この人頭いいなと思ったエピソード

いじめの定義について、皆さんの考えを聞かせてください。
いじめってすごく曖昧で定義づけが難しいモノだと思うのです。よく、「相手が嫌だと思ったらいじめ」といいます。
私の実体験で言うと、私は小学校と中学校の時、上記の定義からみると、いじめと捉えられるようなものを受けたことがあります。小学校の時は加害者(?)はとても仲の良い友達でした。普段の生活では楽しく喋ったり、共に行動したりしていました。しかし、ある時を境に下校時に私のランドセルの持ち手を掴んでくるようになったのです。私はそれがなんだかペット扱いというか逃げられないように縛られている感じがしてとても嫌でした。「やめて」と何度言ってもやめず、長らくその行為が続いたため、下校時は憂鬱な気分になりました。また、一度だけ友達と別れた後に嫌すぎて泣き出したこともあります。その後、学校でいじめのアンケートがあったため、勇気を出してそのことを書きました。その後、友達と私と先生で話し合いをし、友達は事の重大さに気付いたのか、その後いじめ(?)行為はなくなりました。それからも友達とは仲良く、卒業まで仲良しでいました。
さて、この出来事についてですが、私は友達からの行動によって傷つき嫌な気持ちになっているため、上記のいじめの定義からすれば、いじめなのかもしれません。実際に私はいじめのアンケートに友達のことを書いていますし。しかし、私はこの出来事を思い返してみて、いじめだったとは思いません。私はただ友達にランドセルの持ち手を掴むという行動をやめて欲しかっただけであり、下校時以外ではとても仲が良くこれからも仲良しでいたかった。しかし、何度言ってもやめなかったため仕方なくアンケートに書いて、先生の力を借りた。
こういったケースは、はたしていじめになるんでしょうか。周りから見たらいじめだと思うし、私は嫌な気持ちになっているため上記の定義によれば、立派ないじめだと言えます。しかし、私、いじめだとは思っていません。友達も私を傷つけようという意図はなく、仲がいい者同士のじゃれあい?、面白半分でやっていたのだと思うので、いじめかと言われると私的にはうーん?となってしまいます。
中学の時も相手は友達ではないですが、似たようなこと(からかい行為)があり、その時も私は嫌な気持ちになり、先生に相談しました。その後相手と私と先生で話し合い、からかい行為はなくなりました。このケースも私は嫌な気持ちになっているので、いじめと言えますし、周りから見たらいじめに見えるのではないかと思います。しかし、私はこのケースもいじめかと言われると私的にはうーん?となるのです。相手も私が反応するのが面白くてやっていて、傷つけようとする意図はなかったように思われるからです。
この出来事を聞いて、みなさんはいじめの定義についてどう考えていますか。最近いじめについて考えていて、すごく難しい問題だよなとつくづく思います。

A 回答 (7件)

色々なことに通じる、すごく大事な問題設定だと思います。



ちょっと遠回りのようですが、そもそも「定義」ってどうして必要なのかというと、「そう決めると問題を処理したり、物事を論じたりするのに便利だから」です。例えば生物学の「生物」はバクテリアを含みます。でも、「生き物を大切に」という標語の「生き物」はバクテリアを含みません(殺菌を戒める意図はないですよね)。

「言いたいこと・やりたいことは何なのか」によって、同じ言葉でも定義は変わります。


「いじめ」という言葉を定義する理由は、多くの場合「それを解決したいから」です。ある嫌な行動を「いじめ」の定義に含めると、「いじめの解決ルート」に則ってそれを処理・解決できるわけですね。例えばアンケートを取ったり、当事者を呼び出して話し合いをさせたり、親を呼んで注意をしたり。

同様に、例えばクラスメイトの間で起こる「殴る・蹴る」を、「傷害罪」と定義することもできます。そう定義する理由は、刑法に則ってそれを処理したいから、ですね。


さて、ソウダさんのお友達のやることがどうして「いじめ」なのかというと、話はすごく簡単で、ソウダさんがその問題を「いじめの解決ルート」に乗せて解決したからです。

つまり、それを一旦「いじめ」と【解釈する】ことで解決したわけですね。だから、それが「いじめ」として扱われるのは当然なんです。


でも、それは別にソウダさんが間違っているわけではありません。実際それでうまく解決ができて、今の関係は悪くないわけですから。お友達のやる「嫌なこと」を、ソウダさんは「いじめ」として処理し、うまく解決した。結果的に、それはなくなった。

