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私はこの問題を考え始めると、いつも夜眠れなくなるので、すっきりした回答ください。

この問題では、将来医学が発達して人間の体を分子原子のレベルまで完全に正確にコピーする技術が開発できたと仮定します。

問題:吉田太郎は、病院のベットで夜眠りに付きました。眠っている間に医者が密かに、吉田太郎の体を完全コピーしてしまいました。元の体はベットの上にそのまま戻しました。新しくコピーした体は、ベットの横の床の上に置きました。翌朝、吉田太郎は、目を覚ましました。ここで、問題。吉田太郎は目覚めたとき、どこで目覚めるでしょうか?ここで重要な条件があります。自分自身が吉田太郎になったつもりで考えることです(吉田太郎を自分の知らない第3者と考えると意味がなくなってしまいますので)。答は以下のどれですか、その理由と合わせて教えてください。

答1:ベットの上で目覚める。
答2:床の上で目覚める。
答3:ベットと床の両方で目覚める。すなわち世界が2重に見える。
答4:それ以外。

もし「二人の吉田太郎がベットと床の上のそれぞれで目覚めるだけじゃないか」と考える方は、自分が、吉田太郎の立場になってもう一度考えてみてください。自分が今夜ベットの上で眠りについた状態を思い浮かべてください。翌朝起こることは何でしょう?目覚めるか、それとも永久に目覚めない(死んでしまう)かのどちらかでしょう。今、死んでしまうということはないとすると、必ず目覚めるわけです。そのとき、目覚めて回りを見回すと自分はベットの中にいるのか、それとも床の上にいるのか.....どっちなんでしょう?

A 回答 (16件中1~10件)

実験を最初の質問に戻して考えてみます。

眠っている間は自己を認識する意識が働いていないと仮定すると、オリジナルの太郎は自分の連続性を知ることは不可能だと思います。哲学でよくある、自己言及の不可能性というやつです。似たようなのだと、「他人の死を知ることはできるが、自分の死を知ることはできない。」というのがありますね。第三者(この場合だとコピーを作った医者かな)がいて、二人が目覚めるまで監視していれば、わかると思います。
ここで、コピーの太郎がイチャモンをつけます。「俺が本物だよ。あんたここでずっと見てたっていうけど、夢でもみてたんじゃないの?」 今度は医者が自己言及の不可能性に陥ります。もし、医者が二人いたら?たまたま同じ夢を見たのかもしれません。どこかで見切りをつけて、それを信じるしかないですね。本当に知りたければ、kobareroさんが見ているのが一番いいのではないでしょうか、居眠りにお気をつけください(笑)。

この回答への補足

はーい。わかりました。居眠りしないで監視します。でも、この問題考えてるといつも寝不足で、居眠っちゃうかも。

補足日時:2005/07/03 18:37
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アインシュタイン曰く「神はさいころを振らない」


この世の出来事は、確立ではなく、確定です。
ルール違反でした。
反省。

この回答への補足

そーでしたっけ?

アインシュタインは、必死になって博打好きの神様の腕を押さえてサイコロを振らせないようにしてたんですがね、アインシュタインがなくなってしまって、神様は、また大好きなサイコロ振ってるみたいですよ。こまったものです。

補足日時:2005/07/03 18:30
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コピーする方法がスタートレックの転送装置と同じ精度をもつものだとすると、



1 これだけが正解だとすると、「転送装置として成り立っていない(記憶や意識のコピー不全)」ということになるので、却下。
2 これだけが正解だとすると、「コピー装置による記憶や意識の連続が破壊された」ということになるが、そういう機能を設定しないのなら、記憶や意識の連続が妨げられる理由が無いので不適。
3 「世界が2重に見える」の定義によるが、相手の視覚を共有するという意味であればナンセンス。二人が別の視点で世界を見るという意味なら否定する理由が見当たらない。

