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大学生の女です。恥ずかしい話ですが長年の間、身体症状症に悩んでいます。きっかけは7年前、中学に上がる前の春休みに謎の動悸に襲われたことです。その時私は心臓が止まって死ぬのだと思いました。それから目の違和感、動悸、目眩、頭痛に苦しめられてきました。中学生になり、精神科の先生に診てもらったところ身体症状症と診断されました。少し身体に不調があれば重い病気だと思いノイローゼになり、死んでしまうんじゃないかと思います。精神科の通院はやめてしまったのですが、当時エビリファイ?という薬を飲んでいました。
社会人になる前に何とかこの身体症状症や病気不安を治したいのですが、これは治るのでしょうか。もう病気というより気質な気がしてきました。心配症といえばそれまでだなと。でももう限界です。私はどうしたら良いのでしょうか。

A 回答 (6件)

神経症の経験者として感じたことを書かせて頂きます。



目の違和感、動悸、目眩、頭痛で精神科の先生から身体症状症と言われたとのこと、また、少し身体に不調があれば重い病気だと思いノイローゼになってしまうとのことですが、これらはいずれも神経症の場合に良くある症状だと思います。
そして、もし、あなたが心配性や完璧主義、負けず嫌いといった神経質性格の特徴を持っているのであれば森田療法の学習をしていく中で治ってくる可能性はあると思います。


以下のページも参考になると思います。
https://www.mtsinri.com/mt2-6.html
https://www.mental-health.org/morita.html
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神経症に関して今の精神医学は無力と感じています、その理由は『神経症の原因は分っていませんが早期治療で早く良くなります。

』を謳っていますが原因が分からないものにどういった対策を打つ事が出来るのか?と云った疑問が残るからです。

処が今から2,500年も前に原因を解明してその問題の根本を明らかにして更にその解消方法までも明らかにして世に知らしめた人が居た事は驚異に値すると思われます。

そうしてその治し方を、容易に実施出来るようにして実践した人が、1,919年に治療法を掲げて登場しました。その人は森田正馬博士という人です、そうしてその治療方法が森田療法というものです。

博士は自身が神経衰弱になってしまって、必要に駆られて薬を捨てて自身で治した人です。その経験を森田療法に盛り込んで実施したようです。

この人の弟子に鈴木知準先生がいます、私はこの人から入院森田療法を2カ月間受けてその五年後に完治した経験が在ります、その経験を今貴方に話したいと思って書いています。

神経症を根本から解消したい場合では、その本人が学ぶ以外方法はありません、森田療法で完治した場合ではその人は高僧と同じ悟りの境地に達すると云われています。それはとりもなおさず釈迦と同じになるという意味です。

今の貴方には想像も付かないかも知れませんが、兎に角嘘と思っても構いませんので読み進めて置いて下さい。神経症の原因は自分自身の心同士の葛藤(心の矛盾とか対立とか分裂)を症状として感じている事を意味します。とにかく生き難い想いの連続を味わう事を意味します、その理由は自身を働かせている自身の生命力の源と争っている事を意味しているからです。

人間の脳の構造を説明します、神経症になる原因は脳の構造に拠っています、それは頭の中に意識が二つあるからです、科学的な証拠です。ウイキぺデアからです。是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

つまり二つの意識の間に矛盾が生じたり対立が起きたり、分裂が起きたりする事が神経症の原因になっているからです。次に左脳の機能の説明ですが、この説明は簡単に済むと思います、何故なら説明する必要さえもな無い位だからです、この機能は自我意識と云った意識だからですが、自我意識では単独には何も出来ない意識です。人間は馬鹿ですので『自意識単独で何もかもが出来ている』と錯覚をしているからです、この馬鹿さ加減を仏教では『無明の故』と修行の大切さを強調しています。

右脳にも意識がある事を先の記事で知った事と思いますが、右脳と左脳が機能的に完成に近づく時期が思春期頃です。アダムとイヴが知恵のリンゴを食べたという意味は』脳の機能分化が完成に近づいた。』という意味です。

今までは二つの意識が一つの者として機能していましたが、この機能分化を境に右脳の意識は『無意識の意識として』自意識の前から姿を消し去ってしまって無意識の背後から指示を出したり情報を呉れるようになっています。

詰まるところ心が二つになってしまって、『見ている自分』としての自分と『見られている自分』としての二つの意識として機能するようになります。

処がこの関係性が分かり難い事から。今の精神医学でさえも精神病とか神経症とかの原因が特定出来ていないとの見解になっています。処が神経症になって苦しんだ経験が有る者は、この原因と神経症の完治した姿をはっきりと指摘出来ます。

此処から右脳の機能を書いてみたいと思います。右脳の機能は生れる前から全てを備えている者です、生命として芽(受精)が出た瞬間から全てを心得て働きだす機能が備わっています。細胞分裂の順番でさえも全て知っています。そうして生まれてからの行動も、ホルモンの分泌も心臓でも肺でも筋肉の動かし方でも全てを備えて生まれています。

又心的には未熟な自意識を支えて、行動でも、感情の湧き上がらせ方でも、考えの湧き上らせ方でも全て備えて生まれています。髪の毛の色や肌の色でも全て知り尽くして生まれています。

