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最近よく「教師の質の低下」が叫ばれていますね。それについて調べているのですが、本当に、昔と比べて教師の質は下がっているのですか?また、低下しているのが事実だとしたら、なぜ低下が起こったのでしょうか?採用方法等は大きく変化していないはずですよね…その辺の事情に詳しい方、参考サイト等ありましたらよろしくお願いします。

A 回答 (32件中11~20件)

現職の小学校教員です。

12年目になります。この問題に回答する私自身が教員であるため、中立的でないかもしれません。参考程度にしていただければ幸いです。「教師の質の低下」とは昨今よく言われていることで、皆様のご意見を伺い身の引き締まる思いです。

自分自身が現場で感じることは、教育のニーズをよく理解し自分なりの方法を模索されている方と、そうでない方との間に大きな差があるということです。確かに昔と比べて「保護者が変わった」「地域の教育力が下がった」「子どもたちが幼くなった」などの意見もあり、それはそれで本当のことかもしれますせん。ただ、教員はどんな状況であっても教育の目的を果たすために仕事をしているのであって、現状を隠れ蓑にして仕事が上手くいかないことの言い訳にしてはいけないのだと思っています。

昔と変わった児童・保護者・地域という現状があるのであれば、それに応じた教育の方法や技術が必要なのだと思っています。一例を挙げれば、同じ6年生40名を導いていくにしても、純朴な子どもが多い学級もあれば、新宿の交差点のど真ん中のように他人行儀な学級もあります。前年に学級崩壊を起こした学級を受け持つこともあります。それらの場合、子どもたちの意欲を見守り、学力を支えていくという目標は同じでも、学級経営の仕方(子どもたち同士の心の編み方とでも言えるでしょうか)が、全く違います。純朴な子どもたちであれば子どもたちの中にある「温かさ」をそのまま膨らますようにしますし、子どもたちが傷つき学級集団に夢や願いを持てない状態であれば、「面白さ」への食いつきから学級を編んでいきます。今は学級経営の例を示しましたが、子どもたちの学力、学習への構え、保護者の様子などそれぞれの状態に合わせて、学習の方法や保護者との連携の方法を工夫し、子どもたちが伸びうる最善の方法を選びます。

ただ、現場で感じるのは、教育の方法に関する多くの選択肢を持ち、それを状況に合わせて柔軟に選んでいこうとするタイプの教員と、自分が正しいと思った教育の方法以外に関心がないタイプの教員とがいるということです。後者の場合は教育の効果において「当たりはずれが」が極端であるように見えます。これは教師経験の長さというよりは、貪欲に教育の方法を学ぼうとする方とそうでない方との違いにあるように感じています。児童や保護者、地域に良くも悪くも「教育への盲目的な信奉」があった昔に比べ、今は「教育への批判や素直な要望」が言いやすくなった時代であると思います。満足していないものを「満足していない」と言える時代になったということは、教育の質を向上させる上でとてもいいことだと思います。10年程度の経験しかない私でも、クレームも含めて「ニーズが広がった」と感じています。今は保護者の方から「我が子だけは、教科書よりも塾の先生が教えた計算の方法でさせてください。教科書のやり方は不合理では」との合理的な要望があるくらいの時代です。そんな幅広いニーズが教育には寄せられていて、教育の方針とそんなニーズをどうすり合わせていくか、こればかりは教師がいろいろな教育の方法を知らないと、我が子を思いそれが故に教育の方法にこだわりを持っておられる保護者の方と、十分に話し合うことすらできません。どちらかというと教育への熱い情熱はあるものの、ご自身が学び続けることを忘れておられる方に、実態に応じていない指導をされる方が多いように見受けられます。また、情熱があるが故にご自分の中にある理想の子ども像・保護者像・教師像に捉われ、目の前の子どもや保護者の方の気持ちに目が向いていないという、そのこと自体に気づいておられない苦しい場合も多いように思われます。

広がった教育ニーズと、かつては十分通じた教育の方法から抜けられない教師のミスマッチ、更に保護者方々の教育への関心の高さが合わさることで、「教師の質の低下」が昔よりもはっきり現れやすくなったのではないかと考えております。

蛇足となりますが、現在も教育上の課題として「軽度発達障害を持ち、それが原因で授業に集中できず苦しんでいるお子さん」のことが、現場で良く取り上げられます。この問題ももう10年近く経ちますが、いまだに現場では新任層だけでなくベテラン層からも、「どう対応していいか分からない」「医者を紹介してそっちに任せよう」という話が出る時があります。10年間も議論され、様々な指導法が開発され、官民多くの研修会で具体的な指導の方法や医療・心理との連携モデルまで示されているのですが、現場では「この子は集中力がないからだめなんだ」「親の育て方が悪いからだ」という児童・保護者批判が出ることもあります。私は授業が下手ですし、自分の勉強不足を棚に上げての批判は良くないと思いつつも、「これ(教師)でメシ食ってる」という自覚はないのだろうかと思う方もおられます。プロ意識(職業への責任感というのでしょうか)があまりないこと、教育の方法や結果に関して検討し批判しあう土壌が育っていないということなども、教師集団の力量が時代のニーズに応えるほど向上していないという点で関係しているかもしれません。