二人とも「自分が吉田太郎だ」という認識があるだろうが、相手を「吉田太郎ではない(あるいは同姓同名の他人?)」と認識するはず。

予想

床の上で目覚めた吉田太郎は、なぜ自分は床に寝ているのか不思議に思っていた。
ベットの上で目覚めた吉田太郎は、床で寝ていた自分にそっくりの人物を見つけて「どなたですか?」と声をかける。
床にいる吉田太郎「‥‥あれ? ここ私の病室ですよね」
ベットにいる吉田太郎「ここは私の病室なので、どこかとお間違いになっているのではないですか?」
床太郎「夢遊病なのかな? ‥‥えーっと、私、吉田太郎といいます、ってあなたは?」
ベット太郎「へぇ~、あなたも吉田太郎っていうんですか。私も吉田太郎っていうんですよ」
床「へぇ~、そういうこともあるんですねぇ。‥‥ここって何号室ですか?」
ベット「○○号室ですけど」
床「私が入ったのも○○号室なんですよ。あれ?」
(以下略)

こんな感じになるかと思います(リアリティーの無い会話ですみません)

本人として考えても、「必ず○○で目覚める」という答えは無く、1/2の確率で「ベット上」や「床の上」になるというのが正解じゃないかなぁ。
で、目覚めた後は「観測された」ので現象が確定した、というのでどうです?

余談
この思考実験をするとき、一人称と三人称で考えるときに微妙にとらえかたが違ってくるので、その違いが、あなたを混乱させているのではないかと思った。
(ああ、回答が全然心理学じゃない‥‥)

この回答への補足

大変興味深い回答ありがとうございました。

床太郎とベット太郎の話、読んでいて思わず噴出してしまいました。私は、つい喧嘩になることを想像していたのですが、意外とのんきな会話が取り交わされてほのぼのとさせられました。

>必ず○○で目覚める」という答えは無く、1/2の確率で「ベット上」や「床の上」になるというのが正解じゃないかなぁ。

これはすごいです! 「確率」という回答があることは夢にも想像していませんでした。なーるほどそういう可能性があったんですね。そう言えば、量子力学ではモノの正確な位置は確率でしか予想できないというから、可能性ありますね。

>一人称と三人称で考えるときに微妙にとらえかたが違ってくるので.....

正におっしゃる通りです。
どこの馬の骨かわからない吉田太郎がコピーされて二人になったとしても、それは、二人とも「オレは吉田太郎だ」と思うだけで何も不思議に思うことはないわけですが、もし、自分自身が吉田太郎だっら、今日ベットで寝て、そもそも明日目覚めるのかどうか、目覚めたとしても、隣に自分に良く似た他人がいるのか、自分は床の上にころがり落ちているのか、それらは、人生の一大事なわけです。

補足日時:2005/07/02 14:24
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こんにちは。

#10です。

>ご回答いただいた内容の中で、質問に直接関係する部分は、以下のようなことだと考えて良いですか?

いいえ、違います。
そのようなことを申し上げたつもりは一切ありません。
これに就いては、肝心なことをきちんと説明しなかった私に責任がありますので、その部分を明確に補足させて頂きます。

質問者さんの認識は幾つかが間違っています。特に重要なのは、「意識」というものの解釈を取り違えておられることです。これでは、質問者さんがこの問題を解決し、理解することは何時まで経ってもできないと思います。

このような問題は、架空の技術からその影響に至るまで、SFの世界でも科学の世界でも様々に議論が成されているとご紹介しました。つまり、既に参考となる議論は幾つもあり、その中には一般的な見解もあるということです。ご存知ないということであれば、一般的な認識が欠落しているということになります。ですから、そのような既出の議論と比較するならば、質問者さんのお考えの方が独創的であるとしか申し上げられません。
思考実験をなさるのなら、広い認識を持ち、思い込みを取り去る必要があります。その上で、独自の考えを展開させて下さい。さもなくば、狭い生簀の中をぐるぐると泳ぎ回っているだけにしかなりません。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

おっしゃっている内容は、私も100%賛成です。特にruehasさんのおっしゃることに反対することは何もありません。

元々私の最初の質問には、「意識」と言う言葉はありません。「私の考え」も述べていません。「意識的」にそうしました。何故かというと「意識」という言葉は多義的で、人により意味する内容が異なり議論百出で結論がでないからです。私の当初の意図は「意識」について議論することを可能であれば避けることでした。私の知りたかったのは「太郎が目覚めたときどこで目覚めるか」「そしてそれは何故か」の2点だけです。

結果的に「意識」の議論になりましたが、やはり結構混乱します。でも、それはそれで良いのではないでしょうか。

補足日時:2005/07/02 12:56
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私の意見の理解は、(A)と(B)で問題ないです。


