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天国と地獄の場所はどこにあるのでしょう?
私の大きな疑問です。
それとも、そういうものは無いのか?

質問としては、
(1)現代物理学では、天国と地獄はどこにあるのか、わかっていますか?
(2) (1)でわかっていない場合、想定(あるかもしれない)される場所はありますか?
(3)それとも、天国と地獄は無いという確率が高いか、ないという根拠があるのですか?

非常に、興味あることなので、是非ともおねがいします。

A 回答 (17件中11~17件)

(1)すべての論文を読んだわけではないので断言は出来ませんが、物理学では研究されていないはずです。


(2)(3) 仏教の定義に個人的な見解を加えたものですが。人間を含むすべての生き物(植物は除きます)の魂(阿頼耶識と言います)は真実を知らないままに六道世界を輪廻しています。現在は阿頼耶識が人間界に転生して人間として生きているわけです。同時に見える犬猫他動物は阿頼耶識が畜生界という世界を生きているということです。死んだあとどうなるかということですが、一切経では「一切衆生 必堕無間」と説かれており、死んだら無間地獄に必ず堕ちることになります。堕ちるというのは物理的にどこかに落ちるわけではなく、自分の中の阿頼耶識が地獄界に転生するということです、必ずという字がついていますから、人間は死んだら絶対に地獄に堕ちると説かれているわけです。ただ、それだけで救いがなければ宗教ではありませんから、救いの方法は説かれています。ひとつは法華経(日蓮宗は仏教を名乗っていますが、仏典にない言葉をつかうなどでっちあげの邪教です)を頂点とする難行道。真言宗、天台宗、禅宗などの厳しい修行をして五十二段の悟りの階段をひとつひとつ上っていく方法です。実質では五十一段の菩薩の位まで悟ることが出来れば六道世界から解脱することが出来ます。しかし、面壁九年という厳しい修行をした達磨大師ですら、悟りを積み重ねたのは三十八段までで、不退転と言われる四十一段の仮乗の位まで届いていません。不退転とはここまで上ると崩れないということで、それ以前だと悟りはちょっとした油断でガラガラと崩れます。実際に地球上で五十二段の仏の悟りを開いた人間は釈迦だけとも(龍女も含む場合があります)と言われています。現実的ではない救いでは意味がありませんので、難行道に対しては易行道があります。これは浄土宗、浄土真宗が広めたものですが、現在の知恩院、西本願寺にいっても真実は教えてもらえません。易行道の本質は弥陀の誓願「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」(無量寿経の阿弥陀仏十八願)「すべての人間が私の浄土に生まれ変わりたいと願い、心から信じたならば、必ずかなえましょう。それが出来なければ私は仏にはなりません。ただし、五逆の罪(父殺し、母殺し、羅漢殺し、仏教の指導者殺し、仏殺し…心の中で思っても駄目)と仏教を誹謗するものは除きます」というものが基本となり、阿頼耶識が心底から阿弥陀仏の救いを実感したときに救われることになっています。いわゆる自力が廃る(自分の力ではどうしても極楽にいけなかったと心底から悟る)ときに、一気に阿弥陀仏によって五十一段まで引き上げられると説かれています。救われたものは死後の心配がなくなり、極楽浄土に行くことが確定するわけです。ちなみに、悟りを開いても煩悩がなくなるわけではなく、楽しい瞬間にちょっと憂鬱に感じたりとか、くよくよと悩んだりとかがなくなると聞いています。
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この回答へのお礼

>人間を含むすべての生き物(植物は除きます)の魂(阿頼耶識)は真実を知らないままに六道世界を輪廻しています。

>死んだあとどうなるかということですが、一切経では「一切衆生 必堕無間」と説かれており、死んだら無間地獄に必ず堕ちることになります。堕ちるというのは物理的にどこかに落ちるわけではなく、自分の中の阿頼耶識が地獄界に転生するということです

「阿頼耶識が輪廻する、そして、死んだら必ず地獄界にそれが転生する。」
誰が言ったか知りませんが、どうせ宗教指導者の言葉でしょう。
それを、どうやって証明できますか?

証明できないことを私は信じることはできませんし、非科学的すぎます。

私は、宗教指導者たちのいう証明できないことを信じる感性がわかりません。

信教の自由があるので、何を信じるかは人の勝手ですが、それを、真実のようには言わない方がいいと思います。


他の回答者が科学的な回答が多い中、宗教的な面からの回答も貴重ですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/23 11:24

>「真実は1つ」です。


だから、心理学・宗教学・行動学などの対象であって、物理の対象でない、とするのは、逃げのようなもので、全学問は矛盾無く、統一的にならなければ(最終的には)ならないと思います。


ええと、今のところ、とはっきりことわっているのですが。
データも不明、所在も不明、そもそもキリスト教の天国、仏教の地獄、イスラム教の天国、それぞれちがうわけで、その一つ一つを研究するのは物理学としては本意ではないと思います。
物理学者の社会的義務と、研究対象は別のことです。非科学的な言説とたたかうのはたしかに科学者の社会的義務だと思いますが、研究対象は少なくとも実在するものもしくは実在しないと不都合なものでないと、そもそも研究のしようがありません。
ですから今のところ、なんです。

もっとはっきりいえばそもそもありそうもないものを、どこをさがせばいいのかもまるで書いてない文献と、科学の成果などまるで知らないのに科学はこういう点が不備だなどという似非宗教家(少なくとも独善家)の言説だけをたよりに、探すなんてのは馬鹿げてもいますし、実行不可能でもあります。

そういう意味で「物理学の対象ではない」のです。
仰るとおり「最終的には」全学問が矛盾なく統一的にありうるのでしょうが、そうなるにはなお特に宗教の側の溝が深すぎるように思います。少なくとも学問が宗教をも包摂したものになるというのなら、それにはまだいろんな意味で時間がかかると思います。そのためにも研究不能の分野を扱う暇なぞない、ってのが正直なところではないでしょうか。
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この回答へのお礼

私の考えとあなたの考えは、ほぼ同じです。
真実は1つ。だから最終的には、全学問は統一されるべきです。
しかし、「今のところ」そこまで、学問が発達してない。
だから、天国や地獄の場所を研究テーマにする余裕がないのではないでしょうか?

