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我々日本人含め西側諸国の人たちは、自由、民主主義、資本主義みたいな価値観を正しい、当たり前の前提として捉えてることが一般的かと思いますが、

スピリチュアルな価値観に照らし合わせると、そういう西側的な価値観もアチコチ間違ってる可能性がありますよね?

神の恵みに感謝して、地球の自然を慈しみながら、互いに愛し合って暮らすべきだ…みたいな考え方からすると、西側の価値観も所々怪しいはずですよね?

だとすると、西側の価値観とスピリチュアルな価値観は、なんでズレているんでしょうか?いつ、どこでどう、ズレてしまったんでしょう?

質問者からの補足コメント

  • 資本主義を野放しにしてると環境破壊が進む一方だから、最近国連を中心にSDGsが必死に叫ばれたり、CO2削減が国際的に当然の課題と見なされてるわけじゃないですか?どこかが間違ってたのは、もう深く考えるまでもないことでしょう?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/01/01 12:44
  • それを言うなら日本人も、アメリカやイギリス、フランス等の価値観とズレてる所は多々ありますよね?

    しかし、自由、民主主義、資本主義等の価値観を信奉することに置いて、ズレは無いんじゃないですか?日本のトップ政治家が、「我々は自由・民主主義を信じるかもしれないし、信じないかもしれない」なんて言うことは無いでしょう?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/01/01 13:05
  • 中国は環境保護をしてないから、北京の空が青くないんだと思いますが?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/01/01 13:31
  • 別のところでも同じ話をしたら、自由・民主主義・資本主義と、スピリチュアルな価値観(宗教的な価値観)は関係ないでしょ、というツッコミをいただきました。

    そこでさらに考えたんですが…

    私は常々、「宗教」という場合、今有名な世界宗教等を考えるよりも(理屈っぽく考える対象としては)ゾロアスター教の方が分かりやすいんじゃないか?と思っています。つまりこの世の背後の霊的世界には善玉エネルギー(アフラマズダ)と悪玉エネルギー(アーリマン)があり、それが渾然一体としたまま顕在化しているのが、人間の認識する現実の世の中なんじゃないかと。

    私が質問で書いているスピリチュアルな価値観は、純粋な善玉エネルギーのことを取り上げているつもりです。キリストやブッダが体現しているものも、善玉エネルギーでしょう。

    しかし現実の現代社会はまだまだ、上に書いたように、善と悪が渾然一体としている。

      補足日時:2025/01/01 17:33
  • (前補足から続く)一般大衆の中には普通に「いい人」もたくさんいるんだけど、権力闘争に強くて実際に権力を握ってしまう人は、悪玉エネルギーの力を借りていることが多い。悪玉エネルギーを使わないと政敵を殺せないから。

    しかし権力の暴走を野放しにしていると、普通の人はいつまで経っても安心して暮らせないから、権力をセーブする仕組み、悪玉エネルギーを沸点以下に留めて世の中をバランシングする仕組みを人類はいくつも考案してきた。

    それが今で言う自由や民主主義や資本主義であり、これらはあくまでもバランシングの「仕組み」なので、スピリチュアルな価値観(善玉エネルギー)とは直交する概念ではない。

    そんな風に考えればいいでしょうか?どうでしょう?

      補足日時:2025/01/01 17:34
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A 回答 (8件)

我々日本人含め西側諸国の人たちは、自由、民主主義、


資本主義みたいな価値観を正しい、
当たり前の前提として捉えてることが一般的かと思いますが、
 ↑
そうですね。
無条件に良いものだ、と信じられています。
民主制なんてのは、数百年前は悪の代名詞
だったのですが。



スピリチュアルな価値観に照らし合わせると、
そういう西側的な価値観もアチコチ間違ってる
可能性がありますよね?

ありますね。



神の恵みに感謝して、地球の自然を慈しみながら、
互いに愛し合って暮らすべきだ…みたいな考え方からすると、
西側の価値観も所々怪しいはずですよね?
 ↑
そりゃそうです。
西側価値観など血の海から産まれた
価値観なのですから。



だとすると、西側の価値観とスピリチュアルな価値観は、
なんでズレているんでしょうか?
いつ、どこでどう、ズレてしまったんでしょう?
 ↑
西側の価値観が広まったのは
西側が、腕力で世界を席巻したからです。

自由、民主、資本主義だと国家が強力に
なり、アジア、アフリカなどを支配出来た
からです。

だから、世界もそれに追随するように
なっただけ。

だから、理想たるスピリチュアルと
乖離するのは当然でしょう。
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少し宗教的な話になるかも知れませんが、人間は二つの世界を生きていると云ったものが在ります、一つは真実の世界ですが、もう一つは偽物の世界或いは虚の世界と云った二つの世界です。



処がこの二つの世界は交差していながら境目が無いとなっている様です。

此処からは人間の脳の機能の話になります。人間の脳内には二つの意識が存在していると云った科学的な説明です、ウイキぺデアからです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

今の脳の機能と関係した話が、二つの交差している世界という意味ですが、左脳は自意識と云った心が感じたり作り出している世界観です。云い方によっては妄想に拠って作り替えられている世界観と言ったら良いのかも知れません。

右脳に拠って作り出された世界観はと云うと、真実の世界観ですが、感覚的に入ってくる世界を反映している世界観です。

人間の脳は二つの脳の機能に拠って作られていますが、二つの脳の切り替わりによって成立していますが、この切り替わり方が余りにも順調に行っている場合を健常者と云っています。

