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空手バカ一代(どこまで本当の話かは疑問ですが)や初期の極真空手の本をよく読んでいます。

大山館長については、それぞれいろんな見方を世間ではしていますが、少なくとも空手で世界大会を開催するという偉業をなしとげた人物であり、過小に評価されるような人ではないことは確かだと思います。その館長の元で多くの弟子達が極真空手の基礎を作り上げ、現在に至っています。

そこで疑問なのですが、初期の門弟達はなぜああも多くの人が大山館長と袂を分かつことになったのでしょうか?

ワールド大山空手の大山茂泰彦兄弟、中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、逆真会館の山崎照朝、士道館の添野義士、円心館の二宮城光などなどです。

初期の荒々しい道場で揉まれていたこれらの弟子達が一枚板で極真を支えていれば、極真空手もまた今とは少し違った形で存在していたのでは、と思います。ですが、上に挙げたような方達が極真を離れたいった理由について書いてある本はあまり見受けられません。どなたかご存知な方がいれば教えていただけませんでしょうか?

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A 回答 (4件)

 「独立が容易」だったからだと思います。

やろうと思えばそれを阻む障害が特にないということは、組織から離れていく側にとっての大きな引き金となってしまうものです。
これが組織を去る上での最大の“原動力”となっていることは明らかです。そういう安っぽい打算的な理由のみで去っていくというわけではなく、各人が去ることを決断した後のそれを後押しする原動力となっているはずだ、という意味です。

 カラテというものが世代を重ねた有形の技術、カネや組織力で生み出される工業製品や商品などとは違い、個人の身に一代で備わった「無形の技術」ですから、支部道場主としての運営ノウハウと、ある程度の名声さえあれば現行の看板を挿げ替えてしまうことでそのまま自分の流派、会派の道場主へと独立できてしまいます。特に70年代後半から80年代は梶原一騎のマンガの後、三協映画と組んでの布教映画(史上最強のカラテ、他)の影響が大きかった時代で、極真の誰々の道場というだけで練習生を集めるのに苦労はしなかったはずです。企業組織でそれと似たような独立をやるのと比べたら困難さにおいて、天と地ほどの差があったものと思います。

 支部道場というのは基本的に地域密着型の強固なコミュニティーを形成しています。アクセス至便という理由で通っている練習生と、あるいは支部長そのものを信望して通って来るというものですから、多くの練習生たちは先生が組織を離れ独立すると、思い入れも先生の側にそのままシフトしてしまいます。また、去る者に対して極真会側が表立って大きく非難することもなければ、金銭的なペナルティーや罰則も普通はなく、場合によっては「組織が違ってもカラテを愛する心は同じ!」とか、下手すると本音はさておき組織的に応援までしてしまう場合もありました。
カラテがどれほど高度な技術で、その組織の稽古体系の中でしか会得しえなかった技術であっても、それを「特許」などのように侵害、流失することを阻止するものはなにもありません。

企業組織のような利益を追求する集団ではなく、宗教団体のように盲目的に信ずる者のみによって成り立つ集団でもなく、自ら月謝を持ち込んで集い、時に信じ、時に疑問を投げかけ、利益追求は目的になく、純粋な強さへの欲求に傾注したある意味非常に時代錯誤的な精神的つながりだけで成り立ってきた組織であることがかえって強固な結束の一方で場合によっては脆弱な一面もあるのだろう、と考えています。
以上は本稿のご質問の趣旨とは若干違う角度からの回答になってしまいますが、極真を離れた個々の理由については、各人にしか分からない理由があったものとする一方で大山倍達氏(極真側)の側にどのような問題点があったかということでもあり、確実に分かっている事も幾つかはありますが、これについては言及するべきではないと思います。高弟の多くが離れたという事実こそが全てだと思います。
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この回答へのお礼

返事が大変遅くなってしまい申し訳ありません!!