(C)について、
私が言いたいことは、意識は肉体と環境から影響を受けているということです。まだ知らないだけで、他に影響を与えているものはあるかもしれません。例えば、人が知ることができない高次元での出来事とか(なんかよくわからないですが)。意識が物質だけで構成されているかはわかりません。
(D)について、
おそらく、この世界に存在する物質は有限なので、「環境からの影響の履歴」は人がその全てを知ることができないぐらい膨大ではありますが、有限だと思います。
この膨大な「影響の履歴」は、情報として有限の肉体に記録されているかはわかりません。ただ、影響を受けた結果はあります。それが現在の肉体であり、意識だと思います。
「環境からの影響の履歴」を情報として記録する必要はないのではないでしょうか。例えば、ゴツゴツした岩が風化して丸くなる場合。岩には様々な方向から、様々な風が吹きますが丸くなった岩にその全ての風の情報が記録されているかはわかりません。しかし、岩は一時ごとに風の影響を受け丸くなります。この場合と同様に、一時ごとの影響とその結果の積み重ねだけでも説明はできると思います。

この回答への補足

>「環境からの影響の履歴」を情報として記録する必要はないのではないでしょうか。例えば、ゴツゴツした岩が風化して丸くなる場合......

最後の結果の中に過去の全ての影響が織り込み済みということですよね。そうすると2人の太郎に差が生じるのは、コピー中ということになりそうですね。コピー中にオリジナルの太郎が受けた影響をコピーされる途中の新しい太郎は経験できなかった。すなわち、新しい太郎には、元の太郎の位置から新しい太郎の位置までの移動期間中に受けたはずの環境からの影響の結果が欠損している。だから、2人の太郎は別物であり、別の意識を持っているということ....ですね。確かに話の筋が通りそうですね。

残る難問は、経験の連続性を誰が(何が)感知する(検知する)のかということでしょうか?元の太郎も歩けば、位置が変わり、受ける影響が変わる。その場合は、過去からの経験の連続性が途切れていないから意識の連続性も途切れない。しかし、過去の影響の履歴を直接記録しているわけでなく最終結果だけ記録してある太郎の肉体および意識は、今の影響が過去からの連続なのか、あるいは、連続性のない飛躍なのかをどうやって知ることができるのでしょうか?

何だか頭混乱してきました。そろそろお開きにした方がいいかな.......

補足日時:2005/07/02 13:33
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No4です。


二人の太郎の現在が違っているんですよね。

映画の『アイランド』はもっと現実的で、クローン人間を作り、元の体に臓器を提供するためファームで飼育されていた って物語で、やがてその事実に気づいたクローンが捕獲の網の目をかいくぐり、固有の自我を取られてなるものかって逃げ惑う物語らしいです。
これだと同じ一つの世界に二人いることになりますが、自我は別。
記憶も別。
もはや他人に他なりませんが、映画では同一人物としてみなされ、片方が抹殺されるのが常識ってなっているみたい。
将来的にそういう技術が感性して、自分の細胞を培養してもらって、事故にあったとき、「パーツ取り替えます」って言われたら、「はい お願いします」って言うかも かも かもしれません
クローン人間から取るってわかっていて、果たして死と直面した場合、、どういう選択を我々はするのでしょうね。


>多重世界が論理的になかなか困難なのは、いつどういう条件で「世界が分裂」するかです
>(1マイクロ秒毎に分裂していると、わけわかんなくなりますから)。

うーーん 例えば地球 これプチブラックホールらしいです。
厳密に言えば、足の部分と頭の部分の時間の流れは違うらしいです。
でも 人間の知覚は限度があり、その差を認識できないそうです。
でも 認識できるものもあるようです。
例えば列車の中でボールを上に投げるとボールの軌道は上下。
でも列車の外からボールの軌道を見ると放物線。
どっちが本当のボールの軌道?
ね? 分裂しましたよね。
これも時空の歪みが原因らしいです。
これは観察できますが、二つ同時には観察できない。
どっちかの世界からでしか観察できない。
第三者の観察者にはなれないんですよね。

この回答への補足

『アイランド』ですか。おもしろそうですね。今度見てみましょう。以前『ブレードランナー』という映画を見ましたが、とても印象的でした。詳細は忘れましたが、人間と全く同じ外観と機能の人造人間が、妻と子供たちとの幸せな生活の記憶を人工的に注入され、それを信じて生きてきたのに、あるとき、それらが全て偽の記憶で、実は自分には過去がなっかたと気づき絶望するシーンがありました。自分の記憶まで操作可能になってしまうと自分のアイデンティティーがわからなくなりますね。あーそう言えば『AI』というのもありましたね。こちらの方が新しいのに何故か記憶が朦朧。確か、お母さんの記憶をもっているAIが、既に死んでしまったお母さんの髪の毛からお母さんを再生して、やっとめぐり合えて良かった良かったとかいうような.......

