最近歴史小説を読んでいて思ったのですが、
吉原のような遊郭で働いている
花魁や、遊女たちは、避妊はどうしていたのでしょうか?
もちろん、当時すでに避妊具があったことは知っていますが、現在に較べて、生産が少なく、
数が足りなかったはずです。
妊娠してしまった女性やその子供は、
どうしていたのでしょうか?
もし知っている方がいられましたら、教えてください。

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A 回答 (2件)

こんにちは。



どちらにしても大変そうですね。
今ほど発達していないですからね。
今でも日本ではチョイスが少ないですよね。

また、妊娠してしまった場合は。。。気の毒な限りです。

http://www3.airnet.ne.jp/asoh/kuruwa/moyou/hinin …
http://www.miyacho.com/nikki/98/980312.html
http://www.yuichan.jp/bn112.htm
http://www.cat-net.ne.jp/~data/shittoku/z_5.htm
http://www.din.or.jp/~sigma/
http://www.kao.co.jp/peony/laurier/backnum/may/m …

とりあえず、
男の人がつけるコンドームのようなものがあったということ、
女性が膣の中に何かを入れる(御簾紙・梅干など)
あるいは、迷信に近いもの(感じてはいけない・お灸をすえる)
といったところでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
今では考えられないような
避妊法ですが、当時は本気で効果があると
信じられていたんですよね。
勉強になりました。
詳しい説明ありがとうございます。

お礼日時:2001/12/13 12:04

質問の内容をそのまま回答しているURLがあります。



避妊についてはほとんど対策が無かったというのが実情でしょうか?
子供が出来ると、借金の返済などにも影響があるため、堕胎(流産を無理に起こさせる》のためにかなり体に負担をかけたというのは…産婦人科の講義で聞いた記憶があります。

参考URL:http://www.kit.hi-ho.ne.jp/mory/page/other/yuujy …
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    • 0
この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
…むごい話ですね。
歴史小説には、色里の艶やかな部分ばかりが描かれ、
こういった陰惨なことは書かれていないようですね。

お礼日時:2001/12/13 11:08

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Q吉原遊郭の遊女には「位」があったそうです。

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最高位は「太夫」と呼ばれるそうですが、「太夫」を決めるのは誰ですか。
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Wikipedia 吉原遊郭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%AD%81 

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 僕は学生時代に、京都の祇園で生まれ育った先生に、まる1学期、郭の制度やしきたりについての講義を聴きました。大阪の新町、京都の島原、長崎の丸山などで階級制度が違っていたようですが、これらが吉原が出来た時に部分的に採択されて葦原での組織が出来て行ったものと思われます。当時は、試験の前になって「こんなどうでもいいようなこと、こまごまと覚えられないよ」と悲鳴をあげましたが、今思えば、ちゃんと聞いてノートを取って置けばよかったと悔やまれます。

 下記などがご参考になるかと。階級制度も地域差と時代差で、いろいろあるようです。

 http://hiwa.sarashi.com/chiyoji/kaisetsu.html#SEC3

http://www19.atwiki.jp/yui_co_ltd/ref/8.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%A4%AB_%28%E9%81%8A%E5%A5%B3%29

Q今回の旅行は皆さんのお役に立てたでしょうか?感想や行ってみたくなった場所など、ぜひお聞かせください!

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教えて! goo を頼りに、木下優樹菜さんが3/18(水)東京へ、
遼河はるひさんが3/21(土)・22(日)金沢へ旅行に行きます!
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https://travel.oshiete.goo.ne.jp/

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ぜんぶ、役に立ったし行ってみたくなった。お二人の珍道中やリアルタイムに体験してる所を見たり、回答したりする所が、まるで自分も二人に同行して旅してるようで新しい体験!第3弾・4弾と続編を期待してます。

Q吉原遊郭、遊女の人数の変遷について教えてください

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いろいろ調べたのですが、ピンポイントで、たとえば開設当時の人数などは分かる部分もあるのですが、飛び飛びで、全体像が見えません。
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ご存知の方がいらしたらよろしくお願いします。

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こちらのサイトには、調べるにあたってどのような書物を用いたのかが一緒に掲載されているので、ここに掲載されている原著を遡ってゆくのが良いのではないでしょうか。

この他にも、「藤岡屋日記」や「甲子夜話」などの何歳の遊女をいつ何人入れたなど店の詳細なデータが記載された書物がありますが、参考URLの先にある資料もこの二冊もいずれも国会図書館ならば閲覧可能です。
古い本で再収録の際に書名が原著の通りでないことが多いので、事前に、国会図書館の簡易検索でどの本がどんな著名かを調べてから行くと良いでしょう。

参考URL:http://www.din.or.jp/~sigma/yosiwara/yosinen.html

Q行ってみたいライブ・コンサートはありますか?