「独立が容易」ですか。なるほど、確かに氏の仰るとおり、極真で独立を阻まれたような話は聞いたことがありませんね。
それと最近購入した「梶原一騎伝」という本に極真が映画界に進出し出した頃から、組織が大きく変わって言ったような記述がありました。

いずれにしろ複雑な要因があいまって高弟達が離れていったようですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/14 22:11

#1です。



>大山総裁の性格が変わった、ですか。個人で道場を運営していたときと世界大会を開くまでになったときとでは総裁の考え方も違ってしまっていたんでしょうか?

若いときに純粋で才気あふれていた巨人が晩年、成功後に性格が変わった例は大小ゴマンとありますよ(歴史上の人物では豊臣秀吉、毛沢東など)。
成功して財が入り、高い地位にいるのが当たり前になると周囲に保身、保財にのみ関心を持つ人物が集まり、やがて本人も影響されてくるケースが多いようです。

#3さん、上手くまとめられていますね。同感です。
マンガ連載当時、添野さんは長島選手以上の収入があったとか。支部長間でもマンガでとりあげられた人とそうでない人との間で集客力(?)はかなり差があったようです。結局はこのことが梶原氏と極真が疎遠になるきっかけだったようですね。

個人的にはとことん極真ブランドにこだわる最近の方たちより自流の看板を掲げた方たち(最近では黒澤、数見氏など)のほうが漢気があるようにも思います(大山先生が存命時は極真ブランドを掲げるのは不可能だったでしょうが)。
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この回答へのお礼

返事が大変遅くなってしまい失礼しました!

最近購入した「梶原一騎伝」にも添野の年収が長嶋を上回るくらいあった、という記述がありました。

やはりお金が人を必ず変えるとは言いませんが、何らかの影響を及ぼす可能性は非常に高い、ということかもしれませんね。

私も最近独立して言った極真戦士達の動向には非常に注目しています。ただ、ファンとしてはやはりあくまで空手の道を追及して欲しいという気持ちが強いです。野地選手は空手の道に帰ってきて欲しいです。

お礼日時:2005/11/14 22:15

真相は当事者間しか分からないでしょう。



二宮氏は故芦原氏(芦原会館)の師弟なのでついていったのです。

 故大山館長は「わがカラテ 日々研鑽」のなかで一部この問題に触れています。

 大道塾(空道)の東氏は第二回世界大会で投げをだしてしまい大会後、注意・戒められ投げ・組技・締めもある自らの理想とする道を選びました。

 他、真樹道場の真樹氏や岸信行氏、初期ではないかもしれませんが故大西靖人氏、田原敬三氏なども独立しています。

 極真会の場合、武道精神における師弟関係が強固であり、組織が大きくなるにつれ行き違い、矛盾が方向性、道場経営にも出たのかもしれません。

 破門や比較的理解ある独立もあり、その理由は各氏で違うのでしよう。この袂を別れた高弟の方々は皆、自叙伝を書いており事情・経過の推測ができるのも多々あります。
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この回答へのお礼

私が挙げた以外にもたくさんの方が独立しているんですね。確かにあれだけたくさんの道場生がいれば考え方が違う人が出てくるのはやむを得ないでしょうね。

『わがカラテ 日々研鑽』はまだ読んでいませんが一度読んでみたく思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 22:37

事情は去った方たちにより様々でしょうが根本的な理由は組織拡大により大山先生の性格が変わったせいではないかと思っています。

中村忠師範の「人間空手」は読まれましたか?

極真は大山先生存命時から組織的にアバウト、不透明な部分が多かったようで大山先生と各支部長との関係に法的根拠がなかったようです(支部長が本部から派遣されたものなのか、フランチャイズか、など)。

残念な話ですが一言で言えば「お金の問題」が大きいようですね。
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この回答へのお礼

大山総裁の性格が変わった、ですか。個人で道場を運営していたときと世界大会を開くまでになったときとでは総裁の考え方も違ってしまっていたんでしょうか?
あと、やはりお金も理由の一つにあるんですかね~、極真空手の月謝がやや高めなのは、そのあたりが原因してるのかも。

返信ありがとうございました。

お礼日時:2005/10/28 22:34

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