天使と悪魔選手権

 幼いころからこの疑問を常に抱いています。
 
言葉で表現するのは、難しいですが自分の顔は、自分で見ることができません。このことから自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できるのですが、自分以外の人は、本当に存在するのでしょうか?
 
 たとえば、それは青いというのは自分の脳が青色に見せているものだと聞いたことがあります。実際に、自分以外の他人は、人間のようにみえるように脳が映し出しているのかとも思います。また、こうして質問を書き込んでいる最中に後ろを見ることはできません。自分の後ろには、本当に世界は存在しているのでしょうか?
 
 このことに対する答えは、ないと思います。ですが、少しでも私が楽に考えることができるヒントを教えてくださるかたがいらしましたら教えてください。

A 回答 (20件中1~10件)

『自分の顔は、自分で見ることができません。

このことから自分の目は、自分のものであり内側から見ているイコール自分は、存在すると認識できる』

自分以外の他人も、存在の認識をそのようにするならば、他人も存在していることになる
と思います。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。
 
 私以外の他の人が私と同じように自分を
認識しているのかが、分かりえないところに
私の悩みがあり続ける理由なのかもしれません。

お礼日時:2005/12/25 00:11

さて、では「自分が認識している自分」が本当に存在しているのでしょうか?「自分が認識している自分」は自分以外には証明できないですよね。


まるで普段自分が聞いている声と録音している自分の声が違っているように。
自分が鏡を見ているときに映っている自分ですら脳が本当に正しく認識して情報を伝えているのかどうか証明のしようがないのです。
人間の脳内情報はかくもアバウト且つデリケートです。自分が現実だと信じているものを信じるしかないかもしれませんね。


胡蝶の夢、という話があります。ある男が転寝で蝶になった夢をみます。夢の中で蝶は人間になった夢をみているのです。
目覚めて男は「自分は本当にここにいるのか。それとも蝶が見ている夢なのか」と悩むという話です。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。
 
 私以外の他の人が私と同じように自分を
認識しているのかが、分かりえないところに
私の悩みがあり続ける理由なのかもしれません。

 といいましたが、自分が現実であると感じる
ことはあります。幸いにも自分が存在するという
ことは、現実である思っております。
penpen0608さんがおっしゃるように
自分が、現実と思うものを信じて生きていく
というのは、私にとってのひとつの指針
になりえるお言葉に感じました。
ひとつ大きなものいただいたように思います
ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/25 00:18

こんにちは。



自分以外の人は存在すると思います。

たとえば、
わりと近い時期に別々の人から同じことの評価をもらう。
でも、それぞれの人の評価が180度違うとき。
(自分にとって、それがよいことかわるいことかは別として)

それって、自分以外のほかの人がいないと
そこまで食い違わないはず。。。
どこか似たようなところが見つかるはず。。。
  *180度だから、裏を返せば同じことかもしれないけれど、
   それは自分の脳が処理することだから、
   自分というフィルターはひとまず置いておく。

だから、たとえば自分が青だと思っても、
人は青じゃない色を言うかもしれない。
でも、それって、ほかの人がいる証拠かなとおもいます。
もっと極端にいうと、
世界はたしかに存在しているけれど、
おそらくは、ひとつではなくて複数、
あるいはひとりひとりのなかに世界があるんじゃないかなとおもいます。

だから、質問者さんの世界はたしかに存在する
とおもいますよ。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。

わりと近い時期に別々の人から同じことの評価をもらう。

もし、実際に私がこのようなことを経験した
場合少しとまどうかもしれません。しかし、
domaine-espoirさんのように考えることが
できるのなら自分に新しい発想を与えてくれる
すばらしい経験に様変わりするように思います。

ひょっとしたら友人との何気ない価値観の違い
や考え方の違いが他の人間というものが存在する
という証拠を学ばせてくれていたのかもしれない
というように思えてきました。

お礼日時:2005/12/25 00:30

 質問者様がこの回答を受け入れてくださるなら、「この回答を書いたわたし」は質問者様にとって存在しているでしょう。

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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。
 
 シンプルなお答えですがかなり核心をついて
います。私には、非常に重く考えさせられる
お答えです。少し考えさせてください(笑)

お礼日時:2005/12/25 00:34

ここで言う「存在」の定義とは「物理」ですね??



