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江戸時代の狂歌師大田南畝の狂歌「ねがわくは君が小指の輪となりて朝な夕なに思ひ出させん」について調べています。
この「小指の輪」について
(1)(質問タイトルのような)おまじないとしての習慣である。
(2)現在と同じ意味での指輪のことである。
とする二つの説があります。(2)については、ある程度自力で指輪の文化史を調べることが出来たのですが、(1)の方はどのような文献を見たらよいかわからず調査が進んでいません。
現在でも東京の下町では(1)のような習慣があると教えてもらったのですが、この習慣について具体的に記述のある書籍・サイト等があればそれを知りたいと思い質問させていただきました。

・・・多くの方に回答をいただけたらとても嬉しいです。。。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

ご質問の趣旨に全く外れた頓珍漢な回答にもならぬ回答です。



「帯久」というかなり古い落語があります,演者は極めて限定されております、それはさておき、話は、詐欺者本人が無実の罪を主人公に負わせようとお奉行所へ恐れながらと訴え出ます。奉行所ではその詐欺本人の言い分は嘘と判っていたが、無実の主人公を法律の枠内で助ける為に,詐欺者へ「本件の事情を思い出すおまじないじゃ、この紙縒(栞=しおり)をお前の人差し指と中指、薬指に巻いておく、奉行の印も押しておく、きっと思い出すのじゃ,一ヶ月後の再審まで決して外しては行かんぞ,外したら、闕所、所払いじゃ」と一時裁判停止して帰宅させます。さーて,こいつが困った、箸が使えん、飯が食えん,にぎりめししか喰えん、水濡れが怖いので風呂にも入れん、寝ている時に外れたらえらいこと、丁稚に夜通し片手を挙げて貰った、、、、この場面を思い出しました、、、、、ある種のまじない,忘れない為の(上記では思い出させる為)目印(多分これでしょう)、日常生活のあらゆる場面で、小指に紙縒を巻き付ける習慣は合ったようです。

「闕所、所払い」はお分かりですよね(笑)。
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一番の答えにもならん答えを出した張本人の回答者です。



「江戸の遊女たちは、恋愛を禁じられていた。遊女は、借金と引き換えに売られてきた身であり、その借金を返し終えるまでは遊女として身を売り続けなければならない。そのため、駆け落ちや心中の原因となる恋愛沙汰は、一切禁止されていたのだ。借金を返し終わる前に男と逃げられたのでは、置屋としては大損をこうむることになるからである。しかし、遊女といえども、若い娘たち。なじみとなったお客に、好意も抱けば恋もする。その恋をひた隠し、身を売り続けなければならなかった彼女たちは、二の腕に「○○さま命」と刺青をした。そして「体は売っても、心は売らぬ」という証しにしたのである。これは「心中立て」と呼ばれ、惚れた男に名前を書いてもらい、その筆跡のまま彫り込んでいた。刺青は、一度彫り込むと消せないから、彼女たちにとっても命がけの行為だった。ほかに、当時の遊女たちの間ではやった心中立てには、爪はぎや指切りがあった。指切りは、自分の指を本当に切り落とすのだが、この習慣が現在に伝わり、約束の印として小指と小指をからませる「指切り」となっている。もっとも、遊女にもいろんな人がいて、死刑囚の指をもらってきて、それを自分の指だといってお客をだます者もいたという。」

『愛の証→二の腕の入れ墨→小指切断→指の爪剥ぎ→小指へしおり・紙縒→指切りげんまん』この様に段々と「簡素化・無痛化・再生・再現可能」になったのではないかと今度は少しだけ真面目な答えで何かのヒントにはなりましたでしょうか?
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この回答へのお礼

いろいろ勉強になりました^^
ご回答どうもありがとうございます

お礼日時:2008/12/04 11:37

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