お役に立てるかどうか自信がありませんが、1つの見方としてお許しください。長文失礼いたしました。
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質の低下というよりも、教育者がいなくなったと言ってよいでしょう。


教育とは何なのかを理解していない教師によって運営されている学校など百害あって一理なしです。
日教組の影響なのか、特に公立学校においてこの傾向が顕著ですね。意欲盛んな若い教師でさえ、数年立つといっぱしの「教育労働者」となり、生徒そっちのけで「給料上げろ」「残業減らせ」のオンパレードになります。
教育の民営化を本気で考えるべき時期に来ていると考えます。
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質はそれほど下がっていないと思います。


もちろん個人差は多いです。いや学校差、地域差も高いです。

学力低下の原因は・・・

1.保護者の意識の低下(しつけのできない親)
2.ファミコンなど子供を取り巻く環境の激変(ファミコンの普及率と基礎学力テストの低下は反比例した)
3.お役所意識の変わらない文部科学省の存在(結果平等・ゆとり教育)

仕事で各地の学校をいくのですが、まさに教員をはじめとする学校の意識の高いところは確実に成果を上げています。
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この回答へのお礼

返事が大変遅くなり申し訳ありません。
お仕事で各地の学校をまわられているとのことですが、教職員の意識が高い学校、逆に低い学校での現状をもう少し具体的にお教え願えないでしょうか。

お礼日時:2005/11/21 03:55

そもそも、大学進学の時点で、不当に差別されてきた社会です。


今は知りませんが、英語の教育でできる子とできない子が分けられていたということです。
英語ができないで入れる大学はなかったのです。
限られた範囲の人達だけで占拠する大学教育になっているのであれば、当然教師も全国民から公平に選ばれたとは言えず、おのずからレベルは低下しているものと思われます。
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「教師の質が向上していない」が正しい認識かと思います。


教員はサービス業です。保護者・生徒の要求に対してきちんと説明責任を果たし、指導内容や指導手順を明らかにして納得してもらう必要があります。これは何も「保護者の言いなりになれ」というのではなく、「指導を納得させられるようにしなければいけない」という意味です。その部分がまだまだ不十分だからでしょう。昔の教師はほぼ100%してなかったですよね。
今は評価だけでなく日ごろの授業やHR活動においても、こういった指導方針を開示して説明しなくてはならない時代になりました。そしてその結果が向上できなくてはならない時代になりました。そういう意識の転換ができているかどうかです。

ちなみに教員採用試験は、驚くほど変化しています。かつては、筆記試験、面接試験、一部教科で実技試験 でしたが、最近では集団討議とか模擬授業(しかも教科指導だけでないHRや道徳などもやる)さらに、合格後も1年間の仮採用、しかも学校で授業をやる暇もないくらいの新人研修といった内容に変わってきています。

たしかに教員は経験が大切ですが、過去の経験に頼って現在の状況が見えてない教員もたくさんいます。過去の経験は役に立たないことが多くなってきているのもまた、現在の状況の特徴だと思います。
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この回答へのお礼

返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
周囲の状況が変化したわけですね。
質問があります。「過去の経験が役に立たないことが多くなっている」とは、具体的にはどういうことなのでしょうか?また、それはなぜなのでしょうか?

お礼日時:2005/11/21 04:16

30代♂の自営業です。


教員の質は確かに下がっていますね。
と言っても、質自体が変わったのではなく周りの質が上がり、その変化に対して採用基準を対応せずにいたからだと思いますね。

例えば「ゆとり教育」を例にあげましょう。
私が子供の頃、かけ算は確か3年生の算数の習得科目だったと思いますが、今私の子供(2年生)は今度の2学期からやるみたいです。
つまり、1~2年の1学期の間で1000までのたし算&ひき算を週休2日のカリキュラムで徹底的に叩き込むことを強いられるわけです。そうなると、できる子とできない子の差がくっきり別れてしまいますね。
それに対し、教職員の採用基準はあまり変わっていないと聞きますし、その他では校内の陰湿ないじめ問題も出て来ているにも関わらず、教職を目指す職員は「一般企業の残業がきついから転職した」とか「夏休みが多いから」とかの理由で教員になっている事実を聞いたことがあります。

実際、私も一般企業からの転職組の教職員に「退学勧告」を迫られ、高校の時退学した事があります。

要は人を扱う職業ですから、学歴よりも人間性を試験科目に入れるなどするか、或いは成績重視に特化するならそれこそ大学予備校のように、指導方法に独特かつ授業について行ける指導要綱を持った人の採用と生徒からの「先生への通信簿」をつけてみると言う方法で、教員の緊張を保つ方策なんて言うのは如何でしょうか?
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私も以前新聞等で似たような記事を読んだことがあります。

うろ覚えですが内容はこんな感じでした。
「~30年前、日本の教師の質は世界一と言われていたのに、いまや最低である。~」
とても、衝撃を受け、また腑に落ちず、自分なりに色々考えたので心に残っています。