自分以外の人は存在するか?RE:宇宙から見れば、大なり小なり、形はどうあれ「人」「木」「海」「地球」は<「点」>です。これを踏まえて、自分というのは「内から見た<点>」もし、あなたの脳と目を取りだし、目と脳が無くなった「あなた」を見た^^;;場合「あなたの脳でありながら、あなたは他人」になると考えます。もし、別の目と脳を作って来て、
あなたの記憶を作ってきた脳に「ダウン ロード」して「見たもの」の情報を共有できればあなたの中に「他人と自分が居る」になっちゃう^^ですが、内側から「点(自分)」を見れなくなったら・・・社会通念でいくと「死」です^^;他人か自分かというのは「見る位置によって呼び方が変わる」のではないでしょうか。まぁ~、他人、自分とか言っているけど物理界には「他人や自分は存在しない、人の頭の中で存在している」のだと考えます。長文は頭に入りにくいと思うので、この辺で失礼します^^
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。

 最初なかなか理解できずに何度も読み返して
しまいました。hata333さんにも新しい考えを頂きました。
まったく今まで自分では、なかった発想なので
怖い位の衝撃を受けています。

「他人や自分は存在しない、人の頭の中で存在している」

この一文は、私にとっては久々に頭が痛くなるほど
考えるものでした。衝撃すぎて少しの迷いも生じて
きてしまいました。

お礼日時:2005/12/25 00:55

「我思う、故に我あり」ですね。


ありとあらゆるものを否定していっても、それを否定している自己を否定し得ない。
しかし、我以外のものは否定しえるということですね。
人が自覚しているのは脳の一部で、他の大部分の脳が自分以外の世界を構築している。
その世界を見せられているだけであって、本当は無の世界に自分ひとりが存在して、長い夢を見ているのではないか。

多分そうだと思います。人間は無の中に一人でいると。
人が想像するものは必ず実現できるといわれるのもこのためです。だった夢ですもの、思うところの全てが現実となります。
この世界は実に複雑で豊かだと思われますが、人が知覚できる範囲においてはそうではないでしょう。
複雑に見える断片のみを見ているだけです。これくらいならば個の世界であっても存在しえるでしょう。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。

面白いです、本当に面白いです。
みさなんのお返事が本当に心に響いてきます。

patofuさんのご意見は、私が読んできた自己啓発
本よりも勇気付けられます。なるほど、だから
夢ってものはかなうものだったんですね。

ひとつの疑問としてはpatofuさんは
どのようにしてこのような考えを持つことが
できるにいたったのでしょうか、そんな疑問が
生じました。

お礼日時:2005/12/25 01:10

porlaliさん、こんにちは。



実は、僕も中学生位の時から、
おそらくあなたが感じているだろうと思われる疑問をズーッと持ち続けていました(す)。(^_^)

この感覚は、たいへん言葉にするのがむつかしく、
当時、父に「他の人っていうのは、ロボットのような気がする。」って言ったら、
「お前も大きくなったら人の存在がよくわかる」、といったようなことを言われましたが、僕の言いたいことは、伝わっていないな、ともどかしく思ったものです。
僕は、不遜や傲慢な意味でそういったのではありませんでした。
今、僕は51才ですが、その答えがおぼろげながら見えてきたように思います。
それを何とか断片的に言葉にしてみたいと思いますので、よかったらつきあってみて下さい。

