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小学生1年生の息子が学校から帰ってきて、いきなり
「今日音楽会の楽器決めてんけど、音符読めないからって一番やりたかった楽器になれへんかってん。結局なぁ~それはピアノを習ってる子が選ばれてん。そんで次にやりたいのがあってんけど、それはコンテストで僕の方が下手やったから、それもあかんかってん・・・」
と言ったのです。とても残念がっていました。
ちなみに音符はまだ習っておりません。
私は、習ってもいない事を基準にして選抜するやり方に納得いきませんでした。
又、前もって配られた学年通信で「コンテストで決めますので、なりたい楽器になれないこともありますが・・・」とは書かれていましたが、子供の心に傷をつけるようなこの様なやり方にも、どうしても納得がいきません。

後日その事を担任の先生に伝えたところ、
「音符という言葉を出してはいけなかったですね。僕が悪かったです。」
と素直に謝ってはくださいました。
“音符”という言葉を出さなければいいという問題でもないですけど。
しかし、私は学年の方針としての“コンテスト”の方が実はもっと理解できないのです。
一生懸命やっても、器用な子供と不器用な子供は必ず出てきますよね。
上手い子を選抜する方法では、習い事をしていない子供や不器用な子供は、毎回「やりたくない楽器」を担当させられるわけです。

そもそも学校の良さは、出来る子も出来ない子も助け合いながら一緒に成長していく所にあると思うのです。
たとえ下手でも皆が輝いて見える・・・そんな音楽会が見たいのです。

先生方にとっては、授業時間の制限もあり、出来ない子供に教えることは時間のロスかもしれませんが、それならば楽曲のレベルを下げるというのも、1つの選択肢だったのではないかと思っています。

学校関係の方、同じ年頃の子供を持つ保護者の皆さん、私の考えはおかしいですか?

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A 回答 (24件中1~10件)

また出てきてしまいました。

(^^;)
すみません。
でも、随分相互理解が深まってきたと思いませんか?
(今回は過程に問題あり、でしたが(^^;))

私の、
>先ほどの書き込み、間違えて「アドバイス」をチェックしてしまっていたようです。

については、
>最後に、一応この書き込みを「回答」とさせていただきます。

と書いてしまっているのですから訂正するべきと考えます。まぁ、そういう性格なんです。(^-^)
ですから、masa-pata-miyaさんが「揚げ足取り」などとは微塵も感じていません。

今回は、
>何もしないうちから憶測だけで異論を唱えるのは非常に難しい事です。
>それこそ、上手くいくかもしれない可能性を、はなから否定してしまう事になります。
>何か良い方法があったとすれば、今後の為に是非お聞かせ頂ければと思います。

ということでしたので、性懲りもなく(^^;)再登場です。
呆れられてしまっているようですが…。m(_ _)m

既にmasa-pata-miyaさんも実行済みかもしれませんが、
息子さんの友達に実情を聞いてみることです。
・「コンテスト」そのものについての反応
・コンテストの時の様子
・その後の練習の様子
などを…。

そうすることによって、子どもたちが持った感想により近いものを把握できます。
その上で、「子どもたちの中にはこれこれこのような感想を持った子もいたのですが、
先生の意図はどんなものだったのでしょうか?」と
もっていくといいと思います。

肯定意見、否定意見の双方を入れ、
「こちらは理解できますが、一方は理解に苦しみます。ご説明いただけますか?」とできればなお良いと思います。
回答は以上です。

この回答への補足

皆さん、色々とお世話になりました。
そろそろ締め切らないとなりません。

さて、今回のお話の中で感じた事を書いてみます。

結論から言えば、今回の“上手い子供にしか権利が発生しない選抜方法”は、ベストとか妥当とは言いがたいにせよ、子供達の多くが難しい曲の選択を希望する場合においてのみ“間違い”ではなかったのかもしれないということです。
毎年このやり方で・・・と言われると、やはり疑問は残ります。
しかし、確かにある子供達にとっては、「難しい楽曲の選択」が達成感に繋がることも理解しました。
そしてその為には、現実問題として音符や楽譜の読めない子供や、あまり上手くない子供には、演奏可能な他の楽器でその力を十分発揮させること・・・は、やむをえない方法であるという事もわかりました。
そもそも音楽会に求めるものが、人によって違うのであるから、結局はどんな選択であれ、皆が納得できる方法を探す事は、至難の業なんですね。

私が今現在納得できないでいるのは、要するに

楽曲の選択自体に子供たちの意見が反映されていたか?
場合によっては能力によって使用できる楽器の選択が不可能であるということを、しっかり子供自身に説得できていたか?

ということです。

私としては、たとえ高度な楽曲を選択したとしても、授業の延長としてある程度習得している、又子供達の努力次第で習得が可能であろうと思われる楽器を使用する事を前提に、話し合いやじゃんけんなどで決める方法もあったのではないかと感じていることには、今も変わりありません。
当初からのその部分についての頑固なまでの私の疑問を拭い去れるほど明確なご意見は、今回は残念ながら得ることができませんでした。
「これだけ皆さんがしっかりした回答を下さっているのに・・・」と思われる方も多いでしょう。
しかし、高度な楽曲の選択を必要とするか否か自体、個人差があるからです。

1年生の子ども達の多くが、本当にそれを望んでいたでしょうか?
演奏をする前から、難しい楽曲を演奏できた時の喜びを知った上で楽曲が選ばれたでしょうか?