>足の部分と頭の部分の時間の流れは違うらしいです。

おもしろそうな話ですね。足と頭で違うなら、富士山のてっぺんとデパ地下なら、もっと違うんでしょうね?どっちが時間がゆっくり進むのかな?富士山のてっぺんに住んだ方が長生きできるか、それともデパ地下に住んだほうが長生きできるか?デパ地下のほうが食べるものもあって楽でいいですね。そういう理論ないかな......

補足日時:2005/07/02 13:54
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こんにちは。


ご質問の内容を整理しますと、どうやら吉田太郎ではなく、「吉田太郎の意識はどこで目覚めるのか」ということになりませんでしょうか。ただ、私は3日前からこれに就いてずっと疑問に思っていたのですが、意識というのは目覚めるものではなく、目覚めたから発生するのではないでしょうか。

意識には実体も連続性もありません。
意識というのは脳の活動によって発生する現象ですので、空間的に移動させたり、コピーしたりすることはできません。現在の意識をコピーしたとするならば、それはコピーした時点で記憶としてしか使うことができなくなります。意識というのは今現在の出力結果ですから、それ以外は全て「記憶」ということになります。連続しているのは意識ではなく、記憶の方です。これは何らかの形で移動させたり、コピーしたりすることが可能です。ですから、記憶のコピーと、それに基いて結果を出力するシステムが2系統あれば、ふたつともが同じ結果を、今現在の意識として出力します。

吉田太郎が目覚めるということは、脳というシステムが覚醒状態になり、「そこに意識が発生した」ということです。どんな意識が発生するかと言いますと、自分は吉田太郎であるという認識です。そして、それは自分が吉田太郎であるという記憶を基に、そのときに初めて判断された結果です。寝ている間、吉田太郎には自分が吉田太郎であるという認識はありませんし、寝る前に、自分は吉田太郎であったというのは、それは意識ではなく、記憶です。
吉田太郎の生体が、脳内に記憶として形成されている神経細胞回路の物理的形状も含めて再構成され、そして目覚めたとき、その回路通りに神経インパルスが流れるならば、吉田太郎には、自分が吉田太郎であるという認識が発生します。全く同じものがふたつ作られたのだとすれば、意識はふたつ発生します。
吉田太郎は状況を判断し、自分はベッドの上で目覚めたと認識します。床の上で目覚めたと知った吉田太郎は、昨夜はベッドで寝たという記憶と照合して、首を傾げることになるでしょう。

このように、意識というのは、脳の活動に伴う単なる現象に過ぎないわけですから、コピーしたり、空間的に移動したりすることはできませんし、まして、個体から切り離して独立し、連続したアイディンティーを持っていたりするものではありません。この命題の条件に従うならば、意識を発生させるシステムがふたつ、分子・原始レベルで複製・再構成されるということになります。ですから、二人の吉田太郎はそれぞれの意識を持つことになり、それぞれの場所で目覚めるということになります。何故ならば、二人には意識の基となる連続した記憶がそっくり複製され、きちんと手渡されているからですね。吉田太郎の身になって考えるのであれば、自分の身体も複製する必要があります。

「自己意識」という問題が提示されていますが、これも脳の活動の結果であり、個体と切り離すことができないという点で条件は一緒です。仮に、自己意識というものが理性と独立した如何に超越的な存在であったとしても、それを発生させているのは脳ですから、脳が複製されれば、自己意識はふたつ発生することになります。そして、この事実を否定することができるのは神霊学ぐらいです。

