一回も披露したことのない豆知識

大河にちなんで昔から疑問に思ってましたが有耶無耶にしてきた事お聞きします
なぜこの時代に2人の女性作家がいきなり出現(フューチャー?)したのでしょうか?
源氏物語も枕草子も中身を全く理解していませんが、そんなに優れた物語なのでしょうか?
何か政治的な意図があって女性作家が生まれたのか?
同時期に2人が出てくるのはただの偶然だったのか?
その辺お聞かせください

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A 回答 (9件)

平安以前には日本には漢字しかなかったから。


ひらがなの出現は平安初期であり、それを用いた文章を文学に昇華するのにそのくらいの時間が必要だったから。

ローマ人のラテン語からギリシャ文学に匹敵する文学が現れるまでには500年以上かかっている。

中国文化重視の日本では漢文が最も尊いとされ、公文書はすべて漢文、私文にしても和歌よりは漢詩の方が上位とされた。
なので、男子は和歌よりも漢文漢詩を詠みたがった。

ちなみに、公文書がカナ漢字交じりに改められたのは明治維新以後である。
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そもそも何で漢字なんかがって話をすると、たぶん仏教(仏典)のためなんです。

これが漢字で書かれているから、がんばって漢字を読めるようにしようっていうわけです。
でも小学生時代を思い出してもらえば分かりやすいと思いますが、漢字を覚えるというのはなかなかに大変です。そしてそれだけ頑張っても、読めるものといえば仏典だけという悲惨な状況ですw
なので竹取物語やら伊勢物語みたいに、身近に居る人物をモデルにして物語でも書こうって機運があったのだと思います。
源氏物語なのてのも、今でいう同人誌みたいなものですからね。
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古代文明国は、その多くが男尊女卑思想を産み出し、女性の社会進出を認めずにまともな社会教育も受けさせず、出産育児に専念すべき存在としました。



しかし、日本では推古天皇以来、女性を天皇にするなど、女性の社会進出を当然のように認めてきた国でした。
如何に女性を重視していたかは、古事記の最後が推古天皇であり、日本書紀の最後が持統天皇であるという事実にも示されています。

また、万葉集には貴族の女性は多数残されているほか、一般女性と思われる歌も収録されており、性差別は勿論、身分差別も他の文明国よりも格段に低かったと思われます。

以上のように、女性は、歌も含めた文学の世界に恐ろしく古い時代から男性と同じように馴染んでいたわけです。

そういう中から、この当時に数多くの女性が、多数の歌を残し、日記を残した女性も多かったわけです。
そういう中で、紫式部は大河恋愛小説というジャンルの大作を書き上げ、清少納言はエッセイというジャンルで大きな光芒を放った。あの時代では世界的に観ても女性に限らず、あのようなジャンルであのようなレベルの高い文学作品を残した人物は他に居ないでしょう。

それも日本が文明化しながらも、教育レベルにおいては、ほとんど女性を差別してこなかったからでしょう。
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>なぜこの時代に2人の女性作家がいきなり出現(フューチャー?)したのでしょうか?



「いきなり」ではありません。単に《現代まで残っている作品がこれしかない》ということです。
 この二人が生きた時代、またその前後にはたくさんの女流作家がいました。

>源氏物語も枕草子も中身を全く理解していませんが、そんなに優れた物語なのでしょうか?

「優れた」という言葉の定義にもよりますが、少なくとも「この話を読みたい」という人たちが途切れなかったことが、現代まで伝えられた大きな理由です。

少なくとも江戸時代までこのようなものはすべて写本で、ものすごく労力がかかるので相当なニーズが無ければ何度も書き写されてこなかったわけです。

これが最初のご質問の「なぜこの時代にいきなり二人出現したか?」の答えでもあって、当時はたくさん女流作家がいたはずなのに、写本として生き残れたのはごく少数です(この2つのほかに更級日記など残っているものがあります)

>何か政治的な意図があって女性作家が生まれたのか?
政治的な意図は全く無いでしょう。単に世界に比べて「日本の女性の地位が非常に高く、教育も行き渡り教養があった」ということです。

>同時期に2人が出てくるのはただの偶然だったのか?

この二人はライバルだったようで「同じ時期に競え和えるだけの才能をもった二人の人間」が生まれたことが最大の偶然でしょう。
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>2人の女性作家がいきなり出現したのでしょうか?


ローマは、一日してならずと言います、下地が有りました、小野小町や
蜻蛉日記の著者などが既に活躍してました、男尊女卑で無いので、
奈良時代から女性が日本では活躍してました。

>同時期に2人が出てくるのはただの偶然だったのか?
イタリアのルネサンス時代では、複数の歴史に残る画家が輩出しました、
文明・文化の爆発は、同時多発で興る物なのです。
明治には樋口一葉、与謝野晶子などの女流作家が出ました。

枕草子は物語りでは無く、エッセイ集なので、読み易いですよ、
今なら、ネットで簡単に閲覧出来ますので、リズムに溢れる美しい
文章表現を是非、味わってください。

源氏物語は読破しようとすると大長編なので相当な覚悟が必要ですね。
源氏物語は光源氏と言うプレーボーイの物語と思っている人が数多
いますが、紫式部が考え得る様々なタイプの女性を描いた物語です。
だから宮廷の女房達が夢中になって読んだのです。
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今で言う「ワンピース」と「コナン」みたいな話です。



あれらより凄いと思われる作者はそれぞれの読者の胸にいますが、ヒットして残り続けたと言うのが色々とあって紫式部と清少納言なのです。

やはり紫式部のようなありえないとんでも話を長期間にわたって描き続けたと言うのはインパクトが強く、そこに反対のリアリティ短編作品を求める声が出てきてドカンと火がつくと言うのは昔からあったのでしょう。
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それ以前にもそれ以降にも彼女たちと並ぶような女性文学者はいましたが、ほとんどが歴史の波に埋もれてしまいました。


彼女らの功績が残ったのは、公家政治の全盛期で後世から公家政治の理想の時代と考えられた藤原道長の時代の宮中に関する著作であるということが関連しています。そのため、他の女流作家の作品より重んじられたのです。
特に道長の子孫でもある藤原定家が、源氏物語と枕草子の写本を作ったことから、後世の文学者からも良き手本とみなされるようになったのです。
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ただの偶然


今世に書物が残っているというだけの事
かな文字が考案され(お経の文字を読むためのふりがな)を
女性がまなんで 宮中の事務員として働いた
賢い人は天皇の后の教育係としてそばに置かれただけ
公家の教養として和歌が書かれて 取り交わされたというだけの事
同時期にいろいろな女性が出ていますが
今で言う ワンピースのような 現実に似たような地名や人を想像できる架空の物語を書いたのは紫式部
ほとんどの人は日記を書いた
当時のゴシップ記事のような物語 続き物が面白くてみんなが書き写して
ベストセラーになったのが源氏物語というだけ
実際は 納言というくらいについている静さんと 式部のないしという職に就いている紫さんとは会うことがないけれどうわさには聞いていて
生意気そう 偉そうと言っていただけ
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太宰治、中原中也、等と同じです。


単なる偶然です。
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