やはり私には疑問が残ります。

より良いものへの追求が、知らず知らずのうちに“教師の指導に対する完璧さの追求”になっていたことに関しては、強く反省しています。
私自身も親として完璧さを追求されたら、たまったものではありません。
まさに欠陥だらけです・・・(笑)。
勿論、少しでも向上するよう努力はしなければなりませんが・・・。
そいういった意味ではNo.1の方の回答は真髄をついていたことになりますね。

皆さん、私のような馬鹿親に懲りもせずお付き合いくださって本当に有難うございました。
又いつか悩んだ時は、「またあいつか~!」と思いながらお助けいただければ幸いかと存じます。
一つ一つが貴重な意見である為、ポイントはつけたくありませんが仕方ありません。
「甲乙つけなければならない辛さ」を感じています。
先生方こそ、本当は子供達をコンテストなんかで振り落としたくなかったのかもしれませんね。
ご不満かもしれませんが、どうぞご理解ください。さようなら。

補足日時:2001/10/26 09:56
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この回答へのお礼

有難うございます。
このページを開くたびドキドキしています。いや、ワクワクと言った方が適当かもしれませんね。
新しい回答が入ってたらとても嬉しい・・・気分です。

質問当初の私には、理解しがたかったこと・・・少しづつ氷が溶けていくような気分で読ませて頂いております。

少し誤解していたことがあります。
2回目の回答だったと思いますが“予測された事ではなかったか”というcharrさんのご意見を、コンテスト選抜を行う以前のこととして捉えておりました。
自分の読解力の無さに、あ~自己嫌悪・・・。
そうですね、確かにその通りだと思います。
この件に限らず、弱い立場の人間「しか」異論を唱える事が出来ないわけではないですもんね。
傷ついたり嫌な思いをしている人がいた場合、そばにいる人間が異論を唱えることが出来なければむしろ駄目なんですよね。
それがおっしゃりたかった事も良く分かります。

おっしゃるように他人の子を自分の子同様に対応していければいい、私も常にそう思っているし、それが出来ていなかった(ということも今では理解しています)私に対するご指摘は、確かにその通りだと思っています。
よく「あ~親ばかっ!」って自分で思う時さえあります。
30人全ての子供に同等の対応が取れる自信があれば、私も願わくば教師になりたかった・・・(笑)。

ついでに理想を言うなれば(もうええっちゅうに・・・)自分の子供を親が一番良く理解し、そして、そこから感じ取った思いを、たとえ相手が教師だからといっておじ気ずくことなく主張できる社会になれば良いと思っています。
子供自身が主張できればそれが一番良い事なんですけど、1年生には木琴を演奏するより難しいことかな?と思います。

実際、陰では異論を唱えていても、先生方を前にしたとたん手のひらを返したような態度をとる保護者も少なくはありません。
何故そうなるのでしょう?
それは、親自身が「“先生方にとって”理解ある“良い親”であると思われたい」という気持ちが、少なからず存在するからなのです。
私も出来る事ならそうありたい、しかし、この質問をここまでお読みいただいた方であれば、嫌と言うほどお分かりかと存じますが、黙っていられないのです。
携帯電話の普及以来社会的現象になりつつある“待つという忍耐力”の欠落の象徴かもしれませんね。
子供が育つのを見守るように、先生方の指導にも腰を据えてゆっくり見守る努力はすべきだと、今さらながら感じているお粗末さ。

勿論、「異論はあるけれど、ここはひとつ先生方に任せておこう」といった立派な親御さんも多くいらっしゃることは申し述べておかなければなりません。
しかし、厳しい現実は決して先生方のみに存在しているのではないということも・・・。

肯定意見、否定意見の受け入れですが・・・今回の先生との対話においては自分でもなかなか上手く出来ていたと思っています。
しかしそこできっと適切な説明がなされていれば、私もこのように皆さんの意見をお伺いする必要は無かったわけで・・・。
保護者を理解させることが出来ないということは、同時に子供へのフォローが適切な形で行われていなかったのではないか?ということに繋がるのではないでしょうか?
短絡的な考えですか?
でも結果、子供はかなり自信なくしていました・・・涙。

お礼日時:2001/10/25 13:45

ずいぶんエスカレートしていますね・・・


真剣な意見が飛び交っている中、のほほんとしていますが…

まぁみなさん、本題からそれずに…
もっと和やかに進めましょうよ。(^^;
大人げないですよ、言い合いなんかしてても(汗
見ていてホントに呆れちゃいますよ(笑
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この回答へのお礼

n-pさん、またまた有難うございます。

しかし本当嬉しい事ですね。
“呆れちゃって”も、こうやって気に掛けてコメントを下さっていること自体がやはり嬉しいことです。(笑)

お礼日時:2001/10/25 11:04

何度もすみません。

m(_ _)m
先ほどの書き込み、間違えて「アドバイス」をチェックしてしまっていたようです。
申し訳ありません。

この回答への補足

私、charrさんみたいな方好きですよ。
またどこかでお会いしたらどうぞよろしくお願いします。

補足日時:2001/10/25 05:12
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この回答へのお礼

OKです!有難うございました。

しかし私そこまで“あげ足取り”でしょうか?・・・(笑)

お礼日時:2001/10/25 05:07

まず最初にお詫びしなければなりませんね。


申し訳ございませんでした。m(_ _)m
また、この書き込みもあなたの質問に対する回答になっていないことを、平に、平にお詫び申し上げます。
さらに「探る」という言葉も適切ではありませんでした。
(可能性は考えたのですが悪い方に取られてしまいました)
申し訳ございませんでした。
私はもっとあなたを理解したかったのです。
どのような考えをお持ちなのか…。


以下を「言い訳」と取っていただいても構いません。

最初の私の質問は、このような形態のコミュニティでは、確かに不適当です。
しかし、「この場しかない」こともご理解下さい。

また、私が「学校の先生方に多くの知り合いを持つ塾講師である」と書いたのは、
その内容から、学校内部をうわべしか知らない人間の、
想像や推測だと判断されるのが良くないことだと思ったからです。
それにしてもやはり私に落ち度がありました。m(_ _)m

突然ですが、経験上、
「ダブルスタンダード」をお持ちの方が多いように感じています。
つまり、自分がクリアできている段階を認識せず、
自分がクリアできないことを不当であると認識してしまうことです。(わかりにくいですね(^^;))