このような、人体複製や空間移動は、SFの世界はもとより、実際の物理学でも盛んに議論されています。方法は様々ですが、現在は「量子テレポーテーション」というのが流行のようです。物体を構築する量子的な重ね合わせを読取り、その情報を基に別な場所で実体を再構成するというものですよね。マイケル・クライントンのSF小説「タイム・ライン」ではこのネタが使われていますし、スター・トレックのレプリケーターもこちらの系統ではないでしょうか。途中から提示された「吉田太郎は目覚めるか」という問題なんですが、小説「タイム・ライン」では、複製される人体に起こる不気味な障害がリアルに描かれています。その前に、他の回答者さんも仰っていますが、完全な複製は実現しないという問題です。

人体を複製する場合、人間の60兆に及ぶ細胞を構成する無数の分子・原子の物理的形状をそっくりそのまま複製しなければなりません。ですが、それらの細胞や分子は、コピーしている最中にも分裂や化学反応を切り返してします。ですから、コピーに掛かる時間が0秒でないとするならば、コピーが完了した時点で、厳密には、既に分子レベルでの違いが発生しているということになります。
仮に、コピー時間が0秒であったとしても、それは同じことで、全く同じ初期条件であっったとしても、、無数の分子の化学反応や細胞の複雑な生理作用が、その後そっくり同じように進行することはあり得ません。そして、そのような誤差によって、次ぎの反応に及ぼされる影響は時間に伴い指数関数的に増大します。つまり、二人の吉田太郎はコピーが完了した時点で全く違った道を歩み始めるわけですね。従って、吉田太郎は何処で目覚めたかという質問に対して、二人の吉田太郎は既に違う人格を持った個体なのだから答えようがないという回答が返ってくるわけです。このような問題は、グレッグ・イーガンの「順列都市」というSF小説で興味深く取り上げられています。

記憶や人格などの再生に就いては先ほども触れましたが、脳が記憶や思考形態というものを、神経回路といった物理的形状で保持しているならば可能です。心臓の動きなど、自律神経を主体とする生理作用も同様かも知れません。
ですが、分子・原子レベルで物理学的形状が正確に再現されたとして、そのときの分子の運動量や運動方向はどうでしょうか。分子の運動が再現されないということは、熱量がゼロということです。であるならば、吉田太郎は体温ゼロで再生することになります。
仮に、物体の保持していたエネルギーも全て分子レベルで再構成されるとしても、細胞内には複数の化学反応の相互作用というものがあります。これを「細胞内ネットワーク」と言い、更に60兆に及ぶ細胞同士の「細胞間ネットワーク」「臓器間ネットワーク」と、我々の身体はたいへん複雑な相互作用とその協調によって生命を維持しています。しかも、それには起動スイッチというものがありません。つまり、人間と全く同じものを作っても、それを動かすということは、死んだ人間を生き返らせるのと同じことになってしまいます。
但しこれは、魂がひとつしかないのだからコピーの吉田太郎は目覚めないということではありません。魂は、スイッチが分りさえすれば幾つでも作れるということです。
ですから、コピーの吉田太郎は目覚めるのか、これに就いては、既に分子レベルでの量子テレポーテーションが可能だとする物理学者も、生命科学の専門学者でも、まだ結論など出すことのできない途方もない問題になる思います。

この回答への補足

様々な角度からのご回答ありがとうございました。

ご回答いただいた内容の中で、質問に直接関係する部分は、以下のようなことだと考えて良いですか?

(1)質問の設定自体が科学的に不可能なことなので、質問自体が無意味だ。

(2)科学的にはあり得ない仮定だが、もし、あったとすると、二人の吉田太郎がベットと床の上でそれぞれ目覚め、床の上で目覚めた吉田太郎は、何故床の上にいるのか不思議に思う。

(3)量子テレポーテションの問題であり、途方もない問題なので答えはわからない。

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(1)については、「実現不可能な仮定」であるというのは、恐らく正しいと思います。ここでは、思考実験と捕らえれば良いと思います。「三角形の内角の和は180度である」ということも現実世界では、あり得ないのと同じことです。

(2)、(3)については、どちらをおっしゃりたいのかがわかりませんでした。

補足日時:2005/07/01 22:34
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kaitaradouです。

自我意識と物質は何かの関係はあると思いますが、それは1対1の対応ではないと思います。早い話が分子は常に入れ替わっていても自我意識は同一ということになっています。しかしこれとても対象化されている自分というものは常に変わっています。この変化を認識する主体が変化しているのだったら対象化されている自分が変化していることがわからないと思います。少なくとも自我意識は物質と直接の対応は付かないものと考えた方が良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/01 22:36

