キリストの母は何人ですか、教えてください。
イエスキリストはどこの国の何人ですか教えてください

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A 回答 (5件)

どちらも中東のイスラエルの国のユダヤ人として生まれました。



聖書には、アダムからマリアとイエスに至るまでの
家系図が残されています。

言語はヘブライ語、アラム語、ギリシャ語を話したと
言われているようです。

イエスが生まれたのはエルサレムに近いベツレヘムですが、
育ったのはナザレという、今のハイファから海と反対へ数十キロの
位置にある都市です。

参考URL:http://watchtower.org/j/
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キリストの母はマリヤですがキリストの父はいないはず


乙女マリヤが子供を生むわけがありませんから。

聖書によると神様がマリヤ様の体をとうしてイエス様を生んだということだからイエスは人の肉体をもちがなら神様であるといえます
だからイエスの事を御子とか神の子とかそのような呼び方をする場合もあります。
イエスは十字架にかかりそして神の右の座に座っていると聖書にかかれています
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宗教学とか歴史学の諸説はおいておいて、とりあえずということなら、親子ともどもユダヤ人という認識で大丈夫だと思います。



詳しく考えてみたいというのなら『黄金伝説』という外伝をひもといてみてください。
マリアのお父さんとお母さんの出会いから教えてくれますよ。
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簡潔に言うと「わかりません」が適当です。


マリアの出生については聖書に書かれていません。聖書の中で一応マリアの足取りについては、パレスチナ地方のナザレで大工のヨセフの妻になり、後にベツレヘム(同じくパレスチナ地方の死海の西側)でイエスを生んでいることになっています。一時エジプトに行っていますが、だいたいパレスチナ地方にいたと思われます。最後はエルサレムで没したことになっていてエルサレムにはマリアの墓があるそうです。
ただこういう事は聖書の中だけでは確証が取れませんので研究されてる方はあらゆる方面で考え、その諸説も様々です。

イエスに関しても同じです。聖書ではベツレヘムで生まれたことになっています、がそうではないと言う方もいます。そうなるとマリアの行動もおかしくなってきますが。一応イエスという名前は当時のユダヤ人のなかではよく見られる名前だったようなので、ユダヤ人と位置づけることはできるでしょう。だからといって今のイスラエルという国というわけではありません。
当時のパレスチナ地方ということです。

一般的にイエスやマリアの出生のことを話すときはだいたい聖書をベースにしますのでこんなとこです。ただ厳密にはわかりません。聖書に書いてあることを全て信じるわけにはいきません。ユダヤ教の古文書の死海文書しだいでどうなるかもわかりません。しかしこれと聖書を信じる信じないは全く別物であることをお断りしておきます。
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この回答へのお礼

わかりませんとのことですが、出生の説明をしていただきありがとうございました。 

お礼日時:2001/10/08 01:11

イエス・キリストの母は一人です。

もちろん名前は「マリア」

ただし、「マリア」という名前は極めてポピュラーらしく、新約聖書中に
いっぱい出てきますので、注意して読まないとすぐ混乱してしまいます。

・イエス・キリストの母「マリア」
・マグダラの「マリヤ」
・ラザロとマルタの姉妹「マリヤ」

すぐ思いつくのはこんなとこですね。他にもいるかも。


それから、イエス・キリストはユダヤ人です。今のイスラエルに当たる地域で
生まれました。
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イエス・キリストが何であったかについてはいろいろなことが言われていて定かではありませんが、およそ次のうちの一つに当てはまるのではないでしょうか。

1.イエス・キリストは神であった。
2.イエス・キリストは神ではなく、神の子であった。
3.イエス・キリストは神でも、神の子でもなくただの人間であった。
4.イエス・キリストはただの人間ではなく、正真正銘のペテン師であった。

結局、イエス・キリストはどれに最も近いですか。

Aベストアンサー

「聖書」ってさ、そもそもの語源が「本」だよね。
いろんな人が書いた手紙やら詩なんかの文書を適当に切り貼りして一冊の本にまとめたものだよね。
それを宗教宣伝の道具に使ってるだけだよね。
まちがってないよね?

で、その本にイエスキリストが「神」であるとか、「神の子」であるとか書いてあったとしてそれがなんなのよ?

わしは、イエスキリストがペテン師だったかどうかは知らない。
イエスキリストを教祖に仕立てて宗教活動している者はペテン師だと思う。

Qイエス・キリストは何人(なにじん)なのでしょうか?

イエス・キリストは何人(なにじん)なのでしょうか?
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回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者様は、キリストの国籍と民族、どちらを知りたいのですか?

