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歴史的なことや、何かの文献など、どんなに些細なことでもいいのでご存知の方は教えてください!!日本大好きなイタリア人のお友達に質問されたのですが、全く分からず困っています。自分の国の事なのに、分からなくて情けない限りです、よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 回答者各位が,神仏習合のことを回答されていますが,質問者の「浅草にはどうして寺と神社が一緒に建立されてるの?」という質問,つまり,浅草寺と浅草神社の関係について言及なされていないので,回答します。


 
 まず,浅草寺が先に建立されました。漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で人の形をした像が網にかかりました。これを当時の地元の文化人であった土師真中知にこの出来事を話し,その像を見てもらったところ,「これは聖観世音菩薩である。」と答え,その像が祀られたのが今日の浅草寺です。
 
 「これは聖観世音菩薩像である。」と言った土師真中知の死後,彼の子の夢枕に観世音菩薩が立たれ,「私を祀ってくれた漁師の松前浜成・竹成兄弟と土師真中知の3人を神として祀れ。」と告げられたことから,この3人を神として祀ったのが浅草神社です。
 ですので浅草神社のことを「三社様」と呼んだり,浅草神社のお祭りを「三社祭」と呼びます。
 

参考URL:http://www.asakusajinja.jp/index_2.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
浅草寺と浅草神社の関係はとっても興味深いですね。もともと友人からの質問でしたが、みなさんの回答を受けて自分でもしらべてみたくなりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/27 00:17

だいたい3人の方がご説明下さいましたが、キーワードとして一つ抜けている言葉があります。


「本地垂迹説」(ほんちすいじゃくせつ)と言います。
平たく言うとですね・・・。
「仏様がそんなにエライっつーなら、今までワシらがおがんでた神様は何なのよ?」
「んー、良い質問ですね。実は日本の神様は本当は仏様なんですよ」
「えぇぇぇ?」
「仏様が、日本では神様という仮の姿になって、暮らしてたんです」
「ということは、神様は仮の姿で、本当の姿が仏様?」
「はい、その通り」
というのが、本知垂迹説です。

もう一つは、神様は仏様を守る役割を受け持っている、という考え方もありました。まぁ、貴族と侍(さむらい)みたいな関係です。だから、別に浅草寺だけではなく、全国色々なところで神社と寺が同じ地所にある例はあります。有名な日光も「二社一寺」(2つの神社と一つの寺)という風に言われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
「本地垂迹説」、平たく説明頂いたおかげでよく分かりました。私も一緒に「えぇぇぇぇ?」と驚いてしまいました!全国には他にも例があることもきちんと伝えますね。ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/27 00:13

かみ砕いて書きますね。


平安時代に、神仏習合という動きがあって、神と仏は姿を変えているだけで、本質は同じものである、と言う考えが広まりました。
明治時代の廃仏毀釈(仏教は外来宗教なので、神のみを信仰すべきだという、政府主導の仏教破壊)により大部分は切り離されましたが、全国にはまだまだ残っているところも多いです。。

また、欧米人には別の宗教が共存するなんて、信じられないでしょうね。
ご存じのように神道は日本の土着信仰、基層信仰です。そもそもは山の神、海の神など、自然崇拝がもとで、それこそ八百万の神々がいました。現在のような神道として体系化される前から、日本人の信仰としてありました。
仏教が受け入れられたのも、(社会不安・特定の人による思想統一など、いろいろありますが)、日本人の中で役割分担をしていたのではないでしょうか。
神道はハレ・穢れがあり、縋れないときもある。仏教は、何でも望みを聞いてくれるように感じたのでしょう。
神道も仏教も唯一神ではないので、その点でも受け入れやすかったのでしょうね。
日本人は今でも他宗教に寛容で、私自身もイスラム教圏とキリスト教圏の戦争を理解できない時もあります。(先の大戦は、先述の通り、廃仏毀釈を行った上での戦争です。また、神=天皇として、唯一神的思想が主流でした)

御友人はイタリア人とのことですので、ギリシャ神話をご存じでしょう。日本の神道はそれに近い。征服された歴史がないので、細々と生き残っています。
簡単に言えば、「神道と仏教は同じと考える思想があって、今でもお互いに護り合っていると考えられている」というところでしょうか。
うちも仏壇の横に神棚があります・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
日本人は他宗教に寛容ですね、私自身の事を含めてそんな気がします。でも日本のそういうところもけっこう悪くはないと思います。(戦争のことなども踏まえて)
友人の事まで考えて頂いてありがとうございました!

お礼日時:2005/08/27 00:06

日本では、6世紀に仏教が入ってきましたが、奈良時代頃から、仏教と神道とを折衷して崇める習慣が広まりました。

これを神仏習合といいます。たぶん聞いたことがあるのではないですか。

浅草寺は、江戸時代の建立だと思いますが、その時代にはまだ神仏習合が続いています。したがって、仏教と神道が仲良く一緒にいるのです。

明治維新直後、維新政府は、神仏分離、廃仏毀釈として、日本のオフィシャル宗教を神道とし、仏教を弾圧します。

第二次世界大戦後は、宗教の自由が確保され、何でもありになりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
神仏習合、聞いたことのあるフレーズですね。恥ずかしながら、そういうことなんだぁ~と納得しながら読ませて頂きました。早く教えてあげようと思います。

お礼日時:2005/08/27 00:02

神仏混淆、神仏習合といって、日本人は神様と仏様を一緒に祀ってきたのです。


江戸時代までは、浅草に限らず日本中どこでもそうでした。
明治初年、時の政府は神仏分離令を出し、廃仏毀釈を指示したため、お寺と神社は明確に区分されるようになりましたが、一部には今でもその名残が残っているのです。

以上簡単に書きましたが、「神仏混淆」「神仏習合」「神仏分離令」「廃仏毀釈」をキーワードにすれば、もっと詳しい情報が得られます。あとはご自分でどうぞ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
何をキーワードにしたら良いかも分からなかったので、教えていただいたキーワードで自分でも調べてみようと思います!

お礼日時:2005/08/26 23:58

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