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Q吉原(遊郭)についてですが、江戸当時はHIVはなかったようですが、所謂

吉原(遊郭)についてですが、江戸当時はHIVはなかったようですが、所謂本番をどのようにしていたのでしょうか。
避妊具もなかったと思います。
遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、堕ろしまくってたのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸当時はHIVはなかったようですが

HIVが発見されたのは、1983年(昭和58年)にパスツール研究所で初めての報告がなされました。
江戸時代は、「梅毒」が主流で、その他にも「淋病」や「麻疹」(はしか)などの感染症が主でした。

麻疹?と言われるかも知れませんが、
子どもの頃の麻疹は、「三日麻疹」(みっかばしか)と呼ばれ、治りも早く「抗体」ができるので、それほど恐ろしい病気ではありません。
ところが、幼少の頃「麻疹」にかかったことのない大人が罹ると、別名「命定め」と呼ばれ、3~4日発熱が続き、吹き出物が全身に発症します。一旦、熱は下がるのですが、5~6日後からは、熱が再び上昇し、「咳」や「くしゃみ」なども出て、風邪に似た症状ですが、最悪の場合は「死」にいたることもありました。

>>避妊具もなかったと思います。

コンドームの歴史を見ていくと、日本でゴム製のコンドームが出回るのは1909年(明治42年)とのことです。世界の歴史をみてみると、1671年に、チャールズ二世が牛の腸膜を利用して、精子の侵入を防いだ記録が残っています。

>>遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、堕ろしまくってたのでしょうか?

<洗浄法>
避妊の基本は、やはり洗浄でした。遊女用の浴室や便所には、必ず洗浄用の場所がありました。

<薬>
「朔日丸」(ついたちがん)というものが爆発的に売れました。
これは一般にも服用されていた薬で、毎月朔日(ついたち)に服用すれば妊娠しないというものでした。長屋の総後架(共同便所)などに広告が貼られている絵が残っています。

<お灸>
二月二日、臍下に灸をすえると妊娠しないという言い伝えがあり、廓ではこの日こぞって灸をすえました。

<道具>
甲形(かぶとがた)という男性が使用する、現代のコンドームに近いもので、薄い油紙で男性の性器形をしたものと、詰め紙という女性が使用する、現代のペッサリーに近いものがありました。
甲形は「笑い道具」、つまり現代の大人のおもちゃとしての用途もありました。また、詰め紙というのは、御簾紙という薄い紙を丸め、つばで湿らせて挿入しました。これは生理中、現代のタンポンのような用途でも使われました。男性の精液がその紙に浸み込んで「妊娠はしない」とのことで、流行しました。

<中絶>
農村部などでは日常的に間引きが行われていたように、当時中絶に対してはそれほど否定的な状況ではなかったようです。
よほど売れっ子の高級遊女であれば出産も可能でしたが、妊娠した遊女のほとんどは中絶せざるを得ませんでした。
また、遊女の産んだ子供は、女の子であれば「禿」(かむろ)として遊女屋で育てることもありましたが、たいていは養子に出されました。当時江戸には「中条流」という堕胎専門の医者がいて、妊娠した遊女はその医者によって堕胎させられました。ひどい場合には、遣り手が強引に堕胎させる場合もありました。さらに、何回も階段や箱を積んだところから飛び降ろさせたりもしました。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸当時はHIVはなかったようですが

HIVが発見されたのは、1983年(昭和58年)にパスツール研究所で初めての報告がなされました。
江戸時代は、「梅毒」が主流で、その他にも「淋病」や「麻疹」(はしか)などの感染症が主でした。

麻疹?と言われるかも知れませんが、
子どもの頃の麻疹は、「三日麻疹」(みっかばしか)と呼ばれ、治りも早く「抗体」ができるので、それほど恐ろしい病気ではありません。
ところが、幼少の頃「麻疹」にかかったことのな...続きを読む

Q一度は行ってみたい場所、国を教えてください!

あなたの一度は言ってみたい場所や国を教えてください。国内外は問いません。社員旅行の担当になったのですが、社内でアンケートをとっても回答が少なく、途方にくれています。
現実非現実問いません!社内報の号外でこんな意見がある、と出します。
熱海でも北海道でもハワイでもイースター島でもかまいません。社内の起爆剤にあなたのご意見をお願いします。

できれば理由もつけていただけると、紹介しやすいです。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

こんにちは。

(失礼ですが)面白そうなので参加させてください。
社員旅行の幹事さん(しかも規模が大きい)なんて大変ですね。
悩みすぎて倒れないように気をつけてくださいね。(^^ゞ
私自身は社内旅行の経験はないんですけど、もし自分が行くとしたら
滞在型のリゾートで仕事を忘れてのんびりしたいですね。
(え、同僚や上司と一緒じゃ仕事は忘れられない??)
勤めていた会社のアワード旅行では、プーケットやランカウイ、オーストラリア
などに行っていたようです。