例えば(実話ですが)、塾で、月謝の支払いに由来する授業に参加している生徒がいるとします。(当然ですね(^^;))
そこで、別料金の、全く別メニューの、有料授業枠が出来たとします。
この有料授業への参加は「自由」です。

すると、「お金のある家の子は有料授業に参加できて成績がもっと伸びる。
うちは余裕がないので参加できない。不公平である。」
とおっしゃったお母さんがいます。
この方は、「自分の子どもが塾に通えている」という事実を忘れていらっしゃいます。

そうです。塾にすら通いたくても通えない子もいるのです。

それらの方々から見れば、塾に通えていることが既に不公平であることになります。
しかし、そのことには気づいていらっしゃらない…。
ご自分の子どものことしか見えていないのです。

誠に申し上げにくいのですが、masa-pata-miyaさんにも
その可能性があるのでは?と考えたのです。
これがあの書き込みの背景です。

masa-pata-miyaさんの質問に対する私の回答は
「今回の選抜は妥当である」です。

私としては書いた「つもり」です。
でも、「つもり」ではいけないんです。相手に伝わらないと…。

今回のことは非常に勉強になりました。
仕事に、私生活に、生かしていきたいと思います。

最後に、一応この書き込みを「回答」とさせていただきます。
アドバイスとも言えそうにないですし、補足要求とも言えそうにありません。
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この回答へのお礼

本当に度々恐縮です。

早速ですが(前の回答の件で)「実態を知らないのに意義を唱えることが出来た」とすれば、それは多分憶測でしかないと思っています。
何もしないうちから憶測だけで異論を唱えるのは非常に難しい事です。
それこそ、上手くいくかもしれない可能性を、はなから否定してしまう事になります。
何か良い方法があったとすれば、今後の為に是非お聞かせ頂ければと思います。

確かに学年通信を読んだとき、「これでいいのかな?」とは思いました。
しかし、もし予測されるような事態になったとしても、
それはほんの少しの教師の温かい声掛けで回避できたはずです。
その事についてまで「すべての事を教師一人の肩に背負わすな」と言われたとしても、そこはやはり納得がいきません。
教師の持ち分だと思っています。

責任の転嫁と捉えられるかもしれませんが、
コンテストで決める方法を選択したのは先生方です。
予測する、そしてリスクを最小限に食い止める・・・という点で、私達よりずっと近い場所にいらしたのは先生方ではないでしょうか?
そのことの予測やフォローが出来ないくらいなら、
やはり楽曲のレベルを下げるべきではなかったかと思えても仕方の無い事だと思われませんか?

話は変わりますが、私からしてみれば、有料授業を受けられない事を不公平だなどということ自体、おかしいんじゃないのかな?と思えます。
そして今回の私の質問に対してそのようなお答えが返ってくること自体・・・謎。
その事についてはcharrさんとは少し違った考えの元で・・・私も否定派です。
お金を出さない、又出せないのですから、まずは自分達の経済力を責めるべきでしょう。酷なようですが、塾を責めるのは甚だオカドチガイ。
働いた分しか会社は給料を出しませんからね(笑)。
完全に矛先が違っていますよね。しかし、そんな親ばかりですか?

「親」と聞けば、みんな同じであるかのように疑ってかかるのは少し行き過ぎではないでしょうか。
特にそうやってたった僅かな事柄で決め付ける・・・申し上げにくいですが教育者の行いではないように思います。
確かに、同じお金を払っているのに授業内容が全く異なっていて、それが個人個人のレベルに合わせたものでもなんでもなければ、それは問題でしょうけど。
なぜその事をひきあいに出してこられたか、どうも、今ひとつ理解ができません。
馬鹿なんでしょうか?

確かに親は往々にして我が子かわいさのあまり盲目になることくらいあるでしょう。
かといって、全てを同じにしか見れないとすれば、そういう方こそ、もう少し広い視野を持つよう努力すべきだと思えてなりません。
子供はみんな同じ性格をしていますか?
親は皆同じような人間ばかりですか?
何かホント刹那い・・・。

競争社会が生み出した悲しい現実です。
一人一人、1つ1つを大切にする心、これからの社会や教育が目指すところですね。
私などに言われなくともお分かりでしょうが、今の日本社会がどのような教育を必要としているか、
そしてそれが同時に、教師の皆さんにとってはどれほど苦痛を伴うものか・・・。

>今回の選抜は妥当である
了解しました。私もかなり気持ちが揺らいでいます。

本当にお世話になりました。

お礼日時:2001/10/25 05:06

何だかずいぶんにぎわってきましたね。


また、ちょっと殺気立った雰囲気まで…。

先日は、ていねいなお返事を頂き、ありがとうございました。
さて、今回は、前回(No.12)で触れていなかった、「子どもの輝く演奏会」について、少し述べたいと思います。

今回の質問、考えようによっては、学校教育における音楽の意義を問われているようにも思われます。ご存知の方もおありでしょうが、実は、学制がしかれて100年以上たった今でも、学校における音楽の授業の意義については、いまだに疑問の声が後を絶ちませんし、音楽が学校の授業に入っていない欧米の先進国など、いくらでもあります。

何人もの方がおっしゃる通り、楽譜が読めない、学校音楽の基礎がしっかりしていないままの1流ミュージシャンだってたくさんいます(もちろん基礎のある人の方が大多数)。今回の質問、聞きようによっては、「学校の音楽の授業は、無意味か?」という風に受け止めて回答したくなってしまいます。が、そうすると問題が大きくなりすぎてしまうので、ちょっと我慢したいと思います。

さて。小学校1年生の子にとって、演奏会できらきら輝く演奏をする、とは、具体的にどのようなものをさすか。

合奏隊の中での自分の楽器の役目を自覚し、それにふさわしい演奏を成し遂げた満足感か。みんなと一緒に音を出し合ったよろこびか。とにかく一生懸命練習して、がんばった自分へのねぎらいか。自分自身の、音を出したい欲求にしたがって好きなだけ音を出し切ったよろこびか。好きな楽器を扱わせてもらった満足感か。
……
表現者の立場としての音楽の喜びとは何か。小学校1年生ならば、どの程度のレベルで?

