こんばんわ。質問は、ヨーロッパを西欧、東欧と分けていますが、どこを中心に西と東に分けているんでしょうか? また、いわゆる小アジアはアジアなのかヨーロッパなのかご存知の方お願いします。

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A 回答 (3件)

お礼を見て、はたと思いました。



>ロシアは中央アジアだろうけど、イメージ的にアジアって気がしないのは僕だけですかね。

ああ、やはりロシアをそのようにとられていたのですね。
ロシアは確かにアジア大陸にありますが、アジアではないのです。
そう、ロシアのアイデンティティーについて述べざるを得ない時がやって参りました。

ロシアという国について考えています。
アレクサンドル・ネフスキーという人物はドイツ騎士団など、西側の勢力を破ることはできたものの、タタール民族は撃退できませんでした。ですから、ロシアは「タタールの軛」に敷かれていたのです。
ですから、ヨーロッパから見るとロシアはアジアのようなものでした。
しかし、ロシアはロシアとして独立すると、そうでもなくなります。
ピョートル大帝の改革で、西欧化が進行します。
もともと、ロシアはキリスト教国ですから、メンタリティーはヨーロッパのものなんです。ロシア自身としては自分はヨーロッパだ、という意識が出てもいます。
しかし、社会主義革命などがあってみて、「ロシアはヨーロッパでもアジアでもなく、ロシアなのだ」と自己規定するのが現状です。

こういう問題がなぜ簡単でないか、というと、地図というものが1つではないからです。
もちろん、自然国境説というのがあり、自然を以て地名を決めるということはあるかもしれません。
しかし、文化地図という概念もあります。
餃子のようなものは、日本、中国、ロシア、そしてポーランドまであって、それより西にはありません。これは餃子地図ですね。
でも、それ以外の地図では分布が変わるかもしれません。
文化を以て地域分けする、というのも、結構アリなんですよ。
その他には、民族地図とか。
ロシア人はそういうことから考えると、アジア系(モンゴル系)ではないですね。
言語地図で言うと、話が訳わからなくなります。というのも、ここいら全体、インド=ヨーロッパ語族だからです。
しかし、その中での分岐を考えると、スラヴ語族であるロシアは、ヨーロッパに近いと考えることはできます。しかし、ここで「スラヴ」という地域名についても考えなくてはいけないのです。

ね、白黒つけるのは難しいんです。
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この回答へのお礼

なぁ~るほど。アジアにあってアジアでない。複雑ですネェ。ロシアの前身、キエフ公国だとかノブゴロド公国時代(アレクサンドル・ネフスキー)は東欧って認識なのですが。勉強不足でその後なんであっちのほうまで勢力を伸ばせたんだか解らないんですが、タタールのくびき(くびきで変換できないウウゥ…)を脱したんでしょうね。勉強してみます。餃子地図…なるほど文化圏で判断することも大切なことですね。でも先の見えない話ですね。

お礼日時:2001/11/21 09:49

 


  西欧というのは、色々な使い方があります。例えば、欧州を、西欧、南欧、北欧、東欧などに分けるのもあります。この場合、南欧は、イタリア、ギリシア、南フランス、スペイン、ポルトガルなどで、西欧は、イギリス、北フランス、ドイツ、ベネルクス三国、それと、オーストリアなどでしょうか。北欧は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェイ、フィンランドなどで、東欧は、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ブルガリア、旧ユーゴスラヴィアなどということになります。
 
  西欧と東欧という風に分ける時には、旧ソ連の影響下にあった、東や北の欧州の地域が東欧で、そうでない、自由主義圏にあった欧州の地域が西欧ということになるでしょう。(ほぼ、これで合います)。
 
  小アジアは、歴史的に見て、オットーマン・トルコ帝国の本拠地があった地域で、イスラム教国ですし、17世紀頃には、西欧対イスラムのイスラム側の大拠点でした。現在のトルコは、かなり西欧に接近していますが、歴史的経緯と地理的位置からして、西アジアの西欧との境界地域でしょう。西欧ではないということになります。
 
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この回答へのお礼

具体的な例をあげていただいて恐縮ですm(__)m。
スペイン・ポルトガルは南欧なのですね。勉強になります。持っていた世界史地図がどこか行ってしまい、出てこないで困ってます(笑) 回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/11/20 19:26

