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高校の「表現研究」という授業の中で、
「作品論」を書いてこいという課題が出されました。
10分程度の短い映画について書くものです。
量は作文用紙2枚程度とあんまり多くはないのですが、
そもそも作品論というものがどのようなものかわかりません。
先生の説明を聞いてもさっぱりなんです・・・。
作品論=作品分析
みたいなことしか教えてもらえず、
課題が進みません。
「作品論」ってどのようなものなのか、教えてください。
お願いします><

gooドクター

A 回答 (4件)

「表現研究」という授業の中で短い映画を観て、その作品について分析し、小論文を書きなさいという課題が出されたのですね。



感想文と論文の違いについてはほかの方々が詳しく説明しているので、もう理解できたと思います。
ある事物について理論的な筋道を立てて説かれた文章が論文です。
この「ある事物」というのがあなたが観た映画です。

あなたが観た映画がどんなものだったかわからないので、詳しい説明が出来ないのですが、映画を観たのではなく、本を読んだとします。
ある一冊の本について、感想文ではなく作品論を書きなさい、と言われたと考えるとわかりやすいかもしれません。

ところで、映画は映像表現とも言い換えることが出来ますね。
作者は何か表現したいものがあるから、その作品を作ったのです。
それは何か、ということが一番の論点になると思います。

映画を見たときに、あなたは何かを感じたはずです。
それはあなたが映画を見て、作者のメッセージを受け取ったからです。
あなたが感じたこと、思ったことをそのまま書いたのでは、感想文になってしまいます。
なぜそう感じたか、の根拠を客観的に筋道立てて書けばいいのです。

ただあなたが作者のメッセージを誤って捉えていたのでは、論文は間違ったものになってしまいます。
もう一度、観た映画を思い出してみましょう。
そこに流れていた映像、音楽、せりふ、ストリーなどを思い出し、作者は何を表現したかったのかよく考えてみましょう。

この「よく考える」という行為が「作品分析」ということにつながります。
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原稿用紙2枚ですから、普通の読書感想文でかまわないと思います。



「表現研究」という仰々しいテーマの授業をしなければならなくて、多分、その先生もどう指導したらいいかわからず、格好をつけただけでしょう。

もし作品論が何かを知りたければ、実物を読むのが一番です。ピンからキリまでありますが、図書館の文学評論のコーナーで江藤淳か丸谷才一の本を借りてみるといいでしょう。
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作品論、というのは、作品に対する論文です。


どういうのが論文でないかというと
・自分の考えの主張がないもの…ただの感想文
・考えの主張があっても、その根拠がないもの…ただの思いつき
・根拠を裏付ける研究がないもの…同上
・内容の要約をしただけのもの
・ほかの評論の丸写し、もしくはそれをまとめただけのもの
・引用を集めただけのもの

こういうのではないもの、しかも、定型を持ったものを論文、と呼びます。
たとえそれが500字であっても、20000字であっても、基本的には同じことです。

◆定型

1.問題提起…ここで自分が設定した問題を明らかにします。
2.仮説…まず、いったんそれに対して、自分なりの仮説を立ててみます。
3.論証…論文のメインです。自分の仮説を証明していきます。裏付けとなる資料も引用します。
4.結論…自分が立てた問題の答えを出します。
5.注・参考文献…自分の結論の正しさを保証するものです(ただし原稿用紙二枚程度のものならば必要ないでしょう)

◆手順

1.映画を観る。
漫然と見るのではなく、問題点を作るために見ます。作品を見ただけで、意見や疑問点が出てくることは、逆立ちしながら見たって、ありえません。

では、具体的にどうするのか。
作品のなかの空白を見つけるのです。
虫眼鏡片手に、犯行現場を探索するシャーロック・ホームズになった気分で、見ていってください。かならず、空白の部分を見つけることができます。

どういうのが空白か。
A.携帯の着信音が鳴ったので、太郎は手を伸ばした。
B.携帯の着信音が鳴ったが、太郎は手を伸ばそうとしなかった。

どちらが空白を持った映像であるかわかりますか?
Bですね。「着信音が鳴った」→「手を伸ばさなかった」
ここの間に、空白があります。これは、作者が仕掛けているのです。
そういう点をメモ書きしておきます。

けれども、多くの場合、作者はみずからその答えを明らかにしています。
Bのあとには、こうした説明の描写が続くことが多いのです。
「その電話が花子からのものであることは、太郎にはよくわかっていたからである」
こうして太郎がなぜ、花子からの電話に出たくないかの理由が説明されます。
これはモハヤ空白ではありません。
こうした空白ではないものに×をつけます。