さて、私の旅行で行ってみたいところは
国内だと
・屋久島(自然に触れたい、屋久杉を見たい)
・四国(讃岐うどん食いだおれがしたい)
・北海道(食べ物が美味しい)
・小笠原(ホエールウォッチング)
海外なら
・マチュピチュ(遺跡が好きなので)
・モンゴル(パオで生活体験してみたい)
・ヤップ島(石のお金の現物を見てみたい)
・タスマニア島(いろんな動物に会いたい)
・北朝鮮(恐いもの見たさ)
でしょうか・・・・

ふと思ったのですが、なにかテーマを決めてから行き先を決められるのも
いいかと・・・・それこそ「食いだおれの旅in○○(ここを4ヶ所決める)」
みたいな。(すみません、食べることばっかりで・・・)

上手く決まるといいですね。がんばってください。

こんにちは。

(失礼ですが)面白そうなので参加させてください。
社員旅行の幹事さん(しかも規模が大きい)なんて大変ですね。
悩みすぎて倒れないように気をつけてくださいね。(^^ゞ
私自身は社内旅行の経験はないんですけど、もし自分が行くとしたら
滞在型のリゾートで仕事を忘れてのんびりしたいですね。
(え、同僚や上司と一緒じゃ仕事は忘れられない??)
勤めていた会社のアワード旅行では、プーケットやランカウイ、オーストラリア
などに行っていたようです。

さて、私の旅行で行ってみ...続きを読む

Q吉原の遊女の言葉遣い

最近SJコミックの「JIN-仁-」というマンガを読んで疑問に思ったことがあります。
これは幕末の江戸が舞台になっていて、結構リアリティを大事にしている印象がある作品なのですが、その中で吉原の花魁が
「あちき」(私)
「~でありんすか」(でありますか)
「やめなんし」(やめなさい)
「ほんだすかえ?」(本当ですか?)
と言った風な言葉遣いをしているのが気になりました。
一人の花魁だけではなく遊女たちが総じてこういう言葉遣いなのですが、他の歴史マンガやTVなどでこのような遊女の言葉遣いを聞いたことがなく驚いています。
これは史実に基づいた江戸の遊女の言葉遣いなのでしょうか?
それとも作品の中で区別目的や印象づけるためだけの演出なのでしょうか。
遊郭の歴史にお詳しい方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

> これは史実に基づいた江戸の遊女の言葉遣いなのでしょうか?

 本当です。

 それを「里言葉」と言いますが、いろんな理由で吉原で開発されたものです。
 例えば、吉原の遊女は、あちこちの地方から集められますから、郷里の言葉が本人のデフォルトです。そんな田舎言葉を話されて客がげんなりしたり理解不能になったりするのを止めたいとか、同僚や従業員たちと意思疎通がおかしくならないようにしたいとか。

Qクラブに行ってみたいのですが・・・

接待に使うクラブではなくて、
音楽に乗る(?)方のクラブへ行ってみたいと思っています。

HIPHOPやR&B、ハウス系の曲が好きなので
そういうイベントに行きたいのですが
女一人で、音を聞くためだけに行っても
楽しめるものなのでしょうか?
友人と音楽の趣味が違うので一緒に行ってもらえません。

お酒もたばこも吸わないので、
手持ち無沙汰になりそうな予感がして不安です。
一人で行ってる!という方がいらっしゃったら、
アドバイスお願いします。

Aベストアンサー

あたしは週に1回はクラブ通いしています!
20歳後半の女ですが。
あたしはHIPHOPのイベントばかり行ってます。
しかも結構1人で行くし、友達と行ってもあたしはフロアで踊りたい派、友達はカウンターで飲みたい派なので、別行動です。
ただ単に行くのではなくて、手持ち無沙汰になりたくないなら自分の好きな音楽やアーティスト、もしくはダンサーがプレイするイベントを選んで行く事をオススメします! 何軒か知ってるクラブをピックアップして、インターネットとかフライヤーとかで、行ってみたいイベントを探すのが良いと思いますよ。
お酒が飲めなくてもソフトドリンクがあるし・・・ダンスなら見てれば良いし・・・好きな音楽なら踊りましょう!
あたしはナンパもされるけどそこまでしつこくされた事はないですよ。
ナンパするやつは手当たり次第してると思うので次次と行くと思うので・・・。でもあたしはどうせ1人だし話相手にちょうどいいやって感じでしゃべったりするけど・・・笑

