「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

最近考えてる事なんですが
映画の良し悪しって「感動の強さ」によって大体決まると思っているのですが、それだと何か自分の中で矛盾します。僕は感動とは「自分じゃできないという後ろめたさから生まれるもの」だと思ってます。できて当たり前だと思えるものに感動しませんよね?
ここからなんですが、もし「感動の強さ」要は心がいかに強く動くかによって映画の良し悪しが決まるとしたら、それは感動依存症であって、映画や創作の本質とはズレているのでは無いでしょうか?
ただ感動したいがために人は映画を見るのでしょうか?もしそうだとしたら凄く馬鹿馬鹿しいと思いました。ですがおそらく僕の説は間違っています。
なので訂正して下さい。お願いします

A 回答 (12件中11~12件)

そうです。



感動など、庭に出て蟻を眺めてください

一生懸命に生きてますよ。生のある限りね

皆それぞれが何かに悩んだり制限のある中精一杯生きているのです

映画は人を鈍感にします

感動はそこらじゅうに溢れています。

全て有り難い事なのです
    • good
    • 1
この回答へのお礼

では映画の本質とはなんなんですか?
あなたの意見だとまるで映画を年中見てる人は馬鹿だと言ってるように聞こえます

お礼日時:2024/08/23 00:23

映画は感動ポルノです。



短時間で満足感を得るためにほぼ入れる要素ではありますね

映画は連続アニメなどとは違います

クレヨンしんちゃんやドラえもんは必ず壮大な話になりますね

なので大筋では間違っていないと思います

感動は大切だと思いますが、僕は人が感動すべきな点は映画とは少し違うと感じています。

何気ない、そのあたりにいる人の地味な小さな一歩、とても大切だと思いますので。

感動ポルノのはそういうものから遠ざかってしまうと思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

つまり感動ポルノとは、強い感動を追い求めた結果。と言う事ですよね?感動とは作り出すものでは無いと言う事ですか?

お礼日時:2024/08/22 23:48

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A