ネットが遅くてイライラしてない!?

以下の三帰依文と開経偈の出典をご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

三帰依文は阿含経典を探してみたところ、似ているものは見つかるのですが、このままずばりの箇所が見つかりません、宜しくお願いします。

人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつる。

開経偈は全くどこにあるのか見つかりません。ご存知の方よろしくお願いします。

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

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A 回答 (2件)

 質問に記述されている「三帰依文」は,大内青巒が,法句経・華厳経・法華経の経文を組み合わせたものだそうです。


 
 大内青巒は,明治時代の仏教学者で,浄土真宗本願寺派21世大谷光尊の侍講(スーパーアドバイザー)を務めました。また,曹洞宗が在家教化に用いている「修証義」の原型を編纂しました。
 東洋大学の学長も務められました。
 
 開経偈については,わかりません。

参考URL:http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_158.htm
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この回答へのお礼

お礼がおそくなり申し訳ありません。
納得致しました。
法句經とかには似たような文章がありましたが、やはりそうでしたか。

お礼日時:2005/07/07 01:32

 記述の「三帰依文」は『大方広仏華厳経』巻第六浄行品第七(『大正新修大蔵経』九巻「法華部・華厳部」収蔵)の部分所収です



『全日本仏教会』HPより
http://www.jbf.ne.jp/m_sankiemon.html

 開経偈は作者不詳です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

質問があまりうまくなかったみたいです。
三帰依文の 自帰依仏~一切無礙は『華厳経』の該当箇所に
見つけられるのですが、

「人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつる。」
の箇所は、六十華厳にも八十華厳にも、四十華厳にも見つけられません。
部分引用とはおそらくそういう意味だと思われます。

開経偈は作者不詳ですか。
名文ですが、やはりわからないのですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/29 12:01

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Q浄土真宗の帰敬式の際の偈文意味を教えてください

浄土真宗系のお寺での帰敬式(お髪剃り)の際に僧侶の方が唱えられる
『流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者』という短い偈文の意味を
ご存知の方 いらっしゃいましたらお教えください 宜しくお願いします

Aベストアンサー

三界の中に流転して
恩愛断つことあたわずとも
恩を棄て無為に入るならば
真実に恩に報いる者なり
(「清信士度人経」四分律行事鈔・巻下四)

迷いの世界を輪廻している間は、恩愛を断ち切ることは難しい。しかし、思い切ってそれらを棄て、仏門に入ることは、真実に恩に応えることになるのだ。
つまりこの娑婆世界を生きていくには、親の恩や肉親の愛情など、どうしても絶つことのできない絆やしがらみがあります。でもその絶ちがたい恩愛を棄てて、「無為」に入るのが真実の「報恩者」だというのです。
つまり、出家して仏弟子として仏道を歩む宣言ですね

Q浄土真宗では、般若心経を唱えていけない理由

母方の宗旨が浄土真宗なのですが、般若心経は唱えてはいけないと聞いています。なぜダメなのでしょうか。

Aベストアンサー

jun95さん、今日は。

私が調べてみた所では、智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の
教えは、一切の計らいを捨てて、阿弥陀如来の力に任せて、其れに因って救われる、という物だそうです。

従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/

Qお通夜やお葬式で読まれるお経について(浄土宗)

先日大切な祖母が亡くなったのですが、お通夜やお葬式の時のお経について興味があり質問させていただきます。

以前、般若心経の現代語訳の本を読んで以来、その意味に感銘を受けすっかり虜になってしまいました。
そこで、祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?と思い注意深く聞いていたのですが、お焼香をしたり祖母との思い出を思い出したりしているうちにすっかり忘れてしまいました(笑)

調べてみたところ、般若心経は宗派もあまり関係なくあげられるとありましたので、もしかしたら読まれていたのかもしれないと思ったら気になってしまいました。

我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?

祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。

初歩的な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(僧侶を中心とした人々の集まり)という三つの宝を敬い帰依することをたたえる偈文。
3、三奉請(さんぶじょう)
一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他十方の仏さまがたをお招きする文です。
4、懺悔偈(さんげげ)←ざんげとはよみません。
自分自身が作った罪の全てを仏様の前で懺悔(さんげ)するためにお念仏する前にとなる偈文。
(十念・十回お念仏を声に出して称える。)
5、一尊哀愍(いっそんあいみん)
香偈の一種と思っていただければよいかと思います。
6、開経偈(かいきょうげ)
なかなかめぐり合えないお釈迦様の教えに人間に生まれてやっと出会えた喜びはなんいにもかえがたい。というような意味のお経をよむ前に称える偈文。
(焼香)
7、真身観文(しんじんかんもん)
浄土三部経のなかの『観無量寿経』のなかにとかれている、阿弥陀佛の姿を心の中で念じ観るという部分。
8、回向(えこう)
今まで積んだ功徳や善根を亡くなった故人に振り向ける。
9、降魔偈(ごうまげ)
仏教は煩悩を断ずるための教えであって、それは悪魔を切るの剣のようなもので、「南無阿弥陀佛」の念仏はどのような愚かな者であったとしても罪を滅ぼし浄土において煩悩を断ずることができるという、徳をたたえる偈文。在家のなくなった方に用いる偈文。
(十念)
10、摂益文(しょうやくもん)
『観無量寿経』の「光明徧照(こうみょうへんじょう) 十方世界(じっぽうせかい) 念仏衆生(ねんぶつしゅじょう) 摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という文で、阿弥陀仏の光は全ての人に分け隔てなく注がれているが、南無阿弥陀佛と念仏する者は全てを受け入れられ捨てられることはない。という意味です。
11、念仏一会(ねんぶついちえ)
念仏の数の多少にかかわらずお念仏に出会い、お称えすること。
12、通夜回向(つやえこう)
お通夜読経や念仏の功徳を故人に振り向ける。
13、総回向偈(そうえこうげ)
全てのことを振り向けるための偈文。
14、同唱十念(どうしょうじゅうねん)
通夜に出席した人とともに、十回お念仏を称える。
15、総願偈(そうがんげ)
仏教の悟りを志す人たちが誓うべき四弘誓願の意味を表す偈文。

・葬儀差定
1、四奉請(しぶじょう)
三奉請の一に阿弥陀さま、二にお釈迦さま、三にその他全ての世界の仏に、四つに観音菩薩・勢至菩薩や全ての菩薩お招きする文。
2、懺悔偈
上記通夜4の通りです。
(十念)
3、根本陀羅尼(こんぽんだらに)
ノウボウアラタンノウタラヤーヤー ノウマクアリャミターバーヤー タタギャタヤアラカテイ サンミャクサンボダヤ タニャタオンアミリテイ アミリトウドハンベイ アミリタサンバンベイ アミリタギャラベイ アミリタシッデイ アミリタテイセイ アミリタビキランデイ アミリタビキランダギャミネイ アミリタギャギャノウキチキャレイ アミリタドンドビソバレイ サラバアラタサダニエイ サラバキャラマキレイシャキシャヨウギャレイ ソワカ
という、阿弥陀佛を讃える言葉をサンスクリット語という古代インド語で読むものです。
4、本誓偈(ほんぜいげ)
真実だ物が立てた本願の要旨は全ての人々を極楽往生させることで、阿弥陀佛の心にかなうためには念仏し速やかに極楽往生し、不退転の位に住すことであるという偈文。
(十念)
5、歎佛偈(たんぶつげ)
『勝鬘経』の一節で、仏の体も智慧も全てすばらしいものであると称賛する偈文。
6、下炬(あご)
導師がたいまつをもって引導を渡すこと。
(十念)
7、開経偈
上記通夜6の通りです。
(焼香)
8、歎佛頌(たんぶつじゅ)
『無量寿経』上に、阿弥陀佛が仏になる前の法蔵菩薩という菩薩であった頃、師匠である世自在王佛を賛嘆した偈文。
9、摂益文
上記通夜10の通りです
10、念仏一会
上記通夜11の通りです。
11、回向
上記通夜12の通りです。
12、総回向偈
上記通夜13の通りです。
13、同唱十念
上記通夜14の通りです。
14総願偈、
上記通夜15の通りです。