私は教師の質は低下していないと思います。

それは、すべての職業に通じるかと思いますが、教職は経験が児童指導に大きく影響します。これは現場の実感です。日々色々な場面で感じています。ベテランの先生にはかないません。(体験談を書けばより伝わると思うのですが、長くなるのでやめておきます。)

30年前、日本の教師の質は世界一と言われていたのに、いまや最低である。でも、よく考えると、30年前は、今のベテランの先生方が大量採用され、ばりばり現役の世代。同じ人間が年をとって、経験を重ねればよりパワーアップになるはずなのに、なぜ質が低下したと言われるのだろう?
(情熱を失ったからだ!という人がいるかも知れませんが、それは違います。私の周りにいるベテランの先生方は情熱をもって子供に接しています。)

それは、保護者の見る目が変わったのです。要求が高いのです。つまり、わがままになったのです。
教育界はクレーム産業と聞いたことがありますが、勤めているとその意味がよく分かります。一部の保護者ですが、税金を払っているのだから~~してもらって当然。という人。自分の納得できないことにはクレームをつける人。教師の言うことを信じずわが子のいう事のみ信じる人。様々です。でも、そういう人たちに共通しているのは「自分の思い通りにならないと、自分の要求が通らないと、怒る(またはそれに代わることをする)」ということです。

以前受け持った子の親で、自分の子供が万引き未遂を起こしたのを受け入れられなくて、こちらに責任転嫁した人がいました。疲れました。また、自分の子供が他人の子供をいじめているのを認めたものの謝罪がなく、また、それだけでなく、以後自宅に嫌がらせのFAXを送った人。他クラスの話では、授業妨害をしたので教師が注意し、やめなかったので教頭に指導してもらったら保護者から「やりすぎだ!」とクレームが来ました。
「やれやれ」と思う保護者が結構いるんですよ。そういう人が一部いると、その人たちに振り回されて、こちらのエネルギーが吸い取られていきます。心を病む先生が多いのも分かる気がします。

話がそれましたね。
私の意見は「教師の質が低下しているのではなく、わがままを言う人が増えたので下がったように感じる」です。

(余談ですが、保護者がわがままになったのは、世の中に余裕がなくなったからですかね???)
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この回答へのお礼

返事が遅くなって申し訳ありません。
なるほど。他の方の回答にもありましたが、「保護者の質」が変化した、というのは説得力がある気がしますね。
「保護者の質」はなぜ変わってしまったんですかね?

お礼日時:2005/11/21 03:58

 私が小学生と時担任だった教師は、私にもっと別の友達を選べと言ったり、変声期なので恥ずかしくて歌えないのになじられたり、私の行動や言動を私が聞こえるようにそばで同僚教師に話したりする等とてもイヤでした。

母に訴えても聞く耳を持ちませんでした。でも、友達もたくさんいたし、学校でも学校以外でも楽しいことはたくさんあったし、学校に行きたくないということはありませんでし、自棄を起こすこともありませんでした。
 それから20年近くたち、つい最近ですが、母が何かの話の中で、そう言えばお前のあのときの担任の先生はひどかったよね。とポツリと話しました。私はハットさせられました。もし、あの時私と一緒になって教師批判をしていたら私も自棄を起こしていたかもしれません。
 何を言いたいかというと、一概に「教師の質の低下」といえないと思います。学校、社会、親などいろんなことが複雑に絡み合っているのだと思います。
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「教師の質が低下した」などというのは,きちんとしたデータもないまま何となくマスコミに躍らされた人のセリフだと思います。



別に上がったとも思いませんけど,何を持って低下としているのかはっきりしたデータを見たことがありません。

だいたいはっきりしているのは次の点でしょうか。

教師の人権意識は向上している。
授業能力はほぼ変わらない。
生徒指導力はやや低下している。
(ただしこれは体罰が厳しく禁止されはじめたからかも)

保護者の批判力は向上している。
保護者の学校への依存度は増している。
保護者の家庭での教育力は低下している。
(核家族,片親の増加により)

地域の教育力は著しく低下している。

こんな感じでしょうか。地域の教育力については絶望的な気がします。3つの教育力のうちのひとつが大きく落ち込んでいて,それをすべて学校教育に任せようとしても無理ですね。
だからといって良い解決策を思いつかないのですが。
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教師の質が落ちているというよりは、人間の質が落ちているのではないでしょうか?



私の通っていた高校は教師が生徒に対して暴力を振るうことは毎日のようにありました。
最近よく少年犯罪で出てくる『キレる』という行動です。
『キレる』理由も特にないのに気晴らしに『キレる』のです。
40前ぐらいの年齢でしたが、子供でした。
私もまだ若かったですし、自分の精神状態も不安定になってましたね。
ここまでひどい教師はなかなかいないと思いますけど、中にはそんな教師もいるんですね。

このぐらいの話になると『教師の質』どころか『人間性』を疑いたくなります。
時代のせいにはしたくないですが、間違いなくその教師に限って言えば、
ワガママに育てられた教師になるべきではない人間です。
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