まず、ことばそのものにヒントが隠されていると思います。
「自分」とは、「自」から分かたれた存在。
「自」は一つの存在。「一」なるもの。

僕達が一般的に「存在」といってるものをそのまま存在という言葉で表し、
この「大宇宙」に本当に存在するものを「実在」という言葉で表現してみたいと思います。

この世に物質は存在します。
しかし、物質は実在ではありません。
物質は意識(生命)の表現手段として存在します。

「大宇宙」の中に僕達が認識している三次元物質的「宇宙」があります。
「実在」とは大宇宙の「自」であり、またそこから分かたれた無限数におよぶ生命のこと。

「わたし」は「あなた」。

神の社の中に鏡があることを思い起こして下さい。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。

 今までの自分の概念では、堂々巡りで
煮詰まってしまっている状態でした。
yoh001さんが、私と同じような疑問を
抱いていたとお聞きしまして、今までの
孤独が和らいできました。徐々に疑問が
解消されたということは、私にはうらやましく
思います。頂いた言葉は、私には今、現時点
では100%消化することは、難しいですが
人生の経験をつみいろいろな人と出会いその中
でお言葉を思い出しながら人生経験の中で答えに
近づけれるように頑張りたいと思います。
たいへん参考になりました。

お礼日時:2005/12/26 01:14

実際的には大差ないんじゃないかと思います。


つまり、たとえばあなたはこう書かれた文を読んでいます。そこからメッセージを受け取っているわけです。従ってこのメッセージは仮にあなたの心の中であれ「存在します」。
科学の体系を知っていますか?音楽は、芸術は?そういうものが全てあなたの中にあるとして、なんの不都合があるかということです。実際そこにある場合と、あなたの心の中にだけあるが「実際そこにあるのと全く違いない」場合と。
どちらにせよ実用的には「そこにある」場合と同様に我々は行動するでしょう。それともこのことを確認するため、たとえば赤信号の交差点に飛び込んでみる人がいますか?普通はしないでしょう。私もお勧めしません。心の中にしかないのではなく実在した場合、とりかえしがつきませんから。
それに心の中にしかないものだとしても、それがたとえばぶつかってくる車であった場合、それを否定しても車は消えてくれません。つまりこちらの意思とは無関係に動いているのです。そうである以上、心の中にしかないとしても危険かもしれません。等々。
というわけで実際にはこのこと(唯我論)は無益です。そう考えても現実が変わってくれないからです。死んだ人は戻らず、失った人は帰らず、なくしたものは戻ってこないのに唯我論に走ってもそれは逃避というものです。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。

唯我論に走らないような思考を持って
生きていきたいと思います。

お礼日時:2005/12/26 01:20

あなたが確かに存在すると思うのと同じほどに外側の世界も根拠無く存在しています。


例えばあなたが傷つけられたと感じる時確かに外界に傷つける原因が存在していると認識せざるを得ません。
このように自分の精神が自分の存在を確からしめると同時に、その精神は常に何かに向けての精神なので(何かを対象としていることを志向性といいます)少なくとも客観的レベルにおいてはわかりませんが主観的レベルにおいては自分も世界も存在していると認識できます。
例えば神を想像します。この時あなたは外界に無いものを想像していると考えるでしょうが、実はその神は『人間を形どっている』『やさしいという人間の性質を持っている(その優しいは、例えば困った人間に手を差し伸べるなどの行為によって理解されますので、これも外界のものとなります)』『光などの象徴を持っている(光も外界に存在しているものです)』と言うように実は実際にあるものでわれわれは神様の形を考えているのです。
今までの考えをまとめると、認識レベルにおいては認識する『私』がいるのと同じぐらいに認識するための『対象』が必要であると言うことです。つまり外界が存在していると考えるあなたは少なくとも間違ってはいないと言うことです。
私の助言では他人の概念が抜けていると思いますので、それは他の方にお任せします。
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おもしろい疑問だと思います。

実は、最近、似たような議論を家で飼っている猫のグダと近所の太郎ちゃんや次郎ちゃんが話してました。質問者の方の疑問と似ている気もしますが、全然違うかも知れません。

二人の会話は、疑問を出しているだけで、ほとんど結論なしですが、参考のために、以下に載せておきます。もし、どちらかの会話が、質問者の方の疑問に近いようでしたら、教えていただければ、彼らに、もう少し考えてもらおうと思います。