東欧という言い方は、冷戦があった当時のもので、今ではその地域は中欧と呼ばれることが多いです。


つまり、答は簡単。
冷戦の時の「東西」。ドイツが境ということでしょうね。

ドイツが統一されてから、やはりいろいろと区分けがかわりました。
どこから見て東西を決めるか、ということなんですが、冷戦時はアメリカが判断している部分が大きかったようです。しかし、現在はドイツから見ていることが多いです。

小アジア、ですが、ここはトルコ、ですね。
文化的にはイスラム圏なので、アジアであると考えられます。
例えば、東京外国語大学でも、トルコ語学科はアジアの課程に入っています。
(そういえば、この大学、ロシア・東欧課程、とかいまだに言っているんですが)
しかし、トルコはEUに入りたいなどという姿勢を見せています。

そもそもアジアというものの定義が、ヨーロッパから見て野蛮なものにつけられたというものなのです。この地域をヨーロッパ文化圏が支配していたのはほんの一瞬ですから、そう考えると、小アジアをアジアと考えてもよいと思います。

大学の講義で習ったことなんで、いちおう自信はありです。ちなみに僕自身の専門地域はポーランドなので、ずばり東欧と言われていた地域なのですが。
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この回答へのお礼

なるほど、中欧というのもあるんですねぇ。時代とともに呼び方も変わるのは当然といえば当然ですが、こう、普遍的な基準的なものが欲しいですよね。~山脈より西、東とか。小アジアは僕も西アジアと考えています(日本が極東なら極西?)
ロシアは中央アジアだろうけど、イメージ的にアジアって気がしないのは僕だけですかね。

お礼日時:2001/11/20 19:21

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 テロ攻撃されて収拾がつかなくなり、儲けを出す
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東方正教会の普及した国々はビザンティンの支配ないし文化影響下にあった地域です

【カトリック】
リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの一部

カトリックの普及した国の多くは
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http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_regions_by_past_GDP_(PPP)_per_capita

1820 1870 1913 1950 1973 2003
683 937 1,695 2,111 4,988 6,476 Eastern Europe

669 737 1,387 1,921 11,434 21,218 Japan

産業革命前の1820年に東欧と日本はどっこいどっこいで、
第一次世界大戦前は 東欧>日本
もはや戦後ではない1950年で 東欧>日本
1973年のオイルショックの段階で 東欧<日本で二倍の差
2003年で三倍の差

ここから読み取れれるのは、戦後の経済体制の選択で資本主義体制を取った日本のほうが経済的に発展した。
というだけで、「同じヨーロッパ文化の東欧はそこまでいてません」という前提が成立していない。
少なくとも、第二次世界大戦前までの東欧も日本も資本主義体制の段階では、東欧のほうが一人あたりGDPは大きかった(=経済的に成功していた)

Q東欧白人美少女しか好きになれません。

モンゴロイドなのに東欧白人美少女しか好きになれません。
中でもベラルーシ人が大好きです。
東欧白人美少女と付き合うにはどうしたら良いでしょうか?
私は46歳無職童貞です。

Aベストアンサー

みんなで ベラルーシ  行こうぜ !

Q東ドイツと西ドイツでの価値観・国民性の違いについて

あまり歴史には詳しくないのですが、

東ドイツ=社会主義
西ドイツ=資本主義

といったイメージを持っています。

ドイツが分断されていた年月は、歴史全体から見れば僅かですが、当然、両国での教育や国民性は異なっているかと思います。

それぞれの国の教育による価値観や、国民性は、それぞれどういったものであったのでしょうか。

また、東ドイツが西ドイツに吸収されて今のドイツができたようですが、西ドイツと今のドイツの価値観と国民性には、根本的な違いはないのでしょうか。

Aベストアンサー

東ドイツ=DDR=Deutsche Demokratische Republik=ドイツ民主共和国=共産主義
西ドイツ=BRD=Bundesrepublik Deutschland=ドイツ連邦共和国=民主主義

東ドイツの教育は普通の授業と平行して、職業訓練も重要視されていました。
例えば、秋になると、農家の収穫を手伝うとか、Lehring, Geselle, Meisterと言った職人の見習い制度も重視されていました。

西ドイツでは保育園、幼稚園が不足していましたが、東では、保育園、幼稚園が充実していたようで、働きたいが、子供を預けられないといった心配はほとんど無かったようです。

西ドイツでは学校で初めて習う外国語がラテン語か英語ですが、東ドイツでは、ロシア語か英語、ラテン語でした。ですから、東出身の人はロシア語が分かる人がけっこういます。