本当は、ここがある程度明確に設定されていないと、何一つ同じ土俵に立った上での議論はできないのではないかと思っているのです。

私個人としては、やはり「ある程度の難しさのある演奏が、できるようになった」という喜びが基盤になると思います。力を合わせることも、もちろん大切。でも、チームワークの発揮された音楽を、演奏しながら1年生の子が鑑賞する能力となると…若干疑問が残ります。

この面から考えても、選曲がいかに難しいものであるか、想像していただけたら幸いです。

蛇足です。masa-pata-miyaさんのお子さんの学級は、難しい曲を選択されたかもしれません。でも、おそらく成功するでしょう。難しい曲を成功させることを繰り返すうち、すごい演奏のできる子達になっていくかもしれません。が、音楽の力はどれぐらい伸びるか。それをよしとするならば、音楽の教育とはいったい何なのか?

これは、私の就職直後以来の、解けない疑問であります。
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この回答へのお礼

深夜なのでお読みいただくのは、多分翌日になりそうですね。
とにかく、感謝の気持ちで一杯です。

私に見失っていた大切なものを教えてくださったように思います。
それは、“子供の目線で見ていたつもり”が実はそうではなかったということです。
どこまでいっても“親”なんですね。親ばかと言われても仕方ないかもしれません。
見る側の立場や憶測でしか考えていなかったように思います。

>表現者の立場としての音楽の喜びとは何か
それを考えた場合、確かにsongbookさんや他の方がおっしゃる通り
>ある程度の難しさのある演奏
かもしれませんし
>チームワークの発揮された音楽を演奏しながら1年生の子が鑑賞する能力となると・・・
というのにはさすがに私も疑問を感じます。

学校授業の一端として考えるなら、むしろ向上(上達)させていくことも大切な課題なんですね。
全く逆の発想ですね。
先述のお礼の中で、学Pのお小遣いについて「与えないから分からないのです」と書きました。
難しい楽曲を与えることも別の側面からしてみれば「与えなければ出来ない」のかもしれませんね。

可能性を信じ伸ばしていくという考え方においては相通ずるものを感じます。
その点を追求していけば、確かにそれぞれの子供が自分に割り当てられた楽器で精一杯頑張っていくことは、大切な事だと思いますし、その為には今回のような担当楽器の選抜方法も正しいといえるでしょうね。

>音楽の教育とはいったい何なのか?
芸術の分野を授業とする事自体、疑問はあると思います。
私などには即答できない問題です。
美術などでも同じことが言えるのでしょうね。

いつも「ホッ」とすることがあります。それは絵画の展覧会で選ばれた絵を観ているときです。
その年齢の子供なら誰もが描けそうな絵なんですよね。
しかしその中にやはり何かキラっと光るものがあるのは、私のような素人でも感じます。
それが、その時のその一瞬の子供の心なんですよね。
多分、親からガミガミ叱られた後だとその絵にはきっと輝きはなかったと思います。
芸術に甲乙つけることには賛否両論あることでしょう。
しかし甲乙つけることを目的とするものがあっても間違いではないかもしれません。

コンテストで担当楽器を勝ち取った子供は、多分その一瞬に賭けていた願いが形となって、また表情として表れていたのかもしれませんね。
その事自体を称えていけないはずはありませんから。

良い結果を出したものだけが報われる

ある意味資本主義社会に生きる人間は、皆どこかでそういった重荷を背負いながら生きていかなければならないのです。
そして頑張った者全てではなく、その中からほんの一握りの良い結果を出した者だけが報われることも当然といえば当然だったのかもしれません。

かなり、もやもやがとけてきました。
さぁ、どなたかとどめの一撃を私に下さいませんか?お待ちしています(笑)。

お礼日時:2001/10/25 03:46

先日も回答させてもらったものです。

興味がある話題でしたのでずっとみていました。masa-pata-miyaサンに批判的な意見もいくつかあるみたいですが、私の意見。
能力の優、劣によって人を選抜するやり方っていうには当たり前だと思いますし、世の中そういう決め方の方が多いでしょう。でも正直1年生の音楽会にそんな方法をとらんでも… と思うんです。やりたい子にやりたい物をさせる。希望者が多かったらどうしたらいいんでしょう?話し合いをしても決まらなかったらジャンケンいしたらええやないですか。結果、へたくそな子の方が選ばれるかもしれません。そしたら他の子供たちがその子がうまくなるようにみんなで練習するんです。音楽会にむけってて。と言う雰囲気に先生が持っていって欲しいんです。
子供も段々大きくなってくるとそういうのが照れくさくなったり、邪魔くさくなったりしてくるんです。だから、幼い今やからこそ そういうことを学校生活の中で教えていって欲しいんです。
上手な演奏を披露することももちろん大事ですが、へたっぴーでも「みんなで協力してここまで出来るようになったよ」というのも大成功やないかと私は思います。
この時代そんなことが出来にくいのを学校の先生一人のせいにするのは無茶やと思いますが、はなから劣るほうを切り捨てる方法はやはり首を傾げます。
それと よく平等、平等といいますが、どうしていつも平等やないといけないんでしょう?うまい事書けなくて誤解されそうなんですが、その時々で目立ってるやつ、光ってるやつ、輝いてるやつがおってもいいじゃないですか? 1年間あるんです。みんながどっかでヒーローになってたっていう思い出を作ってやるのも先生の仕事だと思う。と言うよりそれが出来るのは先生しかいないと思う。
自分の考えばかりで前回同様、やっぱり回答になってなくてすみません。
 
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この回答へのお礼

pop7777さん、何度も有難うございます。

先生方からすれば“高度な楽曲の選択”は“保護者の喜び”に繋がると思われているのかもしれませんが、そのへんのところはどうでしょうね?
実際はそういう親って少ないんじゃないかな?