右脳の意識は無意識界に存在している意識ですが、釈迦が仏性と云っていたものです、『命を働かせている方の意識です。』或は言い方をオーバーにするなら『生命発生装置兼生命維持機能(装置)』と云っても良いにかも知れません。

自意識は自分が生きていると思っていますが、そう云った生命維持機能は持っていません。心臓でも呼吸でもホルモンの調整でも全てが右脳の機能に拠っている様です。

自我意識(左脳)が何でも出来ると錯覚をする場合を『神経症』と云っています。一つ例を挙げるなら眠る場合です。

眠りに入るという意味は、自意識が無くなっている事を意味します、言い方を替えるなら無意識の自分が交替をして体と心の支配権を握っているという意味です。

この場合に『自意識がしっかりと眠ろうとしていて、意識を凝らして交替を拒んでいる状態が不眠症』の状態です。

書痙も吃音も同じです。

二つの意識は、絶えず二つの意識として見たり聞いたり感じたりしながら同時に同じ情報に接しています。

処が緊急性がある場合とか生命に関して危急存亡の時などには右脳が単独で動く判断をする場合があります。目に物が入ろうとした場合とか、火事場のバカ力が必要の時などです。

意識と無意識は絶えず交替をしながら毎日の生活が成り立っています、つまり無意識の自分が仏性と云ったものですが、余りにも早過ぎて気が付く場合は殆ど無いようです。

この分かり難さに疑問を抱いた人に道元が居ました、『一切衆生悉有仏性』誰でもが持っていると云うのに何故修行しないと分からないのか?が仏門に入った原因のようです。

二つの世界の一つを妄想(偽とか虚)の世界と書きましたが思い込みに拠って描いた世界観の事です。自我意識によって作り出された世界観という意味です。

右脳の無意識の自分が感じて、自意識に教えて呉れる情報には様々なものが在ります、高いとか狭いとか、鋭い刃物だとか、対人の相手が正直な人だとか、男か女か或いは年齢は幾つかとか、まだまだ沢山在ります。

右脳の自分と左脳の自分の現れ方が脳卒中になったために顕著に表れた脳科学者が居ますので、その動画を載せたいと思います。



宗教は世界中で沢山ありますが、日本には『禅』と云ったものが在ります、元々はインドで生まれたもので、中国で発達して日本に伝わったものですが、今では日本でしか残っていない様です。

同じ仏教の一派なのですが、経典や教えに拠らないで、直接釈迦の悟りを教える宗派のようです。

神経症やノイローゼなどに於いては完治が望める様です。その理由は自我意識と無意識の自分が相争っている事が原因で神経症などが発症しているからです。

つまり心の矛盾として症状が発症しているからです。悟りを開くという意味は、自分の心同士に争いにピリオドを打つ事を意味するからです。

脳科学的な書き方をするなら、脳梁の中で二つの意識が出会う事によってホットラインが二つの意識の間に構築されるからです。

この事によって『心の中が静まり返る事を意味します』=『涅槃寂静』

禅では生死の問題が解決した、と表現しています。
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社会的な思想は、社会の変化に思想を合わせる形で整合性を保とうとします。

ゆえに、社会的な思想も次々と変化したり、新説が登場したりします。

スピリチュアルな価値観は、社会をスピリチュアルに合わせようとします。というか、スピリチュアルな価値観そのものが、変化し続ける社会的思想に耐えられなくなった人間が、古典的な宗教に回帰しようとするかのように、絶対的な価値基準を求めたところから、スピリチュアルな価値観が登場したと解釈すべきかと思います。

私は、以上のように、現実社会の動きに対し、宗教ではなく、絶えず変化し続ける社会科学的な思想に対する、旧宗教界の反撃がスピリチュアルな価値観ではないかと思っています。
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資本主義と言っても、企業は自由競争をしても、国の環境規制や国際機関からの監視がありますから、徐々にやっていくという事でしょう。



逆に民主主義でない北朝鮮あたりは単に発展が遅れているだけで、環境問題なんかに取り組み余裕すらないのが現状です。こんな状態を目指すような政党があれば、それは一度も与党になった事がない政党のようなものでしょう。
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>資本主義を野放しにしてると環境破壊が進む一方


全然違うよ。
じゃあ、中国は環境保護をしてるの?
北京の空が青くないのは何で?何でPM2.5がやってくるの?
あのさぁ、資本主義云々じゃないでしょ?
どこの主義であれ、国の取り組み方なんだよ・・・
この回答への補足あり
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その地にはずっと昔から引き継がれてきた宗教があり、これがそこの文化にも慣習にも価値観にも生活様式にも、そして言語にも深く根差しています。



> いつ、どこでどう、ズレてしまったんでしょう?
はるか昔から、その地ごとに違っていたわけ。ズレたわけではありません。
この回答への補足あり
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というよりは、いろんな思想があるなかで、資本主義や民主主義が生き残ったという感じです。



スピリチュアルについては、宗教的な観念が強いかと。
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価値観に、西も東もないよね?


日本人は日本人なりの価値観があるし、インド人はインド人なりの価値観がある、ロシア人はロシア人なりの価値観がある・・・
>西側的な価値観もアチコチ間違ってる可能性がありますよね?
じゃあ、間違っている価値観って何?
神の恵みに感謝してないってこと?
愛し合って暮らしてないってこと?
地球の自然の慈しんでいないってこと?
日本人ってそうなってる?
この回答への補足あり
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