です。ですから、
>>祖母のお通夜とお葬式でも読経されるのかな?
とご質問の中にありますが、通夜葬儀ではよまれていません。
 浄土宗は基本的に南無阿弥陀佛の念仏を称えて阿弥陀佛の他力によって極楽に往生させてもらうという教えですから、自力修行によって「空」という境地を体得していくための『般若心経』は中心としてよむお経ではありません。ですから、浄土宗の流れを組む浄土真宗では、『般若心経』は一切よみません。あくまで、浄土宗でよまれる『般若心経』も補助的な意味で読まれるものです。
 浄土宗で中心としてよむお経は「浄土三部経」とよばれる三つのお経です。それは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つです。この三つのお経は、『妙法蓮華経(法華経)』や『般若心経』と並んでメジャーなものですから、現代語訳や解説書はかなり出ていますから書店でも探しやすいものであると思います。

>>祖母は私にとって大事な存在でしたので、その祖母にどのような言葉が贈られた(?)のだろうかと気になったもので、
浄土宗や浄土真宗・時宗と言った浄土教と呼ばれる仏教には、還相回向(げんそうえこう)という考えがあって、亡くなったかたは仏様になっていつでも私たちの隣にいて見守り導こうとしてくださるといいます。
たしかに、通夜葬儀はなくなった方のためであるかもしれません。けれども、仏教の本当の目的は私たち生きている人間がどのように生きていくかです。ですから、通夜葬儀のお経はは亡くなった故人が「私たちに向って」送ってくださった「このように生きていきなさい」というメッセージであるかもしれませんよ。
 
>>般若心経だけでなく、他のお経の意味についてもこれから勉強したいと思い質問させていただきました。
 非常にすばらしいことです。浄土三部経の一つ『阿弥陀経』のなかには「倶会一処(うえいっしょ)」阿弥陀仏の極楽浄土を目指して念仏を称えるものは、今一度極楽浄土で会うことが約束されているという意味です。ですから、浄土宗の通夜葬儀はさようならする会ではなく、極楽浄土で今一度会う再会の喜ぶを分かちあくことを約束する会なのです。だからこそ、自分自身がしっかりお念仏を声に出すことで阿弥陀仏とまたは故人と一生懸命生き抜いて後亡くなっと時には極楽浄土に向うことを約束することで、故人も「また会えるのか嬉しいんぁ」と安心して極楽に向うことができるのです。
 浄土三部経の中には『般若心経』とはまた違った仏教の味わいが書かれています。仏教は味わいがいのある宗教であり、味わいがいのある哲学でもあります。いろいろ興味深いことがたくさん出てくると思います。

長々書き連ねましたが、まとまらない稚文のため文意を読み取っていただきたく思います。至らないところがあれば、続けて回答させていただきます。
合掌 南無阿弥陀佛

>>我が家は浄土宗なのですが、お通夜やお葬式であげれらるお経は「これ!」という決まったものがあるのでしょうか?
ありますよ。差定(さじょう)といって基本的な作法・よむべきお経は決まっています。ただ地方や、寺院によって若干違いがあります。
 では基本的なものをご紹介します。

・通夜差定
1、香偈(こうげ)
我が心身を清らかにしたまえと念じ、香をたいて全ての世界時代の仏様に帰依し供養するという意味で、最初に読みます。
2、三宝礼(さんぼうらい)
佛(仏様)・法(仏教)・僧(...続きを読む

Q空母のカタパルトは、米国でしか造れない?