生活面においても殆どの親は「やさしい子供になって欲しい」「友達と楽しく過ごして欲しい」と願っているのではないでしょうか?
pop7777さんもご回答を拝読するたび、そのような親御さんに思えてなりません。
「競争で勝て」とか「出来ない子にはそれなりの事をさせておけばいい」なんていう考え方の子供に育って欲しい親なんてそんなにいませんよね。
多分いたとしてもごく僅かでしょう。と願いたい。

子供の教育は皆さんのおっしゃる通り親からです。
そして取り巻く大人達全てが、良い面でも悪い面でも教育者となるのです。
教育者は教師だけではありません。
しかしpop7777さんがお書きになっているように、教師でなければ出来ない事があるからこそ、職業として成り立つわけです。
一人一人のことなどいちいち考えてられないようであれば、
お金をもらう資格などありませんよね。
それなら、私達にだって出来ます。

教師はどこまでいってもプロであること、またプロを目指している事を忘れてはなりません。
お金をもらう以上、どの職業にも言えることだと思っています。
失敗はある、迷う事もある、だけどいつも一人一人を見守っているんだという気持ちは持たなくてはなりません。
それがそんなに無理な事でしょうか?
うちは今まで運が良かったのか(←くじ引きみたいな言い方して・・・スミマセン)、
そんな事はないという確信をもたせてくださる先生方に多くうけもって頂きました。
(出来ないことではありません。親もそれ程完璧で高度なものは求めていないのですから・・・)

そうなる為に大変な努力をしてくださっている事も様々な場面で伝わってきます。
大変ですが、その努力があるからこそ、プロなんだと思います。

昨日の朝日新聞の朝刊でしたか、タイミングよく私の質問に通じる内容のものが掲載されていました。
現状ではやはり切り捨て教育はやむをえないという観点から、決して否定してしまえる問題ではないということも分かりました。

今回の選抜の仕方が切り捨てであるか否かは、まだ確信を得ていませんが、
しかし決して納得してはいけない問題であると強く思います。
子供の切り捨てが指導力のなさという側面から追求されはじめた場合、いつかは教師の切り捨てに繋がるものであるということは理解しておかなければならないと思っています。

お礼日時:2001/10/25 01:53

 三度も本当に申し訳ありません。


 お返事を書くのも大変かと思いますが、2度目の書き込みでどうやら誤解が解けたようでほっとしましたのでまず、そのことを申し上げたかったのもありまた書き込ませていただきました。とはいえ、書き込ませていただいた理由はべつにそれだけではなく、楽曲のレベルの選択についてまったく同感であることを申し上げたかったというのが本題です。
 さて、実は先に書く込ませていただいた経験の末、私は中学から吹奏楽をはじめました(俗に言う、「今に見てろよ」という感じにです)。そして、その中で学んだことがmasa-pata-miyaさんがおっしゃっていることに対し、経験者としての裏づけになると確信しています。
 実際、楽曲を演奏して聞き手をとりこにするのはその難易度ではありません。より重要なのは簡単な曲でも良いのでとにかくアンサンブルをぴったりあわせることです。ですから、実際に楽曲の選択はあえて難しい曲に挑戦するよりも、能力内で演奏でき、全員の息をぴったり合わせるだけの余裕があってしかるべきなのです。ですから、先にどなたかが「誰でもできるような曲は面白味もないにもない」と言われていましたが、そんなことはないのです。アンサンブルができたとき、たとえ「チューリップ」でも「かえるの歌」でもその曲はとても素晴らしく聞こえるものです。それが音楽というものですから。
 ですから、私も子供たちでもちゃんと調和を乱すことなく演奏ができる程度の楽曲を教師は選んであげなければいけないと思います。そして、そのアンサンブルの楽しさを覚えさせてあげるのが、小学校における正しい音楽教育ではないかと思います。
 好きこそ物の上手なれ。まずは音楽は楽しいということが教えてあげられるように、適当な曲を選び、きちんと本人の能力、やる気の双方を重視してパートわけを行ってあげるというのが結論としての教師の勤めだと思います。

----

 それから、ぶしつけで申しありませんが、charrさんに一言申しあげます。
 先に出したあなたの質問の仕方がそもそも失礼です(というより喧嘩を売っているようにしか思えません)。他人に礼儀云々おっしゃる前にご自分の振りを直されたほうが良いのではないでしょうか。私の書き込みに対して書かれたお返事についても引用されているようですが、それに関しては単純に私の言葉が足りず、おそらくはみなが笑ったものと誤解されたためのものと認識していましたので(そしてそれはおそらくそう外れていない認識であると思います)、私も二度目の書き込みで補足させていただいています。そして、教育というものを考えるとき、おそらくは誤解されたとおりのことが起こったのであれば、私もまったくmasa-pata-miyaさんがおっしゃる通りだと思います。

----

 以上、何度も申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

sarukanさん、三度でも四度でも歓迎しますよ。charrさんもね。

お書きの通り、私はそう思っていたのです。
難しい曲も確かに素晴らしいと思います。
しかし、「かえるの歌」を本当に美しく合唱や合奏する事が出来ればもっと感動しますよね。
「え~!あの歌がこんな風に・・・」と目からウロコですよね。
普段聞きなれている曲が先入観を超えた登場の仕方をすれば、それも立派な芸術です。

同じ様な事で思い出しましたが、読書を趣味とするある身近な方が、
映画化された作品を見る度「原作とかけ離れていてなんかねぇ~(←不満そう)」とおっしゃるのがとても気になります。
私も読書は好きですが、「へぇ~、こんな風にもなるのか・・・」と思いながら見ているのですが。
多分その事に何を求めているか?ということなんでしょうね。

