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南伝仏教と北伝仏教をそれぞれ小乗仏教(小さい乗り物)、大乗仏教(大きい乗り物)というのは知っているのですが、なぜ小さい乗り物、大きい乗り物なのかがよくわかりません。

誰か知っている方がいれば教えてください。

gooドクター

A 回答 (3件)

こんばんは。



 URLにも触れてあると思いますが、小乗という言い回しは、大乗側からの蔑称で、最近はあまり用いられなくなりました。「上座部」という名称がよく見られます。

http://www.miyagawa.com/syuha/osie/b.html

http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/mahayana.html

 出家主義を採り、仏教を「仏(=お釈迦さま)の教え」と捉えていた上座部仏教に対して、出家を軽視したわけではないものの、在家での仏教実践を広く認め、仏教の「仏の教え」という面だけではなく、「誰もが仏になるための教え」という面を全面に打ち出して強調したのが、大乗仏教と言えると思います。

 また、上座部仏教は、出家して修行してもお釈迦さまと同格の「悟り」は得られず、その一歩手前の境地までしか得られないと考えていましたが、大乗仏教は誰もがお釈迦さまと同格の「悟り」を得られる可能性を有すると考えたという違いも大きいと思います。
 大乗仏教は、出家であれ、在家であれ「仏教の修行者」(=菩薩)としての自覚を持ち、自らを律し他者を生かす菩薩としての実践行を行うことを広く勧め、「悟りを開いた人の理想像」として「如来」を、「修行者の理想像」として「菩薩」を、さまざまな形で説き、やがて数多くの如来・菩薩が想定され、信仰を集めるようになっていきます。
 また大乗仏教は、仏教を単なる「お釈迦さまの教え」としてではなく、普遍的な「真理」と位置付け、その「法」(=教理)はお釈迦さまが悟ろうが悟るまいが、既に、そして常に有り続けていたもので、これからの有り続けると捉えています。
 上座部仏教にもそういう傾向はありますが、大乗仏教ではこの点を強調し、前提としていると言えるでしょう。


 仏教では古来から「悟り」に至ることを「向こう岸に渡る(彼岸に到る)」というイメージで表現することが多かったので、この岸(此岸)から向こう側(彼岸)へ渡る渡し舟を「乗り物」とし、大乗側は、自分達はみんなを彼岸へ渡す大きな舟だが、従来の仏教は出家修行者一人だけが渡る小さな舟だ、として「小乗」と呼んだわけです。

 荒っぽい説明になりましたが、ご参考になればよいのですが、では。
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乗り物が何を指すか知っていますか?


この乗り物は蓮です。
蓮は極楽浄土へ行く時に乗っていくものです。よく阿弥陀像(観音像)の下にありますよね。
本題ですが、小乗仏教は厳しい修行による個人救済ですから、蓮が小さくて良いのです。
しかし大乗仏教は、衆生救済といって、日常から阿弥陀様を信仰していれば、誰でも救済されるのです。つまり一度に多くの人を極楽浄土へ連れて行かなければならないので、蓮が大きいのです。
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小乗仏教というのは大乗仏教の立場からあざけってい言う言葉で、現在は小乗仏教とは言わず上座部仏教といいます。


大乗と小乗の違いは、大乗仏教派の言い分で言うと、大乗は自分が悟りを開くだけではなく他の人も救おうとするもので多数の人が乗れる大きな乗り物であるのに、小乗は自分が悟りを開くことだけを考える小さな乗り物だということです。
もちろし、釈迦が開いた本来の仏教は、自分が悟りを開くことを目的とするいわゆる小乗の立場であり、大乗はその後に拡大されてきたものです。(釈迦以外に阿弥陀や薬師、あるいは観音菩薩・地蔵菩薩などいろいろの仏が現れてくるのは大乗仏教になってからです。)
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