<その1>「太郎とグダの会話」

太郎:ねーねー、自分の顔って自分で見ることできないよね。
グダ:どうしてにゃ? 鏡みれば見えるにゃん。
太郎:そうじゃなくて、直接見ることができないっていう意味だよ。
グダ:そりゃ、当たり前にゃ。鼻くらいはみえるけどにゃ。それが、何にゃ?
太郎:うん。だから、自分は目玉の付いているこの自分の体の中にいるんだと思うんだ。
グダ:そりゃそうだ、外にいたら、幽霊にゃ。うんにゃ、幽体分離ということかにゃ?
太郎:うん。だから、自分は、この自分の体の中から外を見ていることは確かなんだけど、他の人も同じように他の人の体の中から外を見いているのかどうか、よくわかんないんだ。
グダ:他の人が他の人の体の中から見ていないとしたら、どこから見ているんにゃ?
太郎:そうじゃなくてさ、そもそも、見てないんじゃないかってことだよ。
グダ:そんな馬鹿にゃ? 見てなかったら、道歩いていて車にはねられるにゃ。
太郎:違うんだなぁー。そういう意味じゃなくて、うーん、何と言えば。。。。。。。。。
グダ:何と言えば、いいのにゃ?
太郎:だからさ、見ているけど、本当は見てないっていうことなんだけどな。。。。。。
グダ:何? 見ているけど見てない? お主、オイラを猫だと思ってからかってるにゃ?
太郎:そうじゃないんだってば。だからさ、例えば、ロボットが進化すれば、外界の情報を集めて、車が来ても避けるようになることは、将来できるかも知れないよね。
グダ:うん。その程度のことなら、今でもできそうにゃ。
太郎:だけどだよ、そのロボットは、本当にこの世界が見えているんだろうか? このボクがこの世界を見てるようにだよ。
グダ:そりゃ見えてるに決まってるにゃ。そうでなければ、車を避けられないにゃ。
太郎:結局、そーいう話になっちゃうんだよな。違うんだなぁー。
グダ:何が違うんにゃ?
太郎:(太郎、黙って、グダの足を踏む)
グダ:痛いにゃ! いきなり何するにゃ! 
太郎:ごめん、ごめん。今、グダ、本当に、痛かったよな?
グダ:当たり前にゃ! 足踏まれて痛くないヤツはいないにゃ!
太郎:そしたらさ、もし、ボクがロボットの足を踏んで、ロボットが「痛い!」って叫んだとしたら、やっぱり、ロボットは本当に痛いと感じていると思うかい?
グダ:うーん。そりゃ、ロボットは足を踏まれたら、「痛い」と叫ぶように作られているだけだから、ロボット自身が「痛い」と感じることはないにゃ。
太郎:だろう。だったら、ボク以外の人が足踏まれて「痛い!」と叫んだからと言って、その人が本当に痛いと感じているかどうかなんてわかんないよね。
グダ:何? っていうことは、太郎は、他の人やオイラはみんなロボットじゃないかと思っているのかにゃ?
太郎:いや、そう信じているわけじゃないけど、そうじゃないという保証もないよね。
グダ:オイラは、絶対、ロボットじゃにゃい! オイラから見ると、太郎の方がロボットかも知れないと思うのにゃ!
太郎:うーん。そうなるだろうね。それは、よくわかるよ。
グダ:でもにゃ、太郎は本当は信じてないにゃ。
太郎:何をさ?
グダ:だから、他の人がロボットかも知れないっていうことをにゃ。
太郎:そりゃーそうだけど、でも、ロボットじゃないって証明はできないよね。ロボットでないとかなり信じているけど、でも、それは勘違いってこともあるよね。
グダ:じゃ、どうして、かなり信じているにゃ?
太郎:えー? どうしてって言われても。。。。。。。うーん、そうだなぁー。自分が痛いって思う場面で、他の人も痛いって顔してるし、自分が嬉しいだろうなって思うような場面で、他の人も嬉しそうな顔しているし、それに、話をしてみれば、自分と同じように考えていることがわかるからかなぁー。
グダ:っていうことは、もし、宇宙からエイリアンが来て、太郎が痛いって思う場面で笑い出し、太郎が嬉しいと思う場面で怒りだし、話しても何を考えているか全くわからなかったとしたら、そのエイリアンは、何も感じてないと思うかい?
太郎:うーん。そうでもないかも知れない。もしかすると、感じてないのではなく、地球人とは全然違う形で感じていると思うような気がするな。
グダ:ふーん。そうすると、自分と反応や考え方が似ているだけでは、感じているかどうかの判断にはならないっていうことだにゃ。
太郎:そう言われれば、そうだね。


