出産前後の痔にはご注意!

一千石の旗本は、だいたい何坪程度の拝領屋敷に暮らしていたのでしょうか?

武家奉公人(侍・中間・女中)は軍役ではなく実際にはそれぞれ何人くらいいたでしょうか?

五千石くらいの大旗本の家老だと、百石前後はあった様ですが、千石の家の用人はどれくらいの家禄を貰っていたのでしょうか?

千石の屋敷の門は長屋門だったのでしょうか?

質問が多くてすみませんが、お考えを伺えると幸いです。

A 回答 (1件)

千石以上の旗本は、全部で800家ほどしかありませんでした。


千石の旗本であれば長屋門でした。
屋敷の規模は人や場所によっても違いますので一概には言えませんが、二百坪くらいはありました。
家臣の数もその家の考え方や裕福さにもより、また役についているか無役か、どういう役職かなどによっても異なりますが、役についていれば千石クラスだと登城時にも4~5人の供は必要でしたから、男が用人、若党、中間、小者をあわせて6~7人くらい、女が2~4人くらいではないでしょうか。
このクラスだと用人でもせいぜい10石くらい、他は何両何人扶持といった程度で、譜代の家臣はいても用人くらい、あとは口入屋からの年季奉公人といったところでしょうか。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
だいたい二百坪しかなかったのですか。うちの実家の方が広いです(笑)五~八百坪くらいはあるのかと思っていました。

用人も十石とはかなり少ないのですね。
家中筆頭の用人だと、同心(三十俵二人扶持)くらいはあるのかと思っていました。

お礼日時:2005/10/06 16:41

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Q大名の家臣数

大名家の家臣数を知りたいので教えて下さい。
家々によって違うと思いますが、一万石・五万石・十万石・三十万石クラスの大名の大まかな家臣数・陪臣数を知りたいです。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

大名家の家臣数は時代によりかなり異なります。
戦国期、江戸初期、末期で実態が変わっています。
戦国末期で軍制が定まってきたときは大体一万石につき200名以上の人数、に武器、乗馬、旗などの数が決められていました。
しかし実態は戦闘時、戦闘員の数がものをいうので軍制以上の人数を動員するのが常でしたし陣場借りといってアルバイトのような人員も抱え込みふくらんでいました。

江戸初期にはこの名残で大体一万石につき200名位に落ち着きましたがそれ以上の家臣をかかえる藩もありました。
米沢藩上杉家は謙信以来の家風があり大幅な減封を受けたのですが家臣団のリストラはせず、一律減封で対処したので有名です。
この為米沢藩士の窮乏はひどく、藩財政の建て直しを図った上杉鷹山の事績は有名で、内職が特産になった位です。

太平が続いた江戸中期では経済の発達、実収入の変動も影響しリストラ、給与の削減(借り上げ)などが常態となり軍制は形ばかりで多くは渡り中間など臨時の人数で揃えることが多くなり馬を備える事もままなりませんでした。
従って実数は半分以下位に下がっていたでしょう。
幕末長州攻めなどに動員された時武器鎧も質にいれていたので請け出すのに借金して間に合わせたといいます。
勿論内実の裕福な藩や尚武の念の厚い藩などはこの限りではありません。
それぞれの藩の古文書などに頼るしかないと思います。

大名家の家臣数は時代によりかなり異なります。
戦国期、江戸初期、末期で実態が変わっています。
戦国末期で軍制が定まってきたときは大体一万石につき200名以上の人数、に武器、乗馬、旗などの数が決められていました。
しかし実態は戦闘時、戦闘員の数がものをいうので軍制以上の人数を動員するのが常でしたし陣場借りといってアルバイトのような人員も抱え込みふくらんでいました。

江戸初期にはこの名残で大体一万石につき200名位に落ち着きましたがそれ以上の家臣をかかえる藩もありました。
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Q大身旗本の出世

五千石とか三千石クラスの大身旗本が、役高千石の遠国奉行など家格より遥かに役高の低い役職に就く事はよくあったのでしょうか?
例えば御小姓として初出仕した後はどの様な役職を経て番頭などの家格に相応しい役職に就いたのでしょうか?