音楽会も同じ事が言えるかもしれません。
何を求めるかは、人それぞれ違いがあるということなんですね、きっと。
だから私の思うような又願うようなものが、必ずしも子供達や先生、全ての保護者に共通のものであるとは限らないし、そんな必要もないのかもしれませんね。
そう言った意味でも、やはり私は「完璧なものを求めていた」ということになります。
反省、反省・・・。

それから、charrさんに関しては、私も至らない点が多々あるように思いますので、
私も同時に責めてください・・・。
質問する際「後日先生に伝えた・・・云々」という部分を省いて質問すれば良かったと後悔しています。
どうも矛先が違ってしまった理由は、そこにあるのだと感じています。私の落ち度でした。
皆さんには大変気分の悪い思いをさせてしまって、本当に申し訳なく思っています。
でもこうして色んな皆さんのお話を伺ううちに、(charrさんがおっしゃった事なども含めて)自分が少しづつ変化しているのを感じています。
色々な意見を主張し合う事って大切な事なんだと痛感しています。
皆さん、まだまだご意見下さいね。

お礼日時:2001/10/25 00:48

>見当違いの回答はご遠慮願います。



とは随分横柄ですね。正直言ってがっかりしました。
あなたの質問に対してたくさんの方が時間を割いて回答しています。
が、あなたは「そんなことを言っていません」と書かれていることもあります。
私の質問に対してもそうですね。
どなたかも書かれていたとは思いますが、
聞く耳を持っていらっしゃるのですか?

>「上手い子供にしか権利が発生しない選抜」という方法についてです。
>音符が読めない・・・下手である・・・者には可能性は否定されてしまうのか?

では、あなたの文から引用しますね。
(本来は揚げ足取りのようになってしまうのでしたくないのですが、「そんなこと言ってません」と言われると不毛ですから)

あなたは「結果平等」にこだわりすぎです。
これは近年の学校教育の諸悪の根元です。
ある意味、あなたはそれに毒されているかもしれません。

「機会平等」の立場からは「選抜」は平等です。
ご理解いただけますか?
「選ばれる可能性」は否定されていません。
(下手な子にとってはかなり低い可能性ではありますが0ではない)

「結果平等」は「機会平等」を引き合いに出すために書きました。
あなたはそんなこと言ってませんからね。(^^;)

コンテストに参加できないというのなら不平等ですが、
息子さんはチャレンジすることは出来たのでしょう?
ならば、今回の選抜は不当ではありません。
(ベストだとは言いませんが、最もベストに近いと思います)

また、
>いきなりでスミマセンが「下手なものを笑う」時点で、すでに教育は失敗しています。

とお礼に書かれていますが、この書き方も失礼ですね。
お礼ではありませんよ。これは。
誰の教育の失敗だとおっしゃりたいのですか?
先生・学校の失敗だとおっしゃりたいのですか?

これは親の失敗ですよ。

先生にとってはたくさんの子どもの中の一人。
あなたにとってはたった一人の息子。
(何人お子さんがいるか存じませんが、今回話題の息子さんは世界にたった一人ですよね)

これは事実であり、だからといって先生の立場は批判されるべきものではありませんよ。
先生は常に全体のバランスを考えて行動されているのですから。(普通の先生なら)

私の質問にはそのあたりにどんな感覚をお持ちなのかを探りたい、という意図がありました。
直に話すときもそうですが、初めての人との会話ではお互い探り合いですよね。(表現が適当でないかもしれません)

とにかくあなたは息子さんのことしか見えていないのです。それを、人様の子どものことなどわかるはずもないでしょう?、と・・・。それは、

>傷ついている子供がいることを知らなければ異議の唱え様がありませんね。

というあなたの文でも容易に想像できます。
これも近年の日本の教育の諸悪の根元ですね。
(地域・家庭まで含めた)
冷静に考えれば想像できないほどのこととは思えません。
知ろうと思えば知ることも出来るでしょう。

でも、当然、普通の先生はそこまで考えています。そして実行しています。
クラスの子どもたちの人間関係や個人の性格などから、
総合的にどんなことが起こりえるかを。

>上手い子を選抜する方法では、習い事をしていない子供や不器用な子供は、
>毎回「やりたくない楽器」を担当させられるわけです。

とも書かれていますが、これはなんとも言えません。
そのような行事に参加することすら嫌がる子も現実に存在するのですから。
あくまであなたの息子さんのお話ですよね。
それをさも一般化するような発言。

私には
「私の息子はやりたくない楽器をやらされることになった。とにかくそれが気に入らない。」
とおっしゃっているようにしか聞こえません。
視野が狭いように感じます。
それを「下手でもみんなが輝いている~」とか
「楽曲のレベルを~」とか理論武装しているだけのように見えます。

その上でもう一度お聞きします。

もし息子さんが、あなたが問題としてらっしゃる「選抜」によって
希望通りの楽器担当になれたとしたら、あなたはその方法に異議を唱えますか?

ここまで書いたのではっきりさせますが、
私は学校の先生を多く知り合いに持つ塾講師です。
そういった立場の人間の発言であると認識していただければ幸いです。

この回答への補足

スミマセン、今から子供と「お馬ちゃんごっこ」する約束していましたので、タイミング悪くてホント申し訳ありませんが、寝付くまで返答できません。
「お馬ちゃんごっこ」が終わって寝たら(11時ごろかな~)必ずしますので、
待っていてください。
この質問で主人公の“彼”が、さっきから横でウロウロしていて落ち着きませんので。

ちなみに「お馬ちゃんごっこ」とは
単に馬になるだけではなく、現代的にサイバーティックな話し方をする馬になります。
時々5回まわるというような指示を受け、ヘロヘロになっています・・・。

今から頑張ってきます。

補足日時:2001/10/24 21:48
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この回答へのお礼