ここしかないのでお訊きします。だいぶ前なので、現在は状況が違うかもしれないですが何度か空母のカタパルトについて、イギリスやフランス・ロシア等が開発しようとしたけど無理で米国だけだと本で見たような。これ自体は軍事や戦略等から見ると大した話ではないでしょうが、事実ですか?単に、米国以外は大型のジェット戦闘機を空母から飛ばそうとしなかったり目的・戦略が違っただけとか。それに何年か前に、フランスの今までの原・水爆実験で得た情報と米国の情報を交換するとニュースで見たり、エシュロンという世界規模の盗聴網で米・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・イギリスの白人クラブがあるとEUの議会で取り上げられたのを見るとカタパルトの技術くらい教えそうですが。
それに現在は、先進国間で留学等の知の交流があるし物質工学や工作機械や設計・加工技術等の差がそんなにあるのか疑問ですが。

Aベストアンサー

シャルル・ドゴールのカタパルトはアメリカ製のようですね。

というか、アメリカ以外の最近の空母でカタパルトで離艦するのってってシャルル・ドゴールだけじゃないでしょうか。
なお、フランスの旧艦ですが、クレマンソー級の蒸気カタパルトはイギリス製のようですから、アメリカでしか作れないと言うことではないようです。

ただ、現在、イギリスやロシアの空母はカタパルトではなく、スキージャンプを使った離艦です、おそらく、今後のアメリカ以外の空母はSTOL能力の高い機材で運用というのが世界的な流れでしょう。アメリカにしても、強襲揚陸艦などにはSTOL+スキージャンプというのが登場するかもしれません。

アメリカ以外で蒸気カタパルトを作らないのは、空母の思想が変わってアメリカ以外での需要がないからだと思いますよ。外国で作ったとしても売れなきゃどうしようもないですから。

Q仏壇にお供えする時の向きはどうしたらいいですか?

何て説明した良いんでしょうか?

ご本尊様とか、お位牌さんに見せる様に置くのか

こちら(私)が見える様に置くのか

うまく説明が出来ません。
意味を分かってもらえますか?

Aベストアンサー

 花でも食べ物でも自分に対して正面を向けます。なぜかというと、あなたは自分が仏様にお供えものをしたと思っているでしょう。しかし、その供物が自分の手に届くまでに、どれだけの人の苦労がかけられているか考えたことありますか? それを忘れて「私がお供えしました、受け取ってください」という気持ちでお供えしていませんか?
 修行僧は食事の前に、天皇陛下の弥栄と食事を与えてくださったすべての人々の幸福を祈り、さらに“この食事がどれだけの手間暇がかかって今目の前にあるか考えよ”、そして“それを受け取るにふさわしいだけの行いをしてきたかどうかを考えよ”などの意味のある一文をお唱えします。
 であれば、自分がお供えしているものをなぜ自分に向けるのか。それは神仏の加護によって、また目には見えないさまざまな人や自然や宇宙の働きによって、私たちに授けられているのだということを知るためです。お供え物は言葉こそ発していませんが、それによって仏が教えを説かれている「無言の説法」なのです。だから、お供え物は仏の方に向けるのでなく、私たちの方に向けられるのです。そして神仏から授けられた物ですから、粗略にするのでなく感謝して頂戴したり、独占せずに皆に分け与えるのです。

 花でも食べ物でも自分に対して正面を向けます。なぜかというと、あなたは自分が仏様にお供えものをしたと思っているでしょう。しかし、その供物が自分の手に届くまでに、どれだけの人の苦労がかけられているか考えたことありますか? それを忘れて「私がお供えしました、受け取ってください」という気持ちでお供えしていませんか?
 修行僧は食事の前に、天皇陛下の弥栄と食事を与えてくださったすべての人々の幸福を祈り、さらに“この食事がどれだけの手間暇がかかって今目の前にあるか考えよ”、そして“それ...続きを読む