ただし、念入りに見たはずなのに、どうしても埋まらない空白の箇所、作者が理由を説明してくれない「?」が残るはずです。残らない? もう一回見てください。犯行現場にすべての鍵はあるのですから。
そうして、その「?」があなたの問題点になります。
くれぐれも、内容だけでなく、カメラワークやクローズアップに十分気を配ってください。できるだけ網の目を細かくして、いろんなものを掬い取ってください。

2.資料を集める。
作品に関する資料、撮り手に関する資料、映像論、映画論、できるだけさまざまなものに目を通します。
なんにせよ、この作業は一番大変でもあり、同時にあなたの努力の成果をアピールできる点でもあります。ここがキモ、とガンバッテください。

ほ~、納得、よくわかったぁ。おっしゃる通りでございます。一冊の本で全部納得したとする。
そんな問題点には、ふたたび×をつけてください。もういちど、1.に戻って、問題点を探し直してください。
そうではなくて、この本にはこういうふうに説明してあるけれど、どうも自分には納得がいかない、空白は完全に埋まらない。
おー、いいですねー。こういうのが「使える」問題点です。

3.論文のアウトラインを作る。
いわば、本の目次を作る、と考えてください。
たとえば、実はいまさっきわたしはちょうど「レポートの書き方」というマニュアルを書いていたんですが(笑)それにはこんなふうに書きました。
-----(例)-------
自分で考えたタイトル:『城之崎にて』でたくさんの生き物が死ぬ理由(中心的なテーマをひとことでズバッと)

要旨:志賀直哉は死ぬことを克明に描写することで、逆に「生」を浮かび上がらせた。

引用:「この作品のように、人生というものを死ぬことと生きることの差のところから考えることは、人生の深さを海にたとえれば、主人公が、かりに、その「死」という海の底まで下りていって、その底から、生きている現実の世の中、すなわち水中の魚や海草や水面の日の輝きなどをのぞいて見るような感じを、われわれに与える」p.196 伊藤整『改訂 文学入門』(講談社文芸文庫 2004年12月)

メモ:わたしたちはふだん、「生」をどういうふうにとらえているか。
-------------

4.下書き
このアウトラインをもとに、下書きしていきます。書いているうちに論点が次第にずれてくることはよくあるので、そのたびに目次に戻って「自分が何を書くか」を一貫させます。
文体は「である」を使う。

5.結論を述べる。
感想文ではないので「わたしは~と思った」は、封印してください。自分の提起した問題に対して、自分が調べた結果として、導き出された自分の考えを述べてあれば、それでよいのです。

6.必要であれば参考資料の一覧を書きます。直接に引用していなくても、読んだものはあげておきましょう(笑)。

7.清書
誤字脱字、主語のねじれ、パソコンを使ったなら誤変換がないか。

どうですか? 書けそうな気がしてきました?
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 まず<作品論>は<感想文>とは違います。