>マリアが母なのでユダヤ人だと思います。         ←これは民族
>ベツレヘム(パレスティナ)で生まれたのでパレスティナ人  ←これは国籍

当時の彼は「ローマ帝国領のユダヤ属州」のユダヤ人です。
(彼の出生時、「ユダヤ」・「パレスチナ」という国はありません。)


>ベツレヘム(パレスティナ)で生まれたのでパレスティナ人だという捉え方は×なのでしょうか。

結果としての国籍はそうなるかもしれませんが、根拠自体としてはXだと思います。
当時は出生地主義という概念はなかったと思いますので、
問題なるのは親の国籍だと思います。

Qイエス・キリストはなぜ二千年も記憶されているのか

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。

エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。

Aベストアンサー

イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。
 ↑
キリスト教の布教に成功したからです。
マネジメントの勝利。


エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、
どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。
 ↑
キリストだと思います。
何と言っても、キリスト教文化圏が世界を席巻
していますから。

Qキリスト教の伝統に従って作られた構造の礼拝堂とはどのようなものですか?(日本聖公会 川越キリスト教会)

現在建築学科に通っている大学生です。色々調べたのですが、よくわからないので教えてください。

先日川越キリスト教会を見学し、そこで教会案内というパンフレットをもらいました。
その中で
「礼拝堂の内部はすべてキリスト教の伝統に従って作られており、堂内全体がノアの箱舟をイメージした構造になっています」
とあったのですが、これはどのような構造になっているということなのでしょうか?

あと、キリスト教伝統の構造とはどのようなものなのでしょうか?

Aベストアンサー

他の方が答えておられますが、キリスト教で伝統的に決まった教会建築様式、構造などはありません。
「礼拝堂の内部はすべてキリスト教の伝統に従って」というのは「聖公会の伝統に従って」と読み替えるべきです(聖公会というのは、イギリスで生まれた教派)。
例えば、仏教のお寺でも、仏像のないものから、阿弥陀如来が安置されたものまで、様々です。どの様式が正しいということがないのと、同じことです。
ノアの箱舟については、聖書にその寸法などは記されていますが、川越キリスト教会のホームページから、堂内の写真を見ても、どこがノアの箱舟なのか???です。あくまで「イメージ」なのでは、ないでしょうか。
教会の建て方で、ノアの箱舟を意識して箱型の外見を持ったものも、特に珍しくはありませんが、ホームページの写真で外見を見ても、決して箱型ではないし。
最終的は、教会の司祭に直接尋ねるしか、ないのでは。

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イエス・キリストの系図
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あり、非常に人間的に出来ていますが、
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産まれて系図がありません。なぜでしょうか?

Aベストアンサー

母はマリアですが、父(厳密には神=イエス=聖霊(三位一体)なので父ではないですが…)は世界を作った創造主である神なので父方の祖先はありません。
また、子どもを作って子孫が現在もいるという映画もありましたが、バチカンやプロテスタントの各教団はそのことについては認めていませんので、系譜はイエスで終わることになります。

Aベストアンサー

一口にキリストと言っても色々なキリストがいるので、特に気にせず処分します。

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イエス・キリストは、今、どういう状態なのでしょう?これから先、どうかなるのでしょうか?それと、イエス・キリストが死んだ意味は何ですか?
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Aベストアンサー

(1)もし神とイエスが同じなら神の右の座に座ることはないでしょう。
(2)
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Qキリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(

キリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けたとされます。それが神様の御心だったと言われています。そのヨハネは、キリスト以前にも人々に悔い改めの洗礼バプテスマ)を授けたとされます。ではヨハネは誰の権威で、誰に依って、何時バプテスマを受けたのでしょうか? 聖書にそれに関する記述を見たことがありません。分かる方が居られたら教えて下さい。

Aベストアンサー

キリスト以前にイスラエル人に与えられていたのは律法です。イスラエル人は律法に従うことによってメシア(キリスト)に導かれるはずでしたが、当時のイスラエル人は律法に従っていませんでした。キリストの到来に先立ってヨハネが施した悔い改めの洗礼には、イスラエル人が律法に違反している状態からの悔い改めを促すという意味合いのものです。ヨハネ自身に関しては、マタイの福音書の三章だったと思うのですが、ヨハネはイザヤ書で予言されていた人物であると記されていて、権威を裏づけしています。

ちなみにキリストは生まれたときから原罪を持たない人で、言うまでもなく悔い改めなければならない理由など何一つありません。したがってキリストが受けた洗礼は悔い改めるためのものでないのは明らかです。ヨハネ自身、その事をよく理解していたのでイエスから自分に洗礼を施すよう求められたときに一度はその申し出を断っています。聖書のその後の記述を見ていくと、イエスが洗礼を受けたときに聖霊による油そそぎがされたことがわかります。イスラエルで誰かに油を注ぐということは、その人を「王」に任命するという意味があり、イエスの場合それが聖霊によって行われたことから、神様によって王に任命させたことが明らかにされました。またそのことはイエスが約束のメシアである事の証明ともなったわけです。

