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日本人にとっての戊辰戦争は、あまり敵味方の間の差別意識とか異端意識を生みませんでしたが、南北戦争は巨大な戦争だったために、アメリカ人にとってかなりの南部北部の差というものの意識が長く続いたのではないでしょうか?

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A 回答 (2件)

南北の対立の図式は同じですが、中味の様子、違いますね。



米国の大統領は15代まで、南部の保守層の民主党でした、
16代リンカーンで初めて北部のリベラル派の共和党が大統領に
なりました。
北部は工業化が進み労働力が不足していました、奴隷の売買は
なされなくなっていたので、移民に頼る事になりましたが、移民は
手続等が有り時間が掛かるのです、そこで目を付けたのが南部の
農園で働く黒人奴隷なのです、奴隷解放の裏事情です。
南北戦争は1861年に始まりました、南部出身の39代大統領
ジミー・カーターが誕生するのは、1977年です。
この間に、共和党は保守色になり民主党はリベラル色になり、
日本人には色の様子の解らなくなりました。
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倒幕して新政府が出来ましたが、佐渡金山も石見銀山も枯渇していて
倒幕の藩の財源だけではゼロ状態でした。
各藩に拠出を求めても、応じぜず、難癖を付けて怒らせて挙兵する様に
仕向けたが将軍が蟄居・謹慎しているので、どの藩も挙兵せず、藩取り
潰しが出来ない状態でした。(徳川慶喜は賢いのです)
そこで目を付けたのが池田屋で浪士を殺した新選組でした。
匿っている新選組隊士を差し出せと、天皇を守る為に行ったのですから
会津藩が従う訳が有りません、会津藩に「義」在りとして、東北の各藩が
同調して奥羽列藩同盟を結成して、東北地方が歴史上初めて歴史の
表舞台に立ったのです。

会津藩は降伏して開城した後の新政府が行った事は武士道に反する
理不尽な厭らしい事柄です。
下北半島の不毛の地に会津藩を移封して、その後、未開拓の蝦夷地
に移封したのです。
山口県萩市が福島県会津若松市に友好都市を結ぼうと呼びかけても
拒否され、未だに実現してません。

会津藩の藩主松平容保は天皇陛下から戴いた感謝の文を筒に居れて
首から下げて片時も離さなかったのです、容保の死後、筒の中が
天皇から文である事が解ったのです、会津藩が朝敵の汚名を着せられた
事への松平容保の抵抗の意志だったのですね。
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この回答へのお礼

なるほど!南北戦争はそれなりに十分殴り合って両者納得したが、戊辰戦争はどうも禍根を残すことになりましたね。

お礼日時:2025/03/29 16:48

アメリカ人にとっての南北戦争というのは


何だったのでしょうか?
 ↑
黒人解放なんて主張をする人もいますが
これは間違いです。
南部と北部の利害が衝突して
南部が独立しそうになったため
発生した戦争です。

当時の米国は途上国で、
工業中心の北部は貿易制限を、
農業中心だった南部は自由貿易を
主張しており、
国家分裂の可能性がありました。

それを阻止しようとしたのが
南北戦争です。

GDPが桁違いに大きい北部が圧勝
すると考えられていたのですが、
南軍には優秀な将軍が多く、苦戦。

それでリンカーンが奴隷解放宣言をし
南部の内部を揺さぶり、
ヨーロッパを味方につけ、そうやって
勝利したわけです。

(以上、NHK高校講座 世界史)





日本人にとっての戊辰戦争という感じではな
 ↑
言われて見れば、酷似していますね。



日本人にとっての戊辰戦争は、あまり敵味方の間の差別意識とか
異端意識を生みませんでしたが、
 ↑
東北人の中は、未だに薩長を憎んでいるのが
おります。



南北戦争は巨大な戦争だったために、
アメリカ人にとってかなりの南部北部の差と
いうものの意識が長く続いたのではないでしょうか?
 ↑
続いたでしょうね。
今現在も、残っているといいます。


南部の一部では「南部の誇り」として南軍の旗
(コンフェデレート・フラッグ)を掲げる文化が残っています。

これは「南部の文化を守る」という主張と、
奴隷制や人種差別を肯定する象徴」とする批判が対立しており、
特に近年のブラック・ライブズ・マター(BLM)運動などで
問題視されることが増えました。

南軍の将軍の銅像が撤去されるといった動きもあり、
歴史認識をめぐる論争が続いています。



アクセント(南部訛り)や宗教観(南部は福音派キリスト教が強い)
など、文化的な違いも根強いようです。
南部訛りは下品、という北部の人も多いと聞きます。



面白いのは政治状況の変化です。

南北戦争時代、北部は工業化が進んだ共和党支持層
であり、南部は農業経済に依存し、
民主党支持が強かったという背景があります。

現代ではこれが逆転し、
南部の多くは共和党の強固な地盤(レッド・ステート)、
北部や西海岸は民主党の支持が厚い地域(ブルー・ステート)
となっています。

この分断は必ずしも南北戦争の名残ではなく
20世紀後半の政治的変化によるもの
だそうです。
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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど!詳しくご解説ありがとうございます。大体思い出してきました。やはりリンカーンは相当な曲者ですね。「奴隷解放宣言」などという、当時の人道自由博愛(フランス革命からの流れ)というものへ絶対的肯定という似非ヒューマニズムを利用した計略でした。これは南部は恨むでしょう。
半世紀前ならともかく今もヤクザ組織などは戊辰の恨みというのをなにか勢力的な利用にしているのでしょうかね。おそらくもう世代的に感情的なわだかまりではないでしょう。アメリカもそうだと思いますが、規模が規模だけにまだ余波があるかもしれません。

お礼日時:2025/03/29 08:29

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