Aベストアンサー

三千石以上であれば寄合関ですが、このクラスだとなかなか石高に応じた職がありませんからほとんどが持高つとめとでした。
三千石クラスで遠国奉行などの職に就いている例はめずらしくありませんし、はなはだしいのは家禄五千石の旗本が5百石高の小納戸についている例さえもあります。
このクラスは初出仕は御側の役が多く、中奥小姓という例は多くあり、また御側衆という例もあります。
このあとは小姓頭取や小普請支配、寄合肝煎を経て大番頭や両番の番頭、あるいは先手頭などという番方の役が多かったようです。
役方のコースに乗れば遠国奉行から勘定奉行、町奉行などになることもありました。

Q石高について

石高が具体的に想像できません。時代ごとで石盛がことなることは理解できるのですが、例えば加賀百万石や慶長年間の30万石とは、玄米にして何表にあたるのか、米にしたら何表になるのか、金額にしてどれくらいなのか、などの具体的なものを教えていただけませんか。時代ごと、地方ごとでその意味は異なるとは思うのですが、概略だけでも掴みたいと思います。

Aベストアンサー

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのうなぎを食べていたというのが実情で、しかも、精力がつくというので、人足などの肉体労働従事者が食べていたもので、一般的ではありません。

食品としては、海から取れるものは、各種の魚、貝、たこやいか、海草などで、池や川や田などでは、魚や貝が取れました。これらを調理して料理にしたのです。また陸では、米、麦、豆、粟・稗などの雑穀、大根、芋などを含む各種野菜、そして兎やかもの肉などがあり、例外的に、猪の肉などもありました。

しかし副食はそんなに多くなく、庶民だと、米に雑穀、豆から作った味噌や豆腐、それに野菜、魚、貝などが食物でした。やはり、米と雑穀、麦が多く、それに味噌、野菜を少し加えて、これで大体食事です。宮沢賢治の「雨にも負けず」にあるようなのが、江戸時代の食事です。

生活費は大体、食べるのに使ったのだと考えるのがよいでしょう。衣類や調度、その他、多少の道具も必要だったでしょうが、やはり食べることが主で、食べられることが、生活の条件だということになります。

だから、食べるための米の量で計算するのが、江戸時代の価値観では合理性があるのです。

一日に米五合というのは、そんなに食べないと思えますが、昔は、副食がないので結構食べたのです。米だけ食べたのでないので、雑穀も米に勘定して、副食もこれに入れます。すると、大まかに、1石は、200日分の米だと出てきます。

1石=10斗=100升=1000合 でした。それゆえ、1石半で、一人の食料一年はまかなえたことになります。5人家族で7石か8石です。もう少し多く必要だとして、庶民は、一年間に一家で10石あればよかったということになります。

最下級の武士で、禄高30石とかがありますが、30石でも、食べるだけなら、十分余裕があったということになります。

米10石が庶民の年間の収入だったと考えると、現代の庶民の年間収入を仮に300万円とすると、1石は30万円になります。米1升は、1.5kgほどで、1石は150kgだとすると、現代の安い米だと、1kgは500円かそれ以下です。1石は7万5千円になり、10石は75万円になって、先の300万円と合いませんが、江戸時代の方が米の価値は高かったのだと云えます。

中級武士は、禄高100石ぐらいありました。これは3000万円になり、非常に高給のように思えます。しかし、江戸時代は、人件費が無茶苦茶に安かったという事情があります。商家の手代や丁稚が一年、働きに働いても、大した給金はなかったのです。食べさせてもらうことが、給金の主たる部分だったとも云えます。

また武士は、人口の一割にも満たない、エリート階層だったのだということも重要です。中級武士だと、少なくとも4,5人の下男・下女などを専属で使っていたのであり、現代の日本で、4,5人の成人を丸抱えで雇うとなると、年間1000万円の収入では無理でしょう。一人300万円出すとしても、1200万円とか1500万円必要になり、これを考えると、100石の中級武士が年収3000万円というのは、それほど多い金額ではなくなります。

1000石の旗本というと、殿様であって、裕福ということになりますが、これは年収3億円ということになります。

1万石の大名は、石高30億円です。しかし、1万石の大名になると、相応の数の武士の家来を持たねばならず、小者や使用人など、抱える家来や使用人は100人は軽く超えたはずです(また収入は、以下の前田家と同様、15億円と半分になります)。