Q初期の吉原遊郭について教えてください

友人の友人のそのまた知人くらいの人の言を又聞きなのですが、


初期の吉原遊郭は生計を立てる術のない女性を集めて、一通りの教育を受けさせて世に送り出す(嫁に行かせる)ための施設だった。
禿などがいい例で、先輩遊女たちから教育を受けていた。
買春行為は行われていたが、現代ほど貞操観念にはうるさくなく、問題にならなかった。
遊女たちが稼いだ金銭は、巡り巡って最終的には遊女たちを養うために使われた。身請けの際に動く大金も同様。(いったん楼主の懐に入っても、その金を使って楼主が遊女に衣食住と教育を保障したから)
嫁に行く当てを見つけられなかった女性は、遊郭内でお針子や後裔の面倒を見る遣手婆などになって再就職した。
死亡率は約2割ほどで(8割は無事に年季を開けて自由の身になった)、これは当時の衛生管理や食糧事情、医療技術を考えると驚異的な低さで、いかに彼女たちが保護されていたのかがうかがえる。
後期になるとこういった面は廃れ、単なる買春屈になった。死亡率も約8割と激増した。


というような説を聞きました。
非常に興味深くって調べてみたのですが、なかなか初期の吉原遊郭について学べる資料が見つかりません。
吉原遊郭の創設者庄司甚右衛門の人柄や、初期吉原遊郭について知ることのできる資料をご存知の方、教えていただけないでしょうか。

友人の友人のそのまた知人くらいの人の言を又聞きなのですが、


初期の吉原遊郭は生計を立てる術のない女性を集めて、一通りの教育を受けさせて世に送り出す(嫁に行かせる)ための施設だった。
禿などがいい例で、先輩遊女たちから教育を受けていた。
買春行為は行われていたが、現代ほど貞操観念にはうるさくなく、問題にならなかった。
遊女たちが稼いだ金銭は、巡り巡って最終的には遊女たちを養うために使われた。身請けの際に動く大金も同様。(いったん楼主の懐に入っても、その金を使って楼主が遊女に衣食住...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

お読みいただきありがとうございます。

>>最近の研究で初期の吉原遊郭がそこまで人権無視の地獄ではなかった(のではないか)という説が一般的になりつつある……というのを又聞きしたのです。

URLのサイトにも書きましたが、吉原の当初は、大名や江戸藩邸に詰める武士、大店の主人などだけでしたので、衛生状態は、ある意味では、非常に良かった。性病などもほとんど蔓延すること無く、病で死ぬとすれば「結核」くらいでした。
従って、生存率は高かったのです。

しかし、浅草堤(新吉原)へ移転させられてからは、辺鄙なところでの営業でしたので、客足も減りました。
そこで、幕府に願い出て庶民にも開放されました。およそ、元禄年間頃から・・・。
それ以来、性病などが蔓延するようになり、死亡率が急激に増加し始めたのです。

>>『死んだ遊女は投込み寺に「~売女」という戒名で、文字通り投込まれたという説もある。しかし、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は吉原の掟を破った者に限られていることが最近の研究で明らかになっている。[要出典]』

裏付ける史料は乏しいですが、現実として回向院などには「遊女の墓」(総墓)は残っていますよ。
サイトに書きましたが、銭200文を付けて投げ込み寺へ投げ込むと、寺では「総墓」と呼ばれる穴に埋めて、戒名なども付けず簡単な供養で済ませました。
また、吉原の女たちは幕府公認ということもあって、「遊女」と呼ばせて私娼(売女・ばいた)と区別されていましたから、「~売女」などの戒名を付けたとは考えられません。

>>創設者・庄司甚右衛門も人格者で、治水工事などに尽力した。当時の金持ちはみなそういった事業に手を貸したが、その中でも特に熱心だった……という説も聞きました。本当のところはどうなんでしょう?

庄司甚右衛門については、経歴などがまだ何も解ってはいません。
なぜ庄司甚右衛門という名が解ったかと言うと、徳川美術館に収蔵されている古文書の中から「裁可状」(写)が発見され、「庄司甚右衛門」という名前だけが解ったのです。
展示もされていませんし、一般人も見ることはできません。かく言う私も見てはいません。
まあ、高名な学者や大学教授あたりなら・・・かもしれません。

まあ、昔も今も「風俗営業の実態」などという本などは、幕府は吉原と四宿の飯盛り女しか許可していませんので、発禁処分されていて、ある意味では「本当の実態」は大奥と同じように、まだまだ研究段階と言っても過言ではありません。

こんにちは。

お読みいただきありがとうございます。

>>最近の研究で初期の吉原遊郭がそこまで人権無視の地獄ではなかった(のではないか)という説が一般的になりつつある……というのを又聞きしたのです。

URLのサイトにも書きましたが、吉原の当初は、大名や江戸藩邸に詰める武士、大店の主人などだけでしたので、衛生状態は、ある意味では、非常に良かった。性病などもほとんど蔓延すること無く、病で死ぬとすれば「結核」くらいでした。
従って、生存率は高かったのです。

しかし、浅草堤(新吉原)へ移転...続きを読む


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