<その2>「次郎とグダの会話」

次郎:オレさ、最近、ときどき、変なこと考えるだ。
グダ:どんなことにゃ?
次郎:自分以外の人って、人間のように見えてるけど、本当は、自分の脳が映し出しているだけじゃないかって思うんだ。
グダ:自分の脳が映し出してるってどういうことにゃ?
次郎:うん。例えば、今見えてる空があるよね。
グダ:うん。空はどこにも行かんのにゃ。
次郎:あれは、何色に見える?
グダ:何色って、そりゃ、青だにゃ。
次郎:じゃ、どうして空は青く見えると思う?
グダ:どうしてって、そりゃ、空は青いから青く見えるに決まってるにゃ。そこに咲いている花は、赤いから赤く見えるだけにゃ。
次郎:ところがちがうんだなぁ。
グダ:どこがちがうんにゃ?
次郎:学校の先生にならったんだけど、空は、青いんじゃなくて、0.43ミクロンの電磁波を反射してるだけで、赤い花は、赤いんじゃなくて、0.70ミクロンの電磁波を反射しているだけなんだって。
グダ:電磁波? 何にゃ、そりゃ?
次郎:うーん。要するにさ、ラジオの電波みたいに空間を飛んでくるものだよ。
グダ:じゃ、その電磁波に色が付いているんにゃないのか?
次郎:ちがうよ。だって、電磁波って、あのラジオやテレビや携帯で使ってるやつだよ。グダは、携帯の電波が見えるのかい? もしかして、何を話しているかまで、見えちゃう?
グダ:いくらオイラでも、それはないにゃ。でも、じゃ、その電磁波が空間を飛んできただけで、何故、青く見えたり、赤く見えたりするんにゃ?
次郎:そう! それが、不思議なんだけどさ、その電磁波の波長によって、脳が青い色にしたり、赤い色にしたりしているらしいんだ。
グダ:ふーん。じゃ、脳は画家ってわけにゃな。
次郎:まー、そんなとこかな。
グダ:ところで、それが、さっきの自分以外の人は脳が映し出しているのじゃないかという話とどういう関係があるんにゃ?
次郎:あー、そうそう、その話だったんだよな。うん。だから、自分以外の外にあるように見えるものって、本当は、そこにあるかどうかはわからなくて、もしかしたら、全部、自分の脳が作り出した幻想じゃないかって思うんだ。他の人も含めてさ。
グダ:あー、そういうことか。そんなの当たり前にゃ。オイラは、幻想で大いに結構。オイラにとって大切なのは、毎日、ご主人がオイラにご飯をくれるかどうかってことだけにゃ。
次郎:うーん。猫は気楽でいいよ。
グダ:じゃ、次郎は幻想じゃ何か困ることあるのかにゃ?
次郎:そりゃあるよ。だって、もし、こうやって見えている世界が全部幻想だとしたら、何が本当かわからないじゃないか。
グダ:何が本当かわからないって? 今、この世は全部幻想だって言ったじゃにゃーのか。それが、本当だってことじゃにゃーのか?
次郎:この世は全部幻想だって言ったわけじゃないよ。幻想かも知れないけど、そうかどうかさえわからないって言ったんだよ。
グダ:じゃ、次郎は、本当の世界と幻想の世界をどうやって区別するんにゃ?
次郎:そんなのわかんないよ。
グダ:ん? でも、さっき、この世界は幻想かも知れな言っていたじゃにゃーか?
次郎:言ったけど、それが何か関係あるの?
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