(1)について、


確かに、移動しているとき意識は連続します。ただし、その意識の連続性というのは体内の組成だけでなく、「自分以外のモノとの関係」の連続性にも基づくと考えます。移動している時、意識は連続しているけれども、それと同時に変化し続けてもいます。諸行無常ともいいますが、この世に変化しないものはありません。移動しているとき、主体は肌で微かな風を感じ、足で体の重みを感じ、目で移り行く景色を見、まわりの空気を吸い、匂いを嗅ぎ、遠くの星から発せられた電磁波が体の中を通り抜けたりします(本当です、オカルトじゃないですよ)。また、近くのものから遠くのものへと順に現れるように、こうした回りのものとの関係は連続し、秩序だって現れます。これらの影響を受け意識も変化し続けます。このような「変化するものの中で変化するもの」が自分だと、私は考えます。
そこで(2)について考えると、原始群となった時点で、「自分以外のモノとの関係」の連続性は失われているので、2体とも吉田太郎ではないと思います。ゆえに、二人のゴンベイが目を覚まします。

この回答への補足

うーん...直感的にはかなり正しそうですねー...でも...論理的には結構難問そう...今夜また不眠症になりそう...。そうならないようにちょっと整理してみました。

以下で、(A)と(B)は、私なりにbofdさんがおっしゃたことをまとめたものです。この理解でOKですか?この理解でOKだという前提で考えを進めました。(C)は考えを進める上での前提条件です。もしかして、bofdさんは、「意識は物質だけでは説明できない何かの作用を受けて成り立っている」と考えていますか?もし、そうなら、(C)、(D)は意味をなさないと思います。(C)では、一応「意識は物質だけでは説明できる」という前提を立てています。そしてその前提に立つと(D)の結論になります。すなわち、(C)の前提がおかしいか、あるいは、(B)の説が成り立たないかということです。どちらですか?

(A)肉体の位置が異なれば、それぞれの肉体の位置で受ける環境(自分以外のモノ)からの影響も異なる。

(B)肉体が環境から受ける影響の連続性を失うと、意識の連続性も失う。

(例)太郎の肉体が一旦原子分子レベルまで分解されると、肉体として環境からの影響を受けることが出来ず、その結果、環境からの影響の連続性を失うので、原子分子を再構成して新しい太郎を作っても、新しい太郎は、もとの太郎と同じ意識の連続性を保つことはできない。)

(C)意識という現象は、肉体および環境を構成する物質によってのみ実現され、物質以外の働きを必要としない。

(D)(B)および(C)が正しいと仮定すると、環境からの影響の履歴は、物質として記録されている必要がある(恐らく脳細胞や神経系統の中に)。しかし、環境からの影響の履歴は情報量としては無限である。無限の情報を有限の肉体の中に記録することは、不可能である。従って、(B)または(C)の何れかが間違いである。すなわち、(C)が正しいとすると、(B)は間違いである。あるいは、(B)が正しいとすると、(C)は間違いである。

補足日時:2005/07/01 19:25
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なかなか面白い質問ですね。


>将来医学が発達して人間の体を分子原子のレベルまで完全に正確にコピーする技術が開発できたと仮定した場合。
ベッドの上で吉田太郎は目覚める。
床の上の吉田太郎は目覚めることなく朽ち果てる。
>将来医学が発達して人間の体を分子原子『幽子』のレベルまで完全に正確にコピーする技術が開発できたと仮定した場合。
ベットと床の両方で目覚める。が、目覚めた瞬間から、別の人格に。しかし、両方とも吉田太郎としての自覚あり。
だが、片方はすぐに死にます。(あくまでも、今の霊的システムの場合)
コピーする技術が開発された時点で霊的システムの変化があるのですが、反対に霊的システムの変更が確立されなければ、コピーする技術が開発されないのです。(これは、神の仕事です)

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

原子分子以外に『幽子』の存在を前提にするわけですね。『幽子』という言葉は初めて聞きましたが、『幽子』も原子分子のように「子」で終わるということは、霊の最小単位なのでしょうか?すなわち、『幽子』が無数に集まって構造化することで人格霊が誕生するのでしょうか?

補足日時:2005/07/01 15:54
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