Q山川草木悉皆成仏とは

仏教では山川草木悉皆成仏と説いていますが
これが難解で分かりません。

感情のあるものを有情、そうでないものを非情と
捉えて、人は有情ではあるが髪とか爪など感情の
ないところの非情と一体になっている。
人に仏性があるのは、有情非情ともに仏性がある
ことである。だから非情の山川草木にも仏性が
ある。こういうことを教わりましたが、その時は
なるほどそうなんだと思いましたが、いま思うと
有情非情が一体だからではないのかな。非情のみ
の山川草木になぜ仏性があるのだろう。

考えていますが答えが出ません。
ご解説ご回答をお願いいたします

Aベストアンサー

草木成仏という思想は、日本ではポピュラーですが、伝統的な仏教思想のうえからは少し逸脱して主観的な感覚にかたむいた部分があります。そこのあたりに少し落ち着きの悪さというか、論理の飛躍を感じられるのではないか、と思います。

遠回りのようですが、最初に日本での草木成仏の見解を整理しておきます。
まず、親鸞は『唯信鈔文意』のなかで、「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり」と書いています。仏性が満ちているこの世界では、草木も成仏するはずだ、ということです。

また、空海はわが国で最初に草木成仏説を唱えた人物ですが、『吽字義』のなかで、「草木也成。何況有情」として、はっきりと草木でも成仏する、と名言しました。草木ですら成仏するのだから、心のある生きものが成仏しないわけはない、というわけです。

ほかにも、最澄は「木石仏性」といい、非情にも仏性があることを強調しましたし、道元は草木や瓦礫を含めたこの世界一切をまるごと仏性の表れと表現しています。

ただ、ここで仏教の伝統的な教学を確認しておいたほうがいいのではないか、と思います。というのは、一応正統とみなされる教学では、「仏性があること」と「成仏すること」は峻別して考えられていて、草木成仏は、いわばこのセオリーを無視ないし超越して、仏性をイコール成仏としてみなす見解にたっているからです。

少し説明します。
初めて「仏性」という言葉を使ったのは大乗の涅槃経で、「一切衆生 悉有仏性」という言葉はよく知られています。ここにおいて仏教の歴史上はじめて、すべての衆生には仏性がある、とうたわれたわけです。

しかし、この言葉にも制約があるのです。ひとつは、「衆生」というものの中身が、もっぱら「(心があると当時思われた)動物や昆虫のたぐい」だけであって、植物はもちろん、無機物は想定されていないことです。これは考えてみればあたり前のことで、仏性というもの自体が、人々を仏道修行へと誘引する目的で説かれたのですから、涅槃経では「修行しないと仏性は見えない」だとか、「悟りを求める気持ちがないと仏性が見えない」という立場をとっているのです。当然、仏性は心を持っている動物について限定的に語られることになるわけです。

意外と知られていませんが、涅槃経の終わり近くでは、「一切衆生即仏性」とも説かれます。「縁起を見る者は法を見る。法を見る者は仏を見る。この仏とは仏性である。なぜなら、仏たちは仏性を本性としているからだ」(獅子吼菩薩品)とあって、仏性とは実は法のことで、法というのはすなわち縁起の理法のことである。とすれば、縁起の表れに他ならない存在である衆生は、実はそのまま仏性なのだ、と論が進められるわけです。

ただ、「衆生がそのまま仏性である」といっても、先に書いたように涅槃経の目的は衆生を仏道にいざなうことですから、その仏性はやはり八正道や六波羅蜜といった行をおこなわないと実感されない、という立場が強調されていました。つまり、仏性はあくまでも修行の結果として確認されることにすぎないし、仏性と成仏もあくまでも切り離して考えられていたわけです。