何度も有難うございます。

しかし、すぐに受け入れられるなら、ここであえて質問する必要はありませんでした。
みんな「自分の意見は正しんじゃないかな?」と思うからこそ、
「でももしかすると間違っているかな?」と不安だからこそ、
第三者に尋ねるわけです。
何故第三者か・・・それは当事者では感情が入りすぎて本当に大切な部分を見逃してしまう恐れがあるからです。
冷静な意見こそ必要なのです。

しかし回答者の意見(貴方の先ほどの回答は意見でも回答でもありませんでしたよ)をすぐに受け入れられないからと言って責めるのは、少しおかしいんじゃないですか?
色んな意見を聞く中で、又自分の意見を言う中で、少しずつ確かなものを見つけていければ良いと思っています。
質問に関する回答は、この質問に限らず、誰かの意見が必ずしも正しいと言ったものでない事も多いのです。

勿論明確な回答がある場合も沢山あります。
しかし、そういう質問は、余程専門的なもので、どの辞書をくればよいかさえ分からないようなもの以外は、大抵は自分で辞書をくれば又インターネットで検索すれば、すぐにでも答えが判明するものが殆どです。
私の質問はそういったものではありませんので、より多くの第三者の意見が重要です。

私が本当に聞く耳を持たないとすれば、自分に反対意見が多いこの質問をすぐにでも締め切ることは可能でした。
私は質問する時点で、反対意見が多いかもしれないことは十分覚悟していました。
だから貴方のように少し的外れな質問も多分来るであろう事もね・・・。

>ここまで書いたのではっきりさせますが、私は学校の先生を多く知り合いに持つ塾講師です。そう言った立場の人間の発言であると認識していただければ幸いです。

それがどうかしましたか?貴方が塾講師であろうが、先生を沢山知っていようが、あなた自身の意見には何ら関係のないことのように思いますけど。
その事をたてに自分の意見がさも意味あるかのような発言こそ、現代社会の諸悪の根源(貴方のお言葉拝借致しました・・・)だと思います。
理論武装しているのは貴方の方ではないですか?

質問の回答欄で質問を繰り返す行為は回答欄で正しい行為と言えますか?
揚げ足取ばかりしているのに、そのような事はしたくないと書かれているのも変な気分になります。
最初から揚げ足とりな回答を下さったのはcharrさん、貴方ご自身ではないでしょうか?

私の事が探りたいようですので、ハッキリ申し上げますが、探られるような事は何一つ持ちえていません。
一人の人間でしかありません。

最後になりましたが、charrさんがおっしゃるように
学校の先生方が色々考えて出された結果である事は理解しました。

ただね、十分考えた結果が、必ずしも正しいとは限らないのです。
間違いがあれば訂正すべきなのです。
教師が必ずしも正しいとは限らないのです。
我々親でさえ試行錯誤の毎日です。正直言って「失敗したな~」と感じることさえあるのです。
親の方も一生懸命やっています。
でも先生から「こうしてはどうですか?」ある時は「もっとこんな風に・・」というような、私の願い同様やはり理想論に近い指摘があったりします。(←自分で分かってる?・・・笑)
そのたびに「私は十分考えた結果です」とは言いませんよ。
何故なら先ほども書きましたが、十分考えた事が必ずしも正しいとは限らないからです。
charrさんの塾の保護者の皆さんは、そうおっしゃいますか?
もしそうなら、逆に素晴らしいと思います。
それ程の自信をもって教育できているとすればそれ以上の事はないかもしれません。
私なんぞは、やっぱり心のどこかでは自信がないから、こんな風に皆さんのご意見おうかがいしてる始末です。

charrさん、お気を悪くされるでしょうがこんな事くらいしか書けません。
申し訳ありません。

お礼日時:2001/10/24 23:52

私はまだ学生で、教師になる予定も子供をもつ予定もないのですが、一言。



私は小学校に上がる前から、ピアノを習っていました。(と~っても下手でしたが)
音楽会の楽器決めにはいつもドキドキワクワクでした。
習っている割に、苦手なピアノは絶対にやりたくなかったので。(笑)
いつも、他の楽器を希望してた変わり者でした。
で、私のいた小学校では、同じ楽器に必要以上の人数が希望した場合は、じゃんけんで決めることが多かったと思います。
公平って言えば、公平ですね。
でも、じゃんけんで決めると、その楽器を出来ない子や楽譜を読めない子が勝ったりするんですけどね。
そのときは、出来る子が楽譜に音階をふってあげたり、教えたりしてました。

これって結構理想の形なんでしょうかね。
でも、コンテストっていうのも1つの形かなって思うんです。
コンテストをすることによって、納得のしようもあるからです。
もしじゃんけんで決めた場合、音楽の得意な子がじゃんけんに負けてしまったために希望の楽器につけなかったとしましょう。
希望の楽器には、不得意な子がついたとき、その得意な子は「私のほうが上手にできるのに」って思うかもしれません。
しかし、コンテストをしたなら、こういうことは起こりえないと思うのです。

きっと、masa-pata-miyaさんのお子さんも、得意な分野があると思います。
その部分で伸びればいいような気もします。
(私は体育が苦手で、リレーの選手に選ばれない事に喜んでいた記憶がありますが・・)
あと、お子さんがやりたくない楽器でも、その楽器があることでその楽曲が成り立っているということがわかるようになるといいですね。
(小学1年生には難しいかな。ちょっと目立つ部分があるといいんですが)
だって、人気の楽器の数が希望者の数だけあるとは限りませんから。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>苦手なピアノ絶対やりたくなかったので・・・
習っているのに下手だと余計プレッシャーかかるんでしょうね(笑)。

上の子がおりますが、下が残念がっているのを横で聞いていて
「何で、そんな決め方したんやろ?ぼくらは又ジャンケンで決めたで。いっつもそうやで」と言っていました。
確かに今回のような事は今までなかったのです。
だから実際上の子は1年の時から、音符も読めないし、決して上手くはないのに、
木琴もピアノもさせていただいていたのは事実です。

>私の方が上手に出来るのに・・・
という感情がおこること自体が、すでに悲しいことですね・・・。
それをコンテストで避けるのではなく、その時の先生方の言葉掛け次第で
(帰宅後は私達保護者の言葉掛けも重要である事は言うまでもありませんが)
大きな目で見て、もっといい方向に向かわせる事ができると思うのです。
「○○ちゃんはピアノが得意だったよね。ピアノに決まった△△さんも頑張るから、分からない時や出来ない時は助けてあげようね!一緒に頑張ってみようよ!」
と、こんな風に言う事もできるのではないでしょうか?
そしてその方が得意な子供にとっても、上手い下手などということより、もっと大切なことが学び取れるのではないですか?

