
だから、地球のごく周辺の系外惑星で生命の存在が確認されていないからと言って、宇宙に地球人だけが存在していることにはなりません。
せめて隣りの家の玄関までは行く必要があります。
宇宙の規模に比べて、人間があまりに小さすぎるだけに過ぎません。
宇宙には無数の生命体、無数の文明を持つ生命体がいるが、人間がいる地球からは、それらのひとつは遠く離れて過ぎていると考えるのが物理的には自然です。人間はまだそれらを発見できていないだけで、そのことに宗教的あるいは哲学的な意味はありません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<数十光年という距離は、宇宙の大きさからすれば、すぐそこの近所です。>であろうとも、
地球からすれは遠距離。そこまでの膨大な空間に生命がいまのところ見つからない(今後見つかるかもしれませんが)のはなぜか、という問いです。

お礼日時:2024/07/29 15:42

#3です。

お礼を見ました。
生命が誕生するためにはこれくらい広大な空間と膨大な時間が必要、生命が誕生するにあたり地球がたまたま one of them なだけです。
そこで地球だというのにも理由をつけようというのはさすがに無理があるでしょう。

質問者さまはコンビニで同じ賞味期限の同じ銘柄の複数のプリンの中から一つ選ぶとして、そこにまで意味があると思いますか?
意味がある人って自分が特別だと思っている人が多いように思えますが、地球にまで意味を求めるのはさすがにこじ付けでしょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<さすがにこじ付け>は否定できませんが
人間原理の助けを借りています(悪用としても)

お礼日時:2024/07/26 17:47

人は地球型の生命体しか生命体と捉えることができないから広大な宇宙空間に地球型生命体しか存在していないように感じるのです


エネルギーはあらゆる状態を取りうることはエネルギーはそれを実現しようとしてエネルギーが宇宙という状態をとり数多の物質取ったのですがそれでとれる状態に限界があることからその限界を超えるために生命体という状態を取りその中で知的生命体という状態を取ったのです。その一つが地球人。とはいえそれではとれる状態に限界があることから無限に地球型生命体以外の生命体という状態をとっているのです。
無限に存在している生命体が互いに争っては無限のタイプのですが生命体が減ることからそれを避けるためにエネルギーは互いに捉えられうような状態をとっているのです
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<人は地球型の生命体しか生命体と捉えることができない>ですね。
地球型の生物ばかりでなく、宇宙には地球人が認識できない生物が存在している、という可能性がありますね。楽しみでもあり怖くもありますね。

お礼日時:2024/07/23 18:09

人間原理(強い人間原理)



「知的生命体が存在し得ないような宇宙は観測され得ない。よって、宇宙は知的生命体が存在するような構造をしていなければならない」 

宇宙が宇宙自身の存在を証明するためには宇宙自身を観測する存在が必要であること上記の強い人間原理が提唱されました
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
いずれ<人間原理>が繰り出されるとは思ていましたが、この人間原理によっても、私にはこの質問は解決されませんが。

お礼日時:2024/07/23 11:58

何の意味もありません


意味などない
創造主なんてヘソ茶レベルですね
論外です

回答は
地球人だけが存在しているとの主張は荒唐無稽も甚だしい
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この回答へのお礼

ノーコメメント

お礼日時:2024/07/23 11:54

まだ地球人の科学技術が未熟な状態だから。


創造主はこの大きな余白も人類の努力で績められると考えている。

我々には努力すれば「数千光年を数分で移動する手段を見つけ実現する」と
考えられます。

私にはそれはほんの千年もかからず実現すると思う。
人類の歴史にしては、宇宙歴の38億年?はとても短く、進歩の可能性が有る。

その時には、隣接する大銀河間を頻繁に移動し異文化との交流も始まるかと。

質問者さまのもう少し辛抱強く地球人の科学技術の進歩を見守ってはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
いずれこの広大な空間も生命で充満する、のですね。

お礼日時:2024/07/23 11:54

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