しかし、観念的な純粋化というのは思考のひとつの常であって、仏性は衆生だけについて説かれるのでなく、やがて、縁起そのものの表れである現象世界の一切が、縁起ゆえに仏性である、と観念されるようになっていきます。草木も山も川も石ころも、すべて仏性であるというわけです。
最澄(草木の仏性は力説したものの、その成仏は語っていない)や道元(世界はそのまま仏性だとしながらも草木の成仏までは書いていない)は、あくまで修行者のひとりとして、このような世界観を表現したと言えるでしょう。

詳説はしませんが、やがてさらに、仏性とは修行や菩提心と関係なしにそのまま成仏である、と無条件に肯定されるようになり、この世界の存在はすべてそのままで円満具足した仏である、世界は本来過不足なく悟りのなかにある、という感覚を生みます。これが草木成仏思想の背景です。

こうやって眺めてみると、草木も成仏するという見解は、突き放して言えば認知上の観念的逸脱である、という言い方もできるかもしれません。「本来さとっている」という思想では、修行の価値を位置づけることがむずかしくなりますから、いきおい抽象的な言説に終始しがちで、そのあたりの主観性がわかりにくさと裏腹になっているのでしょう。
(逆に、現代のわが国で「草木成仏」がそれほど反発をまねかずに一定程度受け入れられるのは、曖昧な言説のままホンワカとした自然観に包まれてしまっているから、なのですが)

ただもちろん、主観的であることは必ずしも否定されるべきことではありません。宗教は結局、個々人がどのように目の前の世界を認識するか、という問題に帰着するのだから、です。

答えになっていませんけれども、涅槃経について書いたように、瑣末に気をとられすぎるとその本意を見失ってしまいがちです。「草木が成仏する(している)」という世界認識が、仏教という大枠のなかでどのようなポジションにあるのか、という点を考慮しながら、それがどのような体験を織り込んで成り立っているものか、自分の体でもって追体験しようとする努力をする、ということが大事なのではないかな、という気がします。涅槃経が修行を重視していることの重要性は、強調してもしすぎることはない、と思うからです。以上、僭越ながら・・・。

草木成仏という思想は、日本ではポピュラーですが、伝統的な仏教思想のうえからは少し逸脱して主観的な感覚にかたむいた部分があります。そこのあたりに少し落ち着きの悪さというか、論理の飛躍を感じられるのではないか、と思います。

遠回りのようですが、最初に日本での草木成仏の見解を整理しておきます。
まず、親鸞は『唯信鈔文意』のなかで、「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり」...続きを読む

Q釈尊が法を説いた順番

私は仏教徒の家に生まれ、
仏教に興味があるのですが、
釈尊の説いた法は莫大な量であるようです。

そこでお伺いしたいです。

(1)釈尊は華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃の順番で
経を説いたと教えられましたが、
それは真実なのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(2)特に法華経は釈尊の最晩年に説かれた経で、
法華経以後には涅槃経しかとかれなかったと教わりましたが、
それは正しいのでしょうか。
論拠、反証も大歓迎。

(3)日蓮は念仏宗を激しく批判していると聞いたのですが、
日蓮の依経と法然の依経は、それぞれなんなのでしょうか。
また、それぞれの依経はどちらが後に説かれたものなのでしょうか。
それぞれの論拠、大歓迎。