しかし、できれば、私の生きている間に、この答えを知りたいものです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/23 09:26

現代物理学に、『多重宇宙』という考えがあります。



我々が住んでいる宇宙だけがすべてではなく、無数の宇宙が同時に存在しているという考えです。

もしかしたらそれらの内のどれかが『天国』や『地獄』なのかもしれません。
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この回答へのお礼

>『多重宇宙』

多世界解釈のことでしょうか?
んー私は、多世界解釈反対論者なんですが・・・

でも、あなたのいうことは検証の価値あると思います。
しかし、多世界を検証するのは、非常に困難ですよね。

回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2005/08/23 09:19

(1)天国 ~ うちに帰れば。

エアコンの効いた涼しい部屋でビール!
地獄 ~ 28度設定の蒸し暑い会社。仕事も辟易。

(2)(3) ~ (1)の回答の通り

天国地獄はその人の心の中にあるものです。現代物理学と関係あるという発想はやめましょう。
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この回答へのお礼

>天国 ~ うちに帰れば。エアコンの効いた涼しい部屋でビール!
>地獄 ~ 28度設定の蒸し暑い会社。仕事も辟易。

人をバカにした回答ですね。
非常に不愉快です。

心も現代物理で扱ってるのを知ってますか?
論外ですね。

お礼日時:2005/08/23 08:56

(1)わかっていません。



(2)そもそもどの宗教・宗派の天国・地獄をいっておられるのか不明ですが、宇宙で人間の言ったことのない場所ののほうがいったことのある場所より遥に広いから、どこにもそんな場所がない、ということはできないでしょう。
が、・・・・・仮にそれらしき場所をみつけたとしても、それが天国・地獄であることを証明することができません。現代物理学では、そもそも観測されるものがちゃんと説明される、ということが第一義ですから、もしそれが天国・地獄であるとすると
(a)なぜそれが宗教家にわかったのか。直感、というものでわかりました、というのは科学ではありません。説明不能だがわかっちゃったんだ、といわれても科学にとってはそれは扱いかねるものです。
(b)どういうメカニズムでそれがなりたっているのか。天国・地獄が死後の世界だとして(たいていはそうですね)どうやってそこまで「魂」のようなものが移動したのか。魂の実在すら科学的証明はされていません。したがってわれわれが想定する天国・地獄に似た世界があったとしてもそれがそうであることを科学的に実証するのは困難です。

(3)現代の物理はその理論体系において特にそのようなものを想定しないと都合が悪い、ということは全くありません。むしろそのようなものがあるとすると理論に困難が生じます。確率という言葉は不適当(計算不能ですから。占いではないので当たるかどうか、という問題ではありません。妥当性があるかどうかなのです)なのですが、もしそれらしきものが観測されたら、物理もそれを対象とするでしょう。今のところ、幻視したひとはあれど、なにせ基本的に死後の世界となると、戻ってきたひとがないので(生き返ったってのは実際には死んでなかった状態ですから)どう観測すればいいのか、まさにどこにあるのか(でないと闇雲に探しても宇宙は広いです)わかりません。だからあるなし以前に今のところ物理学の対象外です。
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この回答へのお礼

>あるなし以前に今のところ物理学の対象外です。

「真実は1つ」です。
だから、心理学・宗教学・行動学などの対象であって、物理の対象でない、とするのは、逃げのようなもので、全学問は矛盾無く、統一的にならなければ(最終的には)ならないと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/23 08:46

1.わかっていません、というよりも現在の物理学では天国と地獄の存在そのものに関心をしめしていません


(人間が勝手に妄想した場所が実在するのかどうか確かめようとおもう物理学者が居ない)


2.誰も行って帰ってきた事のない場所や、観測不可能な場所は想像することしかできまん、存在するという状況証拠もありませんので 現在の物理では「存在しない」と結論つけられるでしょう


3.天国や地獄が無い根拠というより、天国や地獄が有るという根拠が無い。


棒アイドルが自分の出生星であると言い張る「コ○ン星」があるかどうかなんてどんな物理学者も研究しないでしょ、それと同じレベルの話です


しいて言えば、心理学や行動学、宗教、哲学の世界では存在しているかもしれませんね
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この回答へのお礼

「コ○ン星」と同次元のレベルですみません。(バカなもので・・・)

>存在するという状況証拠もありませんので 現在の物理では「存在しない」と結論つけられるでしょう

>天国や地獄が無い根拠というより、天国や地獄が有るという根拠が無い

非常に納得しました。
実は、私は、天国・地獄は無いという、信念みたいなものを持っていて、それを、宗教や哲学では、「死んだらわかる」とかいう類のあいまいな回答しか寄せられませんでした。

そこで、物理的(科学的)に詳しい方に質問してみようと思ったのです。

これで、天国・地獄は無いという確信が得られました。

ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/23 08:40

物理学的にというのを勝手に(自分なりに)解釈すれば


脳細胞のネットワークの中で各種情報から作られた仮想空間(?)としてあるのでは。
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この回答へのお礼

仮想空間?というのがいまいちわかりません。
仮想だから、「無い」ということなのでしょうか?

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/23 08:31

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