加賀100万石の前田家は、石高3000億円ということになりますが、これは大土地所有者でもあるのであり、日本の面積の50分1ぐらいを所有する大金持ちだとも云えます。(また、これは、加賀の総生産高で、課税がその半分とすると、1500億円が収入です。領地を持つ大名などは、領地からの税収が収入であったのです)。

徳川の直轄領を仮に1000万石とすると、徳川宗家は年収1.5兆円だとなりますが、これはむしろ、少ないのではないかという気がします。

1石30万円というのは、江戸初期の米の価値で、米の価値は段段落ちてきます。江戸末期には、1石10万円に、もしなっていたとすると、幕府収入は3750億円になります。

これでも多いように見えますが、幕府が何人の人間を養っていたのか、行政手順など、どれぐらい費用をかけていたか、こういうことを考えると、3750億円などでは、とても足りないということになります。

幕府1000万石1.5兆円は、純利益ではなく、粗利益で、ここから人件費その他諸費用を出さねばならないのです。それは大名家も同様で、武士の家も似たようなことになります。

なお、1石は2.5俵です。40石が100俵です。また玄米と白米は、昔は食用の米はほとんど精米していません。だから、そんなに差はないことになります。清酒用の米はかなり精米したようですが、分量的には、それほどではないでしょう(ただ、糠が出る程度には精米したはずです。糠も貴重な食料原料だったのです)。

(農家の次男・三男などが商家に丁稚などで働きに出ると、食事に、たくあん一切れ二切れとか、梅干が出たそうですが、これが何とも美味しく、魅力的であったという話があります)。

なお、参考2では、1石=5万円としていますが、これは話がおかしいのです。現代の米の価格をそのまま戦国時代や江戸時代に当てはめるというのが無理があるのです。一日5合が、一人の庶民の生活費で、1石=5万円だと、1合=50円で、一日5合は、一日250円となりますが、そんなはずはないのです。

1日250円なら、1年で9万円ですが、5人家族で45万円とは、現代日本では生活できません。米の価値が、江戸時代では、現代よりも遥かに高かったということを失念しているのです。

>参考1:石高とは
>http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm
 
>参考2:関ヶ原
>http://www.ryusaku-kuroya.net/sekigahara.htm
 
>参考3:上田藩の支配組織
>http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm,http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのう...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q直参と陪臣について

将軍家直属の家臣を直参、大名の家臣を将軍から見て陪臣というと思うのですが、
御三家や御三卿の家臣の場合は直参と陪臣どちらになるのでしょうか?

あと、おまけ(?)にもう一つ。
水戸藩士で馬廻り役の500石というと、藩内におけるランクはどれくらいになるのでしょうか?
暮らしぶりなど、なんでもいいので教えて下さると嬉しいです。

どちらか一方だけでも結構ですので、回答のほどよろしくお願いします。

Aベストアンサー

直参はあくまでも「将軍直属の家臣」ですので、御三家でも御三卿でも家臣は「陪臣」です。
それらの家の当主は将軍の身内ではあっても、将軍ではありませんから。


>水戸藩士で馬廻り役の500石というと、藩内におけるランクはどれくらいになるのでしょうか?

かなり上ですよ。
まず、直参旗本と呼ばれる旗本でもその90%近くは500石未満です。
一口に侍と言っても、現在のサラリーマンのように給料(当時は米)を貰う「蔵米取り」と、領地を与えられる「知行取り」の2種類に分かれ、当然、領地を与えられる後者の「知行取り」の方が格上。
領地を与えられる「知行取り」を現在で言えば、会社の一つの営業所なり支店をまかされてその売り上げを全部お前の好きにして良いってことになります。(但し、売り上げが悪かったら収入は減りますが)
でっ、この「知行取り」は500石からなのですよ。

小藩なら500石は家老クラス。
水戸藩には家老が17,8人いて、一番禄が低い家老が800石。
水戸藩で500石以上の禄を貰っていたのは、家臣全体の中の上位15%前後(30人前後)に過ぎなかったはずです。
ただこの家臣全体と言っても記録に残っている、あるランク以上の家臣であり、下っ端の記録にも残らないような家臣もいますから、比率の少なさはもっと上がるかもしれません。

直参はあくまでも「将軍直属の家臣」ですので、御三家でも御三卿でも家臣は「陪臣」です。
それらの家の当主は将軍の身内ではあっても、将軍ではありませんから。


>水戸藩士で馬廻り役の500石というと、藩内におけるランクはどれくらいになるのでしょうか?