『と思う。』で終わるのが<感想文>です。論である以上は多少自信が無くとも、文末は『である。』『だ。』で終えるようにします。気になる部分でも明確な答えが出ていない場合は割愛します。教師は貴方に斬新な答えを求めてはいないので難しく考える必要はありません。
 原稿用紙2枚で作品論を書くことはなかなか難しいので、ポイントを絞る事が肝要です。文学表現であれば映画を文体に変換して、構造を分析し、論を書き始めますが、ここでは映画の表現方法だけに絞って宜しいと思います。 方法としては、貴方がまず最初に映画を見た時に感じた事を箇条書きにします。感銘を受けた部分や疑問に思った事も、同じ作品を何度も見返す事によって感覚が鈍磨されて行き、単純な事を見落としてしまいがちになるので、記述しておく事は必須です。作品論完成後に、記述しておいた読後感を読み返してみると、自分の読みの甘かった事に愕然とすることが多々あります。ここは文学のテリトリーですので、文学に寄って一言言わせて頂きますと、一度通読しただけで作品の良し悪しの判断を下す方が大変多すぎる。もちろん本を読む事は本来強制されるものではなく、一種の娯楽であると私は思いますので、その様な方々の読み方を揶揄するつもりは毛頭ありませんが、純文学を時代遅れの陳腐なものとして安易に切り捨てる方の多さには、いささか閉口します。例えるなら、絵画における抽象画を、子供の落書きにしか見る事の出来ない感覚の乏しさと申しましょうか。料理に置き換えますと、薄味の、材料そのものの発する香りを嗅ぎ分けられないでいる自称グルメの愚かさと申しましょうか。学ぶ事をせず、自らの主観のみに頼り、間違った説も平然と公言してしまう人の感性を疑わざる得ません。貴方の教師は、<作品論>を書かせる事によって、貴方の将来の教養が豊かにならん事を欲しています。作品を噛み締める事によって得られるものの素晴らしさに気付かせたいのだと思います。・・・閑話休題。
 私ならばここでは映像表現と限ってしまいます。私は映像に関して殊に疎く単語表現に不適切な部分も見受けられると思いますが、それはお許し下さい。まずは何度も映像を見続けます。ジレンマを感じる事はあると思いますが、あらゆる観点から見続けます。『知恵』を着ける為には必要な時間なので、あせる必要はありません。早足で得られるものは、通り一遍の『知識』だけです。知識だけを詰め込んで、それを使いこなす知恵を持たせない学校教育の、なんと愚かしい事か・・・。場所、小物、大道具、出演者の表情やしぐさ、場面の明るさや全体の色、ズームアップ、ズームアウトの方法及びタイミング等、見るべき部分は沢山ありますし何度も鑑賞を重ねてくると自然と見えてくるものがあります。そうなれば<作品論>は半ば完成したと同然で、その見えたものを題材にします。どうしても文学でしか説明できそうも無いので、文学に逃げ込みます。陳腐ではありますが分かりやすくするために即席小説を作成します。例えば作品全体に流れるものを『風』だったと仮定しましょう。
 『女は、まだ人もまばらな休日午前、表参道沿いにあるアニュベルセルにて、コーヒーの香りと、煙草の煙と、長い髪をなるがままに棚引かせていた。男の乗るバイクはアメリカ製の2気筒エンジン。存在感は唯一無二だが、走る、というよりは周辺の車の流れに漂わされる、と表現する方が適切なほどの駄馬である。
 この日二人は、離婚式を挙げる為にここ表参道で待ち合わせているが、ここは二人が挙式をした記念の場所でも、ある。
 神宮前交差点から重々しく空気を切り裂きながら、男と相棒の駄馬はやって来て頂上の手前で停まった。女はビル風に押されるように乗り込む。・・・中略
 二人の目的地である山上の駐車場からは、眼下に雲が流れているのが見える。男が二言三言話したようだが女はすぐに、最後の手紙を渡した。が、その時不意に風が巻き起こり、最後の手紙は雲に奪われた。男は手紙を追う事も無く、ゆっくりと今来た峠道を、エンジンを始動せずに降りていった。女は、夕日を見つめ、ただ、髪をなびかせていた。』
 この場合、最初に『風』が基調になる事を予告していたので、描写のほとんどに空気の流れのあることが理解出来ますが、果たして一切の予備知識が与えられない場合、一読しただけで私の意図した事がわかるでしょうか。離婚式という聞きなれない造語に目を奪われてしまうと思います。根底には、男女関係の脆さを『風』という掴み所のない物に変換して作っています。この作品論を書くならば、最初に第一印象を記述しておく事は勿論、作者である私の半生を調べます。趣味嗜好なども調査するともっと鑑賞は深いものになります。次に、出来れば舞台となる場所の現地調査をします。表参道交差点付近の事情が分かる方でしたら、コーヒーを飲む場所でなぜ髪が棚引くのか、都会なのに頂上の手前でバイクを停めるという表現はなにか、が一目瞭然で理解できます。これらの事が作品分析になります。その上で良い加減な作品論を展開させて頂きますと
 『この作品はatamaguruguruが平成17年に書いた唯一つの短編小説である。単調な恋愛小説であると見受けられるが、作品の基調には『風』がある。(自信がなくても言い切る)
 そんなものは読めば分かるが動きのある場面のほとんどに空気の流れる描写を見て取れる。(数箇所原文から引用して証明する)
 であるからして風を恋も同じような物であると作者は語っているのである。(フィニッシュは確実に決める)』
となります。起承転結が基本ですが、400字前後の場合は首胴尾で構成するのが宜しいと思います。
 くたびれてきましたのでこの辺りでやめたいと思いますが、この説明で分かりますでしょうか。文学にも小説技法というものがあって、その技法を論ずる作品論も存在します。映像の達人にも意見を乞うてみてはいかがでしょうか?
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