一つ申し添えるなら私はクリスチャンではなく単なる歴史好きです。世の中にはキリスト教の宗派は沢山あり、この解釈に対して信仰を持つ人からは異論もでるかも知れません。が、この解釈はほぼ正しいと確信しています。といいますか、この解釈は聖書自体に記録されていることなので、何十回も聖書を精読すればわかると思います。

キリスト以前にイスラエル人に与えられていたのは律法です。イスラエル人は律法に従うことによってメシア(キリスト)に導かれるはずでしたが、当時のイスラエル人は律法に従っていませんでした。キリストの到来に先立ってヨハネが施した悔い改めの洗礼には、イスラエル人が律法に違反している状態からの悔い改めを促すという意味合いのものです。ヨハネ自身に関しては、マタイの福音書の三章だったと思うのですが、ヨハネはイザヤ書で予言されていた人物であると記されていて、権威を裏づけしています。

ちなみに...続きを読む

Q阿弥陀仏とイエス・キリストの救い

阿弥陀仏とイエス・キリストの救いは、どこが違うのでしょうか?

Aベストアンサー

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。

(1)阿弥陀仏の救いは仏教の教えですから、成仏道です。
いかなる仏教においても仏になるのが目的ですが、キリスト教で「人間が神になる」という文言を聞いたことはありません。
神は創造主ですが、阿弥陀仏は如来(一如より来たらしめた)です。
(仏典に出てくる神々はキリスト教でいう神とは意味が違います。)
私の迷い元は、無明(真実が明らかではない)ですが、それを打ち破るはたらきが、仏の智恵と慈悲のはたらきであり、仏が私の境遇を定めたり試練を与えたりするという訳ではありません。
また、仏を自然(しぜん)界そのものという汎神論的解釈をする人もいますが、それもちょっと違うような気がします。
自然界の中に満たされた、私を真実化するはたらきは真如法性、無上仏と呼び「いろもましまさず、かたちもましまさず」ゆえに自然(じねん)と申す、とあるように私とは関連不能。
その真如からはたらきをもって、あらわれたから阿弥陀仏を如来と呼びます。
親鸞聖人は
「弥陀仏は自然(じねん)のやうをしらせんれうなり。(有り様を知らせる手立てである)」(自然法爾章)
と言われています。

(2)旧約聖書は物語としては面白いですが、私にはとうていついていくことができません。
新約聖書の瑞々しさは魅力的です。
「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9-12)
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9-13)
あたりは歎異抄3条の悪人正機(悪人こそ正しきめあて)を彷彿とさせます。

この場合の悪人は成仏の材料が欠けた私ということであって、罪人とは違います。仏教にあっては全てのものは縁によって成り立った存在ですから、私のありようは本来、無記(善悪が決まった存在ではない)です。
天罰ということばはありますが、仏罰ということばは本来存在しません。仏は、私を救う存在です。
仏のはたらきは
「真実なるものは、真実ならざるものを、真実にさせようとするはたらきをもつ」
というふうに言ってみます。
ただし、こういう表現はなんとなく解ったつもりになるという恐れがありますので聞き流してください。

(3)浄土は阿弥陀仏のはたらきの完成の表象であり具体化です。
固定化された土は化土と呼ばれ、真仏土は「光明、寿命無量の願」に基づくものです。
浄土はたらきの世界、常にあらゆる境遇と関わりをもつ(還相回向)ものです。

浄土に心を向けること(願生)は、私を悟りに導く妙法ということになります。

私の感じからいうと、浄土真宗の教えはキリスト教よりは、やはり禅宗や真言、天台のほうにずっと近いと言う気がしています。

あるオーストラリアの熱心な青年が仏教の深遠さを勉強しようと日本へ来た。
たまたま、学んだのが浄土真宗だった。
すると、この青年はキリスト教と同じではないかと失望し帰国した。
という話を聞いたことがあります。
そういう話もあるくらいですから、質問はもっともなことです。

浄土真宗の門徒の発言として読んでください。

類似視される考えられる要素はおそらく
(1)弥陀一仏への帰依   → 一神教
(2)罪悪深重の凡夫の救い → 原罪
(3)往生浄土       → 天国
あたりでしょうか。
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Q【宗教】宗教では生きることに意味はあると教えていますか?イスラム教、キリスト教、仏教は生きること

【宗教】宗教では生きることに意味はあると教えていますか?

イスラム教、キリスト教、仏教は生きることに意味はないと教えていますか?

生きることに意味があると教えているのなら、死ぬことにも意味があると教えていますか?

Aベストアンサー

書いてあろうが、なかろうが、せっかく生まれたこの命!きちんと全うしましょうよ!そして天命寿命でお疲れ様です。毎日必死で生きる人になれ!


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