聖書の中では、髪の毛一本でさえも白くも黒くも(自意識には)出来ないとも云っていますが、その意味は右脳の意識がその能力を握っていると云っています。

そうして恥ずかしいと云った感情を湧き上がらせていると云ってイチジクの葉さえも用意させています。神の存在をちらつかせています。

こう云った機能は全て命あるものは備えています、この事を釈迦は『一切衆生悉有仏性』と云っていますが、命を働かせている意識(機能)という意味ですが、当然人間にも備わっています。

右脳の意識は言葉を持っていません、物事に分別を加えないという意味です。この意味は全ての事象を受容するという意味です。人間が受け取る運命に良し悪しを付けないで、受け取るという意味です。

人間の頭の中に二つの意識がある事を、脳卒中になったために、体験として語っている動画を載せてみます。



この動画が語っている内容は、自意識と右脳の意識が共に通じ合いながら、仲良く出来ていると云った内容です。

こう云った脳梁の中での出会いを『自分自身を知る』と禅とか仏教では書いています。この現象とは脳梁の中で『ホットラインが開通した事を意味します。』ニ度と仲たがいとか心同士が矛盾しなくなるという意味です。

聖書風な言い方をするなら、今までのような出番争いをする事が無くなって、神の後からついて行くと云った意味です。

嬰児と書いている仏教も同じ事を云っています。脳内での言い争いが収まって(心の矛盾が解消して)脳内が大変に静まり返った状態がキープ出来る状態になっているという意味です。詰まると事『涅槃寂静』と云った境涯の事を云っています。

脳内が幼子とか嬰児と同じになって、言い争う必要がなくなったという意味です。

神経症で生き難い想いで暮らす時には頭の中が大変に賑やかでした、この理由は自身の生命の源と云い争っていたからです。

鈴木知準診療所では作業という時間の合間に先生が用意した本を読んで下さる、講義と云う時間がありました。その時には沢山の内容に至るものを読んで下さいましたが、主な内容は『道に至る』と云った内容だったと思います。今でも覚えているものには『オイゲン・へリゲルというドイツの禅学者が、日本に禅を学びに来た時のものでした。』

ドイツ人には禅の話をしても分かり難かろうと云った配慮から、弓の師匠を紹介したようでした、そうして夜に来て下さいと云われて、9時ころ道場に行った処的場まで30メートルあるのですが、そこに1本の線香を立てて矢を二本射たと云う事です。そうしてその的の処に行った処1本目が的のど真ん中に当たっており、2本目の矢はその矢に割って入っていたと云う事でした。そこで師匠が云うには『その矢は私が射たものでは無くて、それが射たものだ』と云ったそうです。そうしてそれが禅と云うものだと云ったそうです。

少しオイゲン・へリゲルという人も紹介したいと思います、この人はキリスト教神秘主義という、エックハルトの自己からの離脱と云った概念が分かりたかったと云う理由で、日本の禅に興味を抱いていたようです。

処で鈴木知準先生は時折『悟りを開かないとノイローゼは治らない。』とか『ノイローゼになった一年は座禅を十年した事と同じ』という事を云っていました。

此処から神経症の治し方を書いてみたいと思います。是は森田療法の神髄と云ったものになります、処が実に簡単な方法です、森田療法を学ぶ事よりも簡単です。それは『症状の事を口にしない』たったこれだけです。是を『不問』と呼んでいます。この事が徹底されるだけで必ず神経症は治って行きます。

その理由は『症状は』誰でもが多かれ少なかれ感じている事柄だからです。
只湧き上った瞬間に、自意識が嫌う余り心からの追い出しを図ろうとする事によって、返って意識上に挙がって来て困ってしまう状況を作り出しているだけです。

誰でもが右脳からの情報を受けて高いとかその他諸々を感じたり考えています、処がこう云った事を『自意識が受け取った瞬間に』心から排除する習慣が意識地獄を導いているだけだからです。

例えば死に対する恐怖にした処で、問題にする場合では『タナトフォビア=死に対する恐怖症』になっていますが、恐怖すると云った事を感情にしろ、死そのものにしろ受容した瞬間には全てが消えて無くなっています。

それが釈迦の教えです。癌になって死期が迫っていた人が死を嫌っている事で恐怖症になって苦しんでいますが、死を受容した瞬間から安楽な境涯になっています。

人間の苦しみはストレスになっているものを受容するまで続くと云う事を意味しますが、受容した瞬間からストレスには成り得なくなっています。

死が恐いと感じている場合では逆な見方をするなら自身の助け舟を自分尾荒遮っている事を意味します。右脳の姿は永遠の存在です。

自分が欲しかったものを、既に持っていた事が分かる現象です
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精神科で相談するしかないです。

自分はストレスが原因で現在下肢麻痺です。現在治療中で少しずつましにはなっています。治療を続けていれば治る可能性はありますよ。
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別の精神科に通院して治療を受けてください

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なぜ精神科を止めてしまったのでしょうか。

続けることが大事です。
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病院にいって相談しましょう

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