かなり上ですよ。
まず、直参旗本と呼ばれる旗本でもその90%近くは500石未満です。
一口に侍と言っても、現在のサラリーマンのように給料(当時は米)を貰う「蔵米取り」と、領地を与えられる「知行取り」の2種類に分かれ、当然、領地を与え...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q一万石 大名には家来は何人ぐらいいたのでしょうか

一万石 大名には家来は何人ぐらいいたのでしょうか
また 家来は毎日どのような生活をしていたのでしょうか

Aベストアンサー

諸大名の所領・石高で準備しておく、一定の兵員と武器は「軍役」という制度で最低の線が決められています。
備える義務のある兵員は石高50石につき一人で、1万石では最低200名が必要とされ、軍役・武器は馬上(侍)10騎・鑓30本・旗30本・弓10張・銃20丁が規定として課されています。
慶安2年(1649)の軍役規定を見ますと、1万石の大名は馬上(侍)10騎・徒歩侍16名・弓・鉄砲・鑓持ちなどの足軽や中間等が209名の計235名とされています。
この人員が軍役として必要とされる人数ですので、基本的にはこの人数が大名家の抱える家臣ですが、「中間」は武士階級でないので、この人数を引いた数が武士としての家臣です。
中間などを約100名として、1万石の大名家の抱える武士は120名~150名ではないでしょうか。
また1万石の大名の参勤交代の行列は馬上3騎・足軽20名・中間人足30名となっています。
江戸における幕府からの拝領屋敷地は2500坪。
なお幕末時点で城持ちの城主大名家が158家あり、無城大名家(陣屋敷のみ)が100家あります。この無城大名家の総石数が151万石なので1家平均1・5万石となります。
この様に1万5千石以下の大名は陣屋敷のみの大名が多く、1万石大名で城持ち大名家は松前城の松前家、美濃苗木城の遠山家の2家のみです。
(以上、コピペ)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010085595



家来は毎日どのような生活をしていたのでしょうか
  ↑
藩にもよりますが、無役、つまり何もしないで
遊んでいる武士が多かったとされています。
つまり、仕事が無いのです。

仕事がある人も、ほとんどが三日に一日
出勤とかする程度が多く、釣り三昧、という
家来も多くいました。

仕事は、藩という地方自治体の官僚と同じ
ような仕事です。
一部の幹部は忙しかったようです。

仕事に就かないと出世も出来ませんので
仕事を得る為の猟官活動が盛んでした。

諸大名の所領・石高で準備しておく、一定の兵員と武器は「軍役」という制度で最低の線が決められています。
備える義務のある兵員は石高50石につき一人で、1万石では最低200名が必要とされ、軍役・武器は馬上(侍)10騎・鑓30本・旗30本・弓10張・銃20丁が規定として課されています。
慶安2年(1649)の軍役規定を見ますと、1万石の大名は馬上(侍)10騎・徒歩侍16名・弓・鉄砲・鑓持ちなどの足軽や中間等が209名の計235名とされています。
この人員が軍役として必要とされる人...続きを読む

Q旗本と大名

昔の日本で、旗本と大名どっちが偉かっんですか?
例えば、道ですれ違ったときに道をゆずるのはどっちとか

Aベストアンサー

それぞれが『殿様』と呼ばれていた階級です。大名は石高1万石以上で、格の高さは大名が上です。旗本から出世して大名になった者として吉宗時代の町奉行・大岡忠相です。綱吉時代に柳沢吉保も下級藩士から側用人を経て大名になりました。
江戸初期では旗本にはなるには直参であることが必要でした。しかし、幕末になると旗本株をお金で売買するようになりました。江戸城の無血開城談判で有名な幕格の勝海舟は祖父の代に旗本株を買った家系です。
旗本の中では書院番や幕格の旗本は格が高いのです。将軍のお側近くにはべるので特別なのです。外様大名は将軍に近づくことも出来ませんでした。江戸城松の廊下で『殿様』同士が出会うと格式の差でいろいろとあったでしょうね。
格から言うと徳川御三家、徳川御三卿家、松平家、親藩大名、外様雄藩大名、幕格旗本、外様小藩大名、旗本の順です。

Q旗本の屋敷

ヤフーのスクロール古地図を見ると、旗本も寄合クラスとなると三千坪を超える屋敷を構える者も少なくなかったようです。
 中には一万坪以上の屋敷を持っている旗本もいるようですが、大身とはいえ数千石程度の旗本がそのように広大な屋敷を財政的に維持できたのでしょうか?

