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- 回答日時:
千石以上の旗本は、全部で800家ほどしかありませんでした。
千石の旗本であれば長屋門でした。
屋敷の規模は人や場所によっても違いますので一概には言えませんが、二百坪くらいはありました。
家臣の数もその家の考え方や裕福さにもより、また役についているか無役か、どういう役職かなどによっても異なりますが、役についていれば千石クラスだと登城時にも4~5人の供は必要でしたから、男が用人、若党、中間、小者をあわせて6~7人くらい、女が2~4人くらいではないでしょうか。
このクラスだと用人でもせいぜい10石くらい、他は何両何人扶持といった程度で、譜代の家臣はいても用人くらい、あとは口入屋からの年季奉公人といったところでしょうか。
御回答ありがとうございます。
だいたい二百坪しかなかったのですか。うちの実家の方が広いです(笑)五~八百坪くらいはあるのかと思っていました。
用人も十石とはかなり少ないのですね。
家中筆頭の用人だと、同心(三十俵二人扶持)くらいはあるのかと思っていました。
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