また、東ドイツでは、SED=Sozialistische Einheitspartei Deutschelands=ドイツ社会主義統一党だけが、政党で、この政党党員の子供と、農民の子供が大学に行け、そこの党員でない人の子供は優秀でも大学に行けませんでした。

また、Abi(Gymnasiumの卒業試験)で彼らは、SEDをたたえる論文を書かなければ、大学に行けなかったそうです。

そして、例えば、農民の子が無事大学を卒業して、エンジニアになったとして、その人がSEDの党員でなければ、いくらその子供が優秀でも大学には入れてもらえない仕組みになっていたそうです。
もし、党に入っていない人の娘が優秀で、大学に行きたいのに行けないとかになると、身近な西ヨーロッパから来ている外国人とその娘が、偽装結婚して、彼の本国から西ドイツに渡って西ドイツの大学へ行くなどと言うこともあったようです。
教育自体は、西ドイツよりも東の方が良かったようです。

嘗て、東ドイツはオリンピックでメダルを多く稼いでいましたが、彼たちはSEDの格好のプロパガンダで、子供のころから、ドーピング漬けにされていた人達がほとんどで、ドイツ再統一後は大きなスキャンダルになっていました。
フィギュアースケートのカタリーナ・ヴィットはよくホーネッカーと雑誌などの写真に写っていて、プロパガンダの代表だったとも言える人です。

国民性の違いといって、バイエルン人と東プロイセン人との違いは無いと思います。ただ、地理的な関係で東プロイセンの人の引揚者が、東ドイツには多かったと思います。

東ドイツの時代は、友達や隣人がお互い見張っていて、スパイさながらの写真を撮って密告するなど、日常茶飯事、平気でやっていたようです。ですから、人を信じない人が多かったのではないでしょうか。

東ドイツでも東ベルリンでは、夜8時のARD(西ドイツの1チャンネル)のニュースが見る事が出来ました。西からの新聞、雑誌、出版物は禁止で、バナナ、オレンジ、チョコレート、コーヒーは市場にありませんでした。当時の東ベルリンのアレキサンダープラッツの喫茶店ではインスタントコーヒーで、その広場のスーパーでは、脂身の多いサラミーソーセージとラベルの貼っていない缶詰ばかりが目立っていました。缶詰は買って帰って、どうやって中身を判断するのか不思議に思ったものです。チェックポイント・チャーリーの国境を越えた東側は廃墟のビルしか見えず、人の気配が全くしない感じの所でした。

また、壁が崩壊する前、ハンガリーがオーストリア国境を開けると言った時に自分達の子供を置き去りにして、逃げた親が多くいて、壁の崩壊直後、当時のコール首相夫人が自らバスを運転して、その子供達を救いに行ったのは有名な話しです。

現在、嘗てDDRだった地方は、西よりも、目だった産業も無く、若者の失業率も高く、ザクセン州などはネオナチなどに走る若者がけっこういます。最近は親子3代ネオナチなんていうのもあるようです。

ベルリンの現在の国会議事堂内に国境線がありました。
そして、その脇に川が流れていて、鉄格子で仕切られている横に、十字架がいくつもあって、見れば、その前の年に撃たれた人のものもありました。30年前の話です。皆自由に行き来できる、いい時代になりました。

東ドイツ=DDR=Deutsche Demokratische Republik=ドイツ民主共和国=共産主義
西ドイツ=BRD=Bundesrepublik Deutschland=ドイツ連邦共和国=民主主義

東ドイツの教育は普通の授業と平行して、職業訓練も重要視されていました。
例えば、秋になると、農家の収穫を手伝うとか、Lehring, Geselle, Meisterと言った職人の見習い制度も重視されていました。

西ドイツでは保育園、幼稚園が不足していましたが、東では、保育園、幼稚園が充実していたようで、働きたいが、子供を預けられないといった心配は...続きを読む

Q東欧がイメージのカクテル&日本的なカクテル

*東欧(ハンガリー)、もしくはジプシーがイメージ
 もしくは東欧のお酒の使われたカクテル

と、

*日本のイメージ
 もしくは日本酒の使われたカクテル
 もしくは「春の海」(曲)に合うカクテル

の二つを探しています。

お心当たりがありましたらぜひ教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

*東欧(ハンガリー)がイメージ
ハンガリーのハーブ酒「ウニクム」を使ったカクテルで「Masquerade」。

Masqueradeは
http://www1.linkclub.or.jp/~tom-t/cocktail/nut14.html

ウニクムについては
http://www.keihin-bar.com/i/jitenn/unicum.htm


*日本をイメージは
世界一おいしい「マティーニ」を創るといわれてる上田和男のオリジナル・カクテル「春暁(しゅんぎょう)」はどうでしょうか。
早春の暁、寒さにほころぶ桜をグラスに閉じ込めたというか、抹茶の上に桜の花びらが舞い降りた感じのカクテルです。
http://aikii.hp.infoseek.co.jp/syungyou.htm