とは言うものの、まだ1年生です。
おっしゃるように子供自身が、我々大人が望むような方向に向いてくれるとは限りません。
それを強制するのもおかしな話ですもんね。

>・・・得意な分野があると思います・・・
ありますよ、沢山ね(笑)。私が負けていること一杯あります。
パソコン(1年生にはふさわしくないかな?)を触らせれば多分全学年を合わせても5本の指に入るんじゃないかな?どんな基準や?一応言葉のあやとして・・・。(笑)。
自慢するわけではありませんが、勉強も出来る方だと思います。
体育は苦手(出来る方なんだけど本人はもっと上を望んでいるらしい・・・)、でも運動会は大好きです。
泳ぐのは苦手(これは本当に苦手かも・・・)、でもプールは大好き。
歩くのが嫌い(なまくら者です)なくせに遠足は大好き。
友達も沢山います。おもしろいでしょ。
又、出来ないもの=嫌いなものという考え方を持っていない息子には
いつもエールを送っています。

出来ない人間は別の分野で頑張れ・・・的な発想は極めて個人主義的な発想です。
適材適所と言われる方もいらっしゃいますが、“人を育てる努力”をしない学校や会社に明るい未来などないと思っています。

お忙しい中有難うございました。

お礼日時:2001/10/24 21:26

難しい問題ですがmasa-pata-miyaさんは間違っていないと思います、理想論だとも思わないです。


その先生は根本的に間違っています。

ピアノをやる事になった子自身ががやはりピアノを強く希望したなら、コンテスト形式というのはまぁ、競争は世に出るといっぱいある事なのである意味教育かも知れません。
『うまいほうが何かを勝ち取るのが世の摂理だ』『コンテストは公正』と言うのは一理あります。

しかし音楽とスポーツの順位と同等には語れません。
音楽でプロになりたいやつは順位の厳しさを知るべきですがそうでないひとはまず楽しむ事が前提です。

また教育と言う意味では、社会に出て自分とはレベルの違うものと折り合いをつけながらうまくやっていかなければいけない事は非常にたくさん起こるのでmasa-pata-miyaさんの言っている事は正しいです。

お子さんが音楽を通して「勝ち取れなかった悔しさ」・・そんな思いをしなければいけない理由はどこにもないのです。
また『その悔しさをバネにする』・・という発想は音楽から一番遠いものですね、音楽は戦いではないのですから・・。

なぜ何がなんでも全てに各楽器を与えなければいけないのか分りません。
『誰もやりたがらない楽器を無理矢理誰かにやらせる』
『あらかじめ用意した各楽器1台に一人づつ割り振る』
こんな考えしか出来ないところが学校の先生の頭の悪いところです。
柔軟性がなく発想が貧困ですね、じゃぁ楽器がないと、譜面が読めないと音楽はたのしめないのかってぇの。
まぁ学校の先生なんて世間知らずだからそんなもんです。

>出来る子も出来ない子も助け合いながら一緒に成長していく所にあると思う>のです。
>たとえ下手でも皆が輝いて見える・・・そんな音楽会が見たいのです。

こと音楽に関してはmasa-pata-miyaさんの意見が正しくてそうでない意見が間違っているのです、御心配なく。
自信もってそのバカな先生に抗議して下さい。
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この回答へのお礼

はじめまして。

私が心に感じていた部分を、ほぼ完璧に近い状態で書いて下さった・・・という感じです。ちょっとだけほっとしています(正直な気持ち)。
ただ、持論に賛同いただいたからではないことだけは、ここでしっかり書いておかないと又誤解されるかもしれませんので・・・。

なんかね、何でもスパスパ切り捨てるやり方って、ホント音楽の世界とは両極端じゃないかと・・・。
喜びや希望を与えるものだと思います。
たしかに皆さんのおっしゃるように現実はそんな甘くないのかもしれませんが、
現実の厳しさは、子供自身が納得出来るもっと別の場所で教えればいいんじゃないかなって。
子供だって良く分かっています。
徒競走で「みんな一緒にゴールしようね!」と言えば、「そんなん変や~ん」と言うでしょうね。
それに良く走れる子は「僕絶対に1番になるで!」と言うでしょう。
足の遅い子は「あ~またかぁ~。いややなぁ運動会・・・」と思うでしょう。
そこには“競争理念”が自然な形で存在しています。
無理せず理解できる、それが“納得”ではないでしょうか?

ちなみに、プロと呼ばれている現代ミュージシャンの中に音楽を“基礎から”学んだ方どれくらいいるでしょうね?
使って覚える・・・これも大切じゃないでしょうか。

余談ですが、1学期の学級PTA(おこづかいについて)で驚いた事。
「うちの子はお金の事分からないから持たせません」というお母様がいらっしゃいました。
“持たせないから分からない”のです。
勿論お小遣いを与えるか与えないかではありませんよ。
それは各家庭の問題ですからね。誤解のないように。

hiphop1234さんのお子さん、きっと夢のあるお子さんに育たれると思います。
ただ「学校の先生の頭の悪い・・・」は、そうでもないと思いますよ。(笑)
有難うございました。

お礼日時:2001/10/24 19:30

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