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藤原氏優位の摂関体制を壊したかったから、岩倉具視は政治活動を始めたんですか?

A 回答 (4件)

岩倉具視は藤原氏の堀川家から岩倉家に養子に出されている。


堀川家の祖である親具は、徳川家康のごり押しがあって堀川家を新たな公家として建てることができた。いわば徳川幕府は堀川家の大恩人。家康のごり押しが無ければ、具視は公家ではなく元公家の下々の家の生まれだったはず。
岩倉家は、下級貴族の倣いとして摂関家一条家に代々仕えていたが、具視は仁考・孝明天皇の信任が厚く朝廷内で長く権勢をふるっていた鷹司政通に接近してブレーンとなり、家格の上昇運動をはじめたのが政治活動の原点です。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/07/26 22:17

自分が成り上がりたかったから政治活動を始めたのでしょう。


摂関体制を利用して成り上がれたのなら、摂関体制を守ろうとしたでしょうけど、そうではなかったから結果的に摂関体制をぶっ壊す方向で動いたということでしょう。
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単に公家の中では飛び抜けた頭が切れて野心が大きかったのが理由だと思います。

維新のあれやこれや見ると「岩倉は公家出身だけど別格」みたいな記述に度々出くわす。
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閉職で食うや食わずの貧乏公家だった、岩倉家を再興したかった


思惑と公家に馬鹿にされ朝廷への糸口が掴めなかった薩長の
思惑が一致しただけでしょう。
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