Q日本を含むアジア圏には、君主に仕える女性が集められたいわゆる『後宮』と

日本を含むアジア圏には、君主に仕える女性が集められたいわゆる『後宮』という仕組みがありましたが、欧州圏の王候貴族にはそのようなシステムはなかったのでしょうか。
アジア圏の皇帝や王、将軍には二桁の妃、側室がザラだという気がするのですが、ヨーロッパ圏の王には大勢の女性をひとつの館でといったイメージがありません。

いまふと思い付いたのですが、キリスト教の教え等も絡んでいるのでしょうか。貞節であるべし、とか。

Aベストアンサー

 ヨーロッパに後宮の様な仕組みが殆ど知られていないのは、非嫡出子に家名等の継承が基本的に出来なかったからです。

 アジア圏ならたとえ母親が奴隷出身で満足な婚姻関係すら結べていなくても、父親が正当な自分の子であると認知し、後継者に指名すれば立派な跡取りになれます。
 (ヨーロッパの場合、非嫡出子を後継者にする位なら、会った事も無いような極端な事を言うと外国人でも嫡子で辿れる人を探し出してきて後継者にする。)

 アジア圏なら後継者が絶えない為と言う大義名分で沢山の子供を作る為に、女性を沢山囲めますが…。
 (妻も自分が年老いて来た時に、夫が若い女と仲良くしてたらかなり不愉快でしょう…。下手したら妻が実家に告げ口して、妻の実家が介入してくる口実にされかねない…。ヨーロッパの場合、妻の実家が隣国[外国]の強国である事も多いので扱いには慎重に…。)

 ルイ15世の鹿の園なんてものも一応有りますが…。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E3%81%AE%E5%9C%92

 ちなみに、少数の女性を愛人として囲う事は、なかば公然と行なわれていました。

 また、イギリスやフランス等の国には公妾と言う制度が有りました。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%A6%BE

 諸々の費用を王廷費からの公式に支出され、王妃に代わって国のファーストレディーとして王の傍らで公の場で活動します。

 ポンパドゥール夫人の様に国政に絶大な影響力[オーストリアのマリア・テレジア女帝、ロシアのエリザヴェータ女帝と通じ反プロイセン包囲網を結成←所謂「外交革命」]を行使する事すらあります。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%AB%E4%BA%BA

 ちなみに王妃が何故ファーストレディーをはたせないかと言うと、先述の通り王妃は家を継ぐ子供を1人でも多く生まなければならない為(彼女にしかそれが許されない)、夫婦間に問題が無いと、ただひたすらに妊娠と出産を休み無く繰り返す事だけの人生に成ってしまいます。
 (気を病む夫人も多かったとか…。)

 まして、王妃になる方全てが、ファーストレディーに相応しい美貌と教養と社交的な性格をしている訳では有りませんし…。

 ちなみに、キリスト教会などは婚姻を承認する権限がありましたから、過去に存在していなかった婚姻を偽造して庶子を嫡子にしたり、その逆を行なったりなど度々、継承に介入しました。
 (極端な事例だと、イギリスのメアリー1世の様に一夜にして王女から庶子になり、しかも後に母違いの妹の召使にまで落とされる…。)

 ヨーロッパに後宮の様な仕組みが殆ど知られていないのは、非嫡出子に家名等の継承が基本的に出来なかったからです。

 アジア圏ならたとえ母親が奴隷出身で満足な婚姻関係すら結べていなくても、父親が正当な自分の子であると認知し、後継者に指名すれば立派な跡取りになれます。
 (ヨーロッパの場合、非嫡出子を後継者にする位なら、会った事も無いような極端な事を言うと外国人でも嫡子で辿れる人を探し出してきて後継者にする。)

 アジア圏なら後継者が絶えない為と言う大義名分で沢山の子供を作る為に、...続きを読む


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