5万石程度の小大名が十万坪近くを与えられていたりと、石高と屋敷の広さはあまり関係ないのは分かりますが、このように過大な江戸屋敷の維持費が藩政を著しく逼迫させたりしなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

 旗本の家計については、軍役義務のため一定の人数を雇う必要があるため、やりくりが大変であったようです。↓
http://www.0105.jp/~mizuki/gunekikitei.html
 しかし、三千坪もの広い敷地と広大な建物にかかる費用は大変だと、今日の我々は思ってしまいますが、我々が想像するほどでもないかな、という感じがしています。
 私は以前、今なお三千坪の敷地に長大な長屋門と昔ながらの屋敷を構える郷士のお家を訪ねたことがありますが、ご主人の話ですと、明治以降は住み込みの下男夫婦で、庭の手入れや、建物の維持管理ができたそうです。実質1.5人でなんとかやれたということのようです。
 庭園も人手を食わない庭の造り方というものがあるようです。芝生とか苔やツツジなどの小灌木が多いと夏場の水遣りが大変です。
 井戸から水を汲んでということになりますので、事実上無理ということになりますが、そこのお宅では庭に水をやるということはないそうです。造成地ではないため、樹木は地下の水脈近くまで根を下ろすのでしょうね。
 建物も腐りやすい風呂や便所は別棟ですから、母屋や門長屋は普段からキチンと手入れをしていけば、百年、二百年ともつそうです。

 田舎の郷士は身分は最低クラスですが、軍役義務のための雇い人は必要なく、実際は裕福なお家が多かったようです。
 一方、旗本はその高い格式を保つため、内実は大変ということを聞きますが、建物や庭園の維持管理にかかる費用は、人件費の安い江戸時代であれば、われわれが思うほどではないという感じがします。
 しかし、建物を新築したり庭園を造ったりする費用は高いものにつくでしょうね。全部人力ですから。庭石を一つ運ぶのにも、トラックやクレーン、ユンボなどはありませんので、高い費用がかかります。

 旗本の家計については、軍役義務のため一定の人数を雇う必要があるため、やりくりが大変であったようです。↓
http://www.0105.jp/~mizuki/gunekikitei.html
 しかし、三千坪もの広い敷地と広大な建物にかかる費用は大変だと、今日の我々は思ってしまいますが、我々が想像するほどでもないかな、という感じがしています。
 私は以前、今なお三千坪の敷地に長大な長屋門と昔ながらの屋敷を構える郷士のお家を訪ねたことがありますが、ご主人の話ですと、明治以降は住み込みの下男夫婦で、庭の手入れや、建物...続きを読む

Q「たそがれ清兵衛」の50石取りとは

映画「たそがれ清兵衛」を観ました。(時代は幕末です)
この中で何度もでてくる50石取りの身分(給与)とはいかほどのものなのでしょうか?
貧しいということはわかりますが、具体的にどれくらいの経済状況なのでしょうか?

1石とは米の単位だと思いますが、そもそもお米で給与をもらっていたのでしょうか?
それとも現金ですか?
映画の中で病気の妻の医療費が毎月1両4分かかったとありました。
この金額を石高にするとどれくらいになりますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

なかなか感動的な映画でしたね。
一石は下記のようです。
10斗=2.5俵(=100升=1000合)約150キロ
50石ですと、125俵、約7.5トンです。
安房守伝記を見ますと、
幕末のころは一石は25万円相当と書かれていますので、125万円ですね。
幕末のころは、一両が5000円程度ですから
清兵衛は年収125万円(月給10万5000円程度)
妻の医療費(毎月1両4分)は7000円かかる計算です。
使用人もいますから、かなり厳しい生活ですね。

参考URL:http://bakumatu.727.net/iroha/mame-kome.htm,http://www.asyura2.com/0306/tyu2/msg/314.html