以上、(1)~(3)で少しでもご存知のことがあれば、
教えてください。

Aベストアンサー

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおもっています。

>>十八願の唯除五逆誹謗正法の句に、念仏宗がどう答えるのか、
疑問に思ってもいます。

 これについては先に少し述べましたが、浄土教側の意見としては「誹謗正法」などしてはいないと考えています。法然上人の立場はあくまで「仏説は全て百点満点」という立場をとります。「大原問答」という法然上人が天台宗、真言宗、南都六宗などの方々とが問答することになったときも、「教えはお釈迦様がお説きになっている以上、どちらが優れているとか優れていないとか決めることはできませんが、自分自身の機根を時代背景や心の中を見つめなおし考慮したとき自分自身は「凡夫」であって、凡夫が誰でも救われるという立場からなら浄土教の教えが最もあっているといえるでしょう。」とお説きになって、仏説はすべてがすばらしいものであって、甲乙付けることはできないとしています。しかし、自分は末法に住む凡夫であるからにはその機根に相応した教えを選択するのがベターであるとします。ですから、問題は経典のほうに存在しているのではなく、自分自身の中にあるとします。これって「誹謗正法」になりますかね?
 また『無量寿経』「唯除五逆誹謗正法」の言葉は、まだ作られていない悪に対してそれを制止させるためのものであるとも考えます。それを「抑止門(おくしもん)」とよびます。 これに対して、『観無量寿経』下品下生には「十悪五逆を犯したものも、仏教を誹謗したものであっても、そのことを改めて心から念仏すれば極楽に往生できる」と説かれています。これは、すでに作られてしまった悪をも救いとるためのものであると考えます。それを「摂取門(せっしゅもん)」と呼びます。仏様の思いはすべての者を救いとるということには違いないが、悪いことをすれば悲しみ、善い行いをすれば喜んでくれるのであれば、仏様が悲しむようなことはしてはならない。ということになりますかね。
 今まだはBの立場です。つぎにAの立場から言えば『無量寿経』の「唯除五逆誹謗正法」の文に関しては、東大の名誉教授である山崎正一氏の説によれば、この文は比較的古い経典には欠けていて、比較的新しい経典に多く書かれているという。したがって、この部分は後世になってから経典が増広や補筆されたときに書き加えられた部分であるようです。このように、阿弥陀仏の凡夫に対する救いに「唯除五逆誹謗正法」という制限を加えたのは後代の人間であって、阿弥陀仏の救いにはもともと制限は存在していないことになります。

>>反面、理屈ではなく、生命感覚として、念仏に魅かれるものも感じます。
 私自身屁理屈な人間なもので理屈を並べましたが、あなたのおっしゃるとおりであるかもしれません。質問者にとってのお題目はそうかもしれませんが、私個人は阿弥陀佛が十八願に定めてくださったお念仏をとなえるからこそ、今を安心して一生懸命生きることができるように思います。理屈ではないんですよね。
 
>>私は自分の信仰を選び取る年齢に来たと感じています。
>>それが自分自身の知性と感情の両面で納得できるのであれば、
>>仏法でもキリスト教でもイスラム教でも構わないのです。
私もそのように思います。その、感覚は忘れないようにしていただきたいなと思います。
また連絡は、メールお教えていただければこちらからメールさせていただきます。

また長々書き連ねまして申し訳ありません。あしからず。
合掌 南無阿弥陀佛

>>鋭い知性と深い教養を感じました。
そんなにほめても何も出ませんよ(笑)

>>私の生来の信仰では、
>>念仏無間と教えられました。
どうやら日蓮系の方のようですね。私は某日蓮系新興宗教の方々に折伏なるものを何度か経験したことがあり、しっかりと日蓮教学を学ぶ必要があると感じ日蓮聖人についてもずいぶん学ばせていただきました。
学んでみると日蓮聖人自身は非常に優れた宗教家であり、私は浄土真宗を信仰していますが法然上人や親鸞聖人とはまた違ったパワフルな魅力の持ち主であるとおも...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Q人間が生まれる確率は64兆分の1という話を聞いたことがあるのですが、なぜ64兆分の1という値にな

人間が生まれる確率は64兆分の1
という話を聞いたことがあるのですが、
なぜ64兆分の1という値になるんでしょう?
気になって夜も眠れません

Aベストアンサー

「人間が生まれる確率」では無くて、あなたが生まれた確立でしょう。
男性が生涯作れる精子と、女性が生涯作れる卵子の組み合わせの中で生まれる子供の数。

ただの、数字のお遊びですね。

マンボウなんかは、1度に3億の卵を産むそうです。
この計算だと、恐れ多くてマンボウに近寄れません。
なんてことは、全く無いですね。


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