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カントがもの自体と現象を分けたのはどういう意図があったのでしょう。
単なる不可知論でもなく、また形而上学的欲求をカントは否定していませんが。

A 回答 (5件)

#1です。



>つまり私と他者の実践的な関わりを説明する為だけに
>「もの自体」を考えたということでしょうか?

#2さんもおっしゃっているとおり、何かを意図して考えたのではなく、純粋な理性を批判・分析していたら2つに分けることができた、ということだと思います。

#2さんの
>物自体は、想像することも出来るし、
>考える事もできる、実存在では?

多分、カントは
「それは物を見ているのではなく、現象を見ているのだ」と言うと思いますね。^^ そして「経験をそぎ落とせば何もなくなる」と続けるでしょう。

この回答への補足

それと、経験を削ぎ落とせば、
無限の可能性としての「想像」が残ると考えます。

補足日時:2005/09/09 23:40
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

私の存在とは無関係に他者が存在することを明確にしたかったのではないでしょうか。
でなければ実体も道徳律も存在する場所がなくなりますよ。
何しろ私が認識する限り対象は全ては現象なわけですから。

お礼日時:2005/09/09 23:21

え~と、しつこくなって済みません。



質問の、カントとは離れてしまいますが、

レビナスの他者の「顔」
ベルクソンの「身体」を特殊なイマージュとする事を
他者に当て嵌めてみてはどうでしょうか、

もうひとつ、質問の意味が判らず、ご迷惑お掛けしました。

では、又来週お会いできますよう。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

実のところ、カントに関する質問というのは非常につまらないものになってしまうわけです。
批判を批判しても面白くないわけです。

次回も宜しくお願いいたします。

お礼日時:2005/09/10 20:22

あれ、あれ、


つまり、もの自体の、「わたし」を求めているのですか?

これは難問です、
おそらく、私と質問者様は意見が違うでしょう。

簡単には、違いも説明できません、又の機会に。

この回答への補足

fishbowl66様
luune21様

くだらない質問にお付き合いいただき誠にありがとうございます。
次回もまたよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/09/10 19:42
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

もちろん主観である私ではなく、#1でご説明の実践的な領域の他者(もの自体)と言う意味です。

お礼日時:2005/09/10 12:47

あれ、現象と物自体が違うから、区別しただけでは。



それでも、現象は物自体が不在では、根拠を失いますから。

物自体は、想像することも出来るし、考える事もできる、実存在では?
おっと、最後の一行は、私の私的な言葉、上二行は、カントの考えでは?

自信なし(笑。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

もの自体が存在する場所は道徳的な他者の関わりの内のみです。

お礼日時:2005/09/09 23:28

こ、これは、実践理性批判を説明せよ、ということでしょうか^^;; ご質問者さんのご理解以上のことを私が説明できるとも思えませんが、「昔なつかし」の気分なので、ちょっとやってみます。



カントは、純粋な理性を批判分析した結果、理性の思考には限界があるという結論に達しました。つまり、現象の世界の外側は認識できないということですね。そうなると、現象の実体(物)も、その意味も認識できない、ということになります。

しかし、これは明らかに人間の行動に反しています。人間は、理念・理想という実体を感性や悟性によって把握できないにもかかわらず、理念・理想に従って行動しているからです。

そこで、理念・理想という実体は認識はできないが、それに属することはできる、とカントは考えました。人間は自然の因果律(腹が減れば食う)に従うだけの存在ではなく、主体性(腹が減ったが貧しい人にこのパンをあげよう)をもった存在ともいえるからです。
これが、「もの自体」と質問者さんがおっしゃっている「実体」になるのだと思われます。

「実体の世界」は、知識や経験は及ばない、しかし、それ(理想・理念)を想定することは可能なので、それに従って意思を制御することができます。

よって世界は二つに分けられます。
一つは、知識・経験が及ぶ「現象の世界」、
もう一つは、知識・経験は及ばないが属する(コントロール)できる「実体の世界」、なのですね。

ご承知のとおり、カントは、この「実体」から、アプリオリに共通する道徳律という概念を導き出します。そして、この道徳律というものに従って生きなさい!ということになっていく訳です。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

つまり私と他者の実践的な関わりを説明する為だけに
「もの自体」を考えたということでしょうか?

お礼日時:2005/09/09 18:02

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