今となっては別にそれを「いじめ」として根に持つ必要はなくなっている。それで良いと思います。


また同じことが起こったとき、「これはいじめではないのではないか」と考える必要は特にないと思いますよ。同じように処理すれば良いし、その結果良好な関係を築けるなら、それで成功と考えていいと思います。


因みに、

>最近いじめについて考えていて、すごく難しい問題だよなとつくづく思います。

これ、難しくないんですよ。各論で考えないといけないものを、総論にしようとするから難問になるんです。

かつて、辛かったときそれは「いじめ」だった。でももう辛くないし、友達とも理解し合えたから今更それを「いじめ」と呼ぶ必要はない。

という単純なお話だと考えればさほど理解に苦しむことはないと思います。
他の人たちの間で起こっている「いじめ」も、同じようにあるとき成立して、あるときは成立しなかったり、後から解釈を変える余地があったりするんです。

大事なのは「いじめ」を定義することではなくて、「その辛い状況を理解したり、解決したりすること」であって、「いじめを定義する」というのはそのためのツールの一つに過ぎないので、あまりこだわらなくていいと思いますよ。
    • good
    • 0

結局人間なんてのは優越感を求める衝動に囚われる可能性を誰もが


持っていて、被害者にも加害者にもなりうると思うべき。
様々な苦しみや対立はどこにでも存在して、
「事件化してない」「警察が介入するほどの事象ではない」と
判断されてる段階のものが「イジメ」と定義・認識されてるだけ
なのかも。誰かが「度を越えてる」て認識して警察沙汰にすれば
その時点で「事件」になる。
    • good
    • 0

文科省の定義はこうです。


「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」

この定義は繰り返し改訂されています。
昔は「弱いものが」「一方的に」などの文言がありましたが、削除されました。あなたの意見に近いですね。
被害者が受けた攻撃に苦痛を感じたらいじめ、ということです。
いじめは解決が個別の事案に求められるので、「個人的な定義」「私はこう思う」に基づいた話は意味をなしません。
文科省の定義か、刑法に基づいて解決を図るのが妥当と思います。
    • good
    • 0

いじめの定義は、


たかり
恐喝
脅迫
強要
悪口を人に言う
事実とは異なる事を言いふらす
無視をする
損害、危害をあたえる
暴力をふるう
インラーネットを悪用したり、中傷非難する内容を書き込んだりする、などでしょうか。

質問者様が受けられた事は、グレーゾーンかと思います。なぜなら、注意されたあと、友達の行為はおさまったという事は、いじめる意識がなかったのだと思います。相手の気持ちやペースがわからなかったのだと思います。例えて良く言えば、友達が活発過ぎて、マイペースのスローペースな子に対しての違いの考えや、配慮が足らなかったのでしょう。
違うかもしれませんが、もしかしたら、質問者様に危険が及ぶと思って、ランドセルの持つ所を引っ張って、危険回避されたのかもしれません。
持たれた本人にしたら、乱暴におもいますし、
すぐに、そういう行為はやめてほしいと思うのは
当然だと思います。
ただ、もし、いじめる意識だったら、
先生から注意されたあとも、乱暴な行為はおさまらなかったと思います。
質問者さまが、勇気を出して、とられた行動は
結果として本当によかったと思います。

いじめは犯罪です。
    • good
    • 0

あくまで私が思うには、です。


一対複数で被害者が孤立しているのがイジメ。
一対一はただのケンカ。
まあ一対一でも圧倒的に強いジャイアンみたいなのが暴力を振るうとしたらイジメかも。
    • good
    • 0

>嫌な気持ちになっているので、いじめと言えま


言えません。

>「相手が嫌だと思ったらいじめ」
これは嫌がらせ。
いじめではなく嫌がらせの範疇ですね
    • good
    • 0

個人的に【定義】というテーマでのご質問となると


その回答は当然ピンキリというか千差万別になります
余計あなたとの認識の差で
収拾がつかなくなる可能性は否めません

ですのでまずは文科省の定義をご精読してはどうでしょう
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou …
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A